第9話 想いが伝わりました。

「すまない、起こしてしまったか?」


 目を開けると、誰かの腕がミーナの視界に飛び込んできた。どうやらそれはクラウディオのもののようだ。

 さらに視線を動かし……今の状況をミーナは把握する。


 ミーナはベッドに横になっている。

 クラウディオの右腕が彼女の頭の下に置いてある……しかし、彼はベッドではなく、椅子に座っていた。

 座りながらも前屈みになりながら腕枕をし、やや苦しそうな態勢だ。

 しかし、表情には表れていない。


「あ、あの、この状況は……?」

「すまない。今離れる……頭をちょっと上げてくれるか?」


 ミーナがどうしてこうなったのか話を聞くと、戸惑いながらクラウディオは説明を始めた。


 まずクラウディオは、ベッドにミーナを横たえ、寝かそうとした。

 しかしミーナがクラウディオの腕にしがみついて離さなかったらしい。

 仕方なく、片腕でミーナに毛布を掛けた。そこまではよかった。腕も放してくれた。

 しかし、彼女を起こさぬように頭の下敷きになった腕を抜くことができず、今まで難儀していたということだ。


 今回は、ヴァネッサに言われた約束通り、自分一人で何とかしようとした結果が……これだった。

 まだ、ヴァネッサは眠っている。

 太陽は、まだ真上まで登っていないのだ。


「あっ。ご、ごめんなさい」


 ミーナは真っ赤になって謝りつつ、じっとクラウディオの体を見つめる。

 腕にいくつかの傷跡が見える。体はほどよく筋肉が付き、かなり鍛えているようだ。

 次に顔を見つめる。夢の中の少年の面影を残している。

 ミーナは顔を上げるのを忘れ、見とれてしまった。


「あの、私……クラウディオ様とお会いしたことありますよね?」

「そうだ。あの時……渡したネックレスを今でも身につけてくれていて……私はとても嬉しい」

「やっぱり……」


 しかし、とミーナは思う。なぜこんな大切なことを忘れていたのか、と。

 いつ頃、忘れてしまったのか……それすらも思い出せない。


「君は……その……コリン伯爵のことが?」

「彼のことは……」


 ミーナは、婚約破棄の経緯と、コリンへの想いを伝えた。


 彼との婚約は、両親が決めたことだったこと。

 聖堂を与えてくれたことは感謝しているけど、それ以上にはどうしても思えなかったこと。

 愛情はなくても、感謝のために結婚してもいいと思っていたこと。

 ひょっとしたら一緒に生活していく上で、彼のことを好きになることがあるかもしれないと希望を持っていたこと。

 しかし、そのささやかな思いは踏みにじられてしまったこと。

 そして、婚約破棄を言い渡され、追放されて、突然湧いた怒りに聖堂を飛び出してしまったこと。


「そうか……」


 クラウディオは、安堵ともとれるような顔をした。


「私……。こんな人間です」


 ミーナが、独り言のようにつぶやく。


「君に非はない……だから……すまない」

「なぜクラウディオ様が謝るのですか? 私は、貴方のことを全部思い出して、嬉しいのです。昨日、初めて会ったと思ったのに……なぜ貴方と一緒にいると安心できるのか、不思議に思っていました。思い出して理由が分かりました」

「そのようなことを言ってくれるとは……嬉しいな」


 彼の言葉に、ミーナは心を焦がす。想いがこぼれていく。


「私は……たぶん、初めて会った時から……」


 さすがに、これ以上は……私に都合が良すぎる。

 今まで彼のことを思い出していなかったのに……なにを……。言ってはダメだ。

 ミーナはそう思い口を閉ざした。


 そんな彼女の心配をよそに、クラウディオの顔が綻んだ。


 ああ……。この笑顔。とても愛しく思える。

 前の記憶がなくても、クラウディオに惹かれていた。

 ミーナは、込み上げる感情に「自分がどうしたいのか」問いかける。


 出た答えは、とても素直で純粋なことだった。


「クラウディオさま、その……もし、嫌でなければ、椅子ではなくて…………もっと私の方に来てもらえませんか?」


 頑なに顔を上げない少女は、これ以上無いくらい顔を赤らめた。

 勇気を出して騎士の目を見つめ、囁くように想いを伝える。


 彼の側にいられるのであれば。

 きっと……私の思いは三度目の正直になる。


 ミーナは例えそれがどんな立場であっても、受け入れられるような気がしていた。

 それが例え、妾という立場であっても。


「クラウディオさま……私は、あなたのことが——」


 珍しくミーナの言葉を遮るように、クラウディオが割り込む。


「私から言わせてくれ。あの日、初めて会ったあの時から、私はミーナの事が好きだった。ずっと想っていた」

「あぁ……」


 こんなに私に都合がいいことが今まであっただろうか。

 ミーナの口から熱い吐息がこぼれた。


 信じていても、時に裏切られる。これまでの自分がそうであった。

 でも、彼だったら、全てを受け入れられる。


「君に会うのが怖かった。あの日に探していたのは、ミーナ、君だったんだ。でも会ったら、全てどうでもよくなった」


 大粒の涙がミーナの頬を伝う。

 クラウディオの声は、まるでミーナの心を包むように優しく、寄り添ってくれていた。


「再会してもまったく、君に対する私の気持ちは変わらない。いや、益々想いが強くなった。君のことを愛している」


 この人の側にいたい。

 そのためなら何だってできる。


「私はあの時の誓いを、守るためだけに今も生きている。これからもだ」


 その気持ちだけで、どれだけ感謝したらいいのか分からない……それほど、ミーナの心は満たされ、溢れている。


「クラウディオさま。私も——」


 ミーナは、顔をようやく上げ腕を彼の首に回した。

 二人の距離が一気に縮む。


 そして、少女は目を閉じ、全てを彼に委ねたのだった——。



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