パーティー・ピンク・ポッパー🎉

いましめ

【前編】Party Pink Popper

Section1

01 コバルトブルーの鎖

 タイトルは『変身』。

 朝起きたらムカデになっていた男の話で、今のところ奇天烈な発想ではあるが、なぜ傑作と呼ばれているのか私にはわからない。

『変身』の主人公グレゴール・ザムザに与える不条理。最後はその不条理に打ち勝って人間に戻ってハッピーエンドになれば良いと読み進めていたが、残りあと三ページでハッピーエンドになるとは到底思えなかった。

 救いのない話は、今の私に相応しくない。


「スミレ、おなかすいた」

「うん。今作るね。何がいい?」

「肉、食べたい」

「待ってて」


 カラカラ、とプラスチックの鎖が擦れる音がする。

 たまきちゃんが好きなコバルトブルーの鎖は、環ちゃんの足から南京錠を経由し、剥き出しの水道管につながっている。

 窓は閉め切っているが、誰もいないこんな場所で叫んだところで誰も助けには来てくれないだろう。


 監禁三日目。環ちゃんは私の部屋で寛いでいる時のように大人しくなった。

 でも、不思議だ。抵抗こそしたけれど、環ちゃんはどうしてこんなことをするのか私に一度も聞かなかった。

 私がなぜこんな行動をするのかわかっているのだろうか。

 それとも、一回目の監禁で、問うたところで欲しい回答はもらえないと諦めてしまったのだろうか。


 アイランドブルーの美しい八丈島。夏休み真っ只中。

 海にも行かず、星も見ず、私たちはもう丸三日もこのエアコンの空調の中で生きている。

 お風呂はまだ入れていないけど、食事も与えて、ふかふかな寝床も与えて、涼しい空調もあって、これじゃあ、ストックホルム症候群——誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象のことを指す——を発症させることなどできない。

 ただただ不快で、私の不可解な行動に底知れぬ恐怖は感じでいるだろうけど、命の危険があるだとか、痛めつけられるだとか、そういう即物的な恐怖は感じていないのだろう。この部屋に緊張感などほとんどなかった。

 これじゃあ、監禁じゃなくて「軟禁」だ。


 だったらもう少し、危機感を持ってもらわないといけないかもしれない。


「ねえ、環ちゃん。……私は本気だよ。遊びで、こんなことやってるんじゃない」

「遊びだよ、こんなの。鎖だっておもちゃじゃん」

「でも、そう簡単には千切れないよ。今はご飯を出してるけど、私の気まぐれでいつ食事が出なくなるかわからない。鎖をもっと短くにして、身動きできなくなるようにするかもしれないよ。そうしたら、水ものめず、トイレにも行けず、蒸し暑いこの密室の中で死んじゃうかもしれないよ」

「スミレはそんなことしない」

「ここが自分の別荘だからって安心してるの? 私はもう後先のことなんてどうでもいいかもしれない。そしたら、私の気まぐれで環ちゃんを殺してしまうかもしれないのに」


 私と環ちゃんはしばし見つめ合う。

 環ちゃんは嘆息すると、馬鹿なこと言ってないで、早くご飯。と、歯牙にも掛けない。


「環ちゃん!!」

「うるさい」


 私は完全にナメられている。

 こんなんじゃ、ストックホルム症候群を発症させるなんて無理だ。

 私と環ちゃんは、まだ「被害者」と「犯人」の関係にすらなれていないのだから。


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