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「……!」


 思い出した。


 さっき令佳先輩が、いつかどこかで見たような表情を浮かべていた。僕がそれを以前に見たのは……


 六月だ。体育館から帰ろうとしていた彼女を、僕が無理矢理捕まえて動画を見せた、あの日。


 そう。あの時、彼女は妹尾さんと別れた直後で、まだ失恋の痛手をつぶさに抱えていたはずだ。だけど彼女はそれを微塵も顔に表さずに練習していた。それでも……隠しきれなかった苦しみが、彼女の演技と表情に影響を与えていた。その時の顔と同じだったんだ。


 ということは。


 やはり今の先輩も、辛さを抱えているんだ。無理しているんだ。洗脳されていたのなら、そんな風に感じることはないはず。


 僕は顔を上げる。


「そう言われてみると、僕にも心当たりがある。さっき先輩は……一瞬だけど、妹尾さんと別れた直後、辛い思いを抱えていた時期と、同じ顔をしていた。だから今の彼女も……辛いのかもしれない。その苦しみを、無理矢理隠そうとしていたのかも……」


「なるほど」由之だった。「俺には正直、令佳さんが洗脳されているかどうかは分からない。だけど、ここにいる三人が三人とも、洗脳されていないと感じているんだったら、それが正しい可能性は高いんじゃないか? 彼女は本心では、助けを求めているのかもしれない」


「だとしたらよ、浜田、君が先輩を諦めることはないんじゃないの? それでも諦めちゃうの? 君の先輩に対する気持ちは、その程度だったわけ?」


「……!」


 茉奈の言葉は、僕の心にぐさりと突き刺さった。


「僕だって、本当は諦めたくないよ!」思わず僕の本心が口からほとばしる。「諦めたくはない……けど……」


「けど……なによ?」と、茉奈。


「僕らが……あまりにも無力なのも……確かだ……」


「……」


 全員が無言で、下を向いてしまう。


 みな、そう思っていたのだろう。実際、今日はそれを思い知らされた。


「なあ、悠人」由之だった。「確かに俺たちは無力かもしれないけど、無力なりにも戦うすべはあると思う。何も国家組織と戦うわけじゃねえんだ。一番の敵は、令佳先輩の父親の亜礼久だろ? それさえ倒せばいいんだ。だったら……何とか方法があるんじゃねえかな、と思うんだが……」


「でも、どうやって戦う?」僕は応える。「もう今日みたいな奇襲作戦は通用しないと思うし、今度やったら警察に突き出す、とも言われてるんだ。一体、どんな方法で戦えばいいんだ?」


「……」しばらく由之は考えこんでいたが、やがて顔を上げる。「なあ、みんな、まだ今日は時間があるだろ? 少しここで作戦会議しないか? 図書館にも会議室みたいな部屋、あるよな? そこを借りてさ。今回の反省もしたいし、新たに分かったことの整理もしたいし、みんなで考えれば、何かいいアイデアが……浮かぶかもしれない」


「いいですね!」アヤちゃんだった。ニコニコしながら何度もうなずいている。「わたしは賛成です!」


「分かったわ」と、茉奈。「良太も……いいわね?」


「ああ」うなずく良太を見て、僕は不意に気づく。


「良太、茉奈……ひょっとして、クリスマスイブだから、何か予定があったんじゃ……」


「バカ言うな」


「バカねえ」


 二人が言葉を発したのは、同時だった。


「「!」」


 一瞬二人で顔を見合わせ、共に苦笑してから、良太が言う。


「これが、俺たちのクリスマスの予定だからさ。なかなか印象的なクリスマスだったぜ」


「……ありがとう」思わず僕は二人に向かって頭を下げる。


「やめてくれよ。さ、寒いから早く中に入ろうぜ」


 照れ隠しなのかクルリと僕に背を向け、良太は図書館の玄関に向けて歩き出した。


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