第87話 致命傷
「っ……だあッ!」
アドノスの大剣は魔物の体に深く突き刺さり、それを引き抜くと同時に、その体は地面に倒れ伏した。
それを見たギィが小さく口笛を吹く。
「キヒヒ、やるじゃねぇか。ギルドマスターは伊達じゃないねぇ」
「無駄口を……叩くな。」
剣を地面に突き立て、血を払う。
その際に足元が軽くふらつき、思わず剣に寄りかかる。
……なんだ。別段強い相手では無いのに、妙に体力の消耗が激しい。
もしかして、何か調子が悪いのか……?
「あ、アドノス、ちょっと待って……っ!」
「そんなに先行すると、補助ができません……!」
背後から、メディナとローザの声。
軽く舌打ちすると、アドノスは再び剣を持ち上げた。
二人は後ろからついてきてはいるが、暗く狭い遺跡内では全く役に立っていない。
はっきり言って、ランタンを運ぶだけの存在だ。
戦えないのなら帰れ、と怒鳴りつけたいところではあるが、実際のところヒカリゴケすら無いこの遺跡内では、歩くランタンすら惜しい。
そういったイライラを振り払うように、アドノスは更に奥へと足を進めた。
「これはこれは……勇敢ですね。暗闇が恐ろしくはないので?」
後ろ隣で別の魔物を串刺しにしながら、ロキが言う。
アドノスは一瞬足を止め、それを横目で睨みつけた。
「怯える姿が見たかったんなら、他を当たれ。」
「……フフ。愚問でしたか……」
腹立たしい声を背後に無視して、再び歩き出す。
――そう、恐れなど無い。
それは、『力』の無い奴らが抱くものだ。
俺は違う。
どんな魔物が出てこようが、負ける気など一切ない。
アドノスは自分自身にそう言い聞かせ、剣を握る手に力を込めた。
しばらく進むと、妙に開けた場所に出た。
ホールのようになっているのだろうか。靴が地面を打つ音が軽く反響している。
「なんだ、ここは……?」
その妙な空気に、アドノスは足を止めた。
遺跡の中に開けた場所があることは、珍しいことでは無い。
だが、そういう場所は得てして魔物たちのたまり場になっているものだ。
なぜ、この場所には……魔物が一匹もいない?
「あれ、こんなに広いのに、敵もいないみたい。」
「いいですね、一休みできるでしょうか?」
そのアドノスの隣を通り過ぎ、メディナとローザが歩み出た。
二人の持つランタンが、床の端に散らばった大量の骨を照らし出す。
ひっ、という小さな悲鳴が、ホールに響いた。
それとほぼ同時に、天井から何かねばねばした液体が滴ってきた。
「え……? 何これ……」
「……ッ、この馬鹿がッッ!!」
アドノスが二人を突き飛ばす。
二人は端の骨の山に倒れ、投げ出されたランタンが跳ねて、転がった。
「きゃぁっ?!」
「あう……っ!」
――重く耳障りな金属音が響き渡る。
天井から落ちて来たそれは、黒い肉塊だった。
アドノスはその牙のような部分を、辛うじて大剣の刃で受け止めていた。
「ぐ……うう……」
受け損ねた牙が左肩に突き刺さり、血が地面に滴った。
アドノスは剣を持つ腕に力を入れて下半身を浮かせ、顔と思わしき部分を両足で蹴りつけた。
その反動で敵から飛びのき、少し距離を置いた場所に着地する。
顔を上げると、転がったランタンが、その肉塊の全容を映し出していた。
腕はまるで、大型の肉食獣のそれ。
しかし背には、猛禽類のような巨大な翼。
巨大な下半身には不揃いな足が無秩序に生え、大量の牙のある口の周りには、赤く光る眼が大小いくつもついている。
その全身の血管は脈打つように薄赤く光っており、薄暗い遺跡内において、その姿はまさに『化け物』だった。
「なんだ、コイツは……?!」
剣を構え直そうとするアドノスに、化け物は巨大な右腕を横に振るった。
速い。対応が間に合わない。
「――ッ、ぐあっ!」
剣を縦に体の側面に置き、どうにか攻撃を反らすも、ダメージは殺しきれない。
体中に軋むような痛みが走り、そのまま後方に弾き飛ばされる。
間違いない。
これが……この化け物が、今まで何人もの冒険者を葬ってきた、謎の魔物。
討伐対象――Sランクの魔物だ。
この魔物は、強い。
こちらには怪我もある。
一旦引いて、体勢を立て直すべきか。
魔物の体は大きいし、通路まで逃げれば追ってこられないかもしれない。
そうだ、そしたらロキやギィにも指示を出して、その間に傷を治癒させて――
『いいか、見たことのない敵に遭遇した場合、まずは一度逃げるべきだ。』
下げかけた足が、止まる。
それは、ずいぶん前に聞かされた、ロルフのくだらない助言だった。
『戦闘中は脳が緊張状態だから、思考が大幅に制限されてしまうんだ。一度距離を置くだけで、思いつく戦略の幅は飛躍的に増える。さらに重要な点として、逃げる方法がわかっているという心理的余裕は、戦いに冷静さを与えてくれるはずだ。』
……うるさい。
それは、弱者の理論だ。
逃げを第一に考える奴が、勝者になれるはずがない。
誰かに頼ろうとする奴が、頂点に立てるはずがない。
俺は、違う――!!
気づけば、化け物は右腕を持ち上げ、アドノスに向けて振り下ろそうとしていた。
先ほどの攻撃速度と範囲から考えて、避けるのは困難だ。
「くっ……うがあぁっ!!」
アドノスは倒れた姿勢から体を丸めてうつ伏せになると、地面を蹴って宙に跳ね上がり、逆に化け物の懐に飛び込んだ。
無理な力の入れ方で、足首は悲鳴を上げ、肩の傷からは血が噴き出した。
化け物は驚いたように体を一瞬硬直させたが、振り下ろす腕は止まらない。
その一瞬を、アドノスは見逃さなかった。
体を縮めて着地したアドノスは、全身をばねの様に弾けさせ、今まさに振り下ろされんとする右腕の脇に、大剣の切っ先を全力で突き上げた。
どんな動物の鳴き声とも似つかない奇妙な咆哮が、割れんばかりにホールに響いた。
大量の血と共に、宙を一、二度舞って、大きな肉塊が地面に落ちた。
血だまりの中でびくびくと動くそれは、化け物の巨大な右腕だった。
「ゼェ……ゼェ……」
アドノスは、辛うじて剣を構え、立っていた。
体中が痛み、視界はかすみ、呼吸も整わない。
だが、その窮地にあっても、アドノスには勝利の確信があった。
――効いている。
俺の攻撃が、通じている!
やはり俺は間違っていない。
勝者になるのは、逃げる者ではなく、立ち向かう者だ。
信じるべきは他者の力ではなく、己の力だ!!
アドノスは口内の血を吐き捨て、更にアンバランスになった化け物の姿を凝視した。
流石に腕が切り落とされたのはこたえたのか、化け物は少しの間うろたえていたが、こちらの視線に気づくとすぐ、今度は左腕を振り上げて来た。
予想通りだ。行ける。
倒せる!!
片腕を失った影響か、化け物の攻撃は先ほどより荒く、速度も遅い。
アドノスはその攻撃を一度大剣で受け、刃を滑らせて脇へ流し、もう一本の腕を切り落とそうとした。
――ミシッ。
「……あ?」
そして、その攻撃を受け止めた瞬間。
大剣の刃は、折れた。
突然のことでバランスを崩したアドノスの右胸に、化け物の左爪が深く食い込む。
「きゃああああ!! アドノス!!」
ホールに木霊する悲鳴が、妙に遠く聞こえる。
馬鹿な。
どうして。
なぜ。
アドノスの意識は――体が引き裂かれる感触と共に――急速に、闇へと沈んでいった。
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