第45話 随分と『歓迎』してもらったものだから

「やぁ、おはよう。アイザック」

「…………おはよう、バートン」


 休み明け。すっかり風邪が完治したらしいアイザックが、登校して早々に非常に嫌そうな顔をしてこちらを見ている。

 私の挨拶にも、苦虫を噛み潰したような顔でやっと返事をしたくらいだ。


 無理もない。アイザックくらいしか友達らしい友達がいない私の周りに、今日は2人のご令嬢が侍っていたのだから。


「バートン様ぁ、わたくしから目を逸らしては、だーめ!」

「ははは、困ったな」

「あーん、抜け駆けはいけませんわ! バートン様、わたくしお菓子を持って参りましたのよ。一緒に食べましょう?」

「参ったな、お菓子よりもレディの微笑みの方が甘そうだ」

「きゃー!バートン様ったら! わたくしが食べられてしまいたいですわ!」

「………………」


 アイザックの視線が冷たい。とても友達に向ける視線とは思えなかった。

 チョコレートより甘くて熱いご令嬢たちの視線との温度差で、今度は私が風邪を引きそうである。


「ほら、授業が始まってしまうから、そろそろ教室に戻ったほうがいいよ」

「え――――!」


 2人のご令嬢の声がシンクロする。

 素晴らしい。モブ適性の高い非常に良質なご令嬢だ。私が観客だったらスタンディングオベーションを送っただろう。


「またお昼休みにね、子猫ちゃんたち」

「はぁーい」

「ごきげんよう」


 私のウインクに、ご令嬢たちは鈴の鳴るような声でころころ笑いながら教室を後にした。

 スカートと長い髪が揺れるお砂糖菓子みたいな令嬢たちの後ろ姿に、私はひらひらと手を振って見送る。


「…………バートン」

「なんだい?」

「今の、3年生……僕の記憶が確かなら、彼女たちは……」


 さすがに賢いアイザックは、私が何かを企んでいると一瞬で見抜いたようだった。

 私は彼の言葉の続きを引き取ると、あっさりと答えた。


「うん。君の兄さんたちの婚約者だよ」

「どうして……」

「君の兄さんたちに、随分と『歓迎』してもらったものだから、お礼をと思ってね」


 私の言葉に、彼の眉間の皺がまた一層深くなる。

 頭のいいアイザックだ。そして彼も貴族だ。きっと私の言葉の意味も、うまく理解してくれることだろう。

 私なんかよりずっと上手に、「利用」してくれることだろう。


「話してみたらとても良いお嬢さんたちだったから、彼女たちとは仲良くしたいと思っているんだ。だから共通の話題として、君のお兄さんたちの話をしてみたいんだけど。どんな人か、教えてくれないかな?」

「……例えば、どういう話が聞きたい?」

「他愛のない話でいいんだ、男の子って好きだろう? 『昔はワルかった』みたいな武勇伝とか、『ヤンチャしてた』みたいな昔話とかさ。まぁもう時効だろうし、彼女たちの知らないことを教えてあげたら、きっと喜んでくれるんだと思うんだよね」


 私の顔を、探るような目で眼鏡越しに見ているアイザック。

 彼の視線を受け止めつつ、私はわざとらしく顎に手を当てて、斜め上を見て悩むようなポーズを取る。


「ああでも、女の子って意外と繊細だろう? しかも彼女たちは、君には申し訳ないけれど君の家よりずっと身分の高い、良いところのご令嬢じゃないか。ちょっとショッキングな話でも聞いたら、結婚は嫌だと言い始めるかもしれないなぁ」


 アイザックの瞳を見据えてから、私は思わせぶりなウインクを投げた。


「だからその辺のさじ加減は、アイザック。君に任せるよ」

「……どうして、お前が、そこまで」


 アイザックが、独り言のように呟く。どうやら私の意図は正しく伝わったらしい。

 オブラートを引っぺがして要約すると、私が伝えたかったのは「お前の兄ちゃんの悪事を婚約者に伝えて結婚を白紙にしてやろうぜ。逆玉がパーになって悔しがってる顔、見たいだろ?」である。


 不審そうな目つきを止めないアイザックに、私は肩を竦める。


「だって、友達なんだろう。私たち」


 そう答えると、彼はまるで宇宙人でも見たような顔をする。

 何だ、友達云々を言い始めたのはお前じゃないか。何故そんなに意外そうな表情をされなければいけないのか。

 何ともいたたまれない気持ちになりながら、私は慌てて言葉を継ぐ。


「私としても、女の子たちにどう思われているのか気になっていたんだ。ほら、私には女の子の友達がいないから」


 アイザックは返事をしない。私に女友達も取り巻きもいないことを彼も知っているはずなので、肯定と受け取る。


「仲良くなりたいってお願いしてお話ししてみたら、みんな近寄り難かっただけで私に興味を持ってくれていたみたいで。あれよあれよという間に……こんな感じ」

「こんな感じ」

「今年のうちに女の子にも慣れておきたかったし、充実しているよ」


 実際、両手に花状態を味わってみたらとても気分が良かった。

 目標を達成したという喜びもあるのだと思うが、気分よく過ごすというのは重要だ。

 気分が良いというのは心に余裕があるということだ。心に余裕がある男は、モテる。


「男兄弟ばかりで今までよく分からないなぁと思っていたんだけどね……女の子って可愛いしやわらかいしいい匂いがするし、私が何も返事をしなくても微笑んで頷いているだけで機嫌がよくなってくれるし、聞き流しスキルさえ身に付いていたら最高だね」

「……お前みたいなやつを、『女の敵』と言うんだろうな」

「失礼だな。私は誰の敵でもないよ」


 心外だと苦笑いする。そう、私は別に誰の敵でもない。味方でもないだけで。


「恋愛対象は女ではないと言っていなかったか?」

「うん? そんなこと言ったかな?」


 私の言葉に、アイザックの眼鏡がずり落ちた。眼鏡キャラらしい、良いリアクションだ。


「今のところ、恋をしたことがないんだ。自分ではわからないけれど……もしかしたら女の子の方が好きなのかもしれない。私が出会う運命の相手も、女の子なのかもしれないしね」


 一つ、主人公登場に向けて布石を打っておく。

 アイザックがこのことを覚えているかどうかは分からないが、随所に私が「運命の相手」を探していることをいろいろな場面でほのめかし、伏線を張っておく必要があるのだ。


 私が運命の相手を探していて、それが主人公であるという伏線。

 回数を増やせば増やすほど、伝える相手を増やせば増やすほど、この伏線は強固なものになるはずである。

 主人公入学までに、なるべくこまめに、いろんな人に、刷り込みをしていきたいところだ。


「アイザック、君も女性は苦手と言っていたけれど。親密に接してみたら印象が変わるかもしれないよ。なんなら紹介しようか?」

「結構だ」


 私がにやりと笑って見せると、アイザックはずれた眼鏡を押し上げながら、不機嫌そうに切り捨てた。


「そう言わず」

「必要ない」

「どうして」

「僕はお前と違って、恋を知っているからだ」


 なんと。

 こんな堅物馬鹿真面目のアイザックが、恋を知っているとは。予想外だった。

 ゲームでも、主人公が初恋なんじゃないかと思うような描写があったぐらいだ。

 イメージでは、年上の家庭教師への淡い初恋……という感じだが、どうだろうか。

 答え合わせがしたくなり、私はアイザックに詰め寄る。


「初耳だな」

「そうだろうな」

「どんな人なんだ? 女性? ……男性?」

「……さぁな」

「友達だろう、アイザック!」

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