第6話 2秒で殴り返すくらいでちょうど良い
アイザックは、乙女ゲームには欠かせない眼鏡キャラだった。
宰相の息子で、馬鹿がつくほど真面目で堅苦しく、女嫌い。攻略するには勉強のパラメータを上げなくてはいけないタイプである。
三つ子の魂百まで、と言うが、8歳時点ですでに眼鏡だったらしい。
その彼が、3人の令息に囲まれ、地面にへたり込んでいた。彼の服は土で薄汚れ、頬は腫れて口の端が切れている。
そしてなんと、眼鏡がひしゃげていた。
おお、アイデンティティを歪めてしまうとは、容赦がない。
眼鏡の男の子が、複数人に取り囲まれて罵声を浴びせられ、どうやら暴力を振るわれている。これは間違いない。いじめである。
私には関係のない話だし、今私が見ていることに気づいているのはアイザックだけだ。このままそっと立ち去ることもできる。
そして適当な大人に話して、様子を見に行ってもらうこともできるだろう。きっと、それが最良だ。
だが、見方を変えればチャンスでもある。
今のところ、私はお兄様と剣術の家庭教師としか試合をしたことがない。
お兄様はさておき、家庭教師の方は私におべんちゃらを使って、わざと負けている可能性もある。
無関係の第三者に、どれくらい通用するのか。それを試す絶好の機会ではないか。
それも、「いじめを止めるため」という大義名分を背負って、である。
なに、もし通用しなければ逃げ出せば良いだけだ。大声を出して助けを呼んでも良い。
いざとなればどうとでもなるだろう。
方針は、決まった。
ざり、と土を踏んで、立ち上がる。その音に、アイザックを囲んでいる令息たちが慌てた様子で振り向いた。
「やぁ、アイザック」
片手を上げて挨拶をする私に、アイザックは目を丸くする。初対面なのだから当然だ。
こちらを振り向いた3人の令息たちも、見覚えのない顔ばかりだ。
野心のある親なら年の近い子供を第二王子のもとに連れてきて挨拶をするだろうから見覚えがあるはずだし、本人たちに野心があれば、こんなところでこそこそしていないで、パーティー会場で人脈作りに勤しむだろう。
つまりは、そのどちらでもないということだ。
まぁ、挨拶に来たのに私が覚えていないだけかもしれないが。
「お嬢さん、迷子? パーティー会場はあっちだよ」
「俺たち、この眼鏡くんとちょーっとお話ししてるんだ。悪いけど、席を外してくれる?」
令息の物言いで、私が覚えていないという可能性は雲散霧消した。
公爵家のご令嬢と知っていたら、そして第二王子の婚約者だと知っていたら、こんな口の利き方はできまい。
ただひとり、アイザックだけは私のことを知っていたらしい。顔色がさっと青くなった。
そういえば彼は、親に連れられて挨拶に来た、かもしれない。覚えていないが。
「……それとも、君も俺たちとお喋り、したいのかな?」
にやりと唇を歪め、令息の1人が私に歩み寄ってきた。
背丈は私より少し低いくらい。特にがっちりしているわけでも、かと言って細いというわけでもない。至って普通の少年といった見た目。
油断しきった動きだ。これはいける。
「よせ」
ゆっくり脚を肩幅に開いたところで、アイザックの声がした。
「彼女は関係ないだろう」
「聞いたか?」
「彼女、だってよ!」
アイザックの言葉に、令息たちはげらげらとおおよそ貴族らしくない笑い声を上げた。
ふむ、私もよくお母様から「品がない」と言われるが、このように思われているとしたら心外だ。
「偉そうな口を聞くんじゃ、ねぇ!」
「ぐッ!?」
令息がアイザックの腹を蹴り上げた。
アイザックは呻き、そして身を屈めてうずくまる。
「うーわ、弱っ」
「女の前だからってイキってんじゃねぇよ!」
「ダッセ」
口々にアイザックを罵り、靴で踏み付けにする。よせと言われたが、これは放置できない。
「おい、やめないか」
言いながら、私は間に割って入ると、アイザックを背に庇う。
「ぼ、僕のことはいいから」
「そうはいかない」
アイザックが私の背中に声をかけるが、跳ねのける。みすみすチャンスを棒に振るものか。
この位置関係の方が、仮に人に見られても「守っていた」という感が出てよいかもしれない。これでいこう。
「ヒュー、かっこいいねー」
「よかったなぁ、ガリ勉くん。女の子に守ってもらえて!」
言うが早いか殴りかかってきた令息の拳を、私はそっと受け止めた。
そのまま勢いを殺さず、彼の体重の乗った腕を引っ張るように、私も力を込める。背負い投げに似た形だ。
違うのは、私が彼を地面に叩きつけるのではなく、カタパルトのように射出しようとしているところだ。
「そーれっ!」
ぽーんと、勢いよく彼の体が宙を舞う。そこそこの高さの弧を描き、木々の間を割きながら茂みに落ちていく。
「は?」
アイザックと、他の2人の令息の声が重なった。
間髪入れず、お仲間が吹っ飛んで行った方向を眺めている令息の足を掴む。
「はい次」
ジャイアントスイングの要領で、勢いをつけてその体をぶん回し、1人目と同じ方角に向かって放り投げた。
ぎゃーとかいう悲鳴が小さく聞こえた気がしたが、気にしない。
あちらにあるのは厩だ。きっと上手いこと牧草の上に落ちているだろう。ここはやさしい世界なので。
呆然としていた最後の1人の顔が見る見るうちに青くなる。
逃げられないうちに回り込み、退路を断つ。姿勢を低くし、相手の腰に腕を回す。
「最後ー!」
掛け声と共に、また同じ方角に向かって投げ飛ばした。
おお、一番遠くまで飛んだかもしれないな。
しばらく彼らを放り投げた方向を眺めていたのだが、どうやら戻ってこないようだ。
戻ってきたら諦めてくれるまで投げ続けるつもりだったのだが、その必要はなさそうだ。
普段稽古のときに投げているもちもちのお兄様より軽いとはいえ、何度も投げるとなるとさすがに骨が折れる。正直助かった。
きっと今頃、ふわふわの牧草の上に落ちた3人は、一本取られたな~わっはっはとか大の字で笑っていることだろう。
大丈夫。男の子は仮に殴りあったりしたって、一緒に河原で寝転んだら友情が芽生えるのだ。
肉体言語で話し合えば、もう友達だ。そのようなシステムのはず。知らんけど。
いやぁ、平和的に解決ができてよかった。
喧嘩したとか殴ったとか、ご令嬢に怖がられるような噂が流れては避けられてしまうかもしれない。
それは困る。私はモテたいのだ。
同世代の令息では相手にならないということも分かったし、私の評判が落ちることもない。他の攻略対象に恩も売れた。万々歳である。
清々しい気持ちで振り返り、地べたに座ったままのアイザックに手を差し伸べる。
「大丈夫かい?」
「……僕まで放り投げないだろうな?」
警戒されてしまった。
さっきまでの、身分が上の者に対するような畏怖を含んだ視線ではなく、ただ得体のしれないものを見るような目つきだ。人聞きが悪い。
「人聞きが悪いことを言うなよ。私は一応、君を助けたつもりなんだけどな」
「……僕は、助けてくれなんて頼んでいない」
ひねくれ者が言いがちな台詞トップ5に入りそうなことを宣って、アイザックは私の手を取ろうとしなかった。
「僕は僕なりに、やり返すつもりだった」
「ふぅん?」
「あいつらが僕に嫌がらせをしてきたのは、何も今日に始まった話じゃない。……どうせ、兄さんたちにいじめられた腹いせで僕に仕返しをしているだけだろう。直接文句も言えないくせに」
アイザックは1人で立ち上がると、ぱんぱんとズボンの尻を叩く。
彼は宰相の3男坊という設定だった。貴族の家では、長男が後を継ぎ、次男が補佐兼長男のスペア、三男以下はパイプ作りのために他家に婿入り、というのがもっとも一般的だ。
立場で言えば、外交のカードに使われる女子と似ているかもしれない。
大切に育てられた長男が増長して、わがまま放題になってしまうのはよく聞く話だ。
アイザックは家族仲がよくないという設定だった。きっと彼も、兄たちの被害に遭っているのだろう。
しかし、アイザックの兄の知り合い、ということは、さっきの令息たちはアイザックより年上なのかもしれない。
だとしたら僥倖だ。2、3歳上までなら容易に投げられることが分かった。
成功体験は自信に繋がる。自信はモチベーションアップに繋がる。良いこと尽くめだ。
「あいつらの名前も、家のことも調べてある。後ろ暗い所のない貴族などいない。いずれ表舞台に出られないようにしてやるつもりだった」
「頭のいい奴って、敵に回すと怖いなぁ」
私なんかよりずっと怖いことを言い出すアイザックに、苦笑いをして肩を竦めるしかない。
「結局、私が手を出すまでもなかったということだ」
私はあっさりと恩を売るのを諦めた。
彼の言うとおり、私が助ける必要はなかったのだろう。何故なら、彼はここで大怪我をするわけでも、まして死ぬわけでもないからだ。
現に、今日この場所で誰の助けも得られなかっただろうゲームの世界の彼も、9年後には貴族の通う学校の内で最も身分と学力の高い学園に主席で入学し、天才の名を欲しいままにする。
しかも眼鏡の美丈夫に成長していた。その頃には、誰も彼をいじめていなかった。
「強い男だな、君は」
本当に辛抱強い奴だと思う。やり返せるまで、何年かかるのだろう。
私にはできそうもない。2秒で殴り返してしまう。
いつか主人公を巡る恋敵になったときのことを考えて、私もその辛抱強さを取り入れてみようかと思ったが、やめた。
恋愛にはスピードも重要だ。いくら辛抱強くても、攻めなければ勝つことはできない。
だいたい、1年間という限られた期間で主人公を惚れさせなければならないのだ。
やはり2秒で殴り返すくらいでちょうど良いし、私の性に合っている。
私が彼を眺めて思案にふけっている間、アイザックもまた、怪訝そうな顔で私のことを見つめていた。
「リジー? ……エリザベスー?」
ふと、遠くで、お父様の声が聞こえた。
まずい、探されている。
「ええと、じゃあ、ごきげんよう。またいつか」
適当な挨拶をして、踵を返す。
軽く膝を曲げて飛び上がり、降りてきたバルコニーの手すりを掴んでよじ登る。
私が手すりの内側に着地して居住まいを正すのと、バルコニーを確認しに来たお父様が窓を開けるのは、ほぼ同時だった。
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