悪魔でいいから

朝霧

英雄だなんて笑わせてくれる

 例えば、ある人間の血液を全て搾り取って描いた魔法陣でこの世界が救われるとする。

 たった一人の犠牲だけで、この星に存在する全てが救われるとする。

 それが実現するというのであれば、きっと一人死んだその誰かはこの星の英雄だ。

 反対に、そのたった一人の犠牲がなければこの世界の全てが滅びの運命を迎えるという。

 たった一人死なないだけで、この星に存在する全てが滅ぶとする。

 そんな週末を迎えることになるというのであれば、きっと死ななかった誰かはこの星の悪魔だ。

 なら、私は英雄ではなくたった一人の悪魔を愛そう。


 手枷に足枷、口枷も。

 それでもたらずに鎖で雁字搦めにして、更にそれらを隠すように大きめのローブを巻き付けてみた奴は、まるで今から違法投棄される直前の死体のようだった。

 とりあえずずっと昔に滅んだ地下迷宮に潜んでみたのは失敗だっただろうか? だけど外にいても全世界中に私達は指名手配されてしまったので、そちらで逃げ切るというのも私だけでは難しい。

 あちこちに罠を撒き散らしておいたし、だいぶ深くに潜ったからタイムリミットまではもつ……といいなあ。

「全く、お前のせいで私まで指名手配犯だよ。あーあーあーあー、よりにもよって写りの悪い入学証の写真なんか使われちゃったしさ。いや? かえってわかりにくいからいいかも?」

 軽口を叩きながらここに逃げ込む前に拾ってきた指名手配書に写る自分の顔の鼻の辺りを右の指先でピン、と弾いた。

 若干雨で濡れた形跡のあるそれは呆気なくその一撃で穴が開いてしまった、なんとなく気に食わなかったので真っ二つに割いてから細かく破いて、後ろ手で奴の身体の上に雪のように降らせてやる。

 黒いローブに手配書の裏の白がよく映えた。

 うまく裏返らなかったのもあるけど、それはご愛嬌というわけで。

「――!!」

 視線で何かを訴えられた、どうやらゴミを撒き散らされたことに大そう御立腹らしい。

 ので、後ろ手で奴の脇腹を探ってくすぐってやる。

 はい、スマイルスマイル。

 くすぐり作戦は功を成して奴は堪らず笑い出したが、口枷のせいで呼吸がうまくできなかったらしく盛大にむせ出した。

 仕方がないので落ち着くまで放置する。

 少し眠くなってきたので、奴がむせる声をBGMにうたた寝を。

 意識が落ちる寸前の心地よい微睡を楽しんでいたら、背中にどすりと衝撃が。

 何事かと目線だけそちらに向けると、そこには足枷のかかった無駄に長い足が。

 足枷は両の足首をがっしりと固定してくれてはいるけれど、それ以上の動きを封じる機能はない。

 つまり、今のように横たわらせた姿勢だと、その長い脚を動かしてすぐ近くに座り込んでいる私の背中を蹴飛ばすことくらいはできるというわけだ。

「いったいなあ……ほんと、ひっでえやつ」

 そう言いつつもその場は動かなかった、だって動いたら確実にバレるし。

 ああもう……ほんっとうに痛いなあ。

 それからは何も言わなかった、眠かったし。

 ついでにいうと寒くて全身がうまく動かない、先程までは辛うじて動かせていた指先ももう滑らかには動きそうにない。

 これからどうしようかと思っていたら、何かの抗議のつもりなのか奴は私の背を執拗に蹴ってくる。

 何も知らないからそういうことしてくるんだろうけど、人の背中をそう何度も蹴らないで欲しいと思う。

「何度蹴ったって無駄だよ。お前を英雄になんてしてあげない。みーんなきれいさっぱり死んじまえばいいんだ。つーかなんでそんな不満そうなわけ? どっちにしろ死ぬお前には死後の話なんざ関係ないじゃん」

 そう言ってからケラケラ笑っていられたのもたったの三秒だけだった。

 痛みと苦しみに口元を抑える、あぁまずいな抑えなきゃと思いはしたけど耐えきれずに私は嘔吐いて、大量の血を吐き出した。

「――!!?」

 慌てたようなくぐもった声が聞こえた、やはり気付いてはいなかったらしい。

 というか気付かれないようにしていたのだけど。

 迷宮に逃げ込む前に腹に負った傷は致命傷だった。

 胃と腸に浅いのが一発、嫌がらせのつもりなのかただの偶然なのか知らないけど子宮には大穴が。

 子宮に関しては多分ほんとに嫌がらせだと思うけど、だってあの女、こいつのこと好きだったらしいし。

 出血多量どころかショック死してもおかしくないような状態で、その傷を隠して自分よりもでかい荷物を抱えてここまで逃げ込んだ私をどうか誰か褒めて欲しい。

 本当は気付かれないうちに静かに何も言わずに逝きたかったのだけど、相変わらず私はツメが甘いから失敗してしまったらしい。

 呻く声が煩いから振り返ってやる、そうしたら奴はやっと黙り込んで、私の顔と腹にあいた無数の穴を見て呆然とした。

「なんでそんな顔すんの? どうせ私だって死ぬんだからこんな傷、別にどうだっていいでしょう?」

 にこにこ笑いながらそう言ってやると、奴は今まで私が見た中で一番酷い顔をした。

「ねえ、最後のお願い、聞いてもらっていい?」

 そう言うと奴は首を横にぶんぶんと振った、聞き分けの悪い子供のような泣きそうな顔で。

 それでもそんなわがままに付き合っている時間はどうやらなさそうなので口を開く。

 本当は言う気なんてなかったのに、振り返らせられてその顔を見てしまうと、やっぱり言いたくなってしまったのである。

「殺されないでね。ちゃんと逃げ切ってね。わたしさあすっごくやなんだよ、お前を殺した世界中の人間が『助かった』ってわーわーはしゃいで笑うの想像すると本気で吐き気がする。だからしんじゃだめだよ」

 そういいながら最期の力で足枷と手枷を外してやる、なにを言われても笑っていられる自信がないので口枷だけは外してやらない。

 自由になった直後に迷宮の外に逃げ出されるわけにもいかないので身動きを取れないうちに抱きついてやる、血が付くだろうけど構うものか。

「……ははっ、あったかい」

 抱きしめた身体は暖かかった、その温もりもゆっくりと遠ざかっていく。


 ――魔法陣のインクとなる生贄の遺体は、その生贄が逃亡を幇助した女(生贄の恋人)と共に逃げ込んだ地下迷宮の最奥で発見された。

 地下迷宮には生贄か、それともその恋人が残したものなのか大量の罠か仕掛けられており、もともと複雑に入り組んだ地形も相まって迷宮の突破、および生贄の発見まで約三週間かかった。

 発見された生贄の遺体はすでに死亡していた恋人の身体を抱きしめていた。

 生贄の死因はおそらく餓死、恋人の死因は腹部の傷、もしくはその傷による出血多量によるものだと断定された。

 死後それなりの時間が経過してしまっていたのかどちらの遺体も腐っており、大量の蛆が沸いていた。

 後日、運び出した生贄の遺体の血液を使用し魔法陣の製作を行うものの、世界を救う魔法の発動は失敗に終わった。

 ――救済の術を喪った我々にできることは、この世界の終焉を待つことだけである。

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