第21話


 コツ、コツ、コツ。 

 ノックの音に、竜は跳ね起きた。

「竜?」

「はいっ」

 ドアが開き、マリーが顔を覗かせる。

「健太くんから電話よ」

「ありがとうございます」

 急いでベッドから降りて靴を履く。

「起こしたくなかったんだけど…。何だかまだ疲れた顔をしているわ」

 心配顔のマリーに竜は笑って見せた。

「大丈夫です。ちょっと横になるだけのつもりだったのに、寝ちゃったみたいで…」

 部屋を出がけにちらりと目覚まし時計に目をやった竜は、びっくりしてもう一度時計を見直した。6時20分?!

 果樹園でエミルに見てもらいながら「物を作り出す魔法」の練習をしていて、3時にマリーにおやつに呼ばれて、その後リルの果汁とライラのよだれでベタベタになったジーンズを着替えに部屋に上がって、着替えたあと、ちょっとだけと思ってベッドの上にごろんと横になった。それが今6時20分だって!

 信じられない思いでぼうっとしながらマリーの後について階段を降り、キッチンに入る。いい匂いがしている。もうすぐ夕食なのだ。3時間も寝てしまった。練習するべきだったのに…。竜はぐっと奥歯を食いしばった。今寝てしまった分を今夜取り戻そう。健太くんを見習わなくちゃ。決心して、受話器を取り上げる。

「健太くん?竜です」

「竜くん!ごめんね、魔法の練習してた?」

 竜は恥ずかしい思いで苦笑した。

「ううん、全然。疲れて眠っちゃってたみたいで」

 健太が笑い声をあげた。

「ほんとに?僕もなんだよ。バスケが終わったらもうくたくたで、帰りの車の中で寝ちゃって、レイがソファまで運んでくれたのも気づかないで、そのままずっと眠ってたみたい。さっき起きたばっかり」

「そっか。聞いたよ、昨日徹夜だったんだって?」

「うん。でも朝ちょっと眠ったけどね」

「今日も試合だったの?」

「うん。なんか、レイが僕のためにばんばん試合を入れてくれちゃってるみたいで。実戦をたくさん経験させてくれようとしてるみたい…少ししかいられないから」

 健太がため息をついた。

「ずっといられたらいいのにな…」

 でもすぐに気を取り直したように明るい口調になって、

「でも!そんなこと言ったってしょうがないもんね。言ってもしょうがないことは、言わない方がいい!これ、僕のモットーの一つなんだ」

 健太君は大人だなあ、と竜は感心した。僕にはモットーなんてない。

「そうなんだ」

「うん。どうにもならないことをあれこれ言ったって、何にもいいことないじゃない?できないことを嘆くより、できることを探して楽しまないと」

 竜は深くうなずいた。

「ほんとにそうだね」

「ね、こっちのことを覚えてられる魔法、どうなった?」

 健太が心持ち声を潜めて尋ねる。竜はちょっと迷ったけれど、ちゃんと本当のことを言うことにした。

「うん、今日、一度だけだけど成功したよ」

 電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。

「成功したの?!すごい!」

「うん、でもやっぱりちょっと難しいっていうか、結構力を使うから、もっともっと練習しないとって思ってる」

「すごいなあ。さすが竜君!」

 健太の声は純粋に感嘆の声だった。

「スティーブンが竜君は天才だって言ってたけど、ほんとにすごいんだね。僕も頑張らなきゃ。今夜もこれからまた意識の集中とコントロールの練習なんだ」

「一晩でずいぶん出来るようになったって聞いたよ」

 健太はちょっと笑ってため息をついた。

「まだまだだけどね。集中するってことがあんなに難しいなんて知らなかった。すごい疲れるし…。でも、絶対諦めない。ベストを尽くすよ」

「…今日さ、練習してる魔法がなかなかできなかったんだ。失敗ばっかりして。何度も何度も。でも、健太君がすごく頑張ってる、昨日は徹夜だった、って聞いて、すごい元気もらった。僕ももっと頑張らなきゃ、って思えた。ありがとう」

 少し照れながら、でも心から竜は言った。電話の向こうで健太も照れたようにふふっと笑う。

「どういたしまして。僕も竜君のおかげで頑張れてるんだ。竜君に追いつこう、一緒にこっちのことを忘れずに帰ろう、って思って頑張ってる。ありがとう」

「…どういたしまして」 

「あのさ、」

 ちょっと恥ずかしそうに健太が言った。

「竜君のこと、竜って呼んでいい?僕のことも健太でいいよ」

 竜はなんだかとても嬉しくなった。

「うん、もちろん、健太」

「ありがとう、竜」

 名前って不思議だな。しばらく話した後、受話器を置いて竜は思った。健太君、と呼んでいた時よりも、ずっと健太と親しくなれた気がする。


 夕食の少し前にキッチンに入ってきたエミルの指は、チョークの粉で汚れていた。カールの書斎で、黒板を使っていたらしい。

「考え事をする時には、黒板があると助かるんだ。父と同じでね。ブラックボードだともっと助かるんだけど。どうもあのチョークの感触が好きになれなくて」

 手を洗いながら言うと、エミルは竜を振り返ってにこりと笑った。

「疲れは取れたか」

「はい。ごめんなさい、寝るつもりなんてなかったんだけど…」

「やっぱり疲れてたんだよ。よく眠ってた。なかなか降りてこないからライラと覗きに行ったら、止める間も無くライラが竜の顔を舐め出しちゃって。それでもぴくりともしなかった」

「まあ。それじゃ竜、顔を洗った方がいいわ」

 マリーが笑いながら顔をしかめた。

 でももうとっくに乾いてるんだけどなあと思いながらも、言われた通り竜が顔を洗っていると、外で足音がして、カールが入ってきた。

「ただいま。おやおや、またライラに舐められたんだね」

「はい」

 タオルで顔を拭きながら竜が言ったと同時に、ライラがうぉん!と嬉しそうに声をあげてにこにこしたので、みんなで大笑いした。

「そうそう、これは私から竜に」

 カールが鞄から何かを取り出した。

「これに色々書きつけておくといいよ」

 掌サイズの手帳だった。綺麗な深いブルーのアルマンサの表紙で、中のページは淡いクリーム色のやや艶のある紙だ。

「ありがとうございます、カール」

「濡れても大丈夫な手帳だから、いつでもどこででも書けるよ。雨の中だろうと、泳いでる最中だろうと」

 竜は目を丸くした。

「何で書いてもいいんですか?普通のペンでも?」

「もちろん。鉛筆で書こうとペンで書こうと、この紙に書く時は水の存在は無視していいんだ。それで思い出したけど、」

 とマリーを見て、

「一雨くるかもしれないよ。音大あたりでは降っていた」

「まあ大変。じゃ、中に入れてくるわ」

「手伝おう」

 カールと急ぎ足でキッチンを出て行きながら、マリーが振り返った。

「エミル、テーブルの支度をしておいてくれるかしら」

「了解」

「中に入れるって、何をですか?僕も手伝わなくていいでしょうか」

 竜が訊くと、エミルはいたずらっぽく笑って声を潜めた。

「行ったら多分追い払われるよ。竜の絵だからね」

「え」

「母は外で描くのが好きなんだ。たまに夜も描くから、食事の支度の間出しっぱなしにしてたんだろうな」

 食器棚からディナープレートを出して竜に渡しながら、

「完成したら見せてくれるよ。僕もちらりと見ただけだけど、なかなかいい絵だった。美少年だったぞ」

 にやりとされて、竜は赤くなった。誰かに肖像画を描いてもらうなんて、学校の図工の時間以外では初めてだ。なんだか気恥ずかしい。

「そうそう、真の絵のことも訊いてみたんだ。やっぱり何枚かあるらしい。明日にでも出してきて見せてくれるって」

「楽しみです」

 自分の絵を見るのはなんだか恥ずかしい気がするけれど、真のは是非見てみたい。

「雨になっちゃうのかなあ。今夜は果樹園で練習したいなって思ってたんですけど」

 ナイフとフォークを並べながら竜が言うと、エミルが風に揺れるカーテンの端から窓の外を覗いた。

「うーん、どうかな。フリアの中心地で降ると、大抵ちょっと後にここへもくるからね。でもすぐ上がるかもしれないし」


 夕食の途中で降り出した雨は、しかしなかなか止まなかった。竜は残念に思ったけれど、そういえばやるべきことがあるのを思い出した。カールにもらった手帳に今までのことを書きつけるのだ。確かに、もうマルギリスを歌わせることには成功したし、だから記憶を失わずに向こうに戻れる可能性は高い。でもやっぱり、万が一ということがある。

 竜は少し考えて、キャンプ場でケーキ屋さんの匂いがしてきたところから書き始めた。書き始めると、それこそまるで魔法のように、ペンがひとりでに動いているのかと思うほどすらすらと書けた。書きながら、様々な場面が細かいところまで鮮明に蘇ってくる。情景だけでなく、声や音、匂い、感触、雰囲気までがはっきりと蘇ってきて、竜は夢中で書き続けた。

 ようやく記憶の中で今日の夕食後までたどり着き、「雨が降っていたのでこの日記を書くことにした」と書き終えて、竜は大きく息をついた。まるで長い映画を観終わったような、ものすごくはっきりした長い夢から覚めたような、そんな感じがした。こんなふうに記憶を再生したのも、こんなふうにそれを書き綴ったのも、まったく初めての経験だった。これも魔法の練習のおかげなんだろうか。だんだん戻ってくる現実の感覚の中で竜はぼんやりそう思った。

 お尻や背中が少し痛い。ずっと同じ姿勢で硬い木の椅子に座っていたからだろう。指も腕も肩も痛い。特に指は、ペンを置こうとしても変に強張ってしまっていて、なかなかペンから離れなかった。

 ぱらぱらとページをめくってみる。ものすごく雑な小さい字でびっしりと書いてあり、お世辞にも綺麗で読みやすいとはいえない。まあ僕が読めればいいんだから、と竜は自分に言い訳をした。最初のページではそれほど小さくない字が、ページを追うごとにどんどん小さくなって、行間もどんどん狭くなっていっているのが我ながらおかしい。自分でも覚えていないけれど、きっとこのままじゃページが足りなくなる、と思ったのだろう。

 手帳はあと三分の二ほど残っている。今日が4日目。カールの魔法の道具のことも書かなくてはいけないから、これからもこのくらい小さな字でスペースを節約して書いていかなくては。そう自分に頷いてふと気がついた。雨音がしない。

 小さく「いたた」と呟きながら立ち上がり、窓のところへ行ってカーテンを少し開けてみた。いつの間にか雨は上がっていて、風に飛ばされていく雲の間から少し太った半月がのぞいたり隠れたりしている。

 ちょっと疲れているけど、果樹園に行ってみようかな、と竜は思った。もちろん部屋の中でも練習はできるけれど、やっぱり夜の果樹園で練習がしてみたい。真とエミルがやっていたように。

 その時、背後でひゅうん、と小さい声がして、竜はびくっとして振り返った。ライラが自分のベッドの上で寝そべったまま、顔を上げて竜を見ている。

「ライラ…ああびっくりした」

 小さい声で言って、竜はライラのそばへ行った。今の今まで、ライラがこの部屋にいることもすっかり忘れていたのだ。我ながら、すごい集中力で書いていたんだなあと半ば感心しながら、ライラの大きな顔を両手でもふもふと撫でる。柔らかいすべすべの毛が疲れた指に心地いい。

「お利口さんだね、ライラ」

 ライラがにこにこする。すごく可愛い。

「ねえライラ。これから果樹園に行こうかなと思うんだけど、吠えちゃだめだよ。みんな寝てるからね…そういえば今何時だろう」

 頭を回らしてベッドサイドのチェストの上の目覚まし時計を見る。3時半。

「3時半?!」

 竜は唖然としてしばらく時計を見つめていた。この時計に驚かされるのは今日二回目だ。もしかしてこれは魔法の時計で、とんでもない時刻を知らせて人をびっくりさせるからくりなんじゃないだろうか、という思いが一瞬脳裏をよぎったけれど、いやいや、夕食前のあの時刻はちゃんと合っていたのだから、今のこの時刻だって合っているはずだ。

「3時半だって…」

 ライラに言ってみる。

「こんなに遅くまで起きてたの、初めてだよ」

 大して眠く感じないことを意外に思ったけれど、まああれだけ長い昼寝をしたことを考えれば、当然かもしれない。

「健太もまだ起きて練習してるかなあ」

 ライラが大きな黒い目でじっと竜を見つめる。

「僕も頑張らないと。じゃあライラ、行ってくるからね。おやすみ。あ、そうそう」

 竜は立ち上がって、机の上から腕時計ベルトを取り上げ、ドライジャージーパンツのポケットに入れた。机の上の明かりを消し、音をさせないようにそっと窓を開ける。今朝はすぐ戻ってくるつもりで窓を開けっぱなしにしていったけど、今度はそんなわけにはいかない。幸い窓枠はそう狭くはなかったので、竜はなんとか窓枠に立ったまま窓を外から閉めることができた。鍵はかけられないけど、それは仕方がない…。そう思った途端、竜はおかしくなった。魔法が使えるんだった。

 魔法で窓に鍵をかけ、ベッドからおとなしくこちらを見ているライラに笑顔で手を振ると、竜はすっと空中に浮かんだ。今日の午後の練習のおかげで、意識の空間を使わずに魔法を行うことにももうずいぶん慣れてきて、ずっと前からこうしていたような気がするくらいになっていた。

 こんな時間に近所の人に見られるとは思わないけれど、一応低く飛ぶことにする。今朝崖の上の高い空で感じた風を思い出し、竜は、いつか今度は月明かりの中を高く飛んでみたいなと思った。すると、心のどこか片隅で、抑揚のない声が呟いた。できるだけ早い方がいい。この9日間のうちに。もしかしたら戻って来られないのかもしれないんだから。竜はその声を打ち消そうと、口に出して呟いた。

「そんなことない。帰って来られる。何度だってここに帰って来る」


 果樹園の木戸の上を通り、例の大きなりんごの木の近くまで低空飛行で来た時、りんごの木の上の方から笑みを含んだ声が降ってきた。

「来るだろうと思ってた」

 エミルだった。

 竜は一瞬びくっとしたけれど、そう驚いてはいなかった。心のどこかで、もしかしたらエミルも果樹園にいるんじゃないかと期待していた。エミルが座っている木の股からのびている太い枝の一つまで浮かんでいって、腰を下ろす。

「エミルはいつ来たんですか」

「1時くらいかな。外も乾いてきてたから。日記は書けたか?」

「はい、4日分全部」

「そりゃよかった」

 エミルは太い枝を背もたれにして、反対側の枝のほうに長い脚を伸ばし、頭の後ろに腕を組んで、楽な姿勢で座っていた。

「もう3時半ですよ。今まで何してたんですか?」

「考えごと」

 エミルはちょっと笑って、うーんと伸びをした。

「色々考えてた。昔のこと、今のこと、これからのこと」

 竜は月明かりの方に向けられたエミルの端正な顔をじっと見つめた。穏やかな、幸せそうな笑顔だなと思った。

「…真のこともね。竜が今日言ってたこととか」

 そう言ったエミルの笑顔が少し曇った。竜は、なんとなくエミルの考えていることがわかるような気がした。エミルは真のことを心配している。柔らかい風が吹いて、木々が周りでさやさや、さわさわ、と囁いた。

「あの事故から…真に会えなくなってから、僕の方は22年経ってる。でも真にとってはまだ1年も経ってない。僕はもう大人になっていて、色々な経験をして、真を好きだったことはもう思い出として語れる。でも、真の方はどうなんだろう」

 自分への問いかけなのかそうではないのかはっきりわからなかったけれど、竜は思ったことを正直に口にしてみた。

「真は…多分まだエミルのことが好きなんじゃないかと思います」 

 昔の写真や、今までに聞いたいくつかのエピソード、向こうで描いていたエミルの肖像画、肖像画についての会話、そういうものから真がエミルのことをかなり好きだったことはわかる。そして真の性格から言って、もちろん推測でしかないけれど、その気持ちをまだ持ち続けているんじゃないかと思う。

「そうか…」

 エミルは暗い顔でため息をついた。

「好きだった男の子がいきなり35歳の大人になって現れるなんて…どんな気持ちだろうな」

「でも、真だって歳のことは前からわかってたことでしょう。真のことだから、もしエミルのことをずっと好きだったんだとしたら、エミルの誕生日ごとに、今日で何歳になった、とかって数えてるかもしれない。自分はまだ12歳でエミルはもう35歳なんだって、ちゃんとわかってますよ。とっくに結婚して子供もいるだろうって思ってるかもしれない。また会えるとしても、昔のエミルに会えるわけじゃないってわかってますよ」

「頭ではね」

 エミルがまたため息をついたので、竜はちょっと笑った。

「結構心配性ですね」

 エミルは真顔で答えた。

「真に辛い思いをさせたくないんだ」

 辛い…。竜はちょっと考えた。

「それはまあ…失恋みたいなものだろうし、ちょっと悲しかったりはするのかもしれませんけど、そんな深刻にならなくても…。失恋なんて誰でも経験することだろうし…」 

 エミルが笑った。

「竜は誰かを好きになったことがないだろう」

「…ないです」

「ということは失恋したこともない」

「ないです」

「覚悟しとけよ。失恋は辛いぞ…すごくな」


 りんごの木の下に降りて、物を作り出す魔法の練習を始めようと草の上に腰を下ろした時(草はまだ少し湿っていたので、エミルに教えてもらいながら二人で魔法で辺りを乾かした)、竜は思い切って訊いてみた。

「さっき、失恋がすごく辛いって言ったでしょう?」

「ん?」

「それって真のことですか?」

 エミルは月を見上げて朗らかに言った。

「そう。人生で初めてにして唯一の本物の失恋」

「でもエミルが経験したのは、失恋っていうより…例えば喪失っていう方が近いんじゃないですか。だって、真が死んでしまったかもしれないって思ってたんでしょう?失恋って、振られたとか別れたとか、そういうんじゃないんですか?」

 エミルは膝の上に頬杖をついて、竜の目を見た。

「大好きだった…恋してた女の子にいきなりもう二度と会えなくなったんだから、会えなくなった理由がなんであれ、やっぱり失恋だったんだと思うよ。僕にとってはね。ものすごく辛かった。竜があんな思いをすることがないように願うよ」

「……」

 言葉に詰まっている竜を見てちょっと笑う。

「誰かに恋するっていうのは、独特の気持ちだよ。他の気持ちと随分違う。その対象を失うっていうのは、家族とか友達とかを失うのと全然違うんだと思う。独特のものだから、どっちがより悲しいとか辛いとか、そういう比較はできない。ただ『違う』としか表現できない。…まあ僕の場合は、その辛さに加えて、あの事故が僕のせいだったっていうのがあったから、余計に…」

「エミルのせいじゃないです」

 竜は遮った。ずっと気になって、言いたいと思っていたことだった。

「僕のせいだよ」

 エミルは静かに言った。

「だって一緒にカナダに行こうって言い出したのは真でしょう」

「絶対に止めるべきだったのに、賛同してしまったのは僕だ」

「でも最初に言い出したのは真なんだから」

「でも止めなかったのは僕だ」

「でも…」

 眉を寄せた竜に、エミルは首を振った。

「あの時、止めるべきだって僕は知っていた。世界と世界の間を移動する。そんな大きな魔法を行うときに、父に…魔法を作った本人に確認することもせずに、もう一人別の人間、しかも違う世界の人間を移動に加えるなんて、危険すぎる。絶対にするべきことじゃない。そんなことは頭でちゃんとわかってたのに、真と一緒にいたくて、真と一緒に冒険してみたくて、止めなかった。そのことを考えなかったわけでも、忘れてしまっていたわけでもない。止めるべきだ、やめておいた方がいい、と思ったのに、感情に負けて、誘惑に負けて、止めなかったんだから、僕のせいなんだよ、竜。僕は、真の安全より、自分の気持ちを優先したんだ」

 竜も負けてはいなかった。

「じゃ、真はどうなんですか。真だって、そんなことしたら危ないってわかっていたはずじゃないですか。『念のため』って言って、いつも何も余計なものを持たずにパジャマで移動してたくらいなんだから。それなのに一緒に行こうなんて提案して…。それに、もしカールが初めから、あの魔法は向こうの世界の人間だけが使えるものだって、ちゃんと二人に説明していたら、事故は起こらなくてすんだはずでしょう。誰かのせいだっていうなら、一番はカールで、二番目が真です。エミルが自分のせいだって言うのはおかしいです。エミルのせいじゃないのに」

 ずっと思っていたことを一息に言ってしまった。

 エミルは竜を見つめた。静かな目だった。

「真がどういう思いで一緒に行こうって提案したのか、それはわからない。もしかしたら、そんなことをしたら危険だっていうことをその時は忘れていたのかもしれない。わからないんだから、真を責めることはできないし、それに事実がどうあれ、僕は真を責めるつもりはないよ。絶対にね。

 父は…父は、竜にも話したけど、事故の後、全ては僕たちにきちんと説明しなかった自分の責任だ、って認めている。僕も辛かった時期には全てを父のせいにして父を憎んだよ。父さえきちんと説明してくれていたら!って。長いことずっとそう思って、父を恨んでいた。

 でも、そのうち…時間はかかったけど、ようやく自分の非を認められるようになった。僕にはあの事故を止められたのに、止めなかったんだ。だからあれは父のせいじゃない。自分が悪いんだ、って」

「でも、エミルだけのせいじゃないでしょう。真だって、カールだって…」

「僕だけのせいだとは言ってないよ」

 エミルは頬杖の上の頭を傾げて竜に微笑んだ。

「でも僕はあの事故が自分のせいだと知っている。あの事故を止められたのに止めなかったことを知っている。自分が悪かったんだと知っている。それが全てなんだ。他の人も悪かったんだとか、他の人のせいでもあるとか、そんなことは意味のないことなんだよ。自分の非を認めるっていうのはそういうことだ」

「……」

 竜は抗議を続けようと思って開けていた口を閉じた。心を澄ませる。エミルの周りの穏やかな空気を感じる。エミルは竜にわかってもらえるといいなと思っている。

 エミルの言うことに100%納得がいったわけではなかった。自分がエミルの立場だったら、そんなふうに考えられるかどうかわからないし、やっぱりどう考えたってエミルよりはカールと真のせいだという気がする。でも竜はうなずいた。

「…わかるような気はします」

 エミルはうなずいて、真剣な目をして竜を見た。

「頼むから、向こうに帰った時に真を責めたりしないでくれよ」

 竜はわざと顔をしかめてみせた。

「ちぇっ。先手を打たれちゃった」

 エミルはにこりとした。

「当然。僕の大事な初恋の相手だからね。いじめるなよ」

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