第56話 人を幽閉するのにちょうどよさそうな塔
さて、ゲームであればここからクリストファーの身の上が分かるような説明が入るところだが、なにぶん過去の回想というのは長くなる。
時間に余裕があったら付き合ってやっても良いのだが、今は一刻も早くクリストファーを連れ戻して、お兄様を安心させたい。
だいたい、タイムリープものでもない限り、聞いたところで過去は変えられない。
せいぜいスチルを回収して、見てきたような気になるだけだ。
時間が勿体ないのである。巻きでいこう。
屋敷の外に出た私は、軽く足のストレッチをすると、軽快に走り出した。
夜闇の中である。馬を使うより、走ったほうが小回りが利く。
ものすごく端折って言うと、クリストファーは生まれた家に連れ戻されているのである。
ゲームにもそういうイベントがあったので、お兄様の言葉と合わせて考えればほぼ間違いないだろう。
クリストファーの家庭事情は複雑だ。母に捨てられてうちに来たのだが、では父親はどうしているかというと、彼が生まれてすぐ、馬車の事故で死んでいる。
彼の父が継いでいたのが、ウィルソン伯爵家だ。
ウィルソン伯爵家の邸宅は、王城を挟んで東側の地区にある。歴史の長い家だけあって、王城からの距離もかなり近い。
警邏の成果で、この辺りの地図はほとんど頭に入っている。
彼の父が死んで、弟が家を継ぐことになった。だがクリストファーは跡取り息子だ、追い出すわけもない。
じゃあどうするかと言えば、彼の母は家を継いだ弟と再婚させられたのだ。
もともとが政略結婚である。そこに愛やら恋やらは関係ない。
平和な今の世でこそ珍しいが、戦争のあった時代では普通に行われていたことだ。
衛兵に挨拶をして、王城の敷地に入る。時間帯が遅いことで不思議そうな顔をされたが、夜勤だとでも思われたのだろう。
特に止められることはなかった。
さて、父が早くに亡くなったとはいえ、伯爵家の跡取り息子。クリストファーは大切に育てられた。
彼が、亡き父にまったく似ていないことが分かるまでは。
髪色から瞳の色、顔つきまで、父親に一つも似ていなかったのである。それどころか、彼の母とすらも似ていたのは髪の色くらいだったという。
成婚から出産の時期が近かったのも災いし、彼の母は不貞を疑われた。
隔世遺伝と言うものを知らんのか、と思うが、中世ヨーロッパをモデルにした世界なので、知らんのである。
そこからは、親子でほとんど幽閉に近い生活を過ごすことになる。
他の家の者と関わることを禁じられ、蔑みのまなざしを向けられ、折檻を受ける日々。
母親の心が折れ、息子に対する愛情が潰え、使用人と駆け落ちするに至るまで、そう時間はかからなかった。
王城の、一番高い物見台に上る。目的地であるウィルソン伯爵家を探した。
夜なので少し目を凝らさねばならなかったが、かなり古びた特殊な作りの屋根だったので、すぐに見つかる。
ふむ。近くにあるあの教会がよさそうだ。
その後クリストファーは我が家に引き取られておそらく幸せに暮らしているのだが、ゲームの中の彼は違う。
引き取られた遠い親戚の家に馴染めず、誰にも愛されず、苦しみを抱えてしまう。
しかしそこで、彼を愛してくれる女の子が現れる。それが聖女たる主人公だ。
彼女とクリストファーは乙女ゲーム的なうんぬんかんぬんを経て、初めて愛を知る。
だが、彼の生家ウィルソン伯爵家がそこに目を付けるのだ。
聖女と仲睦まじい彼の様子を見て、再び伯爵家に戻ってくるようクリストファーに持ち掛ける。
もちろん聖女欲しさの打算に満ちた勧誘なのだが、心が清らかな聖女である主人公がそんなことに気づくはずもなく、自分のことのように喜んだ。
それが彼からしてみれば、彼女が伯爵という地位に目がくらんだように見えたのだろう。そうしてクリストファーは、唯一心の支えにしていた主人公すら信じられなくなる。
物見台からぽんと飛び降り、城壁に着地する。そこからは、近くの建物の屋根を飛び移りながら、私は目当ての教会に向かって跳躍を繰り返した。
イベントでは、結局自暴自棄になったクリストファーが伯爵家に連れ戻されそうになったところを、事情を知った主人公が助けに行き、誤解も解けて一件落着、2人の絆もより一層強いものとなる。
今回主人公はまだ登場していないが、似たような流れの出来事が起きても不思議はない。
時期が違うのが気になるが……まぁ、最終的にはゲームの流れに回帰するのだろう。
もしかしたら、回帰するために必要な出来事が起きているのかもしれない。
クリストファーが私たちを――私はまだしも、お兄様を――信じられなくなるようなことがそう簡単に起きるとも思えない。
悪役思考で考えるのであれば、ウィルソン伯爵家の者が義弟を脅したとみるのが妥当だろう。
教会の屋根に着地する。
周りの建物より一段高くなったその屋根から、ウィルソン伯爵家の屋根まではそう遠くない。
降下することも考えれば、楽に届くはずだ。
お兄様と仲がよさそうにしているクリストファーを見て、公爵家とのパイプ欲しさに連れ戻したのかもしれない。
もしくは伯爵家側の事情で、一時は「伯爵家の種ではない」と断じたはずの彼ですら連れ戻さなければ、お家が断絶するような事態なのかもしれない。
理由などいくらでも考えつく。
「戻ってくれば、悪いようにはしない」とか、なんとか。そんなことを言ったのだろう。
「伯爵家の血が流れていないと知ったら、いくら人望の公爵家とはいえお前を受け入れるものか」「仮に公爵家が受け入れたとて、他の貴族はどう思うかな? お前のことをなんと厚かましい、公爵家には相応しくないと侮蔑するだろう」「それどころか、公爵家の人間はお人よしを通り越した馬鹿だと嘲笑うかもしれないな」……ああ、次から次へと思い浮かぶ。さすがは悪役令嬢だ。
屋根を蹴る。次の瞬間、私はウィルソン伯爵家の屋根に着地した。
ショートカットを駆使したおかげで、ずいぶんと早く敷地内に到達できた。気分はレーシングゲームである。
……ここは乙女ゲームの世界なのだが。
ぐるりと見渡せばおあつらえ向きに、人を幽閉するのにちょうどよさそうな塔がある。
幽閉するならここだろうと、私の中の悪役の勘がそう告げていた。
明かりすら灯っていないその建物に狙いを定め、私は再び音もなく跳躍する。
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