第115話 髪に挿していた木曽のお六櫛を涼馬にくださる



 泣くだけ泣いた絵島は、ふっとさびしげな笑顔を涼馬に向けた。

「あのな、涼馬殿。いまだから申すが、わたくしは初めて会うたときから、そなたの秘密に気づいておったのじゃ」


「えっ、ま、まさか……」

 思ってもみなかった事態に涼馬は愕然とする。

 絵島はお茶目な目でいたずらっぽく微笑んで、

「ほほほ。同じ女子の身で、分からぬとでも?」


 ――なのに、いままで、ただのひと言も仰せにならなかったのか……。


 生前、兄上がしきりに賞賛していたとおり、絵島さまのお口の堅さは天下一じゃ。

 女の拙者が申すのも何じゃが、女ながら、まことに天晴れなお心根のお方じゃわ。


「いや、その……まことにもって恐縮に存じます」

「いや、さようなことはどちらでもよい。それより涼馬殿、そなたのお気持ちは泣くほどありがたいが、くれぐれも無理をなさらぬように頼みます。わたくしが申すのも何じゃが、江戸の御城は表も奥も、現世における伏魔殿ふくまでんのごときところゆえに、な」


 ――絵島さまはやはり、相当な口惜しさを内心にお隠しになっている。


 いまこそ涼馬は確信する。

「相承知仕りました。来年の今頃は、お土産話のひとつやふたつご供覧申し上げたいと念じておりますが、未熟者ゆえ、いまいち自信が持てませぬ。成りゆき任せ風任せで行って参ります。その後の物語は、後年、ゆっくりとお話させていただきまする」


 絵島は純な漆黒の眸をうれしそうに輝かせながら、

「殿さまとちがい囚われの身ゆえ、わたくしにはそなたに託す物が何もありませぬ。せめて、かような江島の使い古しでもお持ちくださればありがたいのじゃが……」


 髪に挿した唯一の飾りである木曽のお六櫛を抜くと、涼馬のほうに押して寄こす。

 長い歳月、囚われ人の悲哀をくしけずって来た櫛は、みごとな鼈甲べっこうに染まっている。

 涼馬はありがたく押し戴くと、「物語石」の巾着にそっと大切に仕舞いこんだ。


 別れを惜しみ絵島の前から辞して外へ出ると、下女の稲が物陰に佇んでいた。

 兄上と、陣内殿の御母堂の醜聞を告げ口されて以来、涼馬は稲を避けている。

 何か言いたげな稲に、涼馬は黙って頭を下げただけで、静かに門に向かった。

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