第35話 眼鏡をかけていそうなその声
私はこれまで、同年代の貴族の女の子と触れ合う機会に乏しかった。
侍女への接近禁止令を出されてからというもの、家では私の身の回りのことは侍女長と執事見習いがやっていたし、訓練場は男子校みたいな様相だった。
街で出会う女性たちは、若い子も大人もみんな私のことをちやほやしながらも、騎士様として一線を引いた扱いをしてくれていたと思う。
それが、どうだ。
入学式が終わって教室に入った途端、私はご令嬢たちに取り囲まれていた。
ちなみに、入学式の学園長先生のお話はそこそこ長く、そこそこ退屈だった。あまり有能な学園長ではないのかもしれない。
ご令嬢の勢いに面食らったが、ここで動揺していてはナンパな騎士様は務まらない。白い歯を見せながら、営業スマイルを顔に貼り付ける。
「やぁ、初めまして。レディたち」
きゃあ、と、女の子たちから黄色い声が上がる。打てば響くようだ。
「あ、あの、お名前は?」
「ご趣味は?」
「婚約者はおいでですか?」
「甘いものはお好き?」
わっと浴びせかけられた質問に、私の気分も盛り上がった。
これだ。これがモテというやつだ。
ご令嬢たちに落ち着いてと手で示しながらも、順番に質問に答えようと口を開いた、その時。
「煩いぞ」
後ろから迷惑そうな声がして、私の言葉を遮った。
やたらと硬質で、眼鏡をかけていそうなその声に、聞き覚えがある。
振り向くとそこには、予想通りアイザックが立っていた。
8歳の時会った彼と同一人物とは思えないほど大人びた雰囲気で、鼻筋がすっと通った涼やかな目元が眩しい美男子である。
……いや。正直に言えば8年も前に一度会ったきりの男の子のことなど詳細に覚えていないので、本当に雰囲気の話なのだが。スチルもなかったし。
もうゲーム開始が一年後に迫っているだけあって、ロベルト同様、彼もゲームの立ち絵とよく似ている。
赤褐色の瞳に、トレードマークの銀縁の眼鏡。藍色と言った方がしっくりくるような青味がかった黒髪は、センター分けでパツンと切りそろえられていて、長い後ろ髪を紐で結えている。
はて。
ゲームの中の彼は、パツンとしたおかっぱでこそあったが、肩ぐらいの長さだったはずだ。
ゲームとの違いに、私は首を捻る。まぁ、人間なのだから髪が伸びることは当然だ。これから髪を切るのかもしれないな。
「ここには勉強をしにきているはずだ。他人の迷惑となる行為は慎みたまえ」
「貴方、ギルフォード伯爵家の……」
「それが何か? 学園内では身分によって行動の制限を設けることはあってはならないと説明されたばかりのはずだ」
アイザックが冷たく言い放つ。ご令嬢たちは不満そうだ。やれやれ、女の子を不快にさせて放っておくようでは、ナンパ系の名が廃るというものだ。
「まぁまぁ。ほら、先生も来たみたいだから、お話はまた後で、ね?」
するりとアイザックとご令嬢の間に割って入って、ご令嬢たちにウインクを投げる。また小さく上がる黄色い声が聞こえ、私は心の中でガッツポーズをした。
教師が教室に現れ、最初に行われたのは席替えだった。
教室には横長の机が並んでいて、2人が1つの机に掛けるような形だ。
机も椅子も、前世で一般的に使われていたものよりかなり豪華で、さすが国内随一の名門校と言うだけのことはある。
指定された番号の席に行くと、同じ机の右側の席にはすでにアイザックが着席していた。
「よろしく」
「……」
一応挨拶をしてみるも、嫌そうに眉間に皺を寄せられただけで、返事は返って来ない。
大方、「さっきみたいにうるさくしてみろ。承知しないぞ」とでも思ってるのだろう。
アイザックにお愛想を振りまいてやる義理はないので、それ以上は話しかけることをせず、私もさっさと着席する。
「では、皆さん席に着いたようなので、順番に自己紹介をお願いします。1年間、ともに学ぶ仲間です。お互い、早く顔と名前が一致するようにしましょうね」
担任教師の言葉で、端に座っている生徒から順番に自己紹介をしていくことになった。
3人目くらいまでは頑張って聞いていたが、やはり話を聞くのは苦手なもので、だんだん耳を滑っていく。
見渡す限り、何人か見覚えのある騎士団候補生はいるが、ロベルトはいないようだった。まとわりつかれる可能性が減ったので、一安心だ。
何が悲しくて、学園でまで候補生の面倒を見なくてはならないのだ。
鬼軍曹バレを防ぐためにも、仕事とプライベートはきちんと分けておきたい。……どちらもプライベートではない気がするが。
考えているうちに、私の番が回ってきた。立ち上がると、教室中の視線が集まるのを感じる。
ある者は興味、ある者は妬み、ある者は憧れ。それぞれ違う気持ちがこもった目で、私を見ている。
息を吸って、肺に空気を送る。その勢いで胸を張って、私は出来るだけ明るくはっきりと、自己紹介を開始する。
「バートン公爵家が長女、エリザベス・バートンだ。最近ついたあだ名は『バートン卿』だけれど、バートンでもエリザベスでも、好きに呼んでくれて構わないよ。1年、どうぞよろしく」
最後に、にこりと笑って締めくくる。
教室中がざわざわと、ざわめきに包まれた。
「長女?」
「え? でも、制服は男子の……」
「バートン公爵家って、あの?」
「ていうか、それはあだ名なの……?」
ざわめきの中で、大人しくしていたのは当事者である私と、私の素性をすでに知っているらしい騎士団候補生たち、そして隣の席のアイザックだけだった。
「……バートン?」
アイザックは、私の顔を見上げて、小さく問いかけた。その目は驚愕に見開かれ、まるで宇宙人でも見るような目つきだった。
「エリザベス・バートン? ……お前が?」
「はい、皆さん静かに!」
一向に引かないざわめきに、痺れを切らした教師がパンパンと手を叩く。
彼女は名簿を持っているので、私がエリザベス・バートンであることを知っているはずだ。それでも、声には幾分戸惑いが感じられる。
「気になることがあるのは分かりますが、まずは自己紹介を続けましょう」
同感だ。
見た目と合わせると少々情報量が多い自己紹介だった自覚はあるが、この後私よりヤバい奴が出てこないとも限らない。さっさと次に行くべきだ。
「バートンさんは、後で学園長室に来てください。学園長先生がお呼びですよ」
……初日から呼び出しを食らってしまった。しかも学園で一番偉い人に。まぁ、王太子に呼び出されるよりかはマシだろうか。
私は肩を竦めて、適当に返事をした。
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