「The Little Dragon Ⅱ」
蛙鮫
小さく重い足跡
夏の訪れを知らせるような暑さと清々しい程に晴れ渡る青空の下、若い雄の
石竜子には親も兄弟もいない。卵から孵った時から一匹で生きてきた。そのため、近しい関係は同じ森の住民であるこの金蛇だけだ。
「心地よい」
「ああ、極楽だ」
灼熱の太陽から熱を吸収して暖かくなった石と太陽の狭間で至福の時を過ごしていると、石竜子が閃いた。
「よし、水浴びしようよ!」
「おっ、いいな」
石竜子の提案に金蛇は嬉しそうに同意した。水浴びは石竜子と金蛇の晴れた日の醍醐味の一つである。
川に目を向けると陽光に照らされて、玲瓏とした輝きを放っていた。
石竜子は川に浸かった瞬間、あまりの心地良さに頬が緩んだ。金蛇も同様に子供のように安らいだ様子だった。
夕方になり、周囲の森や草木が茜色に染まっていく。石竜子達は帰路に着こうとしていた。遥か遠くでカラスの鳴き声が聞こえてくる。
「そんじゃあ、また明日ね」
「おーう」
別れを告げると、金蛇は自分の住処の方角にある草陰に消えていった。
遊び疲れた石竜子は眠くなってしまい、石の下で瞼を閉じた。
不意に吹いた風に肌寒さを感じて石竜子は目を覚ました。既に夜の闇が辺りを包んでいた。
突然、石竜子は強烈な違和感に襲われた。虫の鳴き声が全く聞こえにないのだ。森や草むらが死んだように静まり返っているのだ。
普段なら虫のさざめきや梟の鳴き声が聞こえるのにも関わらず、少しも聞こえない。辺りを見渡しながら、進んでいると急に足が止まった。
血の臭いだ。焦燥感が体の中を駆け巡る。石竜子は身の丈より遥かに高い、青草の間を進んでいく。
近付くにつれて臭いが濃くなり、徐々に歩みが重くなる。生い茂る草の間から顔を出した時、石竜子は思考が停止した。
月光の下、黒い虎が一体、佇んでいた。月光に照らされた漆黒の体毛と刻まれたような白線。突き殺すような眼光。アリや昆虫。野鳥達も地面にゴロゴロと倒れていた。
それだけではない。その足元には最愛の友である金蛇が血を流しながら倒れていた。
「ああ、そんな」
石竜子は草陰から震えながら、眼前に広がる惨状とその元凶を焦げ付くような勢いで目に焼き付けていた。
今すぐにでも奴に殴り込みに行きたいが、あまりの恐怖で足がすくんでしまう。感情と動作が全く別に働いてしまっているのだ。
凄惨な光景に黒い虎への怯えの中に、激しく燃え上がる炎のような怒りを感じていた。
夜空には黒く澱んでしまいそうな彼を哀れむように、星芒が静かに瞬いていた。黒い虎は満足したのか、深い闇夜の中に颯爽と消えていった。
殺戮者の背中を石竜子はただ、夜風に揺られる草陰から眺めていることしかできなかった。
気がつくと、あたりは朝を迎えていた。どうやら眠ってしまっていた。小鳥はさえずり、辺りには生ぬるい空気が漂っている。
見渡すと昨夜と同じ、親友の金蛇と森の住民達が倒れており、酸鼻を極めるような光景が広がっていた。
「なんて、酷いことを」
腐敗は進んでいなかったが、皆、顔や体が原型をとどめていないほど破壊されており、目を背けたくなるような姿だった。しかも、遺体には捕食した形跡はなかった。
つまり自身を満たすための快楽的な虐殺だ。怒りとともに無力だった自分への自責の念が滲み出て来た。
「ごめん。何もできなくてごめん」
石竜子は悲しみのあまりに小さな体をカタカタと震わせながら、悲痛に満ちた言葉で謝罪を述べた。
このまま、胸にしまっておけば壊れてしまいそうだから、少しでも言葉にしていたかったのだ。
自身が勇気を振り絞り、飛び出していれば誰か助かっていたかもしれない。そう思うだけで謝れずにはいられなかった。
金蛇やその他の遺体を埋葬し終えたのは昼過ぎになった直後であった。
石竜子は河原で平石を拾い、怒りを込めながら研いだ。手頃な木の枝と蔦で、解けないように硬く結んで鉈を作った。
「待っていて、必ず僕が奴を倒しに行くから」
平穏な日常を奪った黒い虎。おそらく他の森でも同じような虐殺を行うだろう。
これ以上、被害者を出さないため。怨敵に報いをさせるため、彼は初めて森の外に出た。
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