第5話 絶体絶命のピンチに男は
「すいやせんねぇ。新婚ほやほやなのはわかっちゃいたが、事が事ですし」
「まったくかまわない。むしろ助かった」
領地に残っていた副将に申し訳なさそうな顔をされたが、アクルガルは心の底から感謝を伝えた。よく呼び戻してくれた、と。
アビ・シムティの前でどういった態度をとればいいのかもわからず、ひたすらむずむずもだもだとして精神を消耗するばかり。
数日中には都の屋敷を新妻に明け渡して領地に戻るつもりでいたのだ。日程が早まっただけのことだしむしろ非常にありがたかった。あくまで個人的なことをいえば。
目の前の状況を見れば私的なことなどいってもいられない。自らの直属部隊を背後に従えたアクルガルは気を引き締める。
当代の魔王イシュビ・ニラムが治める国土には七柱の悪霊がそれぞれ封じられているという。アクルガルが任されている東方領には悪霊アサグが封じられていた。
眼前の風穴からはまさに今、悪霊のおどろおどろしい気配が噴き出ていた。報告によると、最初は手のひらの大きさにも満たない亀裂だったのが、徐々に幅を広げているという。アクルガルにはわからないが、これが悪霊が出現する前触れなのだという。
緊張に汗ばみつつ、アクルガルは気持ちを落ち着かせてから声を発した。
「緊急事態ではあるが大丈夫だ。ちょうど都にいた将軍たちも既に出発している。じきに応援に駆けつけてきてくれる。それまで凌げばいいだけのことだ。警戒を怠らず、皆くれぐれも無茶はしないように」
「ははは、そんなのわかってまさぁ」
副将ともども部下たちはおおらかに笑いだす。
「オレたちは四天王配下最弱の部隊ですから、無理なんかしませんよ」
「心配して援軍が飛んできてくれますからね。おれらの見せ場はどこへやら」
言葉の内容とは裏腹に、彼らには自嘲めいたところはない。最弱と嗤われようと生き残ることに重きをおいているからだ。他の将軍たちとは異なる価値観のアクルガルと同調してくれている。
そのことに安堵してアクルガルは剣の柄に手をかける。とはいえ、いざというときには……
思う間もなく、地面の切れ目から黒い靄が天に向かって勢いよく吹き上がった。頭上に広がった靄が太陽の光を遮りあたりは薄暗くなる。
同時に、靄よりも濃い影が染み出すように亀裂からあふれ出てきた。分岐しながら広がった影が立ち上がり、触手のように伸びあがって兵士たちに襲い掛かった。
「応戦しろ!」
怒号とともに抜刀音が響き渡る。
やみくもに始まった戦闘は混乱と消耗をきたした。触手は切れども切れども再生するし、足を取られて引きずり込まれそうになる仲間を助けるだけで精一杯だ。悪霊封じの術式を発動させようにも出力が追い付かない。
ジリ貧だ。戦況を見て取ってアクルガルは退却を指示した。
「しかし、ここで退いたら悪霊が」
「俺が食い止める」
アクルガルは両手で剣の柄を握って前に進み出た。
四天王最弱の男。当然だ。自分は四天王とは名ばかりのただのアクルガルなのだから。なんの力もなく、名声もなく。
だが、それでも、自分の役割を放棄していいとは思わない。いざとなったら。それくらいの覚悟は持っている。
命でもって悪霊アサグの動きを一時でも食い止める。時間稼ぎさえできれば援軍がきてアサグを封じてくれるだろう。
悲壮な決心でもってアクルガルは走り出した。触手が一斉にアクルガルに向かってくる。コワイ。アクルガルは目をつぶってマントをなびかせ走り続ける。剣を頭上に振り上げる。
「でやあああああ!!」
今まさに亀裂へと剣を突き刺そうとした刹那、遥か天空でカッと稲光が轟いた。すさまじい轟音とともに黒い靄を突き抜けて稲光がアクルガルの剣に到達する。
「――――!!」
雷に打たれる形となったアクルガルの全身に衝撃が走る。半ば意識を失いながら、ぐいいいんと稲妻に引っ張られるようにアクルガルは剣を振り下ろす。
ばりばりばり! ず、が、があーーん!! と雷を帯びたアクルガルの剣が大地を切り裂く。
地響きと風塵がおさまったあと。地面には深く穿たれた穴が広がっていた。悪霊の触手が這い出ていた風穴は粉砕された土砂で塞がれるかたちとなっていた。靄も触手もいまや影も形もない。
「す、すげえぇぇぇ!」
「かっけえぜ、将軍! いつのまにそんな技を!」
「すげー、かっけー!」
はやしたてられてもアクルガルはぼーぜんと目を瞠ることしかできない。
「ほんとほんと。すごいなアクルガル、新婚パワーか?」
「いやアナタ、火事場のバカ力にしたっておかしいよね?」
「そ、そうだ! その剣は魔王様から拝領したのではないのか? 籠められた魔王様の力が」
ちょうど駆け付けてきて目撃したらしい三将軍からも質問攻めにされたがアクルガルはふるふると首を横に振ることしかできない。
そんなアクルガルの耳に、青天を取り戻した天空から、かすかな笑い声が届いた気がした。
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