第108話 沈黙は金、雄弁は銀

「君に聞きたいことがあったんだ。どこかの誰かさんに預けた大切な物を、あろうことか私の愚弟が持っていたんだけど」

「…………」


 私は黙秘権を行使した。

 沈黙は金、雄弁は銀である。


 殿下に運動着を返しに行ってみれば、飛んできたのがこの質問――いや、詰問であった。

 殿下の前にある机には、ハンカチに包まれた殿下の御髪があった。


 私は得心する。

 なるほど。噴水の一件は、この仕返しだったのか。


「私の預かり物を包んでいたこのハンカチ……どこかで見た家紋が刺繍されているんだ。さぁ、誰の家だったかな?」

「…………私の家の紋ですね」


 しっかり物証が残っていた。まぁ預けられたのが私である以上犯人は私なのだが。

 観念して答えると、殿下はまたにっこりと笑みを深くして問いかけて来る。


「で? どうしてこれを、我が愚弟が持っていたのかな?」

「……殿下が西の国に行かれて、弟君がたいそう落ち込んでそれはそれは酷い有様でしたので。殿下の覚悟を知って少しでも、託されたものの重さと責任に向き合っていただきたく……」

「咄嗟に考えたにしては出来の良い言い訳だ」

「お褒めに預かり光栄です」

「褒めていないよ」

「分かっております」


 もう開き直り始めた私を前に、殿下はこれ見よがしに大きなため息をつく。


「分かってない」

「は?」

「きみは本当に、分かってない。それともわざとやっているの?」

「……時と場合によりますが」


 正直に答えておいた。分かったフリをしていて分かっていない時などザラだし、都合が悪い時にはわざと気づかないフリをしている時もある。

 後者は主にリリア関連だが。


「もういい」


 また殿下が大きなため息をつく。

 わざわざ「私に」と預けたものを他の者に渡していたのだから当然かもしれない。又貸しはよくないというのは幼稚園でも習うことだ。

 手元から離れたことで開放されその後思い出しもしなかったのだが、失策であった。

 殿下が帰ってきたときすぐ回収して、殿下に突き返しておくべきだった。


 過ぎたことを悔やんでも仕方あるまい。また噴水に引っ張り込まれてもかなわないので、ご機嫌取りを開始する。


「ああ、そういえば殿下。先日の剣術大会では素晴らしい腕前でしたね。お強くなられた」

「話題の変え方が下手なところ、兄妹で似ているね」


 何となくお兄様と仲が良いマウントを取られた気がする。

 どう考えても私の方がお兄様と仲が良いので、意味のないマウントはやめていただきたいところだ。

 あとそんなところが似ていても嬉しくない。


「とても良い試合でした。以前試合を拝見した時もテクニックが素晴らしかったですが、今回は押し引きのタイミングが良かったですね。スタミナ面も改善されていたように思います」

「……きみに褒められると妙な気分だ」

「あとはもう少し筋肉をつければ」

「汗臭いのは苦手なんだ」


 そういえば、前もそんなことを言っていたかもしれない。あれは負け惜しみではなかったのか。


「ですが、学園の授業以上に鍛錬していないとこれほどの成長はないでしょう。まだ訓練場に通い続けていらっしゃるんですか?」

「いや、訓練場は学園に入るときに辞めてしまった」


 殿下の言葉に、私は首を捻る。確かにそういう候補生は多いと聞く。

 ここ数年の我が訓練場は、異例の人数が学園入学後も通い続けているらしいが。


 殿下はちらりと私の表情を窺うと、何となく妙に勿体ぶった様子で話し始める。


「……実は、西の国にいる間、向こうの第二王女に付き纏われていたんだ」

「なんと」

「私のところに嫁いで来たいと言うものだから、丁重にお断りしたのだけど……」

「連れて戻って来たらよかったではありませんか」

「…………きみ、ほんとうに無神経だ」


 恨みがましい視線を向けられたので、よく言われますと答えておいた。

 西の国との関係は良好である。貿易相手としても一番大口の取引先のはずだ。


 同盟国の第二王女、殿下の結婚相手としてはうってつけである。

 私はこの国に永住するつもりなので、ぜひとも殿下には国の利益になるような結婚をしてもらいたい。平和で豊かな国、最高である。


 しかし、王太子として国益を考えるのであれば諸手を上げて喜ぶべきその展開を、殿下がこれほど嫌そうに話すということは……よほどお相手が「難アリ」ということだろうか。


「『あたしが勝ったらお嫁さんにして!』とか言い出して」

「勝ったら?」

「武術に心得があったようでね」


 何となく勝気なスポーツ少女を思い浮かべてしまった。確かにそういったタイプは殿下の好みではなさそうな気がする。

 だが、彼は王太子である。貴族の結婚だって政略の道具なのだから、王族となればなおさら、結婚するのに好みだ何だと言えるものではないだろう。


「いいお話だと思うのですが」

「おかげでリハビリが1ヶ月延びてしまったよ。早く戻ってきたかったのに……あんなに一生懸命剣術の鍛錬をしたのは初めてだ」


 思ったことを口に出してみたのだが、殿下は私を無視してぶつくさと文句を言っている。

 帰ってきた彼を見た時の違和感に納得した。それで心なしか日に焼けて、体つきもしっかりしていたのか。


 彼の言う「早く戻ってきたかった」理由というものに、私は1つしか思い当たらない。

 乙女ゲームの開始に……リリアが編入して来る時期に間に合わせるためだ。


 彼自身は乙女ゲームのことなど知らないだろうが、聖女が編入することを知っていた可能性は十分にある。

 何しろ50年ぶりの聖女だ。興味を持っても不思議はない。


「私には、どうしても結婚したい相手がいるんだ」


 考え始めたところで、殿下がそう言った。まるで私の頭の中が見透かされているかのようなタイミングである。

 何やら意味深な表情をしている殿下の紫紺の瞳を見ていると、本当にこちらの考えていることが分かっているのかもしれない、という気にさせられた。


「……それは……」

「分からない?」


 殿下が首を傾げる。実際のところ、この「分からない?」が意味するのは、「分かるだろう?」だ。

 つまり、私の予想が正しいことを示している。


 殿下が立ち上がり、私に向かって身を乗り出した。

 その瞬間。


 ガッシャーン!


 大きな音がドアの外から響き渡る。

 咄嗟に殿下を後ろに庇いながらドアを開けると、ロベルトが何やら箱をひっくり返していた。模造剣があたりに散らばっている。

 どうやら、模造剣を箱に入れて運んでいる途中で手を滑らせたようだ。


「ロベルト……」

「すっ、すみません! 兄上に手合わせを頼もうと思って! 立ち聞きをするつもりは!」


 ロベルトは私を見て、しゃんと背筋を伸ばしてから勢いよく腰を折った。

 冷や汗をだらだらかいている。怒られると分かっているのだろう。


 つかつかと近づき、仁王立ちで彼を睨んだ。


「貴様、私が教えたことを忘れたか?」

「い、いえ」


 ロベルトは最敬礼のままで答える。


「模造剣であれ、真剣を扱うような緊張感を持てとあれほど言っただろう! 一歩間違えば貴様の足が無くなっていてもおかしくなかったんだぞ!」

「もっ、申し訳ありません!」

「早く片付けろ! その後城の外周10周!」

「サー! イエス! サー!」


 訓練場にいるときのように返事をして、ロベルトが慌てて剣を拾い集める。

 その背中を横目に見ながら、殿下に向き直る。


「ああ、殿下。すみません。ちょっと弟君を鍛え直してきますので、今日はこの辺で」

「え?」

「行くぞ、ロベルト!」

「サー! イエス! サー!」


 ぽかんとする殿下を残し、ちょうど剣を拾い終わったロベルトを伴って執務室を後にする。


 よし、うまく抜け出せた。これで殿下のお怒りも有耶無耶になったことだろう。

 ロベルト、ナイスアシストである。

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