第67話 伊賀守は江戸屋敷の奥方さまと相思相愛



「これこれ、如何いたした。先刻からわしが訊ねておるのが、耳に入らぬかや?」


 気づけば、縫殿助が丸い膝を乗り出し、心配そうに涼馬の顔を覗きこんでいる。


「あ、まことに申し訳ござりませぬ。つい、ぼんやりいたしまして……」

「よいよい。そろそろ務めの疲れが出るころじゃろうて。夜は十分に休んでおるか。せっかく大事にいたせよ」孫のように労わると、縫殿助はようやく本題に入った。


「承知しておろうが、殿はな、奥方さまとたいそう仲睦まじゅういらっしゃる。妻にして恋人、親友でもあられるのじゃが、御公儀の人質に取られたきり、国許へお戻りになる予定も立たぬ。殿は、参覲さんきんで江戸へ下る日を心待ちにしておられるのじゃ」


 涼馬の頬に、ふたたび、かっと血が上る。

 堪えきれぬ羞恥しゅうちが全身を駆け巡る。


 ――さ、さようであったのか……。

   拙者は江戸の奥方さまの身代わり。

   一時のお慰めに過ぎなかったのか。


 のぼせた頭が冷えると、何をいい気になっていたのか、増上慢が可笑しかった。

 あれほど母上に戒められておったのに、ひとりよがりの愁嘆場の滑稽さよ……。


 一方の縫殿助ご家老は、世間一般の四方山話のごとく淡々と語りつづけている。


「じゃがな、参覲の道中がまた曲者なのじゃわ。殿は重篤な偏頭痛持ちでおられる。ひとたび発作が始まれば、身も世もなく苦しまれる。ゆえに、至難の旅なのじゃわ」


 ――えっ、殿は拙者にさような話は一度もなされなかった……。


 涼馬はまたしても顔を出したがる自分勝手な不満を即座に打ち消した。


 ――何を僭越な。すべてを打ち明けてくださって当然とは、噴飯の至りじゃわ。


 そんな涼馬を見ていた縫殿助ご家老は、「ああ、そうじゃ」思案顔を少し弛めた。


「実は、殿は今日もお寝間にお籠もりになっておられる。かような日はだれも近づけたがられぬが、そなたにはお会いになるやも知れぬ。そっとお訪ねしてみるがよい」


「ぜひとも伺候させていただきます。ご配意のほどまことにありがたく存じまする」


 心から感謝して丁寧に平伏する涼馬の心は、早くも殿さまのお寝間に飛んでいる。

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