第5話 追跡者   ~ゴブリンの獲物~

 クスターの回復を待って、翌日にアルド、フィーネ、クスターの3人はエグノーリアを探す旅に出た。ヌアル平原を抜けて、南へ、南へ――

 草原を突っ切り、森の中の下生えをかき分け、川を渡った。小高い丘や小山の上には石塁の痕跡を発見することが多かった。それは群雄割拠の時代の山城の名残であろうと思われた。

 アルドらの行く手を阻むように、モンスターの群れが頻繁に現れた。戦いに慣れたアルドとフィーネにとっては、それらを倒すのは容易いことであったが、同行しているクスターに怪我をさせたくなかったために、可能な限り闘いは避け、一目散に逃げ出すことを心がけた。そのお陰もあって、アルドたちのいつもの旅のに比べると、同じ時間で何倍もの距離を稼ぐことができた。


 クスターは歩を進めるに連れて、夢で語り掛けてくるワイバーンと距離が縮まっていくのを感じていた。「間違いなくこの先に、エグノーリアがある」クスターはそう確信していた。

 やがてアルドたちの目の前には、屏風のように切り立った崖が現れた。

 アルドはその崖を大きく迂回しようとしたが、クスターが「ちょっと待って」とアルドを呼び止めた。クスターはその場で大きく上体を反らせると、岩肌に沿って目線を上げ、崖の上方を仰ぎ見た。崖の上端が真横に空を切り取り、はるか上空には雲が速く流れていた。

「ここを登ろう」とクスター言った。「何故?」といぶかるアルドとフィーネだったが、クスターは「この崖の上に城があったのです」と言うが早いか、「こちらです」とアルドとフィーネを先導した。

「初めて来た場所なのになぜ分かるのですか?」

 そう訊ねるアルドに、クスターは「夢の中でワイバーンに導かれて、何度もここに来ているのです」と答えた。

 一見して垂直に立ち上がり、人間が登ることなど不可能なように思える険しい崖なのに、クスターが辿るルートには程よい間隔で手や足を掛ける突起があった。また時折体を預けることの出来る棚場まであり、アルドもフィーネも登るのに困難を感じなかった。それは自然に出来たものではなく、明らかに人間が辿ることを前提にして、誰かの手が加えられたものだった。


 すいすいと高度を稼いでいくアルドたち3人。その3人を崖の下から見上げている者がいた。ヌメヌメとした緑色の皮膚を持った化物だった。

 化物は2体いて、2体はお互いに顔を見合わせると、申し合わせたように「ギーギー」と不協和音のような声を発した。しばらくすると、その声に誘われるように、1体、また1体と、茂みの中から同じ姿をした仲間が姿を現し始めた。そして元の2体と同じように崖の上を見上げ、そこに取りついている人間の姿を見つけると、大きく目を見開いて自分たちも「ギーギー」と声を上げた。その声に誘われて、また茂みからは別の仲間たちが飛び出してき。


 3人の一番後ろで崖を登っていたフィーナは、はるか崖下の方からまるで蝉の大群が鳴いているような『ギーギーギーギーギーギー』という音が響くことに気づき、足下を見下ろした。フィーネの視線の先には無数の、小さくて緑色の体をした不気味な化物の姿があった。化物たちはまるで蟻の行列のように、今自分たちが辿ったルートを真似て登ってきていた。

「お兄ちゃん!」

 フィーネの声に振り向いたアルドは、その化物の行列にすぐに気が付き、「ゴブリンだ!」と叫んだ。先頭にいるクスターは「大変だ!」と短く声を発して、崖を登る手足を速めた。しかし身軽なゴブリンたちは、あっという間にアルドたちとの距離を詰めて来ていた。


 ゴブリンの動きは俊敏で、強い両足だけで体を支えていて、片手には偏刀で大きく身の反った刀を振り上げていた。敵と戦う気満々――、というよりも集団で獲物を狩ろうとしている姿に見えた。殺気が次第にフィーネに迫り、ついに先頭の1体がフィーネの足元に切りつけてきた。辛うじてその一撃を交わす。

 幸いフィーネは長い杖を武器としていたため、その先頭のゴブリンに反撃の一振りを喰らわせることができた。

――崖から落下していく緑色の体。

 しかしすぐに次のゴブリンが刀を振り上げた。

 防御するにも攻撃するにも杖一本。その杖に片手を奪われてしまうと、フィーネが崖を登るスピードが目に見えて落ちていった。アルドは助けてやりたくてもフィーネの下方までは剣が届かない。フィーネは致命傷は受けないものの、体力がどんどん落ちて行った。回復の魔法を使っても、次々と襲ってくるゴブリン相手ではきりがない。そのままではやがて魔力も尽きてしまうだろうだろうと思われた。


「もうちょっと上に大きな棚場がある。そこまでの辛抱だ!」

 クスターが大声を上げた。確かにクスターが見上げる先には、悠々3人が立つことが出来そうな四角い岩が付きだしていた。それは旅人が城まで登る道中に一息つけるように用意された場所だった。

 まずはクスターがそこに上がり、アルドに手を差し伸べた。そして二人が伸ばす手につかまってフィーネが棚場にたどり着いた。

 次々にゴブリンもそこに上がってきたが、アルドが繰り出す回転切りを喰らっては崖下に転落していった。フィーネも存分に杖を振るった。


 アルドとフィーネは棚場への上り口に仁王立ちし、一匹のゴブリンをクスターに近づけまいと奮闘した。永遠と思われるほど続いた戦い。しかし棚場に上がってくるゴブリンの勢いも次第に弱まり、連続して姿を現すことがなくなっていった。

「こいつでお終いだ!」

 アルドが一匹だけ残ったゴブリンの首をはね、その言葉にフィーネが頷いたそのときだった。身軽な体躯を活かして4体のゴブリンが棚場の登り口の反対側をよじ登ってきた。

「危ない!」アルドが気づいて声を張り上げたが、時すでに遅し。ゴブリンの反り返った刀は深々とクスターの羽織る黒いマントに突き刺さった。

――ドサリと音を立てて、片膝をつくクスター。

 そのクスターの上に、更に3体のゴブリンが刀を振り上げて飛び掛かっていった。

「クスター!」

 フィーネは叫び声を上げて、両目を覆った。


――ドサ、ドサ、ドサ!――

 思い砂袋が地面に落ちるような鈍い音――

「クスター……」

 アルドの意外そうな声が聞こえてきた。フィーネがうっすらと目を開けると、目の前には4体のゴブリンのむくろが転がり、その中心に立ち上がったクスターの姿があった。クスターは身を屈めて、ゴブリンの体に突き刺さっている諸刃のナイフを1本ずつ引き抜くと、身に着けたマントを翻した。そのマントの内側には、無数のナイフが収められていた。何とクスターのマントは、ナイフのホルダーであると共に、鎧でもあったのだ。

 クスターは4本のナイフと元あった場所にしまうと、涼しい顔でマントについた埃を払った。

「すごい、クスター! 本当はナイフの使い手だったのね」

 フィーネの言葉に、クスターは「いえ、少したしなむ程度です」と微笑んだ。そしてクスターは、子供の頃から護身のために、ナイフの扱いを叩き込まれたのだと打ち明けた。


 広い棚場から上は、これまでよりも数段登るのが楽になった。崖の上から丈夫な蔓草つるくさが下がって岩に根を張っていたからだ。まるで縄梯子を登るように3人は一気に崖を登り切った。

 崖の上は平坦な土地が広がっていた。そこは城を築くにはもってこいの場所のように思われた。しかしながら城の面影は一つもなく、倒れた石柱や雑草の影から見え隠れする石塁だけが、かつてそこに城が建っていたことを物語っていた。

 3人は手分けをして、2000年前に繋がる手掛かりを探した。

「何かありましたか?」

 アルドがクスターに訊ねた。クスターは黙ったまま首を横に振った。

「ここに来れば何かが見つかると思っていたのですが、呆れるほど何もありません。先程から心の中で、ワイバーンに教えてくれと問いかけてもいるのですが、ワイバーンも何も答えてくれません」

 フィーネもまるでお手上げだというように、両手を上にあげてかぶりを振った。


 為す術もなく、3人はさらにもう一度、周囲を探し回った。しかしやはり何の成果も得られないまま、一人また一人と城跡の中央部に集まってきた。

 その土地の中央部分には、こんもりと積まれた岩の山があった。そしてその山は城が崩れたときの瓦礫にしては不自然なほどに、綺麗な円形に保たれていた。

「これは一体何なのでしょうね?」

 アルドが誰に問うでもなく呟いた。

「さあ」

 クスターもアルドの問いに答えるでもなく、独り言のように短い言葉を吐いた。

 フィーネはその岩の山によじ登ると、ぐるりと周囲を見回してみた。しかし360度空が広がるばかりで、目ぼしいものなど何もなかった。フィーネは病気の村長を村に残して、わざわざ遠くまでやってきたことが無駄足だったように思えてきた。虚しさが胸に広がった。

 フィーネが足元に視線を落とすと、岩の山に一筋の裂け目が入っていた。その裂け目は弧を描いて下弦の月のように見えた。そして自分たちの苦労をあざ笑っているように思え、急に悔しくなってきた。フィーネは屈みこんで、両手で口の前に輪を作り、その裂け目の中に叫んだ。

「おーい、エグノーリアの王よ――、どこにいるんだ――っ、出てこ――い!!」

 アルドは「馬鹿、子供みたいなことをするな」とフィーネを諭した。その瞬間だった。「ワッ!」とフィーネが小さく声を上げて、岩の山から転がり落ちてきた。

「どうした、フィーネ?」とアルド。

「今、岩が動いた!」

 アルドが「そんな馬鹿な」と言ったところで、急に不思議なが聞こえてきた。それは『立ち去れ』という低く良く響く声――、いや――、聞こえたというよりもの頭の中に直接響いてきた。恐らくその声は、3人の頭の中に同時に届いたようだった。

 声の主を探してアルドが周囲に目線をやったその時、アルドの後方にいたクスターもまた「アッ!」と声を上げた。アルドは振り向いてクスターを見た。

「今、ワイバーンが話しかけてきた」

 とクスターが言った。

「何と言ったのです?」

「ゴーレムに訊けと……」


――ゴーレム――

 それは岩でできた、主人の命令だけに忠実な召し使い――

 3人は同時に、目の前にある岩の山を見つめた。

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