第139話 あったらいいなと思うもの

「Aランチですね」

「ん? ああ、そうだね」

「え、エリ様、いつもAランチ、ですよね?」

「え?」


 昼食の時間。

 てとてとと小走りで追いついてきたリリアは、私のお盆の上を覗き込むとぽつりと言った。


「私が転入してから今日まで、なんとエリ様、96.25%の確率で、Aランチなんですよ」

「その細かい数字は何」

「ランチだけじゃなく単品メニューもあるのに、この確率は異常です」

「私には君の方が異常に思えるんだけど?」


 把握のされ方が怖い。

 何故友達にストーカー紛いのことをされているんだ、私は。


 空いている席を選んで、椅子を引いてやる。

 リリアがそこに腰かけるのを見ながら、私も向かい側に腰を下ろした。


「……特に好き嫌いがないから。目についたものを頼んでいるだけだよ」

「好きな食べ物もないんですか?」

「ぱっと思いつかないなぁ……もちろん、まずいよりはおいしい方がいいけれど」


 2人して手を合わせてから、食事を開始する。

 もちろんこの国にはそんな文化はないのだが、リリアがやるのでついつられてしまうのだ。


 チキンソテーと一緒に、久しぶりに食堂でゆっくりと昼食を取れる幸せを噛み締める。今日はヨウが休みなのだ。


 おいしいものは好きだ。甘い物でも辛い物でもおいしくいただける質なので、「おいしい」のゾーンは人より広いかもしれない。

 ピーマンについては、あれは食べ物ではないのでこの場合除外して問題なかろう。


「じゃあ、前世の食べ物では?」

「前世か……うーん。あまり食にこだわりがないんだよね。きっと、前世でもそうだったんじゃないかな」

「無性に食べたくなるものとか、ないですか? ラーメンとか、お寿司とか」

「言ってなかったっけ? 私は前世の記憶自体がかなり希薄なんだ。……ああ」


 薄――い前世の記憶に思考を巡らせて、ふと思いついた。


「ス○ッカーズとかは好きだったな」

「す、ス○ッカーズ」

「三食あれでいいと思っていた」

「エリ様の前世が心配なんですけど」


 リリアが琥珀色の瞳を濁らせてこちらを見てくる。「ノーブルでファビュラスとは」とか大きな独り言を言っていた。

 どんな食生活だろうと知ったことか。私にとって大切なのは、前世の自分ではなく今世の自分だ。


「安心して。たぶん死んでるから」

「そうでしょうね」

「チョコレートとヌガーとピーナツを一緒に食べたら概ね満足したよ」

「そうでしょうね」


 付け合わせのジャガイモをフォークで刺す。

 リリアはすっかり手が止まっていて、お盆の上のグラタンがまったく減っていない。


「前世のこと、全然覚えてないんですか?」

「乙女ゲームのことは覚えてるんだけど。それ以外は、そんなに。乙女ゲーム関連はいろいろ覚えているよ。それこそこのゲーム以外のことも、はっきり。一番好きだったのは『忍ブレド、恋モヨウ』ってやつなんだけど……」

「あ、忍ブレドやったことあります。グラフィック綺麗でしたよね」

「そうそう。立ち絵の表情差分とかも自然で良かった」


 皿のソースをパンで拭った。食堂のメニューはどれも外れがない。

 欲を言えば、パンの代わりにキャベツにするとか、ジャガイモをブロッコリーに変更できるとか、そういうサービスを設けてほしいものだ。

 トレーニーだけでなく、ダイエット中のご令嬢にも需要があると思うのだが。


「名前とか、何をしてたとか、年齢とかは」

「その辺はさっぱりだな。リリアは覚えているの?」

「……ええ。思い出したくは、ないですけど」


 聞き返すと、リリアの表情が曇る。

 以前からそんな気はしていたのだが、どうもリリアの前世はあまり良いものではなかったらしい。

 この場合の良い悪いは主観なので、私に理解できるものではないだろう。


 リリアは少し決まりの悪そうな顔をして、私を見上げる。


「き、気にならないんですか? 前世の自分がどういう人間で……どうやって、死んだのか、とか」

「あんまり」


 パンを嚥下して、答える。リリアがきょとんと目を丸くした。


「だって、何かを恨むことも、憎むこともなく……来世まで持ってくるようなつらい記憶がない人生だったってことだろう? それって、案外幸せなことなんじゃないかと思うんだよね」

「ポジティブですねぇ……」

「ポジティブじゃなきゃ、現れるかどうかもわからない主人公きみのために、10年も頑張って来られないよ」


 私が笑うと、リリアが机に突っ伏してしまった。「すき……」とかいう呟きが聞こえてきたが、黙殺する。

 グラタン皿に髪の毛が入りそうだったので、お盆を避けてやった。


 もだもだと身もだえしているリリアのつむじを見て、再び前世に思いを馳せる。

 もともと重湯程度の記憶だったが、10年この世界で過ごすうちにさらに薄くなっているような気がした。


「うーん。ちゃんと覚えているのは……組み体操の10人タワーのてっぺんから落ちて頭を縫ったことと、大学の追い出しコンパで急性アルコール中毒になって緊急搬送されたくらいかな」

「前世でも相当やんちゃしてません!?」


 リリアががばりと身体を起こした。もしやんちゃだったなら、それこそ覚えていそうなものである。

 それより「前世でも」の「でも」が気になる。今世の私も別にやんちゃではない。


「どうだろう。羽目の外し方を知らないやつだったのかも。他には、……ああ。感電している人を助けるときは、ドロップキックが良いとか」

「ドロップキック」

「CtrlとN同時押しで新規ウィンドウが開くとか」

「た、試しようがないことを思い出されましても……」

「だろう? そんな程度なんだよね。結局」


 グラスの水を飲みほした。机に備え付けの水差しを手に取って、空になったグラスを満たす。

 ついでにリリアのグラスにも注いでやった。


「日本の暮らし、恋しくなりません? あれがあったらいいなとか、これを作ってみよう、とか」

「いや? 特には?」

「お風呂は?」

「シャワーで充分かな。一応バスタブもあるし」

「和食は?」

「出てきたら、そりゃ食べるけど……自分で作ってまで、とは思わないなぁ」

「えーと。電気は? ガスは?」

「なくても、意外と困らないものだね」

「車とか」

「馬で事足りてる」

「じ、銃とか、爆弾とか?」

「それ、前世でも使ったことないだろ」


 苦笑いする私に、リリアはしばらく何やらもごもご言っていたが、やがて黙って手元に視線を落とした。

 公爵家で不自由なく暮らしてきた私と違って、庶民暮らしをしていた頃のリリアは苦労をしていたのかもしれない。

 あれがあったらいいのにとか、前世を思い出していたのかもしれない。


 少しは話に乗ってやろうと、顎に手を当てて考えてみる。

 何があるだろうか。あったらいいと思うもの。嬉しいもの。面白そうなもの。


「ああ、あったらいいなと思うもの、思いついた」

「何ですか?」


 リリアがぱっと顔を上げて、わくわくした様子で瞳を輝かせる。

 やれやれ、今泣いたカラスが何とやら、というやつだ。別に泣いてはいないが。


「ロイラバのゲームがあったら面白いと思わない? ロベルトやアイザックの前でプレイして見せたら、きっとあいつら悶絶するぞ」

「……エリ様の前世って、悪魔か何かだったんですか?」

「違うと思うけれど……どうして?」

「人の心がないからですよ!!」


 せっかく話に乗ってやろうとしたのに、失礼なやつだ。非常に心外である。

 機嫌を損ねた私は「早く食べないと、昼休み終わっちゃうぞ」と彼女を急かしながら、机に頬杖を突いた。

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