第33話 野球が好きな理由(前編)
8月の夏合宿の合宿所で迎える初日の夜。
辺りは真っ暗で、静寂に包まれていた。この辺りは、観光客用のホテルか、スキー場くらいしかない。
冬はスキーで有名な場所だが、避暑地としても快適で、関東のうだるような暑さから解放され、夜は涼しいくらいの気候だった。
都会の喧騒もネオンサインもない、静寂と清涼な空気の中、合宿所のミーティングルームのような部屋を面談に使って、一人一人呼んで、確かめてみることにした。
聞くテーマは、
「野球が好きな理由」
についてだ。
それを一人一人から、
たとえこの先、廃校になり、学校を移っても、その原動力があれば、きっと彼女たちは野球を続けることが出来るだろう。
順番は、わかりやすく打順にした。
つまり、夏の県予選の最後。準々決勝で負けた試合の時のスタメンオーダーからだ。
1人目。1番を打つ、吉竹愛衣。ポジションはファースト。
いつものように、縦ロールのロングヘアーを揺らしながら、お嬢様のように、優雅で上品なゆったりとした足取りで入ってきた。
中学までは陸上部だったらしいが、とても、俊足巧打の一番バッターには見えない。もちろん、野球の練習が終わって、シャワーを浴びた後だから、彼女を含めて、全員が私服だった。
一見、バスローブにも見える緩いガウンのような物を着ており、裾から覗く綺麗な足が魅惑的にも見えてしまう。
「そうですわね……」
いつもハキハキしていて、気が強そうな彼女にしては、言い淀んで、考え込んでいた。
「最初は全然興味なんてなかったですわ」
いきなり口を突いて出た言葉がそれだった。いきなりの否定から入られた。
「じゃあ、なんで続けてるんだ? 確か吉竹は最初に、『面白くなかったら、すぐに辞める』と言っていたな」
俺が春のことを思い出していると、
「よく覚えてますわね、監督さん」
彼女が一瞬、驚いたように目を見開いた。どうでもいいが、彼女だけは俺のことを「監督さん」と呼ぶ。そこはお嬢様らしい礼儀なのだろうか。
「まあ、悔しいですけど、やってみたら意外と面白かったんですわ」
「どういうところが?」
それは、野球経験者の俺には、ある意味で貴重な意見のサンプルになる、とも思った。
吉竹は、目を輝かせ、
「やはり盗塁ですね。相手ピッチャーの目を盗んで、二塁に向かって、全力疾走。あれが成功した時の快感は、他ではなかなか味わえませんわ」
と口を開いた。
「陸上でも、1位でゴールすれば注目を浴びれるんじゃないのか?」
「ええ、もちろん。ですが、陸上はやはりどこまで行っても個人競技ですからね。タイムリーヒットを打ってみんなに喜ばれる快感。負けそうだと思っていたのに、逆転して勝った時のみんなで味わう喜び。そういうのは、陸上では味わえませんわ」
吉竹は、最初は盗塁のことだけを話していたが、いつの間にか、野球のこと全般に話が及んでいた。
最初に会った時、彼女は、
「野球なんてくだらないスポーツ」
とまで言って否定していたのにである。
そんな吉竹からその言葉を聞き出せただけでも、俺は満足だった。それだけ野球のことを「好き」になってくれたということだろう。
だから、彼女にはこう言葉をかけた。
「吉竹の足には、いつも助けられている。ありがとう」
真っ直ぐに目を見て、そう言ってやると、
「と、突然なんですの、監督さん。恥ずかしいですわ」
彼女は、俯いて視線を逸らしてしまった。
縦ロールの髪の毛の先を手で、くるくるといじりながら、そう呟く彼女の姿が、何だかとても可愛らしく見えた。
2人目。2番を打つ、辻香菜。ポジションはセカンド。
他の部員は、私服にオシャレな服を持ってきている奴までいたのに、彼女だけは味気ない体育のジャージ姿だった。
無言で入って、俺の前のテーブルの向こうの椅子にゆっくりと座る。
「父の影響です」
彼女は短くそう言った。いつも、セリフが原稿用紙にしたら一行にも収まらない彼女。
「父? お父さんは何をしてる人なんだ?」
だが、次の言葉が俺を仰天させることになる。
「元・プロ野球選手で、今は大学で野球を教えています」
「えっ。お前の父親って?」
「辻
辻孝宏。どこかで聞いた名前だと思った。
俺は記憶を手繰り寄せる。すると、記憶の中で、とあるプロ野球選手が浮かんでいた。
「あっ。10年くらい前に、首位打者を取ったあのバッターか。マジで。何で教えてくれなかったんだ?」
ようやく思い出すと共に、そう尋ねると、
「聞かれませんでしたから」
相変わらず、言葉数が極端に少ない奴だった。同時に、無口で、不愛想で、掴みどころがないというか、何を考えているのか、わからない。
だが、それでも俺は、いやチームは彼女に助けられてきた。特にあの守備には助けられた。
それをこの場で、感謝と共に伝えると、
「父はいつも『自分に厳しくしろ。自分のためにやってる人が結果的にチームのためになる』と言っています」
それは、確か伝説の世界のホームラン王も残していた言葉だったと、俺は記憶していた。
いつも無口で、感情を表に出さない彼女の本音が少しだけわかった気がした。
同時に、この言葉が象徴するように、辻はいつも一生懸命で、部員の中では一番練習量が多く、どんな練習にも文句一つ言わずにこなしていることを思い出していた。
彼女は、父の言葉を忠実に守って、実行していたのだろう。
「いいお父さんじゃないか」
そう告げると、珍しく辻は、照れ臭そうに目を逸らしていた。
「辻は、将来どうしたいんだ? 野球は続けるのか?」
何気なく聞いてみた一言だったが。
「プロ野球選手になります」
一転して、強い瞳を向けて、力強く彼女は呟いた。
プロ野球選手になるのは、もちろん男でも女でも関係なく、とんでもなく高くて大きな壁であり、難しい目標だ。
だが、彼女は「なりたいです」ではなく「なります」という強い気持ちを表現していた。それは練習量が象徴しているように、彼女の本心であり、譲れない目標なのだろう。
実際に、彼女の守備には何度も助けられてきた。
「そうか。がんばれよ」
それだけを告げて、彼女とは面談を終えた。
音も立てずに静かに去って行く辻の背中を見て、
(この子は、しっかりと地に足をつけているな)
と思うのだった。
3人目。3番を打つ、笘篠天。ポジションはライト、たまにセンター。
中学までは、卓球をやっていらしいが、野球に関しては、高校から始めた初心者だ。
しかしながら、驚異的な努力と、
オシャレ好きな彼女は、こんな時でも丈の短いフリルスカートに、ブラウス姿だった。
「なーに、カントクちゃん。そんなに私のことを知りたいの? もしかして私に
いつものように、自意識過剰に見える態度で、軽口を叩きながら入ってきた彼女に、
「それはない」
と否定すると、頬を膨らませて、口を尖らせ、つまらなさそうにしていた。
そんな彼女の答えは、
「そんなの決まってんじゃん。目立ちたいからよ」
だった。
「前にも言ってたな。けど、目立ちたいなら、アイドルのオーディションでも受ければいいだろ? お前なら活躍できるんじゃないか?」
「もう受けたわ。落ちたけど」
「そうか。まあ、なんというか……」
「ああ、そういうのいらないから」
せっかくフォローしてやろうと思ったら、あっさり断られていた。こういうところは、何というかサバサバしている子だ。
「私みたいに、可愛くて、しかも野球まで出来る。そんな女の子、そうそういないでしょ。だから目立っていいのよ」
相変わらず、こいつは、自分で自分のことを臆面もなく「可愛い」と言う。
まあ、傍から見ても可愛いから、否定はできないが。
恐らく、自分でもわかっていて、それを「武器」にしているのだろう。
「あと、私を
ついでに、付け足すようにそう言っていた。
だが、俺は彼女が口だけの女ではなく、努力をしてきたことを知っている。
「でも、お前は誰よりも努力して、活躍してきた。ある意味、チームとしては一番助けられているよ」
そう告げると、
「当たり前じゃん。やるからには、全力でやらないと。それに私は『天才肌のAB型』だからね」
と、自らの血液型を明かしていた。
てっきり笘篠はB型だと思っていたが。
まあ、もっともこの手の「血液型占い」のようなものを俺は、信じていないし、好きではないのだが。
血液型占いが正しいなら、人間の性格は四つしかないことになってしまうし、そんなはずはないのだ。
だが、確かにAB型には天才肌が多い、と「一般的」には言われているのも確かだ。そして、日本人においては、最も割合の少ない血液型でもある。
「まあ、お前は相当『変わってる』からな」
呆れたように呟くと、
「褒め言葉だと受け取っておくね。話は、それだけでしょ。じゃあねー」
一方的に話を切り上げられて、彼女は出ていった。
もう少し話を聞いてみたかったが、とりあえずは目的は聞けたから、良しとする。
残り6人。
やってみたら、意外と大変だと思うのだった。面談は続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます