第60話 進化する選手
いまだに大歓声に包まれ、興奮が冷めやらない中、試合終了のサイレンが鳴り響く。
4回戦突破。次は準々決勝となった。
去年と同じように、ベスト8に進出。
試合後、羽生田の顔に、ようやく満面の笑みがこぼれていた。
「良かったな、羽生田。家族の前で活躍できて」
「うん! カントク、ありがとう!」
素直に喜びを表現し、一塁側スタンドの家族にも手を振っていた羽生田。
3年生として、最後の夏になる彼女は、ようやく「活躍」というよりも「失点を挽回する大活躍」で応えてくれたのだった。
だが。
「次の相手は、聖毛学園ですね」
トーナメント表と、ネット配信の結果を見ていたマネージャーの鹿取が呟く。
「聖毛学園。良かった。去年、練習試合で勝ったところだよね」
「余裕じゃねえか。次の試合ももらったな」
潮崎、そして清原を中心にして、安堵の声が漏れる中、俺と同じく決して気を緩めていない選手が一人。
「全然余裕じゃないよ。今年は去年とはメンバーが違うし、山田さんが進化してる」
伊東だった。
常に冷静沈着、まるで高校生らしくない老成したところがある彼女は、スコアブックとネット上のデータを携帯で見て、難しい顔をしていた。
「どういうこと?」
「山田さんのここ数試合の成績がこれよ」
伊東が全員に見せた携帯の試合データは、今季夏の甲子園、埼玉県予選での山田の投球データだった。そこから弾き出された内容は。
―4試合、32と2/3回を投げて、自責点3、防御率0.83―
という、圧倒的な数字だった。
それも、練習試合も含めて、ほとんど一人で投げ切っていた。
恐ろしいほどの投手に成長していた。
「マジかよ。山田ってそんな凄かったか?」
「誰が相手だろうと関係ないですわ」
「当たり前じゃん。負けるはずないわ」
「面白え。投手戦なら負けないっす」
清原と吉竹、そして笘篠と工藤。我がチームの中でも最も強気な四人が吠えていた。
そんな中、山田対策も兼ねて、聖毛学園対策をミーティングで立てることになった。
データブック、スコアブックを手にした伊東と鹿取が中心になる。
「山田さんの決め球はシンカーだけど、去年とは違い、唯と同じように2種類使ってくることがわかってるわ」
「おまけに、去年よりも球が速くなってますね」
「マジか?」
「対策はありますか?」
珍しく1年生の田辺が発言する。たとえ出番がなくとも、対策が知りたいのだろう。彼女は、元・ソフトボール部員にして、真面目な生徒だ。
「そうね。シンカーも曲者だけど、ストレートも下から投げるから、浮き上がってくるように見えると思うわ。その浮き上がるボールをどう捉えるかが大事ね」
伊東の答えは、さすがに的を射ていた。
アンダースロー投手は、通常の投手とは違い、ボールが下から上に伸びる、つまり浮き上がるような軌道を描く球を放ってくる。
バッターにとっては、これが厄介で、通常のオーバースローやスリークォーターなどとは逆なので、タイミングを取りづらい上に、非常に打ちにくい。
おまけに山田には、それに加えて速球も、2種類のシンカーもあった。去年よりも確実に進化しているだろうし、そもそも去年の練習試合は、所詮練習試合だから、手を抜いていたのかもしれない。
いや、それ以上に、ウチの部員たちが成長しているように、彼女もまた確実に「成長」しているのだろう。
「加えて、
「2年の
「手強いね。でも、次からは私が投げるし、阿波野さんとまた戦うまで負けたくないな」
潮崎だった。
ようやく打撲の怪我が治ってきた彼女。俺は次の試合から本格的に彼女を先発復帰させる予定でいた。
同時に、彼女が気にしている、浦山学院の阿波野。最後の夏になる今年の予選でもエースとして投げており、浦山学院は順調に勝ち進んでいたが、トーナメントの関係で、彼女たちに当たるのは準決勝ということになりそうだった。
その前に勝ちたいという思いが潮崎にはあるのだろう。
「今の辻ちゃんならきっと大丈夫だよ。ね、辻ちゃん?」
不意に羽生田が、笑顔で隣に座っていた辻を横目で見やった。
その本人は、
「まあ、何とか……」
相変わらず、無表情で、よくわからない態度を取っていたが。
聞くまでもなく、最近の辻は好調だった。公式戦ではヒットを連発しているし、調子を落としている笘篠や清原よりも、引き続き3番を打たせた方がいいのかもしれない。
「監督」
その滅多に自分からは話さない辻が、不意に俺に声をかけてきた。
「何だ?」
「次の試合。父が見に来る予定です。ですから、活躍したいです」
普段、滅多に自分を表現しない、言い換えれば自己主張しないおとなしい子の辻が、珍しく真剣で力強い瞳で、俺を見て、そう言った。
羽生田と同じく、彼女もまた「家族」に支えられているのだろう。
ましてや彼女の父は「元・プロ野球選手」だ。
「えっ。マジで! 私、辻選手のサイン欲しいです!」
潮崎が、ミーハーな女子高生のように、辻の父が来ることに反応していた。
ともかく、俺としても、最近の辻の好調には、目を見張るものがあったから、彼女をクリーンナップに入れることには、反対はなかった。
だが、この時、俺は勘違いしていた。
辻にとって、父の存在は「応援してくれて、力になる」家族などではなかったのだ。
その答えは、翌日の試合ではっきりすることになる。
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