第3話 あなたのそばに
ガサガサッ。
微かな葉ずれの音がする。
「……ん――?」
外のたき火のそばで見張りをしながら剣の手入れをしていたウィンは、その音にふっと顔を上げた。
「誰か……いるのか?」
声は何気なさを装いつつも、その手は既に剣にかかっている。いつでも飛びかかれる体勢だ。
――月夜達は、神殿とは名ばかりの小さな小屋で眠っている。その周囲にはユリウスの「聖護結界」が張られている為、下手なモンスターには手出し出来る筈もなかったが、それでもウィンは自ら見張りを買って出ていた。
……最近、月夜はよく夢にうなされている。この世界に馴染むにつれて彼女の「創造神」としての力は次第に強くなりつつあり、その「力」が、彼女が力の抑制に失敗した時の、滅亡した世界の夢を彼女に見せているのだ。
だから彼は、ほんの僅かな一瞬でもいい、彼女の安らかな眠りの時間を守ってやりたいと思っていた。
「……」
確かに何かの気配がする。しかし、普段ならすぐにその気配の元を察知できる筈の彼が、今回はまるで居場所をつかめない。
ウィンは微かに焦りを覚えながら、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間だった。
ガサッ!
ウィンの背後の草むらが、ひときわ大きく揺れた。
「!」
全く予期していなかったところからの出現に、ウィンは慌てて振り向く。
刹那、何か温かく柔らかいものが彼にぶつかってきた。
「うわっ」
咄嗟に足を踏ん張り、抱き留めるウィン。と同時に、二本の腕が彼の背中に回される。
「……月夜!?」
ウィンは、自分の腕の中で小刻みにふるえる月夜を見下ろし、驚きながら言った。
「どうしたんだ、こんな夜中に……」
しかし月夜は何も言わない。ただ、彼の胸に顔を押しつけ、いやいやをするだけだ。
その度に月夜の髪から、彼女独特の甘い香りがふわっと漂う。
「……」
ウィンは状況も忘れ一瞬うっとりとなってから、ハッと我に返った。
「月夜?どうした?また、悪い夢でも見たのか?」
「……」
こくん、と月夜の頭が振れる。
ウィンはそっと、しかししっかりと、彼女を抱く腕に力を込めた。
「大丈夫、ただの夢だよ。もうおびえる必要はないんだ。……僕がついてるから」
「ウィン……」
そっと顔を上げた月夜の瞳は、涙でキラキラと輝いていた。
「ん?」
「ひとりぽっちだったの……夢の中で。真っ暗闇で……誰もいないの。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、ひなちゃんも、ひぃちゃんも、ダルスのみんなも、誰も……あなたもいないの。わたし、ひとりっぽっちで……世界が闇に覆われて…それで……」
「月夜――」
尚もしゃべり続けようとする月夜の頭を、ウィンは自分の胸に押しつける。
「もういい。もういいから何も言うな。言わなくていいんだ。君は僕が護るから……僕がついてるから、もう大丈夫。……もうおびえなくていいよ。神殿まで送ってあげるから、またお休み」
頭を優しくなでながらそう言うと、月夜は再び首を振った。
しがみつく手に力がこもる。
「月夜――?」
いつもと違い長引く彼女の恐怖に、ウィンが首を傾げると、月夜は再び言った。
「寒いの……寒かったの、夢が……すごく寒くて……誰もいなくて……誰もあたためてくれなくて……ひとりっきりで、泣いてたの。そしたら――あなたの声が聞こえて……」
月夜がウィンの胸に手を当て、少しだけ体を離した。ウィンは咄嗟に彼女を引き戻そうと、肩に置いた手に力を込める。しかし月夜はそれに逆らい、顔を上げた。
その瞳はまだ涙に濡れていたが、もう泣いてはいない。ただ、すがりつくような顔でウィンを見上げている。
「わたし、一生懸命あなたの声がする方へ行こうとしたの。でも、急に足が重くなって。どんどん沈んでいくの。周りの暗闇に……体が。あなたは呼んでるのに、どうしてもそこへ行けなくて……悲しくて……必死に手を伸ばして……そこで目が覚めたの」
苦しげに呟く月夜。
「悲しかった……なんだか、本当にひとりぽっちになった気がしたの。今まで、こんな気持ちになったことなんかなかったのに――。そして……こんな風に目を覚ました時、あなたの顔がそばにあったら……あなたの声がすぐ近くで聞けたら、そう思ったの」
「!」
ドキン。
ウィンの心臓が一メートルくらい跳ね上がった。
「つ、月夜……!?」
彼女の大胆な言葉に戸惑い、ためらいながらウィンは顔を見る。
しかし彼はすぐに、それが思い違いであったことを悟った。
彼女は自分の言った言葉の意味を理解していないようだった。
いや、理解していないのは彼の方だったのか。
――彼女はただ、暗闇の中に置き去りにされた小さな子供のように不安そうな瞳で、彼を見上げていた。
「今夜は一緒にいてもいいでしょう、ウィン?そばにいるだけでいいの。何もしなくていい、何も言わなくていいから……お願い、わたしをそばにおいて。わたし……今夜は一人で眠れそうにないの」
それは誘いとも受け取れる、微妙で、しかし大胆な台詞だった。
だが、彼女の言葉には一片の恥じらいもためらいもない。それは即ち、彼女がそんな意味で言っているわけではない、ということだ。
「……」
フッ、と笑って、ウィンが彼女の頼みを承諾しようとした、その時だった。
「あっ……!」
見る見るうちに彼女の顔が朱に染まる。
見ているこちらが可哀想になるくらい動揺しながら、彼女は言った。
「あ、あの、ごめんなさい、わたし、そういう意味で言ったんじゃ……あの……な、なに言ってるんだろう、わたし……あの……」
やっと、自分の言った台詞の意味を理解したらしい。
見るからに動揺し、アタフタする彼女の腕をつかみ、ウィンは再び強く彼女を抱き寄せた。
「……!」
月夜が息をのむ。
ウィンは軽く笑って言った。
「……わかってる。わかってるよ。君が望むなら、君のそばにいて、君が眠りに落ちるまで手を握っててあげる。……君の為になら、僕は木でできた感情のない人形にだってなれるんだ。――ちょっと辛いけどね」
「ウィン……」
「おいで」
ウィンはたき火のそばにマントを敷くと、ひょい、と軽く月夜を抱き上げ、その上にそっと横たえる。
そして自分もその横に体を伸ばし、片腕で上半身を支えながら月夜を見下ろした。
「背中、痛くないかい?」
「……ん…」
目を伏せ、顔を真っ赤にしながら月夜が頷くと、ウィンがその前髪をそっと額から払う。
そして極上の微笑みを浮かべながら、彼は月夜の顔に唇を寄せた。
「……!ウィン……!」
月夜が慌てて身を起こそうとする。
が、その行動はウィンの大きな手であっさりと阻まれてしまった。
「……!」
月夜が緊張で目を固く閉じた瞬間。
彼の唇が、そっ……と、月夜の額に触れた。
「ウィン……?」
驚く彼女の唇を人差し指で塞ぎ、ウィンは言う。
「さあ、おやすみ月夜。……今夜は、ずっとそばにいてあげるから……」
「ん……」
頷いて、月夜は目を閉じる。たちまち彼女は安らかな眠りに落ちていった。
「……」
それから暫くして、ウィンはそっと体を起こした。
安らかな寝息を立て始めた月夜を起こさないように細心の注意を払いながら、体を起こす。いや、そのつもりだったのだが……
「いやっ」
月夜が声を上げた。
「!?」
ウィンがびっくりして動きを止める。
その瞬間、月夜が彼の胸に手を伸ばし、再び引き戻した。
「つ、月夜……」
何か言いかけ、ウィンははっと口をつぐむ。
「……」
月夜は、とても満足そうな顔をして眠っていた。
「え……と……」
どうやら無意識であるらしい彼女の行動に、ウィンは戸惑う。
「どーしたもんかな……」
今や月夜の手はしっかりとウィンのシャツをつかんでいる。これでは、無理に離れようとすれば間違いなく月夜は起きてしまうだろう。
かと言って……
「このままの体勢で朝までいろってか……?キツいなぁ、それは流石に……」
ウィンは困ったように頭をかく。
しかしそれ以外にどうやら手はない。
あきらめとほんのちょっぴりのうれしさが入り混じった息を吐きながら、ウィンは月夜の隣に身を横たえた。
その瞬間、月夜が本能的にぬくもりを求めたのか、彼にすり寄ってくる。
胸に彼女の頭を乗せ、その肩を抱いてやりながらウィンは呟いた。
「理性なくしそう、オレ……」
とりあえず、クレアフィールドの夜は、何事もなく静かに更けていく――。
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