第7話 Mummy,Mummy
「大丈夫か、キッド?」
ウィンが心配そうな顔をして寄ってくる。
一人岩壁にもたれるようにして座り、膝を抱えていたキッドは顔を上げた。
「あ?」
「傷だよ、怪我したんだろ、さっき」
ウィンは片手に傷薬を持ち、キッドの前にしゃがみこむと、膝を抱えていた彼の手をどける仕草をする。
「なっ、何すんだよ!」
キッドは思わず、その手を振り払ってしまった。
「……」
ウィンが目をまん丸くして彼を見つめている。
キッドは心の中でしまった、と舌打ちした。
別に悪気があったわけではない。
ただ、心配してもらうことが照れくさかっただけだ。
しかしキッドはそれを素直に表面に出す術を知らなかった。
「……お、お前らに心配してもらう必要はねーよ」
心の奥底には、謝らなきゃ、と思う自分が確かにいるのだが、つい、喧嘩を売っているとしか思えないような台詞が口をついて出る。
案の定ウィンはむっとした顔をして立ち上がった。
「何だよ、人がせっかく心配してやってんのに」
「……誰も心配してくれなんて頼んでない」
売り言葉に買い言葉。
「何だと?」
ウィンの顔色が変わる。
元々、根が体育会系の彼にはキッドの複雑な心境など想像もつかない。
彼にとって、他人の言葉はすべてが本心であり、その裏に言葉とは反対の意味が隠されている、などとは思いもしないのだ。
「……心配したオレが馬鹿だったよ。じゃあな」
そう言って、ウィンはすたすたと仲間達の元へ戻っていく。
キッドはその後ろ姿を見送り、ハア、とため息をついた。
たちまち自己嫌悪の波が押し寄せてくる。
彼は、自分がひねくれ者であることを十分承知しているし、そのことを嫌ってもいない。
けれどやっぱり、自分のせいで誰かが傷つくのは、あまり気分のいい物ではなかった。
そして彼は、いつだって一人きりになるとこうやって自己嫌悪に陥るのだ。
「……いや、オレが悪いんじゃない。あんなことぐらいで腹を立てるウィンが悪いんだ。そうだ、そうに決まってる」
自己嫌悪が長く続かないのも、また、いつものことだった。
大体のところ、彼はストレスのたまらない性格なのだ。
「……痛ってェー……」
キッドは両腕で隠すように抱いていた膝小僧を見て、小さく呟く。
「ちょっと二~三メートル高さから転げ落ちただけなのに……かすり傷だと思ったんだけどなぁ」
それは、確かに見た目にはかすり傷のようにしか見えなかった。
血もそれほど出てはいないし、もう止まっている。
周囲もいくらか青あざになっている程度でたいした傷もなく、唾で消毒するだけでも十分事足りるような怪我に見えた。
しかし神経に伝わってくる痛みは、それがただのかすり傷ではないことを伝えている。
「ひょっとして何かの毒でも入ったか……とすると『毒消し成分配合 ユリウス特製スペシャルブレンド』の薬草じゃないとちょっとヤバいなぁ……」
と言って、先ほどウィンにあんなことを言ったばかりである。
彼のことだから今頃キッドの行為は全員に知れ渡っているだろう。
「やっぱ言いづらいよなあ……」
キッドはため息をついて肩を落とした。
「しょーがね……自分で薬草と毒消し草見つけてくるか」
痛みでじんじんする片足を庇うように、岩壁に手をつき、立ち上がろうとしたキッドの耳に、ジャリッ、という音が聞こえた。
「!」
膝の痛みも忘れ、キッドはバッ、と振り向く。
「……あ?」
とそこには、片手に薬草を持った四季子の姿があった。
「ママ……さん?」
キッドは四季子を「ママさん」一年を「パパさん」と呼んでいる。
それは二人が無理矢理そう頼んだからで、別に強制ではなかったが、キッドは生まれてからほんの僅かの間しか使えなかった、「ママ」「パパ」というこの呼び名がいたく気に入っていた。……もっとも、本人は認めたくはないようだったが。
「ごめんなさいね、おどかしたかしら?」
「べ、別に。このオレがあんたなんかに驚くわけないだろ」
照れくささも混じって、つい、ぶっきらぼーな台詞が口をついて出る。
が、四季子はそんなことはすべてお見通し、というように微かに笑みを浮かべるだけだった。
「な……何の用だよ」
言った途端、四季子がぽかん、と口を開ける。
当たり前だ。手に薬草を持って、キッドの手当て以外に何の用があるというのだろう。
「あ……」
キッドはやっと自分の口走った台詞の間抜けさ加減に気がつき、慌てて咳払いした。
そんな彼にくすっと微笑み、四季子は肩に手をかける。
「う……何だよ」
「座りなさい。手当てするから」
「い、いいよ別に。かまうなよ」
心持ち顔を赤らめてキッドは抗う。
「強がり言わないの。痛いんでしょ?立ってるのもやっとじゃないの」
「ほ、ほっといてくれよ。あんたには関係ねーだろ」
「ええ、関係ないわ」
あっさりと頷く四季子。
キッドは予想外の反応に思わず絶句してしまった。
と、四季子が笑う。
「でも、怪我してる人を見過ごすわけにはいかないわ。性分なの」
「オ、オレは別に手当してくれなんて頼んでない」
さっきウィンに言ったのと同じ台詞を口にするキッド。
本当なら、これで四季子も怒り出す……そう、その筈だった。
が、四季子は軽く肩をすくめる。
「ええ、そうね、頼まれてないわ。だから、これは私の勝手なお願い。……怪我してる人を見ると放っておけないのも、気になって仕方ないのも私の勝手よ。だからお願い、手当てをさせてちょうだい。じゃないとストレスがたまってしょうがないわ」
「う……」
口調はあくまで優しく、しかし有無を言わせないような表情の四季子に、キッドは黙り込む。
ダルスの中でもっとも幼い頃にガーディアンとなったのが彼ならば、母の記憶がない分、「母」という存在に一番弱いのもまた、彼であった。
「そ、お前がそこまで言うなら……」
キッドは渋々、再び座り込む。
「手当させてやるよ」
「ありがとう」
四季子はキッドの顔が真っ赤になっているのを見て微笑んだ。
でも、それは言わないでおこう。言ったらまた、彼は反発するに違いないから。
「まず、傷を見せてちょうだい。……あらあら、こんなに腫れて。でも、傷は思ったより深くないわね。痛みは酷いの?」
「……いや、その……そうでも、ない」
手当てしてもらっている間、手持ちぶさたでしょうがないキッドは、落ち着きなくあちこち視線をさまよわせながら答える。
と、四季子が軽く睨んだ。
「嘘を言っちゃだめよ。痛みは体の不調を本人に伝える重要な物なんだから。どこら辺がどう痛いのか、どれくらい痛いのかがわからなければ、適切な処置もできないのよ」
「え……あ、その……え……っと――」
「痛いの?」
「……うん」
キッドはこくん、と素直に頷いた。
「どれくらい?さっき、立つのも辛そうだったけど」
「座ってれば、そんなに酷くない。痛いけど……我慢できる」
「どんな風に痛いの?」
「じんじんする。傷口に強い酒ぶっかけられたみたいに……」
「麻痺したみたい?」
「うん。……でも、それがちょっとずつ広がってくのがわかるんだ。だから、もしかしたら毒でも入ったかと思って……」
「それで不安になって自分で薬草見つけに行こうとしたのね。わかったわ、ユリウスくんから普通の薬草と毒消し成分配合の薬草と二通りもらって来たから、大丈夫だと思うわ」
「……ユリウスは、オレが怪我したこと、知ってたのか?」
「いいえ、さっきウィンくんが知らせに来てくれたの。自分じゃ素直に手当てさせてもらえそうにないから、誰か何とかしてやってくれって」
「あいつ……余計なことを」
そう言いながら、キッドの口の端が嬉しそうにほころぶのを、四季子はちらっと横目で見やった。
「でも、どうして毒消しの薬草を持ってきたんだ?ウィンはそこまでは知らない筈だぜ」
「ああ、何でもここいら辺の土には、弱い毒素が含まれてることが多いんですって。だから、もしかしたらと思って」
「ふうん」
キッドが感心したように頷く。
いつの間にか素直な受け答えをするようになっているキッドに笑いをこらえながら、四季子は薬草を口に含んだ。
「わっ、汚ねっ」
彼女が薬草を一枚口に含んで柔らかく噛み砕き、キッドの膝に塗りつけようとすると、彼は慌てて後ずさる。
「どうして逃げるの?」
「ど、どうしてじゃねーよ、んな汚ぇモン付ける気かよ」
キッドは四季子の人差し指に乗った、すりつぶされた薬草を顎で指しながら言う。
四季子は不思議そうに頷いた。
「当たり前でしょ、薬草なんだから。……第一、汚いってなに?人間の唾液には殺菌能力があるのよ」
「そんな言い訳……」
「言い訳じゃないわ、こうすれば薬草の効きが高まるって、ユリウスくんが教えてくれたのよ。……さあ、子どもみたいに駄々こねてないで、傷を出しなさい、キッド」
「う……でも……」
尚もためらうキッドに、四季子はため息をついて、言った。
「手当てさせてくれるって約束したのはだあれ?それとも、ダルス隊のキッドは約束を片端から破る大嘘つきなのかしら」
「なっ」
四季子の言葉にむっとなるキッド。
と、四季子はトドメを刺すように言った。
「大嘘つきじゃないなら、きっとお子様なのね。……まぁ、子供じゃあ約束を守らなくても仕方ないわねぇ」
「だっ、誰が子供だよ!オレは最年少ガーディアン、ダルスのキッドだぞ!才能だって能力だってガーディアン一なんだ、オレを子供扱いすんな!」
ものすごい形相で四季子に詰め寄るキッド。
しかし四季子はそんな彼を軽く受け流した。
「だって本当のことじゃないの」
「なんだと!」
「だってそうでしょ。手当てさせてくれるって約束したのに、させてくれないんだから」
「べっ、別に手当てさせないなんて言ってないじゃないか!」
「あら、そう?じゃあ、早く傷を見せなさいよ」
「……!」
そこまで来て、キッドは初めて、自分がうまく乗せられたことに気づいた。
「ほら、早く」
「……」
四季子にせかされ、キッドはふてくされたように膝を突き出す。
こんな風に、他人にいいように乗せられるのは、キッドにとっては初めての体験であった。
今までなら、反発し、反抗し、ひねくれるだけで周囲の人間を遠ざけておけたのに。
異世界から来たこの家族や、ダルスの仲間達は、まるで反抗期の息子、あるいは弟に接するように、キッドを暖かく包み込んでいた。
……仲間、か。
キッドはフッ、と苦笑する。
そんなもん、欲しいと思ったことなんかなかった。オレはいつだって独りで、それでも平気な筈だった。
仲間なんてうっとーしーだけだと思ってたのに……。
キッドは、ダルスにいることに馴染み、居心地がいいとさえ思い始めた自分に、少なからず戸惑っていた。
「いっ……!」
しかし彼のそんな感傷は、突然おそってきた痛みに妨げられる。
見ると、四季子がすりつぶした薬草を彼の膝に塗りつけていた。
「しっ……染みるっ……!」
思わずじたばたと騒ぐキッドに、四季子は軽くため息をつく。
「もう……仕方ないわねぇ」
そう言って、四季子は薬草を塗る手を止め、キッドの膝に顔を近づけた。
「ふぅーっ……ふぅーっ」
幼い子供にするように、四季子はキッドの膝に息を吹きかける。
「……」
その姿に、キッドは一瞬、もう顔もよく覚えていない母親の姿を重ね合わせた。
「!!」
胸の中に、何とも形容しがたいぬくもりと、奇妙なくすぐったさが拡がっていく。
「っ……!!」
妙にドギマギしながら視線を外したキッドは、四季子が持ってきた「毒消し成分配合 ユリウス特製スペシャルブレンド」の薬草に目を留めた。
「……」
ダルス隊に配属となった今でも、ガーディアンである彼らは日々たゆまぬ訓練を義務づけられている。
だからキッドも今までに何度か、ユリウス特製のこの薬草の世話になったことがあった。
が、今まで一度として、ユリウスはこの薬草を口に含んだことなどない。
唾液に殺菌作用があるのはキッドだって知っているが、口に含み、柔らかく噛み砕くことで薬草の効果が増すなど聞いたことがなかった。
「……」
キッドは、再び薬草を塗り始めた四季子を横目で見ながら、さっ、と薬草を一掴みかすめ取る。
「ほんとに効果あんのかよ……」
そう呟きながら、キッドは半信半疑で自分も薬草を口に含んだ。
「……っっ!!」
次の瞬間、キッドは思わず立ち上がっていた。
「きゃっ!」
あまりの勢いに四季子がひっくり返る。
しかしキッドはかまわずに口の中の薬草を思いっきり吐き出した。
「にっ……苦ぇ~っっ!!」
キッドは膝の痛みも忘れてそこら中を歩き回る。
「ひーっ……ひーっ……」
口の中いっぱいに強烈な苦みが広がっている。
……いや、それは既に「苦み」とか言うレベルではなかった。
舌は麻痺したようにじんじんと痺れ、入ってくる空気でさえ突き刺さるような痛みを感じる。
「な……なんらよこれ……」
目の端に涙を浮かべながらキッドがそう言うと、四季子はお尻についた土を払いながら立ち上がった。
「何って……薬草よ。さっきから言ってるでしょ」
「や、薬草って……なんろもないんかよ、こんら苦ぇ~モン……」
キッドは呆れながらそう言おうとした。
が、その言葉は四季子の顔を見た瞬間、のどの奥に引っ込んだ。
……よく見ると、四季子の額には脂汗がじっとりと吹き出していた。
そう思ってみれば、息づかいも心なし荒いようだ。
キッドは四季子が自分のためにしてくれていることの大きさに、初めて気がついた。
「な……」
我知らず、つぶやきがこぼれでる。
「え?」
四季子が顔を上げると、キッドは一瞬ためらったものの、おずおずと呟いた。
「どうして……オレなんかの為に……」
その呟きには、普段の彼からは想像もつかないような気弱さが含まれていた。
四季子は微笑む。
「……私たち、もう家族みたいなものでしょ、キッド。――母親はね、かわいい子供達のためなら、どんなことにだって耐えられるの」
「……!!」
その瞬間、四季子の顔に浮かんだのは、まさしく「母親」の――そう、キッドが数え切れぬほど夢に見た「母親」の笑顔であった。
「へ……へっ。そんなキレーごと言ったってオレはごまかされねーからな」
が、自分の中に芽生えたあまりに強い感情に戸惑い、苛立ち、キッドはつい、心にもないことを口にする。
その瞬間、四季子の顔色が変わった。
「!」
が、それは、さっきのウィンとは正反対の「悲しみ」の顔だった。
たちまち、彼の胸に今までとは比べ物にならないほど強い自己嫌悪が押し寄せる。
「あ……あの……オレ……」
その自己嫌悪はいつものように誤魔化してしまえるほど弱い物ではなく、キッドはとうとう、つばを飲み込み、意を決して呟いた。
「あ……ありが……と」
キッドが人に感謝の言葉を述べたのは、おそらくこれが初めてではないだろうか。
四季子は彼の自分に向けられた「想い」を確信し、悪戯っぽく微笑んだ。
「……じゃあ、あとで肩もみでもしてもらおうかな」
「なっ!?」
今までの後ろめたい気持ちがいっぺんで吹き飛んだ。
「なっ、何でオレがそんなこと……」
キッドがまくし立てようとすると、四季子はアッサリと肩をすくめる。
「あら、だって息子が母親に孝行するのは当たり前でしょう?」
いつの間にか、薬草はすべてキッドの膝に塗りつけられていた。
四季子が立ち上がると、キッドは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ふっ……ふざけんな!誰がお前なんか……って、おい!ちょっと待てよ!……おい!」
が、四季子は笑いながらすたすた歩いていく。
彼女の姿が完全に見えなくなると、キッドはふと手当てされた自分の膝を見、巻かれた包帯にそっ、と触れた。
「……母さん、か――」
その顔には……そう、驚くほど安らかな微笑みが浮かんでいた――。
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