飛脚屋心太 四の巻 眞島屋の石

小花 鹿Q 4

第1話

眞島屋騒動


此処は小伝馬町掘割の橋のたもと、飛脚屋である近江屋の奥座敷は今日も何やら騒がしい。


心太がいつもの様に、ご隠居様に捕まって離れで話しをしていると、

「おぅい、しんたぁ。こっちに来ておくれ。」

店の方から旦那さんが、何度も心太を呼んぶ声が聞こえる。早く行かなきゃならないのに、ご隠居様がまたもや謎掛けをしてきて、なかなか離してもらえない。

「ただいま参ります。」

心太が立膝で声を出してから、立ち上がろうとすると、

「これ、しんた。まだ答えを出していないだろ。行っては駄目だよ」

と心太の袂を掴む。

細くなって皺の浮かんだ腕なのに、案外力強い。

「あいすみません。旦那さんが呼んでますんで。今日のところは宿題って事で、ごめんなすって。」と、スルリと身をかわして急ぎ足で廊下に出ると、女中頭で御隠居様付きのおとめと鉢合わせて危うく茶器を割るところだった。

おとめは、機転を利かせて目顔で早くお行きと示してから、部屋に入ってピシャリと障子を閉めた。

ご隠居様のうめき声が背中に届いたが吹っ切る様に小走りに店に向かう。


旦那さんから言付かったのは、お客様から承りの文を届けるのではなく、寄り合いの知らせを飛脚屋組合に入っている店々に届けるものだった。

いつの間にか近江屋は、古参の方に名を連ねる様になっていて、持ち回りでの書役をしている。

寄り合いは、決まってふた月にいっぺんの七日なのだが、話し合うべき議題を予めお知らせするらしい。

一軒一軒回って最後の中堅どころの眞島屋の軒を「ごめんくださいやし。」とくぐったところで、心太はパタリと倒れて白目をむいた。

店の中に居た丁稚や番頭さんが驚いてわたわたと心太に駆け寄ったり、「誰か水を水を」と叫んだり外の床几で荷待ちをしていた兄さん方も店を入ったり出たりして大騒ぎとなった。

暫くして件の心太は、奥座敷に寝かせてもらってグゥグゥと鼾をかいて寝ている。そこへ近江屋の旦那さんと手代さんが汗を拭き拭きやって来た。眞島屋は、いち早く誰かを知らせに走らせた様だ。流石は飛脚屋、足が速い。

「この度は、うちの若い者がお手数をお掛け致しまして大変申し訳ございません。」と近江屋の主人が深々と頭を下げ、手代さんが持っていた風呂敷包みを解きながらずいと、眞島屋に方へ押し出した。

「いえいえ、この暑いさなかのお使いできっと目を回したのでしょう。うちはちっとも構いませんよ。ご丁寧にありがとうございます。」と如才なく眞島屋の主人が挨拶を受けた。

手代さんが、

「心太、さぁ起きて帰るぞ。おい。」と声を掛けてもピクリとも反応をしない。こりゃあどうしたものかと皆んなで、肩を揺すったり、ぺしぺしと頬を叩いたりしてみたが、心太は大口を開けて只々鼾をかいて寝ている。そこへ

「遅くなり申した。」

と息を切らせてやって来たのは、眞島屋御用達の源庵先生だ。

源庵先生は、町場の医者だが、若い頃には長崎に遊学した事もあり、大名家からも内々に声がかかる事もあるという御仁だ。

大きな薬箱を抱えた助手と連れ立って座敷に上がると、まず、心太の脈をとって目の裏を見て心の臓の音を聞いた。

「うーむ、この者は酒は飲みますかな?」と問うて来た。

「いえいえ心太は、まだそんな歳じゃ無いんで。」そう手代さんが答えると源庵先生は、

「なるほど、若いし中気では無いだろうとは思うが、この症状はそれに近い。取り敢えずあまり動かさずに寝かして様子を見た方いいでしょう。

いやいや、運ぶなど以ての外。

取り敢えずこの座敷に三日置いてそれで様子を見てみましょう。」と恭しく言う。

近江屋の二人は顔を見合わせて、眉を顰め困った事になったと思っているとそこに、 眞島屋の女中が、

「旦那様お客様が…」と障子越しに声を掛けている側から、

「ごめんくださいまし。」

と女の声で座敷に訪があった。

「失礼致します。」

と礼儀正しい手順で、座敷に上がった顔を見て、

「あれ、お義母さんなんで‥」

とポカンとしている入り婿を目線でいなして、近江屋の御隠居様が眞島屋に

「お騒がせして相済みません。」と深々と頭を下げてから、寝かされている心太に膝でにじり寄り

「しんた。しんた。ほら帰るよ」

と声を掛ける。

するとピクリとも動かなかった心太がガバリと起きて朦朧とした目でご隠居様を捉える。そこでご隠居様はすかさず

「帰るよ」

とまた声に出して言う。

心太は、

「此処は、何処なんで‥」

と呟く様に言いながらもヨタヨタと起き上がり、ご隠居様に手を取られなが、待たせてあった籠に押し込められ帰って行った。

呆気に取られている源庵先生と眞島屋とに、何が何やら解らないが、ぺこぺこと頭を下げて近江屋の主人達も籠を追って帰って行った。

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