絵島の守りびと🌸花畑衆

上月くるを

第1話 プロローグ





 享保5年1月1日(1720年2月8日)丑の刻。

 信濃高遠領しなのたかとおりょう郷士屋敷ごうしやしきで就寝中だった星野小梢ほしのこずえ(17歳)は、ときならぬ大音声に叩き起こされた。


「星野さま、小梢どの。お出会え召され。徹之助てつのすけどのの一大事にござるぞ!」


 寒中の夜陰をつんざく雄叫びは、兄・徹之助と花畑衆はなはたしゅう(江戸からの遠流おんるとなった絵島の囲み屋敷を警護する高遠領士の一団)同期の陣内琢磨家定じんのうちたくまいえさだだった。


「小梢どの。一刻も早くお出かけくだされ。徹之助どのが、賊にやられました!」

 力任せに門を叩く陣内は、城下中が覚めよとばかりに胴間声を張り上げている。


 すっぽりくるまっていた分厚い掻巻かいまきを跳ね除け、素足のまま玄関へ突っ走る小梢は、足もとの地面がぱっくり口を開けたような底知れぬ恐怖にからめ取られていた。


      *

 

 いまを去る5年前、幕府からの預かり罪人として、大奥御年寄おおおくおとしより絵島えじまが送られて来た。

 とつぜんのことだったので、当初は高遠城より1里ほど山奥にある非持村火打平ひじむらひょうじだいら地区のきこり小屋を改造して幽閉していたが、昨年の秋になって、ようやく城内三ノ丸の花畑はなはた地区に、武者矢来むしゃやらいの板塀とめ殺しの格子を備えた囲み屋敷が新設された。


 そのとき、小梢より5歳年長の兄・徹之助は、塚原卜伝流つかはらぼくでんりゅう剣術、風傳流ふうでんりゅう槍術、日置流ひきりゅう弓術、関口流せきぐちりゅう柔術、そのいずれにも熟達した腕を買われ、陣内琢磨らの猛者もさとともに警護に抜擢されていた。


      *


 鋭く目を血走らせた陣内は、降りしきる雪に頭から塗れている。

「陣内さま。いったい何事にございますか、かような時刻に!」

 小梢の乾いた口から、巣を守る牝狼のような絶叫がほとばしる。


「たったいま賊が囲み屋敷に侵入し、徹之助が凶刃に倒れました!」

「で、兄上のご容体は如何に?」

 まだるっこしげに小梢が畳みこむと、

「無念ながら、拙者が駆けつけたときはもはや……」

 素早く目を逸らせた陣内は、なぜか語尾をぼかせた。


「そんな馬鹿な! 夕刻まであれほどお元気だったのに」

「拙者がついていながら、まことに申し訳ござりませぬ」

「なにゆえに、兄上が?! 兄上ー、兄上ー、兄上ー!」

 夜空に向けて咆哮する小梢の頬を、針のような粉雪が容赦なく突き刺してゆく。


 昨日の夕方、夜勤で出仕する際、いつものように2食分の弁当を渡すと、上がりがまち藁沓わらぐつを履いていた手をふと止めた兄は、太い首をうしろに巡らせ、

「小梢。いつもかたじけないな。これからも母上のこと、よろしく頼むぞ」

 いつになく真剣な口調で言い置いたが、あれは何かの予兆だったのでは?

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