第34話 野球が好きな理由(中編)
夏合宿の初日の夜。
面談は続く。
4人目。4番を打つ、清原裕香。ポジションはサード。
初心者ながら、その圧倒的打力に期待し、チームの主砲に配置した彼女。どんなに打てない日でも、彼女を4番から外したことはなかった。
身長175センチで筋肉質、チーム一の大柄な体躯を持つ彼女が、その体を揺らすように入ってきた。格好は白いトレーニングウェアの上下。
「そんなもん、強くなりてえからに決まってるじゃねえか」
清原の答えは明確で、迷いがない瞳が特徴的だった。
「強くなりたい? それなら、お前がやってる空手で十分だろ? 別に野球をやる理由にはならないと思うが」
俺の疑問はそこに集約されていたが。
「わかってねえな、監督」
清原の考えは、俺には少し意外なものだった。
「野球ってのは、要はピッチャーとバッターのガチンコ対決だろ? 特に相手ピッチャーの
ヤンキーあがりと言われており、フルコンタクト空手の経験者でもある彼女らしい回答だった。
だが、彼女の言うことにも一理ある、と思った。
9人で戦うチームスポーツである野球だが、ピッチャーとバッターの対決の部分に関して言えば、一対一の個人競技に似ている部分がある。
正確には、これにはキャッチャーの配球が加わるから、単純なサシの勝負にはならないが、どちらにしても心理的には、ピッチャー対バッターの勝負にはなる。
「けど、ストレートばかり来るわけじゃないだろ?」
「それもわかってる。最初は、変化球なんか投げてくる奴らは、みんなヘタレだと思ってたが、やってみるとすげえ技術を持つ変化球投手もいる。それを打ち返すって思うと、あれはあれで、おもしれえもんだぜ」
最初は、本当にストレートしか打てずに、変化球に空振りしまくって、三振の山を築いていた「ブンブン丸」の清原。
それを思うと、その一言は彼女の成長を実感させるものだったし、実際に彼女は変化球に対する技術を覚えつつあった。
成長すれば、立派なスラッガーになれる素質はある。
ただ一つ、やたらと沸点が低く、怒りっぽいところを除けば、だが。
「そうか。お前のホームランには何度も助けられた。これからも4番は任せたぞ」
その一言が、彼女には意外だったのか。
珍しく神妙な顔で、
「監督。あたしはあんたに感謝してるんだぜ」
と言ってきた。
「感謝?」
「ああ。あたしは、こんなだから、周りの連中は、みんな怖がってまともに話をしようともしねえ。だが、あんたは最初からあたしのことをきちんと見てくれた。そういう意味じゃ、野球やって良かったと思ってる」
意外だった。いつも何も考えてないようにも見えるし、頭の中まで筋肉かと思うくらいに単純なところがあると思っていた清原が、きちんとそんなことを考えていたとは。
清原は、上機嫌でミーティングルームを出て行った。
人間とはわからないものだ。何がきっかけで才能が開花するかわからない。
5人目。5番を打つ、石毛英梨。ポジションはショート。
元・剣道部にして、中学時代に全国大会で優勝したという実績を持つ。すでに剣道で非凡な才能を発揮している彼女の原動力が気になった。
「失礼します」
いつものように、礼儀正しく、静かな所作で入ってきて、椅子に座る彼女。その格好はスウェットのようなズボンに、上にはパーカーを着ていた。
その答えは、
「実は私、前から野球に興味があったのです」
だった。
「そうなのか? いつから?」
「小学生くらいの頃からですね。私は小さい頃からずっと剣道をやってきましたが、剣道はやはり個人競技ですからね。そんな時、テレビで見た野球が思っていたよりも面白く感じまして」
「へえ」
石毛の過去で言えば、「剣道の経験を野球に生かしたい」ということしか、俺はわかっていなかった。
実際、その経験を生かして、彼女は「間合い」を計りホームランを放っていた。
個人競技にはないチームプレーの魅力を、野球に感じるという部分は、吉竹と同じだったが、彼女の場合は、小さい頃から野球をよく見ていたという。
その証拠に、
「ですから、野球を本格的にやる前から、きちんとルールは知っていました」
と言っていた。
確かに、振り返ると、石毛にはそういう部分があった。
つまり、最初からショートの役割をきちんと理解していたし、内野の連携やダブルプレーも、すんなり理解しているように見えた。
もちろん、経験不足から来るエラーや、バッティングの拙さはあったが、「野球が昔から好きだった」という気持ちは恐らく本物だろう。
「やってみてどうだ?」
「面白いです!」
目を輝かせて、子供のように声を上げる彼女。
その熱い情熱のような気持ちを俺は感じ取ることができた。
「もちろん、難しい部分もありますけどね。でも、剣道で足腰は鍛えられていましたから。私には合っているかもしれません」
自らそう言って、笑顔を覗かせる石毛が、頼もしく見えた。
実際、野球では足腰を鍛えるのが有効と言われ、それ故に古くから走り込みが重要とも言われてきている。
特に下半身を強化することが、色々な意味で、野球をやる上でのプラス作用に働く。
「そうか。石毛は将来どうするんだ? このまま野球を続けるのか? それとも剣道を続けるのか?」
ある意味、彼女の内面の核心に迫る質問だったが。
石毛は、難しい顔で考え込んだ後、ややあってから口を開いた。
「わかりません。ただ、今は野球をやるのが面白いと感じています。学校がどうなるかわかりませんが、私はまだしばらくは野球を続けると思います」
その一言だけで、俺には十分だった。
その強い気持ちがあれば、きっと彼女は他校に行っても、野球を続けるだろう。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げて、折り目を正すように、彼女は退室していった。
6人目。6番を打つ、羽生田奈央。ポジションはセンター、ピッチャー。
数少ない野球経験者にして、俊足・強肩、そして攻守を誇る外野手。同時にその底抜けに明るいムードメーカーの性格が、チームには貴重だった。
彼女も石毛と同じようなスウェットに、パーカーというラフな格好だった。髪は珍しく、ポニーテールではなく、そのまま背中に伸ばしている。
「なになに、野球が好きな理由? そうだねー」
相変わらず、常にテンションが高くて、どんな時でも暗い顔をしない奴だった。
「私はねー、小学校低学年の時に、家族で見に行ったプロ野球の試合がきっかけかなぁ」
それはどんなことがあったのか、どんなことが彼女の内面に影響を及ぼしたのか、気になって俺が具体的に尋ねると、
「その時、初めて見たセンターの選手がね。めっちゃカッコよかったんだ」
と、目をキラキラと輝かせて、子供のように言い放ってきた。
「女子プロ野球選手か?」
「ううん。男だよ」
少し意外だった。その人に憧れたから、みたいな口ぶりだったから、てっきり同姓の女性かと思っていたが。
具体的に聞いてみると、その選手の名前は俺も知っていた。つい昨年、惜しまれながらも引退したプロ野球の外野手で、今から10年くらい前の全盛期に、ゴールデングラブ賞も取っている守備の名手だった。
「広い守備範囲、俊足、そして強肩。私の野球好きの原点は、あの選手だよ」
そう言って、笑顔を見せる羽生田。
恐らくそれが強い「憧れ」になって、彼女を野球の道へと進ませ、そして同じように外野手を目指し、今のような守備範囲の広さや俊足、強肩が養われたのだろう。
だが、一口に言って、それは簡単な道ではない。彼女は、恐らく相当努力して、今の技術を身につけたはずだ。
「お前は、いつから野球をやってるんだ?」
「小学生の頃からだよ」
「辻と同じくらいか?」
確か、辻もまた小学生の頃からやっていたと、前に聞いたことがあったこを思い出していた。
「そうだねー。でも、聞いて聞いて、カントク!」
相変わらず、賑やかというか、騒がしいというか、それでいて、勝手に話を変える奴だった。
仕方がないから続きを促すと、
「今でこそ、私と辻ちゃんは、仲がいいんだけど、最初はホント、いけ好かない奴だと思ったんだよー」
「そうなのか?」
往時を思い出すかのように、渋い表情で語る羽生田が印象的だった。
「うん。ほら、あの子、表情がほとんど変わらないじゃん。しかも出会った時から、人一倍、野球が上手かったんだよね」
「それで?」
「私が一生懸命、練習してやっと打てるようになったヒットを、あの子は表情一つ変えずに、あっさり打って、しかも喜びもしないし。守備も最初から上手かったんだー」
「なるほど。悔しかったのか?」
そう尋ねると、
「そりゃ、悔しいよー。私は毎日、苦労しながらもやっとヒットを1本打つのに、あの子は澄ました顔で、何でもないことのように、ヒットを何本も打っていたんだよ。才能の差を感じて、嫉妬しちゃったよ」
その答えは、野球経験者なら、誰もが一度は通る道だ、と俺は再認識する。
実際、野球とはチームプレーであり、同時に「個」と「個」の対決でもあり、チームメイトは仲間であると同時に、強力なライバルにもなる。
ウチのように、人数がギリギリのチームではまずないが、通常はレギュラーのポジションを争って、チームメイトがライバルになるし、その中で、嫌でも「才能の差」を感じてしまうものだ。
羽生田が、辻の才能の片鱗に気づき、ショックを受けて、激しく嫉妬していたというのも、俺には頷ける話だった。
実際、俺が高校時代にも、チームメイトにそういう奴はいた。
自分が一生懸命、努力してやっと得た技術を、何でもないことのようにこなす奴。
これはスポーツだけでなく、勉強でも共通して言えることだが、辻を見てわかるように、そういう奴は得てして、見えないところで人の二倍、三倍努力しているものだ。
それを羽生田にもわかって欲しくて、辻が努力していることを伝えると、
「わかってるって、カントク。今じゃ、私も辻ちゃんが人の何倍も努力してるの知ってるし。口数は少ないけど、あの子の野球に対する情熱は本物だよ」
その答えが返ってきて、俺は安心する。
小学生の頃から、野球を通して知り合い、ライバルでもあり、チームメイトでもあり、そして今では心を通じ合える友達でもあるのだろう。
そういう二人を、俺は少し羨ましいとすら思った。
俺には、高校時代にそういう仲間があまりいなかったからだ。
ピッチャーとして、マウンドを任されていた俺にとって、他は全てライバルで、「蹴落として」勝って、実力を示すしかなかった。
こうして、ようやく6人分の面談を終える。
残りは3人。そして、その3人の話が、また長かったのだ。
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