第99話 恐怖の6番と内角攻め(後編)

 4回表を終わって、0-3。

 厳しい状況だった。


 工藤は頑張ってはいたが、ボールを見極められることが多く、回数に反比例して、球数がいつも以上に増えていた。


 仕方がないから、5回からは潮崎に代えることを告げる。工藤は黙って頷いた。


 しかし、問題は牛島を「打てなかった」ことだった。

 これまでほとんど三者凡退。


 4回裏も清原がかろうじて、四球で出塁しただけだった。


 5回からは試合が膠着状態に入る。

 交代した潮崎。


 前の試合では、若干不甲斐ない投球だったが。

 工藤の言う通り、この試合では潮崎が「適任」だった。


 抜群のコントロールを持つ彼女。ボールを「見て来る」連中には、もっとも真価を発揮する。


「ストライク、バッターアウト!」

 ストライクゾーンとボールゾーンのギリギリの四隅を、正確無比な制球力で突いていく潮崎の投球に、今度は相手打線が翻弄されていた。


 特に有効だったのは、決め球のシンカー。

 高速、低速の2種類のシンカーを使い分け、さらに「魔球」のように鋭く変化する。ここに来て、彼女のシンカーはさらに勢いを増していた。


 5、6、7、8回と、相手打線を寄せ付けない圧巻のピッチング。打たれたのは、3番牛島によるセンター前ヒットだけだった。


 ところが、こちらもその牛島の攻略に苦戦。

 5回から7回まで、四球と単打だけで、ほぼ完璧に抑えられていた。

 球種は、そこそこ速いストレートに、スライダー、カーブ、チェンジアップをたまに混ぜる程度だったが、打ちにくい投手ではあった。


 8回裏。

 いよいよ後がなくなってきた頃。


 俺は清原に声をかけた。見たところ、この試合で四球とヒットで2度、出塁していたのは清原だけだった。

「どうだ、牛島は。攻略できそうか?」

 俺にとっては、藁にもすがるような展開だったが。


「ああ。大丈夫だ。感覚は掴めてきた。要はインコースばっか投げるなら、それに合わせて打てばいい」

 いつものようなタメ口だったが、自信満々に語る清原の瞳に力が籠っているように見えた。


 8回裏。

 9番佐々木の打席。


 俺は代打を告げて、垣内を出す。


 「みかんの大器」こと垣内。1年生ながら身長が175センチもあり、大柄で、そしてパワーがあった。


 垣内は、

「任せて下さい!」

 張り切って、出ていった。


 しかも、初球のインコースのストレートをあっさり弾き返して、出塁。


 続く1番の吉竹。

 初球からセーフティーバント気味の送りバント。

 しかも、これがまた抜群に上手かった。


 三塁方向のライン際に絶妙なバントを決め、一塁はアウトながら1アウト二塁とする。


 2番、田辺の打席。この試合は全く当たっていなかったので、代打を告げる。代打は、もちろん鈴木だ。


 1年生とは思えない度胸を持つ、アベレージヒッター候補。


 しかも、彼女はやはり「物が違った」。インコース攻めにも、きわどいアウトコースにも動じることなく、見極めた上で、カウント2-3から綺麗な流し打ちで出塁。


 1アウト一・三塁で、3番笘篠。

 ところが、この試合の笘篠は、どうにも調子が悪いのか、三振。三振が少ない彼女には珍しかった。


 4番の清原を迎える。

 初球からゆるいチェンジアップを放ってきた。思わず空振り。

 2球目は外に逃げるスライダー。見送ってボール

 3球目はインコースにストレート。タイミングが合わずに、かろうじてファール。

 4球目。


 同じコースにもう一度投げてきた。

 鋭く振り抜いた清原の打球は、ぐんぐんライト線に伸びており、右中間を真っ二つに割っていた。


 三塁ランナーの垣内が生還。一塁ランナーの鈴木も三塁まで到達。

 1-3となる。


 さらに、5番石毛の打席。


 その前に、ネクストバッターズサークルに行く前の3番笘篠の打席の時に、石毛は、またも、


「頭を撫でて下さい」

 と、例の謎の「儀式」を要求。


(またか)

 とは思いつつも、俺は渋々ながらも、彼女の頭を撫でていた。


 しかも、驚くべきことに、この「なでなで」作戦が効いたのか、石毛はスライダーを引っ張って、三遊間を破るヒットを放ち、2-3と追いすがることに成功。


 奇妙なことに、恐るべき「効果」を発揮する「なでなで」作戦だった。


 9回表も、潮崎は落ち着いて対応。6番の高橋には2ベースを打たれていたが、その後を危なげなく抑えていた。


 そして、ついに9回裏。

 泣いても笑っても、ここで点が入らないと負ける。


 その9回裏。

 「野球の神様」はとんでもない「サプライズ」を用意していた。


 試合は負けていたにも関わらず、試合の「流れ」を一変する出来事が起こる。


 7番、伊東の打席。

 彼女は、散々翻弄されてきた牛島の投球を見極めて、四球で出塁。


 8番、平野。

 一番小柄で、一番非力な彼女が、精一杯頑張って、牛島のインコース攻めにも恐れることなく対応していた。


 思えば、一番「女子」らしくて、どこか「守ってあげたくなる」庇護欲をかき立てる彼女も成長したものだ、と思った。


 体に当たりそうなインコースに対し、右肘を脇腹付近につけ、左脇を開いていた。理想的なインコース打ちのフォームだ。


―キン!―


 綺麗に打ち返して、センター前ヒットでノーアウト一・二塁。


 そして、9番を迎える。


 垣内だ。

 一発長打があり、3回戦の熊谷実業戦ではホームランも放っていた彼女。


 気合が入っていた。

 初球からインコース攻めをしてきた、牛島だったが。

 緩いカーブ気味の球だった。ファール。


 2球目。今度は逆にアウトコースにストレート。見送ってボール。

 3球目。インコース低めのチェンジアップ。見送ってストライク。


 早くも2ストライクと追いつめられる。


 だが。

 4球目。インコースに速いストレート。


 まるでそれを「狙って」いたかのように、垣内がバットを振る。

 それは、平野と同じように、右肘を脇腹付近につけ、左脇を開く打ち方だった。


―ガン!―


 叩きつけるような金属音と共に、打球はセンターからレフト方向へ。

 風は運良く、そのセンターからレフト方向に吹いていた。


 相手のセンターとレフトが必死に追いかけるが、その頭上をボールが飛んでいく。フィールドか、スタンドか、正直、微妙に思える打球だった。


 打球は夏の空に放物線を描き、慣性の法則でゆっくりと落下していく。レフトがグラブを伸ばすが、そのわずか先を通過。


 ギリギリでスタンドインしていた。


 なんと、「逆転サヨナラ3ランホームラン」だった。


 場内は騒然となる。

 我が校のベンチと、一塁側に詰めかけた、我が校の応援団、ブラスバンドが大盛り上がりになった。


 一転して、三塁側ベンチとスタンドは意気消沈している。


 グラウンドを一周して、戻ってくる平野、そして垣内。

 平野がホームベース上で、垣内とハイタッチしていた。


 そして、


「垣内さん!」

「美憂ちゃん!」


 ベンチでは、選手たちが、大柄な垣内に抱き着いて、喜んでいた。

 まさかのサヨナラホームラン。しかも逆転のおまけつき。


 「未完の大器」とはいえ、まだ粗削りの一年生とは思えない、度胸と抜群の野球センスが彼女にはあった。


 しかも、大体いつもベンチだから、相手チームのマークも甘かったのが幸いしたのかもしれない。


 とにかく、我が校は、5-3で快勝。

 創部以来初の、夏の甲子園県大会決勝まで進むことになる。


 そして、決勝の相手は、もちろんというか、予想通りというか、春日部共心と決まった。


 だが、その前にとにかく俺は嬉しかった。


「垣内。見事なホームランだ。お前をスカウトしてよかった」

 素直な感想が自然と口を出ていた。


 彼女もまた、

「ありがとうございます! 私もこのチームに入れて嬉しいです。みんなで絶対、甲子園に行きましょう!」

 満面の笑みで、喜びを表現していた。


 夏の甲子園、埼玉県予選準決勝突破。

 目指す甲子園までは、あと1勝と迫る。

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