第59話 台風の目(後編)

 4回裏にようやく、加藤のシュートを捉え始め、羽生田の逆転3ランで、試合をひっくり返していた我々だったが。


 続く5回表。

「ボール、フォア!」

 下位打線の7番からの打順にも関わらず、その羽生田のピッチングが突如、乱れた。


 制球が定まらず、連続四球でノーアウト一・二塁。9番バッターを迎える。

 ここでようやくスプリットで、引っかけさせてサードゴロ。

 ゲッツコースだったが。


 最近、調子が悪い奴が捕球したことで、運命が分かれてしまう。清原だった。サードの彼女がボールを弾いてエラー。


 ノーアウト満塁となる。


 先頭バッターの1番。

 伊東は読んでいたらしく、ミットを外側に構え、スクイズ警戒をしていたが。あろうことか、サインを見逃していたのか、それとも制球が定まらないのか、羽生田の球が真ん中付近に行き、あっさりとスクイズを決められて、2-3。


 なおも1アウト二・三塁。

 しかも2番は、またも球をしっかり見てきて、四球を選び、1アウトで満塁。


 羽生田の球数は、すでに90球を越えていた。


 俺はすかさず、ベンチにいた田辺を伝令に向かわせる。

「大丈夫か? 無理そうなら替えるぞ」

 とのメッセージを授けて。


 ところが、戻ってきた田辺は、

「『もう少しだけ投げさせて下さい』だそうですよ」

 とだけ、羽生田の伝言を伝えてきた。


 悩みどころではあった。ここは監督としては恐らく「替える」べきだろう。

 だが、羽生田の言葉を信じて、投げさせてやりたい、という気持ちもあった。


 逡巡の末、俺は「もう少しだけ」見守ることを選択する。


 しかしながら、ここで迎えるバッターは、厄介な相手だ。3番の南渕。

 笘篠以上にカットが上手くて、とにかく「見てくる」奴だ。


 最悪、四球か2ベースか。

 俺は、この大会、初の極めて難しい対応を迫られることになった。


 ここで俺が送ったサインは、「敬遠」だった。


「監督。マジですか? みすみす相手に1点を与えるんですか?」

 あの、男性恐怖症で、俺に近づくこともできなかったマネージャーの鹿取が、俺に声をかけてくれていた。


 それだけ彼女も「慣れて」きたのだろうが。


 だが、俺としてはここでタイムリーを打たれ、2点や3点を献上するよりは、傷口が最低限の方がいいと判断した。


 4番を前に敬遠するのも問題ではあるのだが、俺は実質的にこのチームで一番怖いのはこの3番の南渕だと確信していた。


 期せずして3-3の同点に追いついた、志木宗岡のナインからは盛んに声が飛んでおり、三塁側スタンドも盛り上がっていた。


 4番の加藤を迎える。

 エースにして4番。まさに高校野球の理想を体現しているような選手ではあるが、小柄で力がないようにも見える。


 前の試合では逆転サヨナラホホームランを放っているし、本来ならこちらを敬遠するべき相手でもある。


 羽生田・伊東のバッテリーは、さすがに警戒しているのか、甘いコースには放ってこない。外を中心に、打たせて取るような投球コースで、低めを突いていた。


 5球目。

 鋭く振り抜いた打球がショートの石毛の元へ。


 石毛がキャッチし、セカンドの辻へ送りアウト。そこからファーストへ送るが。

 今度はファーストの吉竹がボールを弾き、その間に三塁ランナーが還って、逆転を許し、3-4となっていた。


 我がチームは、守備に関しては、やはりまだまだ穴があるのだった。


 なおも2アウトながら、一・三塁。


 さすがに俺は決断し、再びタイムを取り、工藤を呼んで、田辺を伝令に向かわせる。


 ピッチャー交代だ。羽生田には4失点で交代と言われていたが、実際にはエラーが絡む失点で4失点ではなかったが、潮時だと思ったからだ。ピッチャーは工藤。だが、俺は羽生田をまだ信じていたから、彼女をセンターの守備に着かせる。センターの佐々木は交代となる。


 5番センター羽生田になり、9番ピッチャー工藤と替わる。


 急きょ登板したはずの工藤は、さすがだった。

 このピンチの場面にも関わらず、全く動じていない様子が見て取れる。


 続く5番に対して、簡単に追い込んでからムービングファストで詰まらせてセカンドゴロでチェンジとなる。


 ベンチに戻ってきた羽生田がさすがに沈んだ表情を見せていた。

「ごめん、カントク」


 だが、俺は、

「お疲れさん。大丈夫だ。それにお前にはまだ打撃があるだろ。これから活躍すればいい」

 彼女にはそれだけをかけた。


「うん」

 それだけで十分だった。落ち込みながらも、ようやく元気を取り戻したように、彼女は前を向いて、応援の声を出し始めた。


 試合は逆転を許し、3-4のまま終盤に進む。

 工藤は、球威で押す彼女らしく、相手打線を力でねじ伏せるように、次々に速球で詰まらせていた。


 一方。

 8回裏。ようやく我が方にチャンスが回ってくる。


 9番の工藤が倒れた後、1アウトで1番の吉竹。

 彼女は無難ながらも確実に四球を選び、塁に出ると早速走った。


 初回に相手投手のクイックと、読みによって盗塁を阻止されていた彼女だったが、今度は完全に相手の隙を突いていた。


 2番の笘篠が2ボール、2ストライクと追い込まれた状態で走って、二塁を陥れる。


 その笘篠は、ようやく加藤のシュートを打ち返して、三遊間を破るヒットで出塁し、1アウト一・三塁で3番の辻を迎える。


 一打出れば逆転の絶好のチャンス。

 好調の辻に期待して3番に据えていたが。


 この時の彼女は、いつも通りだがよく見ていた。俺のアドバイスを忠実に実行し、見極めてから、相手の決め球のシュートを捉えて、センター返しを放ち、センター前ヒットで4-4と追いつく。


 続く4番は、初の4番スタメンの石毛。

 彼女には長打を期待していたのだが。


 難しいことに、4番に据えた途端に打たなくなった。

 追い込まれる前に、相手のスライダーを打っていたが、ショートゴロ。6-4-3のダブルプレーであえなく凡退となる。


 一方の工藤は、まるで自分がこのチームを率いるエースであるかのような、圧巻のピッチングを見せる。


 6回には2つの四球からノーアウト二・三塁のピンチを招くが、後続を三振とゲッツーに切って取り、ピンチを切り抜ける。


 7回は2番からの好打順にも関わらず、巧みに打たせて取るピッチングを披露。あの南渕にこそ粘られた末にヒットを打たれていたが、後続を抑える。


 8回は四球を出しながらも抑える。


 そして、9回表。

 同点のまま迎える最終回。


 志木宗岡は1番からの好打順だった。


 その1番と2番を、得意のストレートと、ストレートとあまり変わらないスピードで落ちる、得意のフォークボールで連続三振に取り、3番の南渕を迎える。


 さすがに彼女だけは、抑えることが難しく、再度粘られていた。

 3ボール2ストライクと、フルカウントに追い込みながら、5球続けてファール。

「ちっ」

 工藤が明らかに舌打ちしているのが見て取れた。

 わかりやすいくらいに、「苛立っていた」。


(あいつは、短気だからなあ)

 実にピッチャーらしい、我がままな性格で、同時に「短気」。こういうのもピッチャーにはありがちな性格なのだが、それがマイナス面に働かないことを期待するしかない。


 結局、10球以上も粘られた末に、インコース高めのムービングファスト気味のボールをセンター前に運ばれるヒットを打たれる。


 しかも4番の加藤にも同じく粘られた後、ライト線へと運ばれ、2アウトながらも二・三塁のピンチとなる。


 工藤にとっては、常にランナーを背負う苦しいピッチングが続く。


 三塁側の志木宗岡応援席が、一気に騒がしくなり、ブラスバンドの応援曲が、激しく鳴り響く。流れはまだどちらに転がるかわからなかった。


 俺は、三回目、つまり最後となる伝令を佐々木に託した。


 戻ってきた彼女に聞くと、

「『心配しなくても大丈夫っすよ。あと1アウトで終わりっす』だそうですよ」

 相変わらず、絶妙に上手い工藤の物真似をして、彼女は微笑んでいた。


 そして、その通りに後続をきっちりセカンドゴロで抑えてしまう工藤。一部、苛立っていた部分はあったが、1年生とは思えない、何とも底知れない投手だと思うのだった。


 このままだと延長戦に入ってしまうという、同点で迎えた9回裏。

 先頭バッターは、羽生田から。


 だが、運命の神様、というよりも「野球の神様」はここで、信じられないような展開を用意していたようだ。


 1球目は高めに外れるボール。

 2球目は加藤の得意のシュートが胸元に決まりストライク。

 3球目は逆の外を突くスライダーを見送ってボール。

 4球目は真っ直ぐが外側に入ってきた。


 羽生田がそれを逆らわずに、流し打ちをしていた。

 打球は、ライト線にぐんぐん伸びる。


 ライトとファールゾーンの境目くらいのフェアゾーンにギリギリ落ちた。

 俊足の羽生田はすでに一塁を蹴って、二塁に全力疾走していた。


 ようやくライトから返球が還ってくる。

 ところが。


 相手のライトの肩が、あまりよくないことを見抜いていたように、羽生田の足が止まらなかった。


 二塁ベースを蹴って、一気に三塁へ。

 さすがに相手ライトが慌てて、二塁をやめて三塁に投げる。


 途中でショートが中継して、三塁に投げるも。

 よほど慌てたのか、その送球が高くなっていた。


 三塁手がキャッチできず、ボールがファールゾーンに転がる。


「いけー! 羽生田先輩!」

「先輩! ダッシュ!」

 ベンチから、猛烈に後押しするような声が飛ぶ中、動きを見た羽生田が三塁を蹴った。


 ようやくボールに追いついた三塁手が、さすがに切羽詰まったような表情で、だが正確に本塁にボールを送った。


 滑り込む羽生田と、相手チームのキャッチャーが交錯して、砂煙が舞い上がる。

 タイミングとしては、非常に微妙に思えた。


 いくら送球が逸れたとはいえ、三塁付近から本塁は近い。

 固唾を飲んで見守る中。


「セーフ!」

 球審が大きく腕を左右に開いていた。


「よっしゃ!」

「勝った!」

「お姉ちゃん!」

 ベンチとスタンドが一体となるように、大きな津波のような大歓声が球場を覆い、もはや誰の声かもわからないまま、カオスと化していた。


 5-4。

 記録上は、ランニングホームランではなく、三塁打+エラーになるが、羽生田のまさかの本塁到達でのサヨナラ勝利になった。


 やはり高校野球は、「何が起こるかわからない」。

 奇しくも、志木宗岡が前の試合に記録したスコアと、同じ得点、同じ展開となった。


 こうして、4回戦は、まさかの幕引きとなって、試合は終了した。

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