第1話 私の前世、薄すぎ……?
整理しよう。
ぶっ倒れてベッドに担ぎ込まれ、お父様が呼んだ医師の診断を受けた私は、天井を眺めながら考えを巡らせる。
ちなみに診断は貧血か寝不足だそうだ。私はピーマンのせいだと主張したが、お父様からは夜更かしと好き嫌いはいけないとのコメントをいただいただけだった。
実際夜更かしなどしておらず、ピーマンショック(妙に語感が良い)で前世の記憶が戻ったことが原因なのだが……前世のことを話す気にはならなかった。
生まれて7年だが、この世界には「前世」とか「生まれ変わり」とか、そう言った価値観が存在しないことを、私は理解していた。
こうして自分が前世の記憶を思い出し……そういった価値観を当たり前のように持っていた記憶を思い出したからこそ、そういう概念というか、それを信じる人もいるし、自分もそれを体験しているのかもしれないことに考えが及ぶ。
しかしこの世界では死んだ者は土に還り、その思いは光となって星になる、という死生観が主流だ。宗教観と言ってもいいかもしれない。
前世でも、宗教によっては魂や輪廻転生というものを信じないという考え方もあったはずで、その辺は本当に何が正しいということではないのだけれど。
前世で言ったところでも信じてもらえなかっただろうに、この世界で、魂が転生が、前世の記憶が、と言いたければ、まずその概念と価値観の説明からしなくてはならない。
この世界の住民からしてみればおとぎ話ですら聞いたことがないような概念なのだ。
そこから説明をして理解してもらえるほど私は話術が巧みではないし、一生懸命説明したところでそれに見合った効果が得られるかと言えば、あまりに効率が悪い。
そして私の持つ前世の記憶は、ひどく曖昧で断片的だった。たとえばこうして前世の死生観についてなんとなく思い起こすことはできるけれど、それを理論立てて説明できるかというと、自信がない。
電気やゲームもそうで、それが存在していて、それを使う暮らしはどんなものだったかは話せると思うが、じゃあそれはどんな仕組みなのかと聞かれたら、さっぱりわからない。
いろいろなものの奔流の最中のような世界にいたはずなのだが、誰かに説明できるほどはっきりと、具体的な物事について思い出せないのだ。
そして、前世の自分についてもそれは同じだった。
女だったと思う。電気やゲームのある環境で育っていた。特に飢えることはなかったが、今世ほど裕福ではなかった気がする。
ただ、その人生がどんなものだったのか、いくつで死んだのか。名前はなんだったか。そういうことは全く思い出せなかったのだ。
私が今いるこの世界とよく似た乙女ゲームのことは、はっきりと憶えている。何だったら他の乙女ゲームのことも覚えている。
ちなみに1番好きだったのは「忍ブレド、恋モヨウ」という和風忍者モノの乙女ゲーで、そのキャラクターの名前やストーリーは、細部に渡って思い出せた。
服部半蔵と霧隠才蔵の最終決戦スチルなど、私に画力さえあれば再現可能なほどまざまざと思い出せる。
ちなみに前世でも今世でも、画力はない。
他は……子供の頃、組体操の10人タワーの天辺から落ちて頭を3針縫ったことと、大学の追い出しコンパで急性アルコール中毒で運ばれたことくらいしか、はっきり思い出せることがなかった。
その他は、何となくぼんやりとしていて、日々をぼちぼち過ごしていたんだろうなぁくらいのことしかわからない。
そこまで整理して、気づいた。
……あれ? 私の前世、薄すぎ……?
普通……何をもって普通なのかはわからないが……7歳児の脳味噌に前世の記憶が流れ込んだら、パンクするんじゃないだろうか。
人ひとりの一生分の記憶だ。許容量を超えて、パニックになったりするんじゃないだろうか。
しかし今の私はひどく冷静で落ち着いていて、正常だ。
前世のことをすっかり受け入れてもなお、明日の晩ご飯のことを考える余裕すらあった。
特に病気や事故で若くして死んだという記憶もなければ、はたまた天寿を全うして孫ひ孫玄孫に見送られて大往生したという記憶もない。
誰かを恨む気持ちも、世を儚む気持ちもない。憎かったものといえばせいぜい所得税と住民税ぐらいだ。
ともすれば公爵令嬢としての7年の方が濃く感じてしまうくらい、密度が薄いのである。
普通の人生をカツ丼だとするならば、私の前世は重湯である。いや重湯とか今世では食べたことないのだが。
果たしてそんな人間がいるものだろうか。7歳児に厚みで負けるような一生を送った人間など、いるものだろうか。
仮に、もし、万が一いたとしたら――それはなんとも、悲しいことではないか。
そう考えていると、だんだんと背筋がそら寒くなってきた。
やめよう。
きっとまだ思い出したばかりだから、記憶が歯抜けになっているのだ。
そもそも前世の記憶なんてものがイレギュラーなのだから、曖昧だったり十分に思い出せなかったりするのが普通なのかもしれない。
そうだ。私が思い出したのはほんの断片に過ぎないのだ。だから重湯程度の濃度なのだ。そうに違いない。
私はそう結論づけ、前世の自分について考えることをやめにした。
私にとって大切なのは、可哀想だったかもしれない前世の自分より、今まさに生きていて可哀想な目に遭うかもしれない今世の自分のことだった。
過去の自分のことをぐるぐる考えて、憐れんでいる余裕はない。何故なら我が身が可愛いので。
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