猫屋敷

@KBunBun

猫屋敷

 セーラー服を畳んだ時、ようやく夏休みが始まったのだと実感した。時間にゆとりあるこの時期は、多くの勤勉な学生は勉学に勤しみ部活に励む。そしてそうでないチョイ悪連中は、一夏の思い出にバンドを組むと相場が決まっている。そんなチョイ悪の久世伊織は高校一年生。当面の問題はギターを買うための金銭の工面であった。手が出せない程高くはない、しかし持ち合わせでは当分足りない。伊織は愛自転車にまたがり、仕事選びに商店街へと出かけた。

 

 コンビニと喫茶店、書店とファミレスを通りすぎたがどれもあまりピンとこない。せっかくアルバイトをするのだからもっとやりがいのある仕事がいい。それとできれば制服が可愛くて、楽ちんで、高時給でまかない付きで、吉沢亮似のイケメンがいる職場が望ましい。伊織はそんなことを考えながら自転車をこいでいた。そして当然そんな都合のいい仕事が見つかるはずもなく、商店街の端まで来てしまった。アーケードを抜けると、そこには路面電車の駅がある。これでだめなら妥協しようと、駅の求人誌を手に取った。

 その場で数分間立ち読みしていると、不意にそのびっしり詰まった文字に黒い影が落ちた。すぐ後ろに誰かが立っている。

「お嬢さん。アルバイトをお探しですかな」

伊織が振り返ると、男は軽く帽子をあげた。高級そうな銅色のスーツを着た初老の男であった。

「失礼。ただいま早急に人手が入用でしてな。よろしければ見学だけでもして頂けませんか。もちろん、相応の報酬はお支払いできますゆえ」

「いや……怪しすぎでしょオッサン」

 伊織は後退りながら求人誌をかごに入れた。もしこの男がバカな女をたぶらして、身売りを勧めるたぐいの者なら、すぐに逃げなければいけない。

「や、すみません。素性も明かさず」

 怪しいものではありません。とスーツの胸元から名刺を差し出した。男の名は神永大輔、和楽器製作を請け負う個人企業の経営者であった。

「へえ、社長なんだ。和楽器…………はっ!」伊織の脳は稲妻の速さで計算式を組みあげる。「ってことは! 他の楽器会社とコネがあったり?」

「ええ、しますよ」

「じゃ、じゃあ! テレキャスターのギターとか、安く買ったり!?」

「しますね。……見学にきていただけますか?」

「行きましょうとも!」

 

 神永に連れてこられた場所は、商店街から少し外れた三階建てのコンクリートビルであった。どの窓もカーテンが閉じられていて、一切の人の気配は感じられない。見るからに不穏な気配を放っているが、いざという時にこの老人から逃げることが左程難しいとは思えない。それに道中で伊織が提示された給料は、相場の倍に近かったのだ。

「君の職場は三階だよ。エレベーターはないから、ちょっと疲れてしまうけどね」

 神永は三段先の階段を上る。最上階に差し掛かるころには少し息があがっていた。

「あの、私は何をすればいいんですか」

「別に難しいことは頼まないよ。君はほとんど座っているだけで構わない。……そうだ、動物アレルギーはあるかな?」

 そういいながらポケットの鍵を取り出す。各階に部屋は二つずつしかなく、神永は手前の扉の前で足を止めた。

「いえ、ありませんけど」

「よかった。ちょっとこの子たちの世話をしてほしいんだ」

 神永は二重にかけられた鍵を回して、ドアノブを引いた。

そこには一切の壁が取り除かれた大部屋が広がっていた。

伊織の部屋の十倍はあるだろうか、しかし異様な光景だった。生活の為の家具は一切置かれていない。代わりに、所せましと大量の猫が走り回っていた。

 伊織は呆然として神永を見やる。そして次の瞬間、

「ただいま~~っ!」

 神永は玄関に鞄を放り捨てて、猫のもとへと駆けて行った。飛び上がった猫たちは一目散に逃げていく。神永を中心として、部屋に円が出来上がるころには、ジャングルジムやキャットタワーは大渋滞となっていた。

 伊織は目を丸くして、その場で固まる事しかできなかった。肩を落とした神永が今気づいたように顔を向ける。決まりの悪そうに頭をかくと、ふすまから座布団を取り出して床に並べた。

「いやはや、すまない。取り乱してしまった。どうぞそこに腰を下ろしておくれ。靴は履いたままで構わないから」

「は、はいっ!」

 伊織は鋭く返事をして、一段足を踏み入れる。神永の前に正座すると、いっそうこの部屋の異質さが際立った。目に入る猫は一様に虎柄の模様をしている。傷だらけになった壁はもはや敷金を慮ることすら馬鹿らしい。しかし何より異質なのは、眼前に座るこの男であった。

「ここは、どういう場所なんですか?」

 おずおずと尋ねる。神永は懐かしむように目を細めて、指先で床を撫でた。

「ここはね、私用で借りているこの子たちのお家だよ。僕は昔からの愛猫家でね、それはもう、劇場版CATSだって二度観たくらいさ。だから当然、家でも猫を飼っていた……だけど一昨年だったかな、息子の猫アレルギーが発覚したんだ」

「ああ、それでこの場所に。でもどうしてこんなに沢山いるんですか?」

「や、それも大した理由じゃないんだけどね。うっかり子猫の去勢手術を忘れていて、なにかおかしいなーと思っているうちに、気づけばこのありさまさ。はは、今は部屋を分けているんだけど、里親もなかなか見つからなくてね」

「バカじゃないですか」

「……君は思った事を何でも言っちゃうんだねえ」

「はい……すみません。……わっ」伊織は背中に重みを感じて振り返る。見下ろすと、一匹の猫が体をこすり付けていた。家猫の実物は初めて見るが、やはり動画よりも数段かわいい。

神永は「こらこら董卓」と言ってその子を抱きかかえた。辺りを見渡すと、神永から逃げていた何匹かは、近くで伊織の様子を探っているようだった。

神永は董卓を正面に向けて、伊織に目を向ける。

「君にはこの子たちの世話をしてほしいんだ」

 董卓がにゃーと鳴いた。


 そんなわけで、伊織は翌日から正式にアルバイトとして雇われた。しかしアルバイトといっても、面倒なことは何もない。猫砂を替えてご飯をあげれば、あとは決まった時間まで猫と遊んでいるだけで良かった。これぞまさに探し求めた天職、アルバイト界の桃源郷である。

「でしょ~劉備〜、あっおまえは張飛か」伊織は猫じゃらしを振りながら、バイト生活を満喫していた。

 あれから神永は週に二回程度顔を出した。里親が見つかれば連れて行くが、逆に保健所から引き取ることもある。だから働き始めてから二週間が経っても、猫の総数はあまり変わらなかった。

 あの男はいかにもな怪しい身なりをしていたが、愛猫家ということは本当らしい。台所の角からドアノブに至るまで、怪我の恐れがある場所にはすべてクッションが巻かれていた。それにほとんど同じ模様の猫たちに、一匹一匹区別が付いているのだから驚きだ。

 当面の給料は週払い制にしてもらった。ギターが神永経由で手に入るなら、目標達成はもう目前であった。それなら、今のうちにバンド名を考えておこうか。

伊織はそんなことを考えながら、張飛がどれだけ高く飛べるのか試していた。すると玄関の方で扉が開く音がした。神永が来たのかと思ったが、開いているのはトイレの扉。その足元を見ると、一仕事終えたとばかりに劉備が前足を伸ばしている。

「もーーまたァ?」伊織はのそのそと立ち上がった。開けっ放しにでもして猫たちにトイレットパーパ―を与えれば、部屋が大惨状にもなりかねない。

 劉備は玄関で気持ちよさそうに丸くなっている。伊織はそれを見て、扉を閉めるついでにトイレに入った。

 それから少しすると、玄関の扉が開く音がした。きっと神永が来たのだと思った。しかし玄関からは一向に足音が聞こえない。ぞっと突き刺すような不安が頭をよぎった。

 そういえば、ちゃんと内鍵をかけていただろうか。一度懸念を抱くと居ても立ってもいられない。伊織は急いで支度をして、勢いよく扉を開けた。

最初に目に入ったのは、その音にビックリした劉備。毛を逆立てて、せわしなく部屋の奥へと駆けて行く。次に玄関を見ると、やはり扉が開いている。

やらかした! と、急いで鍵をかけに向かう伊織。その足元を茶色い影が走り抜けた。影は扉のわずかな隙間をするりと抜けて、瞬く間に外へ駆けていく。

それはUターンしてきた劉備であった。

「やらかしたア!」


 伊織は慌てて後を追う。しかし幸い、劉備が逃げた方向は階段とは逆側であった。フロアの奥は行き止まり、別の部屋があるだけだ。伊織は腰を低くしてジリジリと追い詰める。

「フ……ふふふ。追い詰めたぜぇ、子猫ちゃん……!」

 劉備はのんきに尻尾を向けて前足をなめている。逃げる気配はないが、もし階段を降りられでもすれば大変だ。神永がどう出るのか想像がつかない上、伊織もこの仕事を手放さねばならない。

「観念しなァ……」伊織がもう一歩踏み出すと、劉備の耳がピクリと動いた。立ち上がってウロウロした後、姿勢を低くしてドアノブを一点に見つめる。

 部屋のボロボロになった壁が伊織の頭をよぎった。

「あッ駄目!」いうが早いか、劉備は見事な跳躍をする。華麗に着地を決めると、錆びついた音とともに薄く扉が開いた。

 爪痕のついたドアノブを見て、やっぱりとため息をついた。伊織は劉備を抱えて、住人に謝ろうと部屋を覗く。しかし中は真っ暗で、人の気配はしなかった。凍える程に冷たい空気が足先を冷やす。空調もつけっぱなしとは、よほど不用心な人が住んでいるのだろう。

 伊織は、また後で謝りに来ようと扉を閉めようとした。

 瞬間、暗闇に慣れてきた伊織の目に部屋の中の光景が薄っすらと映った。六畳程の狭い天井には縦横無尽にロープが張られている。そこには無数の不揃いな布切れが干されていた。冷えた風はそれらをゆらゆらと震わせ、血生臭い匂いを部屋の外に運んだ。伊織は思わず扉から手を離す。閉じられた扉を向いて一歩一歩と後退った。

「う、うおああああッ!」

――それらは一様になめされた猫の皮であった。


「――なんてコトがあったのが、今からちょうど十年前。今となっちゃ懐かしい思い出だけど、そン頃はホント怖かったなァ。和楽器を動物の皮から作るなんてちーっとも知らなかったから、そりゃもう驚いちゃって。フフ、このギターはそんな苦労して買ったモンだから、未だに手放せないのよ。安物だけどね。――あ、準備できた? それじゃ次の曲は――」

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