第2話 ケンカとナンパとライバル登場!?
オレ、秋川和人。十五。現役高校生。
十三の時に両親が仕事先の海外で死んじまって、世界でも指折りの大財閥「秋川家」の全財産を受け継いだ。
で、その執務を代行してくれてるのが、執事の北村。二十八。
親父の親友の息子だったとかで、オレが物心着く前からずっと一緒にいる。
優しくて、頭が良くて、実は腕っぷしも結構強い。
秋川家の財産を狙う色んな輩からオレを護ってくれて、高校に通うオレの代わりに財閥を取りしきってくれていて、何より、オレ自身よりオレのことを案じて尽くしてくれる、ほんとに優秀な秋川家の執事。
……そんなヤツが、実はオレの恋人、だったりする。
★
「もういい!勝手にしろっ!」
「ぼっちゃま!」
バタンッ。
力任せに閉じた扉が荒々しい音を立てた。
その向こうから、北村の慌てたような声だけがオレを追いかけてくる。
けど、本人は一向に部屋から出てくる気配がなくて、そのことが余計にオレを苛立たせた。
――あぁ、そうかよ。ほんとに、もう北村なんて知るもんか!
自分でも、ちょっとガキっぽいってことはわかってた。
けど、それでもどうにも腹の虫がおさまんなくて。
結局その勢いのまま、オレは家を飛び出した。
「なんだよ、北村のヤツ。オレがせっかく……」
どしゃぶりの中、傘も持たずに飛び出してきたオレは、白いシャツが濡れるに任せて、一人、街を歩き回っていた。
きっかけは、些細なことだった。
最近ずっと忙しくしてた北村に、オレは何とか休みを取って欲しくて、いつもよりちょっと強引にねだってみた。
ちょうど話題の映画が封切られたとこだったし、一日くらい仕事を忘れてほしくて。
映画見て、食事して、ゲーセンとか行って、そんで夜は一緒に風呂とか入って――。
色々プランを立てるオレに、だけど北村は素っ気なく言い放った。
『そんなことより、仕事を終わらせてください。遊んでいる暇はないんです』
「……くそっ!」
思い出しただけでムカつく。
そりゃ、一日遊んだら、その次の日には仕事が倍になって待ってるってことぐらい、わかってるさ。
わかってるけど、たまにはゆっくり休んで、気分転換も必要だと思ったんだよ。
忙しく働いてる北村は、なんか日を追う事にテンパってくみたいで。
それでも、オレなんかよりずっと優秀なアイツのことだから、ボロだしたり失敗するなんてことは、ねぇんだろーけどさ。
だけど、だけどやっぱ心配じゃん?
失敗なんかしなくたって、そつなく仕事こなせたからって、カラダに無理させてんのは一緒じゃん。
当主ったって、オレは一介の高校生で、出来ることっつったら北村に負担かけないように執務をこなすとか、邪魔にならねーように大人しくしてるとか、黙って心配してるとか、そんなくだんねぇことばっかだし。
だからせめて、一日だけでもゆっくりしてほしかったんだよ。
……なのに。なんだよ。北村のヤツ。
「ばか、やろぉ」
じわぁっと涙がこみ上げてきて、オレは慌てて目をこすった。
ばっかみてー……こんなん、親にかまってもらえねぇガキみてーじゃん。
――実際、北村に比べれば、オレなんか全然、ガキだけど。
なんか情けないやら悔しいやらで、気分がどんどんブルーになっていく。
はぁぁ。
思いっきりため息を吐いた時、オレの頭上から数人の声が降ってきた。
「なぁ、キミひとり?」
「…あ?」
ずっと雨に打たれてたせいで、体はもう寒さも感じないくらい冷え切ってて。
まともに返事するのも億劫で、のろのろと顔を上げると、そこには見るからに悪人面したヤンキーもどきが立っていた。
「なに?あんたら」
「それはこっちのセリフ。どうしたの?こんなとこに一人でさ。風邪引くよ?」
言葉は優しいけど、にやついた顔とセットだと全然有り難みがない。
……こんな雨ん中でナンパかよ。暇なヤツ。
いかにも頭の悪そうな連中の登場に、更に気分を落ち込ませながら、オレは手を振った。
「あー。オレ、言っとくけど男だから。ナンパなら余所行ってくれる?」
めっちゃくちゃ癪だけど、オレは良くオンナに間違われる。
っつっても、それで声かけてくんのは大概がロリータ趣味のヘンタイだけど。
どっちみちオレとしてはお近づきになりたくない部類の手合いだ。
……けど。
「そんなことわかってるよォ、その透けたシャツ見れば」
ぅげ。
そ、そう言えばオレ、今シャツ一枚だっけ。
雨に濡れた薄手のシャツは、べっとりと体に張り付いてて、肌色がはっきりわかるぐらい透けて見えてた。
もしかして、オレって今、新手のストリップショーやってます?
大汗かいて思わず体を隠すように腕を上げたら、男どもはヒュー、とか口笛吹きやがった。
やめろ、気味悪ぃっての。
「やー、色っぽいよなぁ、キミ。なあ、おにーさんたちとアソばない?」
「断る」
あっさりさっぱり即答して、オレは連中の脇をすり抜けた。
「そんな冷たいコト言わねーでさ?心配しなくても変なことはしねーって。なぁ?」
「そーそ。おにーさんたち、キミと一緒にアソびたいだけなんだって」
「いきなり取って食うよーなことはしねーからさ?」
あーもー、うぜぇ!
どう見ても二十二、三だろ、お前ら。
十五の、しかも男をナンパして悲しくねーのか?
そうは思ったけど口に出すと面倒だし、オレは黙ったまま歩き続ける。
と、男の一人がいきなりオレの二の腕をつかんだ。
「…っつっ」
冷え切った体に痺れるような刺激が走る。
鋭く、けど、どっか鈍い痛みに思わず声を上げると、その男はにへらと笑いながら言った。
「あ、ごめんごめん、ちょっと強かった?しっかし、冷えてんねー、キミ。こりゃあ、すぐにでも暖めてやんないとね?」
大きなお世話です。てか暖まるんなら風呂入ります。
思ったより強い力で掴む男の腕を振り払おうと、振り返って睨み付けた、その時だった。
「ぼっちゃま!」
……うそ。
聞き慣れた声に、ゆっくりと振り返る。
そこには、オレと同じくらいびしょぬれになって息を切らす、北村が居た。
「き、きたむ…」
「あぁ?ナンだお前?」
うわ、なんつーベタな変わり身。
それまでの薄気味悪い猫なで声から一変して、男どもはチンピラ風味の声で凄む。
けど北村は動じない。それどころか、奴らをあっさり無視してオレの所へ駆け寄ってきた。
「ご無事ですか、ぼっちゃま?」
「……何しに来たんだよ」
嬉しかった。あぁ、ほんとは嬉しかったよ。
別にピンチだとか思っちゃいなかったけど、北村が探しに来てくれて嬉しかった。
それも、こんな風にびしょぬれになってさ。
けどオレの中には、まださっきの怒りがくすぶっていて。
それをすぐに引っ込められるほど、オレは大人じゃなかった。
自分でも驚くほど冷たい声に、北村は悲しそうな目をする。
けどそれがまるで、オレのガキっぽさを責めてるみたいで。
ムカつく。おもしろくない。
黙り込んだオレに、北村はそっと言った。
「ぼっちゃま。このままでは風邪を引きます、どうかお屋敷に戻――」
「ヤだね」
「ぼっちゃ――」
「大事な仕事があンだろ?さっさと帰って続きやれば?」
どうせ、オレの心配なんか邪魔なだけなんだろ?
仕事の方が大事なんだろ?
わかってた。自分でもバカみてーな我が儘だって、わかってた。
けど、どうにもならなかった。
「おい、お前ら、何シカトしてンだよ」
と、いきなり声が割り込む。
……まだいたのか、お前ら。
「まだいたんですか。さっさとお帰りなさい。この方はお前達のような者が言葉を交わして良い方ではありません」
北村。それはちょっと言い過ぎ。つか、はずいっつーの。
「あぁ?てめーこそ何様だ?イヤがってんじゃねーかよ、無理強いは良くねえよな?」
いや、お前らも無理強いしよーとしただろ、ついさっき。
心の中で双方にツッコミ入れたオレは、北村の次の言葉に凍り付いた。
「無理強いではありません。私は当然の務めとして……」
――務め…?
「な………んだよ、それっ……」
「!ぼ、ぼっちゃ――」
「なんだよそれ!務めってなんだよ!義務なのか?全部義務なのかよ!今までの何もかも全部、お前、義務だから――」
「ぼっちゃま!落ち着いて下さい、私はただ――」
北村が慌てたようにオレの肩に手を伸ばす。 イヤだ、触るな!
そんな、そんなキレイな顔でガキなだめるみてーな顔して、オレを見るな!
思いっきり睨み付けながらオレが二、三歩後退すると、北村はさっきよりもっと悲しげにオレを見た。
やめろ。やめろ、そんな目で見るな!
「……もしかして、唯樹さんっスか?」
と、その時。
一触即発、ってカンジに張りつめたこの場にはあまりに不釣り合いな、のほほん、とした声が割り込んできた。
唯樹。――確かに、それって北村の名前だけど…こいつ、誰だ?
★
「あれ、違いました?唯樹さんっスよねぇ?」
そう言って近寄ってきたのは、北村に勝るとも劣らない長身の美形、だった。
茶髪でピアスしてチェーンをじゃらじゃらさせて。それは、クールな印象の北村とは正反対だったけど、多分どこも手ぇ入れてないんだろうに、その顔はやたら整ってて、テレビに出てても全然違和感なさそーなカンジ。
けど、一体なんだって、こんなチャラそーな兄ちゃんが、北村のこと知ってんだ?
いや、もしかして偶然同じ名前の知り合いがいるとか――
「奈雄?……お前、奈雄か?」
――やっぱ知り合いみてーだな。
北村は一瞬戸惑った表情を見せたあと、懐かしそうに顔をほころばせる。
……なんかちょっと、ムカつくかも。
なんだよ。そんな顔、オレ以外に見せんじゃねーよっ。
けど、オレのそんな複雑な胸中なんて気づきもしないで、二人は雑談を始めた。
「やっぱ唯樹サンだぁ。お久しぶりっス」
「あぁ、ほんとに久しぶりだな。……しかし、その格好。相変わらずだな、奈雄」
「だってしょーがないスよ、趣味っスもん。で?唯樹サンは……どっからどう見ても、立派なシツジって感じっスね」
「……カタカナで言うな、別の職業に就いた気がする」
「あはは、確かに」
……なんか、すげームカつく。
何だよ、オレら置き去りかよ?
二人して和やかに歓談なんかしやがって。
さっきまでの緊迫感はドコ行ったんだっつーの。
……とは言え、向かい合って立つ二人の姿は……
「――なぁ、なんか、すげぇツーショットじゃねぇ?」
「あぁ、……んかオレ、ちょっとカンドーかも」
「実はオレも。いやー、絵になるよなぁ」
「うんうん」
……。
つい、つられて頷いたら、男どもがオレを振り返った。
自然と視線が絡む。
「なぁ、アイツ、キミのなんなわけ?」
「北村のこと?……執事だけど」
「って、キミってもしかしていいとこのお坊ちゃん?」
「まぁ、世間的にはそーゆー扱いだね」
何となく世間話を始めたオレたちに気づいたのか、奈雄と呼ばれた男がこっちに向かって声をかけた。
「おい、お前ら何やってんだ?また美少年のナンパか?」
そう言いつつ、オレを見る。
「大丈夫かい?そいつらに変なことされなかった?」
「いや、取りあえず未遂」
けろりとそう答えたオレに、一瞬呆気にとられたような表情を見せて、男は肩をすくめた。
「あ、そう。……悪かったね、怖い思いさせて。そいつらにはオレから言っとくから」
にかっ。
いやー、そりゃもう、普段、北村で美形には免疫在るはずのオレでさえ見とれるぐらいの美しさ、だったね。
必殺、美形フラッシュってやつ?
奈雄サン――や、なんか呼び捨てしづらくなっちゃってさ――は、そうやって爽やかに笑うと、また北村の方を振り返った。
「あの子が和人クンっスか?」
「あ、あぁ」
「そっかぁ。ほんと、唯樹サンの言うとおり、かわいー子っスねぇ」
お?お?なに、なんでオレん名前知ってンの?
てか、可愛い子ってナニよ?
「北村。お前、このキレーなおにーさんと知り合いなわけ?」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるな。唯樹サン見慣れてたら、オレなんか平凡この上ねーだろ?」
「そんなことないんじゃない?美形にも色々タイプあるし。おにーさんもすんげぇ美形だと思うけど?」
率直にそう答えると、奈雄さんは照れたようにがしがしと頭を掻いた。
……なんか、こっちまで照れくさいんすけど。
あ、北村が憮然としてる。
いいじゃん、キレーなもんは、キレーなんだから。
そーゆー美意識も大切だろ?
「あはは、そーか。ありがとなー。あ、オレ、桜庭奈雄ってんだ。唯樹さんの後輩。よろしくな」
「あ、ども。オレは――」
「知ってるよ。秋川和人クン、だろ?唯樹さんから良く聞いてたから」
良く?聞いてた?
一体オレの知らないとこでナニ喋ってんだよ、北村。
じろりと見ると、北村は小さく咳払いをして視線を逸らす。
……なんか面白くない。
「で?二人して何でこんなずぶぬれなんスか?」
――あ。
奈雄サンの一言で、また怒りが復活した。
「ねぇ、桜庭サン」
「ん?奈雄でいーよ。なに?秋川クン」
「あ、じゃあオレも和人で良いっス。――奈雄サン、今ヒマっすか?」
そう言うと、北村の肩がぴくり、と動いた。
……フン。
「あ、あぁ、ヒマっちゃーヒマだけど……それが?」
「じゃ、どっか遊びに連れてってくださいよ。オレ、ヒマもてあましてんスよ」
どっかの誰かさんは、仕事一筋で遊びなんか興味ねーみてぇだし?
奈雄サンなら、どっか面白いトコ知ってそーだし。
「……」
オレの言葉に、奈雄サンはちらり、と北村の方へ視線を投げた。
北村は難しい顔をして、黙って立ってる。
「いいんスか?唯樹さん」
「……あぁ。ぼっちゃまを、よろしく頼む」
「っ」
ずくんっ、と心臓が鳴った。
別に止めて欲しかったワケじゃない。
あぁ、そうさ。そんなハズない。けど。だけど――!
「……わかりました。じゃあ、暫くお預かりするっス。――行こうぜ、和人クン」
「……ん」
オレは奈雄サンの後を付いて公園を出た。
――背後に、痛いくらい北村の視線を感じながら。
北村の、ばかやろう。
★
「で?きっかけはなに?」
「…え?」
取りあえず着替えないと風邪引くから、ってコトで奈雄サン行きつけのメンズショップに連れてかれたオレは、何だか妙にはしゃぎまくるショップのおねーさんたちが見繕ってくれた服に着替えながら、首を傾げた。
ちなみにココはショップの二階。
ずぶぬれのまま店に入るわけいかねーから、ってんで部屋貸してもらって、風呂にも入らせてもらった。
ソファに横になってテレビ見ながら、奈雄サンは肩を竦める。
「ケンカしたんだろ?唯樹さんと」
「え……」
「あのヒトも相変わらずだよなぁ、キミのことになると一本とんじまうトコ」
バレバレなんだよなぁ、不機嫌なのがさ。
まったく、とため息を吐いて奈雄サンは起きあがった。
で、優しい目でオレを見つめる。
いや、あの。いくら男同士でも、そーゆー綺麗な顔でじっと見られると恥ずかしいっす。しかもオレ、まだ上着てねーし。
濡れた髪にバスタオルを被ったまま、困って立ってると、奈雄サンはもう一度ため息を吐いて、おいでおいでと手招きする。
素直に近寄ったオレを足の間に座らせると、奈雄サンはオレの髪を拭き始めた。
「あ、や、奈雄サン、自分でやりますって」
「いいって、やらせろよ。――で、きっかけはなんだったんだ?」
「……北村が、あんまりなコト言うから」
優しく髪を拭いてくれる奈雄サンの暖かい雰囲気が、背後から包んでくれるみたいで。
こんな兄貴もいいよな、なんて思いながら、オレはぽつぽつと話し始めた。
「オレはただ、北村にちょっと休んで欲しかっただけなんだ。ほんとはオレがやらなきゃなんないことを、あいつはいつだって何でもない顔してやってくれてるけど。それがどんだけ大変か、やったことないオレには完全にはわかってないと思うけど。それでも、大変だってことぐらいはわかる。だから、ほんのちょっと、休んで欲しかっただけなんだ。なのにアイツ――」
そんなこと、って言ったんだ。
そんなことより、って。
「……」
「確かにオレは何の役にも立てねーけど。いくら心配したって、何の意味もないことぐらい、わかってっけど。……何、やってんのかな、オレ」
もっと大人になったら、北村を助けることが出来るんだろうか。
いっつも護ってもらってばっかじゃなく。あいつを少しでも支えることが、出来るんだろうか。
「はは。ばっかみたいっスよね、オレ。分不相応なコトやって、相手にされないからって勝手にキレて……は、はは。ほんっと、ばっかみてー…」
「唯樹さん、さ」
ふと、奈雄さんがそう呟いた。
「え?」
「あのヒト、昔、すんごい荒れてたんだよ。知ってる?」
「……え、と――何となく、ですけど」
昔。
もう十年も前の話。
北村は秋川家の中では特殊な存在だった。
つっても、当時オレは未だ五歳だったから、良くは知らねーけど。
「親父とお袋以外は全員、北村を怖がってたって――オレには、想像つかないんスけどね」
何しろ、今の北村は屋敷の全員に慕われてる。
……時々、顔を引きつらせてるヤツもいるけど。
「うん。唯樹サン、すんごい怖かったんだよ、その頃。何か、見るもの全部、敵って感じでさ。オレもまだ中坊で無茶なガキだったから、一回しかけたことあるんだけど――ほんと、良く助かったよなー、とか思うよ、今でもね」
「……信じられないっス。オレ、まだちっちゃかったから良く覚えてないけど――北村は、いっつも優しかった」
小さい頃のことで覚えてるのは、北村が遊んでくれたこと。頭を撫でてくれたこと。悪戯して叱られて泣いてるオレを困ったように見つめてたこと。……全部、優しい思い出だ。
そう言うと、奈雄サンは穏やかに笑った。
あ。なんかこの声、結構好きかも。
「そうだろうね。唯樹サン、ずっと後になって言ってたから。――あの頃は、キミの存在だけがすべてだった、って」
「北村が――?」
「キミ、覚えてない?昔、暴れて手がつけられなくてみんなが遠巻きに見てるだけだった唯樹サンを、キミだけは怖がらなかったって。いっつも後くっついて来て、唯兄ぃ、唯兄ぃ、って、その笑顔が唯一の慰めだったって、唯樹サン、言ってたよ?」
「………」
確かに、オレはずっと北村のことを『唯兄ぃ』って呼んでた。
今でこそ普通に『北村』って呼ぶけど、実はそう呼び始めたのはここ数年で。
それまではずっと、オレは北村を『唯兄ぃ』って呼んでた。
だけど――。
「やっぱ、よく覚えてないっス」
「そうか。…まぁ、そんなもんかもしれないよな、人が人を想うきっかけなんてさ」
はい終わり、とバスタオルの上から奈雄サンが軽く頭をはたく。
ども、と呟いて立ち上がると、オレは残りの服を取りに――
「……なぁ、和人クン?」
ぐいっ。
いきなり、奈雄サンに腕を引っ張られた。
「えっ……?」
ぽすんっ、ソファに尻餅をついたオレの背後から、奈雄サンの腕が体に回される。
右腕は肩を、左腕は腰を。
背中に奈雄サンの温もりと固い胸の感触。
オレの体を丸ごと包み込む。
え、え、え?
何か当たってる。首筋に生暖かい感触がある。息が――くすぐったい。
「な、奈雄サン――?」
「……試してみるかい?」
「えっ?」
「人が人を想うきっかけ。…ひょっとしたら、簡単に吹っ切れるかもよ?唯樹さんのコト」
そう言いながら、奈雄サンの手がすすっと滑り降りた。
耳のすぐ下に、唇が押し当てられる。
ぺろり、と舐められて、背中に電気が走った。
「や、奈雄サン、ちょ、やめっ」
必死でもがくけど、どうしても腕が外れない。
その上、引っ張られた時に奈雄サンの足の間に座らされてて、その長い脚がオレの脚を押さえつけてる。
「最初見たトキから、けっこーイイ線いってると思ってたんだよね」
「じょ、じょうだんっ――」
「普通、言えないデショ?こんなことで冗談なんか」
「奈雄さ――んっ!」
ぐいっと顔を振り向かせられて、強引にキスされた。
「ダメだよ?キミみたいなかわいーコが、初対面の男にほいほい付いてきちゃ。襲ってクダサイって言ってるよーなもんだよ?」
「んんっ!」
オレの必死の抵抗も、奈雄サンには全然歯が立たない。
必死に食いしばる唇を指でこじ開けて、奈雄サンの舌が入ってきた。
「う――ん、んっ――ぅん……っ」
やばい。
オレって、こんなヤツだったのか?
イヤなのに。北村以外のヤツとキスするなんて、絶対ヤなのに。
なのに……力が抜けてく。口の中で蠢いてる奈雄サンの舌が、ピンポイントで力を奪ってく。
やばい、やばいやばいやばい!
違う、こんなコト望んでない。
キスに霞んでく意識も、ぐったりとした体も、しがみつくように奈雄サンの背後に回る手も、愛撫に震える肩も。
こんなのオレじゃない。……オレじゃない!
「やっ…だ――ぁ」
「大丈夫。こわがんなくていーよ。全部まかしておけばいーから」
「ちがっ…や、ぁ………やだっ――な、お……さ…ぁ」
違う、違う、違う!
こんなのオレじゃない。オレじゃない!
助けて――助けて。助けて!
「ゆ、唯にぃっ………!」
「和人っ――!」
バンッ。
部屋の扉が蹴り開けられたのと、オレの体にまとわりつく感触が消えたのは、ほぼ同時だった。
けどそれは、北村が奈雄サンと殴り倒したとか、そーゆーんじゃなくて。
「遅かったっスね?唯樹さん」
何事もなかったかのように、けろりとした表情で言う奈雄サンに、オレも北村も唖然とする。
「奈雄、サン――?」
「奈雄、お前一体……」
「やーもー、ほんっと遅いっスよ、唯樹さん。危うくオレ、ほんとに食べちゃうトコだったじゃないっスかー」
あっけらかんと笑い飛ばし、奈雄サンはオレの頭をがしがしと撫でた。
……痛いデス、奈雄サン。
「まったく、二人してバレバレなんスよねぇ、やることなすこと。ま、これは料金ってコトで。……後から闇討ちはナシっスよ、唯樹さん」
あ、北村が詰まってる。――する気だったな、闇討ち。
やめろよ、こえーから。
「奈雄サン、料金って……?」
なんでだろ。
あんなコトされたのに、奈雄さんのこと、キライになってない。怖くもない。
むしろ何かすげ恥ずかしくて。
うぁ、ぜってー顔赤くなってるオレ。
「ん?ま、いわゆる――当て馬料ってヤツ?」
どきっ、とした。
見抜かれてた?最初から全部?
「当て……って、オレ別にっ」
「まーたまた。どーせ唯樹さんにヤキモチ妬かせたかったとかなんだろ?まったくさー、利用される方の身にもなってほしいワケよ。唯樹さんは唯樹さんで、和人クンがオレ誘った時に止めりゃーいいじゃないっスか。こんな尾行なんかして、下手うちゃ犯罪っスよ?」
「そ、それはっ……」
「はいはい、そーゆーワケっスから、どーぞお二人ともお引き取りください。寂しい独身男の目の前でいちゃつく気っスか?」
やれやれ、と肩を落として手をヒラヒラさせながら、奈雄サンはにやりと笑う。
「それとも、オレも混ぜてくれます?」
ぐいっ。ひょいっ。すたすたすた。
……北村。わかりやすいけど、オレは荷物じゃないっ。
「おろせよ北村っ」
「いいえ、ダメです。こればかりは、ぼっちゃまのおっしゃることでも聞けません。あんな不審人物のそばからは一刻も早く離れましょう」
不審人物って……旧知の仲間じゃなかったのかよ。
「いいからおろせって!一人で歩けるっ」
「ダ・メ・で・す。早くお屋敷に帰りましょう」
「……そんなに仕事が大事なら一人で帰ればいいだろっ」
と。
言った瞬間、北村が止まった。
そして、はぁぁ、とため息を吐く。
「さっき言いそびれたんですが」
「……んだよ」
「仕事なら、とっくに終わらせました」
「へ?」
「ぼっちゃまが出ていかれた後、すべての仕事を終わらせて追いかけたんです。……そうすれば」
また反論しようとしたオレの先を制して、北村は微笑んだ。
「そうすれば、今日一日、ぼっちゃまと過ごせるでしょう?」
「え……え?」
「ですから、一度お屋敷に帰って、服を着替えて、それからやり直しましょう。…もう夕方ですから、映画は無理ですが…食事はまだ出来ます」
「北村……」
「申し訳ありませんでした。ぼっちゃまのお気持ちはわかっていたんです。ですが、そんな風に気を遣わせてしまった自分が腹立たしくて、ついキツい言い方をしてしまって」
そう言いながらオレを見る北村の目は、切なそうに歪んでいた。
「ぼっちゃまが奈雄を誘った時は、目の前が暗くなるようでした。ですが、こんな状態のままの私といるより、奈雄といる方がぼっちゃまは楽しいのではないかと――」
「バカ言え!」
寂しげに笑う北村に、オレは思わず声を荒げた。
「ぼっちゃま」
「なんでそーゆーこと言うんだよ?引き留めろよ!オレ、オレが、あん時、どんだけ……っ」
そう言って、オレは北村の首に顔を埋めた。
あったかい。北村の匂いがする。……すごく、安心する。
あぁ、やっぱオレ、こいつのこと好きなんだ。
奈雄サンの匂いもキラいじゃなかった。
あったかくて、優しくて、太陽みてーで。
……けど、北村の匂いは、もっともっと、体のずっと奥んトコから『好きだ』ってキモチが沸き上がってくる。
「止めて欲しかった。ほんとは、ちゃんと引き留めて欲しかったんだ。オレが北村を他の誰かと天秤にかけるわけ、ないだろ。いつだって、オレが北村を一番好きなのは変わらない。変わらないんだっ……!」
「――和人」
ぞくっ。
突然、北村の声の調子が変わった。
甘く、低くオレの名を呼ぶその声が、体の奥底に火を付ける。
「――屋敷へ、帰ろう」
かすれた声で呟くオレに、北村は小さく頷く。
「ずっと、一緒な」
「えぇ。今日はずっと一緒です。――ずっと、ね」
酷い雨で誰もいない街を揃ってずぶぬれになりながら、オレたちはゆっくりと家路についた。
……しっかりと、お互いの手を握り合いながら。
★
そのころ。
「しっかし、奈雄サンも良くやるよな?」
「あぁ、さっすが綺麗所と見れば男女見境なしのナンパ師」
「……けど、何かさっきから様子がおかしくね?」
こそこそと喋る三バカ――あとから聞いた話だと、こいつら奈雄サンの自称・親衛隊なんだそーだ――がちらっと見た先には。
「――やべ。何かちょっとマジかも、オレ…」
可愛かったなぁ、あの声。
なんてコトを呟きながらうっとりする奈雄サンがいたとか。
「「「………」」」
もちろん、そんなこと、その時はオレも北村も知るよしがなかった。
すぐに、知ることになったけど。
★
「き、きたむっ……も、や、ねかせ――」
泣きながら懇願するオレの上にのしかかったまま、北村は耳元でささやく。
「ずっと一緒だと言ったのは、和人の方ですよ……?」
「そ、それは言葉の……………は、ぁんっ」
反論を紡ぐオレの全身にキスを降らせながら、北村はにっこりと笑った。
「ダメです。言ったからには行動で示してもらわないと、ね?」
「あ――あぁっ」
オレ、明日も学校なんですケド……。
カミサマ。
休日、って、体を休めるためにあるんじゃないんでしょうか……。
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