第十三話 青白昼

「球技大会?」


「そう。バスケの上級に入ってくれってさ」


「へぇ! いいんじゃない? 私、高坂君のかっこいいとこ見たいっ」


 影が小さく自分に張り付く昼の屋上。今日はお昼にお弁当を作ってきたから一緒に食べようと、いつもは僕一人の屋上に彼女もついてきた。


「僕は別にかっこよくないよ。どう考えてもこう、速いドリブルとかさ、上級者特有の駆け引きみたいな方が見ててかっこいいでしょ? 僕それ全くできないんだよ。かっこいいどうこうの前に試合で足引っ張っちゃうよ」


 そもそも球技大会は合コンのアピール時間でもなんでもないわけだから、試合でちゃんとチームに貢献できるか否かを考えた方がいい。


「じゃあ花恋さんさ、いきなりプロのオーケストラに放り込まれて演奏会出てくださいって言われたらどうする?」


「え」


 彼女はお箸の動きを止めて、虚空をぱくぱくついばんだ。


「それは、流石に気が引けるけど……」


「でしょ? 楽器やってる花恋さんでもそう思うのにさ、僕完全に初心者だし」


 僕は塩胡椒で上手に味付けされた卵焼きを口に運んだ。


「でも、経験者の生田君が言うんだから大丈夫なんじゃないっ? きっと高坂君がいれば勝てるみたいなビジョンがあるんじゃないかなぁ」


「そうだといいけどね。引き受けるべきなのかなぁ、不安しかないけど。ってなにこれ」


 僕は弁当箱の隅に陣を敷いているカボチャの煮物に目をやった。緑色の皮が細かく切り抜かれて何かの模様になっている。何かの顔だろうか。


「あ、それあんまり見ないでっ」


「え、なんかまずいの?」


「にゃんちゃんの顔にしようと思って掘ったんだけど、めちゃくちゃ失敗したの」


 にゃん


「……ふっ」


「わ、笑うなぁ!!」


 思わず口元を隠す僕を彼女は顔を真っ赤にしてぽこぽこ殴った。悔しそうに口を結んで、僕の弁当箱から失敗作を強奪する。


「あっ」


 という間に残念な猫ちゃんは彼女の口の中へ。


「証拠隠滅したね」


「あおにゃあんえあいおんっ!」


「なんて?」



 口元を隠しながら必死に訴える花恋さんの可愛らしい姿に笑壺えつぼうねり出した。彼女も釣られるように笑う。雲間から再び光が降りてきたのは偶然のタイミングだろうか。


 携帯が鳴る。僕らは同時にポケットをまさぐった。


「あ、私だっ。はーい、もしもし?」


 片手に箸を持っていた花恋さんは携帯をスピーカーにして脇の椅子に置いた。


「か、花恋っ?」


「あ、結衣」


「ど、どこにいるの? お、おひる、一緒に……」


 彼女の声は今にも泣きそうになっている。


「あたしと食べるの、嫌になっちゃったっ? その、花恋の嫌いなことあったら治すからっ。置いてかないでっ……」


 これは相当探してたのか。可哀そうがすぎる。


「ごめんごめんっ。そんなつもりじゃないのっ。今ね、屋上でご飯食べてるから、結衣も来る?」


「なんで屋上、一人?」


「ううん。高坂君も一緒」


「え」


 ぷつり、通話が切れた。なんか嫌な予感がする。背中を焼かれるような焦燥を血管に巡らせながら、ご飯を箸で掻く。それを口に運ぼうとしたところで屋上のドアが勢いよく開いた。


「なんであんたが一緒なのよっ!!」


 ぷんすかぷんすか床を踏み鳴らしながら向かってくる彼女を花恋さんは思いっきり抱きしめる。瞬間に安達さんの顔には清福せいふくの後光が差した。


「ふぁぁ」


「結衣、ごめんね。嫌なことなんてなぁんにもないよっ。嫌いになったかと思った?」


「うん……だって、なにも言わずに置いてくんだもん」


「みゃーかわいーいっ! 寂しくなっちゃう結衣可愛いよぉ!」


 自分より幾分か背丈のある安達さんを花恋さんは精一杯包んで横に振り回した。


「なに言ってんのっ、花恋の方が百億倍可愛いよっ」


「えへへ〜」


 安達さんは自分の胸に花恋さんをうずめてよしよし頭を撫でると、彼女の身体を離して僕の方へつかつか歩いてきた。


「なんで画伯が花恋と一緒にご飯食べてるの」


 静かな声のトーンと鋭いけど怒りではない何かが籠った眼差し。僕はお弁当に視線を落とした。当たり前だがそれが花恋さん作だとばれてはいけない。絶対殺される。


「なんでって、僕はいつもここで一人でご飯食べてるし、そこに花恋さんが来ただけだよ」


「うんっ。いつもお弁当持って教室出るけど、どこ行ってるんだろうなぁって追いかけてきたのっ!」


 花恋さんは後ろから安達さんお腹に手を回してこちらに顔を出した。相も変わらず眩しくて可愛らしい笑顔が咲いている。


「ほ、ほんと?」





「ねぇ、高坂君」


 私の自慢の手料理だからっ、と彼女が肉じゃがを出してくれた夜。彼女は茶碗を置いて僕の方を見た。


「ん?」


「高坂君ってさ、お昼どこで食べてるの?」


「あぁ、屋上だよ。空が綺麗だから」


「え、屋上上がれるのっ!?」


「うん。中学生の時、屋上の階段のところで一人で絵描いてたことがあって、それ事務員さんに見つかってさ」


「あ、そっか。高坂君一貫生なんだ」


「そうだよ。で、その人に屋上に出るかい、って言われて。そっから放課後よく一人で屋上来て絵描いたりしてたんだよね。ほんとは入っちゃいけないみたいなんだけど、顔パスみたいな。最近は昼休みだけ屋上開けてくれてるの」


「そ、そうなの!? いい事務員さんだね」


「そうだね」


 自分一人の屋上はずっと特別な場所だった。青い空の向こうを眺めながら、いろんなことを思い出して。届くはずがない彼女に向かって、描いた絵を紙飛行機にして屋上から飛ばしたりもした。


 そのうち仕事ができて屋上で絵を描くことはなくなったけど、誰にも知られてない秘密基地のような空気が吸える場所だ。


「ねぇ、今度一緒に行ってもいい?」


「え?」


「私がお弁当作るからっ。一緒に屋上で食べようよ!」


「いいの? いつも安達さんとお昼食べてるんじゃないの?」


 彼女は唇に箸を立ててぷにぷに押しつけた。


「そ、そうだけど、高坂君とも一緒にご飯食べたいし……」


「それは朝と夜できるから。学校では僕なんかより友達の方優先してあげてよ」





 とは言ったものの結局お弁当を作ってついてきたのだ。気持ちの良さそうに日光を浴びていたけど、彼女にこの屋上はどう映ったのだろう。


「で、でも一言くらい教えてくれてもよかったじゃん」


「だって、高坂君とご飯食べるって言ったら、結衣、許してくれないでしょ?」


「ど、どうしてもって言うなら一回くらいは一人で我慢するよ。でもなんで? 花恋はいきなり画伯のこと……?」


「え、えっと、気になるから……?」


 彼女は顎に人差し指を立てて首を傾げた。


「それって、やっぱり画伯のこと好きってこと?」


「ふぇ!?」

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