第2話高校生活
いつも通りのトーストと牛乳、簡単に作ったサラダを食べて、身支度を整えた。
着慣れた学ランは没個性な俺を学生らしくする。少し長めの髪を櫛で梳かして、ようやく準備は整った。
メガネの位置を直しながら、春風が吹く中、高校への道を歩くと、龍堂市で今一番の噂が耳に入る。
「ねえ。また出たらしいよ。殺人鬼が」
「これで五人目よね? 気味が悪いわ……」
他校の制服をした女子高生が大声でぎゃあぎゃあ騒いでいる。
その横を通ると交差点で今どき珍しく新聞を読んでいる男がいた。横に並ぶとおじさんのサラリーマンだった。なら全然珍しくないなと思い直した。
その記事には『月下の殺人鬼。被害者五人目』という見出しが目に入った。
嫌になるなと素直に思う。気味が悪いと言うより気分が悪くなる。
この街には殺人鬼がいる。平和な日本のちょっと危ない都内でシリアルキラーとやらがいるみたいだ。
必ず満月の日に活動するその殺人鬼は、最初に酔い潰れた男を殺してから、既に五人殺している。五ヶ月ほど前から活動しているそいつは性別も体格も分からない。そして目的すら不明である。
興味がないわけではないが、関わろうとは思わない。満月の夜に出歩かなければ安心だ。だから昨夜はずっと家で寝ていた。
でも学生で一人暮らしの俺はそれでもいいが、夜の街で働く人間は戦々恐々している。満月の夜に営業しないところもちらほら出ているが、ほとんどは営業しているらしい。
みんな自分が死なないと思っている。自分だけは無事で家に帰れると思っている。
誰もが思っている。きっと殺された五人も思っていた。
通っている高校――龍堂高校に着くと、後ろから「おーい、こころ!」と呼びかけられた。
振り返ると友人の前野剣がそこにいた。底に車輪が付いた剣道袋を転がして、早足で俺のほうへ来る。
「なんだつるぎ。朝練はどうしたんだよ」
「ちょっと夜更かしして寝坊だ」
「ふざけるな。都大会が近いんだろうが」
一応、口では叱るものの、つるぎは「まあまあ、気楽に行こうぜ」といつもの口癖を言った。楽観的というかとにかく前向きな奴なのだ。
「それよりニュース見た?」
「お前まで殺人鬼の話するのか? ここ二ヶ月同じ話題が続くなあ」
下駄箱から上履きを取り出して履き替える。
つるぎは「今話題だからな」と軽く笑った。不謹慎だと思うが気にしないことにする。
「昨日、眠れなかったのはそのせいだ。変に緊張したんだよ」
「おいおい。龍堂高校の剣道部の先鋒を任される剣士がそんなことじゃ先が思いやられるぜ」
龍堂高校の剣道部と言えば都内でも有数――いや、指折りの名門と言ってもおかしくない。目の前の背が馬鹿みたいに高くて短髪の三白眼のつるぎは一年の頃から正選手として活躍している。
「ま、先輩たちの引退が近いからな。気張らねえとな」
「なら寝坊なんかするなよ次期部長さん」
俺がからかうとつるぎはばつの悪い顔になった。痛いところを突かれたときに良くする顔だ。こいつは剣道部のくせによく突かれるところがあるのだ。
「そんなことより――」
「あ! 田中くんと前野くんだ。おはよう!」
つるぎが何か言おうとしたが、可愛らしくて愛おしい声に、全神経が反応した。
反応というより、反射と言ったほうがいいかもしれない。
「大後さん! おはよう! 今日も元気そうだね!」
目の前の美少女、大後美佳さんの元に向かう俺。
彼女は長い茶髪をウェーブしたセットで、整った顔立ち。体型も美しくて非の打ち所のない、美しき人だった。大きく開いた瞳がまた綺麗だった。
大後さんは「今日も元気だね、田中くん!」と笑いかけてくれた。その笑顔だけで退屈な学生生活も頑張れそうだった。
「大後さんも元気そうだね! いやあ、嬉しいなあ」
「ふふふ。何が嬉しいのか分からないけど、ありがとう」
俺は大後さんに何か気の利いたことを言おうとしたが「置いてくなよ、こころ!」とつるぎに呼び止められた。
「こんなに速かったか? まあいいや、大後、おはよう」
「前野くんもおはよう! あ、でも今教室に行くのやめたほうがいいかも」
声を落として大後さんは俺たちにひそひそ話をした。
「春ちゃんが怒っているから。前野くん、寝坊したでしょ」
「げっ。マジか」
これまた痛いところを突かれた顔になったつるぎ。
春ちゃんとは大後さんの親友、湯本春のことで、彼女は女子剣道部の部員だ。
しかもつるぎの彼女でもある。
「やばいな……仕方ない。急に気分が悪くなったと――」
「へええ。あたしには元気そうに見えるけどねえ」
黒髪のミディアムロングの気の強そうな女生徒が、俺たちの前にいた。
あちゃあという顔をして、つるぎは彼女と向かい合う。
「寝坊なんてたるんでいるわ。しっかりしなさい」
無表情でそう言うと湯本はつるぎの腹に思いっきり正拳突きをした。いわゆる腹パンである。
「ふぐう!? うごごごご……」
突然の強襲――つまり不意討ちだったので腹筋を固める前に打たれたつるぎはその場にうずくまる。内臓にダメージを与えたんじゃないかと思うほど、物凄い速度の突きだった。
「お、おい。大丈夫かつるぎ――」
「田中こころ」
つるぎの背中を擦ってやると、絶対零度のような凍えるどころではない、冷酷な声がした。もちろん、声の主は湯本だった。他人をフルネームで呼ぶときはかなりキテいる証拠だった。
「この馬鹿と話があるから、美佳と一緒に教室に入りなさい」
「えっと……はい、そうします……」
湯本は笑っていた。絶対に物凄く怒っている。
俺は大後さんと一緒に自分の教室に入った。後ろから「見捨てないで……」という声がしたが、きっと気のせいだろう。
「春ちゃん、凄かったね」
「都大会が近づいているからね。気が立っているんだと思うよ」
大後さんと二人で喋れるから、むしろラッキーに思っていた。
同情? 寝坊したあいつが悪い。既に見捨てた罪悪感など、大後さんと一緒にいられる幸福感で打ち消されてしまった。
「田中くん、文芸部だっけ?」
「ああ、そうだよ。高文祭に向けて作品を仕上げている途中なんだ」
高文祭とは全国高校文化祭のことで、言うなれば文化部の全国大会のようなものだ。
大後さんは困ったように「実は生徒会である議題があがっているの」と言う。
大後さんは生徒会に庶務として所属している。今度の選挙では会長になれると噂されていた。
「実は部活動ができなくなるかもしれないの」
「……例の殺人鬼が原因かな?」
大後さんが悪いわけではないのだが、彼女は申し訳なさそうに眉を八の字にした。
俺は「気にしないで」と気遣う。
「悪いのは殺人鬼なんだから。それに夜遅くまで残るのは危ないからね」
「五月に入って、日が高くなったからと言っても……」
「それも分かっているよ。いつぐらいから休止になるかな?」
「今日話し合うことになるけど、三日後からだと思うよ」
三日後か。殺人鬼が逮捕されれば話自体無くなるとは思うが、それは望み薄だった。
日本の警察が血眼になって捜しているのに、何の証拠も見つかっていないのだから。
それに何故か『殺人鬼は決して捕まらない』という気持ちが強かった。
「なんだか、私怖い……」
大後さんが目を伏せて怖がっている。
俺は安心させるために「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。
「いつか必ず、殺人鬼は捕まるさ。だから絶対大丈夫だよ」
「田中くん……」
潤んだ瞳だったけど、少しだけ安心できたようだった。
大後さんは「ありがとう」と笑ってくれた。
「ほっとしたらお腹空いちゃった」
「あれ? 朝ご飯抜いたの?」
「ううん。最近お腹がすぐに空くの」
「ふうん。成長期なんだね」
他愛のない会話が続く。
これが俺の日常だ。
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