第142話 彼女の役に立てるなら(ロベルト視点)
「何をしている」
隊長とのプライベートレッスンの後、訓練場に取って返した俺は、教官室のある小屋の周囲をうろついている男を見つけて声をかけた。
灰色の騎士団候補生の制服を身に着けているが、見覚えのない顔だ。
周囲に他の候補生の姿はない。日が落ちるのが早くなったので、訓練も早めに切り上げることが多いからだろう。
今日もまだ夕方だと言うのに、ランプなしでは視界が心もとないくらいだ。
教官室の明かりが消えているせいもあるかもしれない。教官たちもすでに帰ったようだった。
男はこちらを振り向き、頬を掻きながら答える。どこかばつの悪そうな表情をしていた。
「ああ、いえ。落し物をしたみたいで……」
「何を落とした? 俺も一緒に探そう」
「そんな、ロベルト殿下に探していただくようなものでは」
その言葉に、男の顔をよく確認する。俺のことを「殿下」だなんて呼ぶ人間は、候補生にはほとんどいないはずだ。
目を凝らしてみても、やはり、見覚えのない顔だった。
俺は腰に佩いていた剣を抜き、男の眼前に突きつける。訓練で使う、刃を潰した模造剣ではない。
真剣だ。
「武器を捨てろ。両手を挙げて跪け」
「で、殿下!? 何を……」
「訓練場の候補生は、全員覚えている」
俺の言葉に、目の前の男が僅かに息を飲んだ。
「この訓練場に、お前のようなやつはいない」
瞬間、男の気配が掻き消えた。
横合いから飛んできた刃を剣で防ぐ。甲高い金属音が辺りに響いた。
当てた刃をそのまま押し返すと、男は宙返りをして後ろに飛び退く。
地面を蹴って、一歩二歩と距離を詰める。横薙ぎに切り払うが、手ごたえはほとんどなかった。
相手を休ませまいと剣を振り続ける。スタミナには自信があった。
相手は身が軽い。こちらの攻撃を紙一重でかわしている。アイザックから聞いたとおり、騎士と言うより暗殺者や、諜報員といった身のこなしだ。
使っている獲物は短いが、身体ごと飛び掛かってくるのと腕を大きくしならせて攻撃を放ってくるのとで、実際にはこちらの剣とのリーチの差はほとんど感じない。
こちらの優位があるとすれば、スタミナと……力だ。
上段から切りかかる。体の重心をずらしてかわそうとした男に、踏み込んだ勢いのまま当身を食らわせた。
「っぐ!?」
今度は当たった手ごたえがあった。
くるりと剣を逆手に持ち替え、その柄で男の鳩尾に突きを食らわせる。
息を詰まらせた男が地面に倒れた。
周囲はすでに俺の護衛が囲んでいる。逃がすつもりはない。
髪を掴んで無理矢理上半身を起こさせると、今度は首元に剣をひたりと押し当てた。
「どこの手の者だ」
「チッ、王族の癖に……公爵家の犬に成り下がりやがって」
男は吐き捨てるように言った。
俺は公爵家の配下に入ったつもりはない。
無論、彼女のものであるなら――彼女の役に立てるなら、犬にだって剣にだってなるだろうが。
「お前は、彼女の敵なのか」
「はぁ?」
俺の問いに、男は嘲笑うように聞き返した。
そして俺の目を見ると、低く唸るように言う。
「何も話す気はない。さっさと殺せ」
男を見下ろす。首元に当てた剣に力を込めると、僅かに刃が埋まった。
皮が切れ、たらりと血が垂れる。
男はそれでも、こちらを睨みつけていた。
「公爵家の犬」という言葉から薄々感じてはいたが、今のやりとりではっきりした。
この男の狙いは……本当の目的は、バートン公爵家だ。
「ああ、よかった。お前はバートン公爵家の敵なのか」
誰にともなく、俺は呟く。男が、不思議そうに目を丸くした。
もし彼女の敵であったなら……冷静でいられた自信がない。
兄上からの指示を聞けたか、分からない。
「もしも隊長の……エリザベス・バートン個人の敵であったなら、この手で八つ裂きにしているところだ」
男を見据える。月明かりに照らされ、男の目に映りこんだ自分の姿が見えた。
すべての表情を削ぎ落としたような顔をしていた。
ひどい顔だ。とても、彼女には見せられない。
掴んだ頭の主がびくりと震える。
「命拾いをしたな。……もっとも、死んでいた方がマシだったかもしれないが」
男の髪から手を離す。崩れ落ちるように、男の身体が地面に倒れた。
踵を返すと、隠れていたグリード教官が俺と入れ替わりに、わざとらしく指をボキボキと鳴らしながら、男に歩み寄る。
すれ違いざまに視線を交わす。肉食獣のような眼光をしていた。彼はその目を、倒れている男に向ける。
第一線を退いてなお、騎士団一と名高い尋問官だ。彼に任せておくのが最善だろう。俺の仕事は、それからだ。
剣を振るって鞘に戻すと、背後からグリード教官のひどく愉快そうな声が聞こえてきた。
「さて、全部喋ってもらおうか」
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