第87話 私はたいていの場合はいい子にしている

 その日出ていったきり、ロベルトは戻って来なかった。

 それどころか、しばらく学園に来ていない。


 あいつ、気軽に学園を休みすぎではないだろうか。学生の本分を何だと心得ているのか。


 自習の間、昨年までは一人でも十分有意義に過ごしていたのだが、いたはずの話し相手がいなくなると急につまらなくなったように感じるから不思議である。

 まぁ、単純に大会前で剣術の授業が多く行われているからというのもあるが。


 一人で勉強するよりはいいかと、教科書を引っさげ試験勉強がてら、剣術の授業を見学することにした。

 剣術担当の教師は私の姿を見るや駆け寄ってきて、地面に木の枝で円を書き「いいか、そこから絶対に動くな。模造剣にも触るな。頼むからいい子にしていろ」と厳命した。


 人間と言うのは不思議なもので、ダメだと言われるとやりたくなってくるからむしろ逆効果なのではないかと思う。

 だいたい、そんなことをしなくても、私はたいていの場合はいい子にしていると思うのだが。


 いい子に教科書の練習問題を眺めていると、走り込みが終わってへとへとになったアイザックが戻ってきた。

 やぁやぁお疲れと声をかけると、「いいご身分だな」と睨まれた。だったら代わってほしい。


 休憩している彼に、何となく話を振ってみる。


「ロベルトのやつ、学校を休んで何をしているんだろう。まさか本当に山にでも篭ってるんじゃないだろうな」

「さぁな。それがどうかしたか?」


 疲れているからか、アイザックの返事はつれないものだ。


「もうすぐ中間試験だぞ? 授業に出ないとまずいだろ」

「あいつは僕に勝ったんだ。心配いらないだろう」


 アイザックはふんと鼻を鳴らした。

 なるほど、去年のことを根に持っているのか。道理で、私がロベルトの話をすると不機嫌になるわけである。


 彼はロベルトが実力であの順位を取ったと思っているらしいが、私はそうは思っていない。

 あの時のロベルトは、いつものロベルトではなかった。完全にゾーン的なものに入っていた。


 試験だって、感覚が研ぎ澄まされまくったせいで鉛筆転がし打法があり得ない精度で的中しただけなんじゃないかと疑っているくらいだ。

 つまり、彼の実力はいつもの……中の下くらいのままの可能性があると、私は踏んでいる。


 だが負けたほうの彼からしてみれば受け入れがたい事態であったのだろうし、ありゃまぐれだぞ、と言うのはさすがに無神経と名高い私でも憚られた。

 結果として、どうも歯切れの悪い返事になってしまう。


「いやぁ……それは……どうだろうなぁ……」


 そもそも、実技系の試験もある期末と違って中間テストはいわゆるお勉強系科目ばかりだ。

 私やロベルトにとっては、アドバンテージがなくなる。


 しかも、期末試験は実技系の準備でお勉強科目の勉強時間が削られるからか、全体として平均点が低い――つまり、赤点のボーダーも低くなる。

 しかし、中間試験はそれがない。ちょっと気を抜いていると、余裕で赤点の危機なのだ。


「自分の心配をしたらどうだ」

「それは今してる」

「そこ、間違ってるぞ」

「早く言ってくれ」

「無茶を言うな」


 指摘された問題を確認する。結構序盤の段階で計算をミスしていたことが分かり、がっくり来てしまった。

 同じ問題をやり直す気になれなかったので、次のページをめくる。桁が多そうだな、このページもパスしよう。


 アイザックはしばらく私を眺めていたが、やがてぽつりと言った。


「てっきり、お前はダグラスのことを心配するものと思っていたが」

「いや、リリアは大丈夫だよ。やれば出来る子だから」


 一拍間が空いた。

 リリアがチート級のポテンシャルを秘めた主人公だと知らないアイザックには、彼女が大丈夫そうに思えないのかもしれない。


「僕のことは心配しなくていいのか?」

「君は私の心配をしてくれ」


 私の言葉に、彼はふっと笑みをこぼした。


「……心配してばかりだ。お前が思うより、ずっとな」


 何だ、その含みのある言い方は。

 だから勉強しろ、という無言の圧をかけられている気がした。


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