第3話 昼下がりのテラスで新妻は
ずきずきと頭が痛む。かろうじて開いた目の前の世界はなんだか黄色い。
その視界の中で、妙齢をはるか通り過ぎた貫禄あふれるご婦人がアクルガルを冷たく見下ろしていた。
「ゆっくりおやすみになられましたでしょうか? アクルガル様」
降嫁した魔王女アビ・シムティに付き従ってきた女官長殿だ。
「王女様におかれましては、ただいまテラスにてアクルガル様をお待ちでいらっしゃいます。昼食をご一緒したいと」
え、もうそんな時間!? あたふた起き上がったアクルガルは慣れない寝台から転げ落ち、慌てて立ち上がってあちこちの家具に足をぶつけた。
夫婦の寝室の家財道具はすべて新妻のために整えられたものだ。アクルガルの日常用のものとは質も趣も異なり過ぎる。いちいち「あっゴメンナサイ」「あっスミマセン」と誰へともなくつぶやき続けるアクルガルに眉を顰め、
「少々お待ちを」
ぴしりと呼び止めた女官長殿はパンパンと鮮やかに手を打ち鳴らした。
途端に音もなく寝室の扉が開き、わらわらとメイドたちが滑り込んできてアクルガルを取り囲み、ぼろぼろのよれよれだったアクルガルの身だしなみを完璧に整えた。
「さあ、王女様がお待ちです」
毅然と背筋を正した女官長殿に先導され、アクルガルはすごすごと階下に向かった。
昨晩披露宴が行われたホールとつながっているテラスにセッティングされた昼食のテーブルで、アビ・シムティは優雅に微笑みながらアクルガルを迎えた。
「おはようございます、アクルガル様」
おそようございます、ともごもご返すと、アビ・シムティは「まあ」と面白そうに眼を見開いた。
灯火の下では艶やかな蜂蜜色に輝いて見えた金髪は、今は太陽の光の中で透けるように淡くきらめいている。緑色の瞳も、シャル・カリのそれよりも薄く青みがかっているようだ。
形の良い額にあどけなくふっくらした頬、小さな朱色のくちびる。つくりもののような美貌に満面の笑みをたたえて魔王女はうっとりと両手を合わせた。
「昨夜はろくにお礼も言えずに申し訳ありませんでした。わたくし、わたくし、本当に感激しております。このたびの婚儀はひとえにわたくしのわがまま。アクルガル様がしぶしぶわたくしをもらってくださったことは承知のうえですわ。シャルが申しておりましたもの。それなのに、こんな風にお屋敷を万端整えて迎え入れてくださるだなんて、感謝の至りにございますわ」
いやそれは自分はまったく関与しておらず皆が勝手にやってくれたことであって……
「ああ、わたくし本当に幸せですわ。アクルガル様に嫁ぐ日がこんなに早く訪れるだなんて」
いやもうびっくりですよね、あれよあれよという間の出来事で……
「本物のアクルガル様が目の前にいらっしゃるだなんて。わたくし、命を助けていただいたあの日から、どんなにか」
くわしくッ! 叫びたくても喉がカラカラで声が出ない。
これまた慣れない香りのするお茶をアクルガルはぐびーっと飲み干した。途端に今度は腹の虫がグーっと鳴る。
首まで真っ赤になったアクルガルの口元に、アビ・シムティが薄切りの燻製肉を贅沢に挟んだサンドイッチを差し出した。
「あーん」
えええええ!
「あーんしてくださいませ」
無理無理無理無理。硬直するアクルガルに魔王女の背後に控えている女官長殿の氷の眼差しが突き刺さる。
「はい、あーん」
えいやっと開いた口の中にずぼっとサンドイッチを押し込まれ窒息しそうになるアクルガル。もごもごと口の中の燻製肉と格闘するアクルガルを彼の新妻はうっとりと見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます