レイガイ
@KBunBun
レイガイ
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「例外」とは得てして都合のよいものだ。
まず誰もがその使用権を有している。子どもから大人、ゆりかごから墓場までその言葉は使う者とタイミングを選ばない。
使用する際のリスクや罪悪感も少なさも、その使い勝手に拍車をかけているだろう。
そしてそれは自らの論が破綻する際の緊急措置としても、相手を反駁する時のフックとしても使える。
急造できる論理の逃げ道と僕は彼を評価する。
彼はなまじ使い勝手が良いばかりに、「社会」や「人生」などといった大層なものにも平気で付与される。
そして同時に「例外」とは大概の場合理不尽だ。
痣が出てなお二十歳を越え生き続けた者や、呪力を持たない代わりに超人的身体能力を得た者など、尋常では想像もつかないものを指す言葉として採用されることがある。
これらを踏まえて「例外的な人生」という言葉を考えると、それは「理不尽(・・・)な人生」なのだと思う。
尋常じゃない、正気(・・)で(・)は(・)考え(・・)も(・)つかない(・・・・)人生。
おそらくそれは、予想不可能な死という形で一番現れるはずだ。
だってそうだろう。道を歩いていたら急にリンゴが落ちてきて死ぬ人生なんてものがあったら、それは極めて理不尽だと思う。
だから僕にとって「理不尽な人生」とは、「死が傍立つ人生」なんだ。
そして僕は、そんな「理不尽」を経験した。
僕が今から語るのは、僕が経験した「人生における例外」、「狂気(・・)で(・)構築(・・)された(・・・)世界(・・)」の話である。
1
なにかに呼ばれた気がして、目を覚ますとそこは密室だった。白い壁に、白い天井。今思えばなぜ密室と思ったのかは分からない。ただ何となく「逃げられない」という実感が頭にあったからかもしれない。
逃げ場がないということは出口がないということだから、僕の直感はあながち間違って無かったと思う。
そして同時に出所の分からない恐怖を抱いた。自分の輪郭が身体から離れて、宙に漂う感じ。夢で自分を俯瞰しているときと似た感覚がする。
意識が定まらず目の焦点がぼやけ、現実を直視できない。僕がそのことにむしろ安堵感を覚えたときに、右の肩を叩かれた。
「ひっ」
肩の神経が脳に余計な情報を与える。ここが現実だと、僅かな痛覚をもって諭すように僕に実感をもたらす。
僕を正気に引き戻した人物を一瞥しようと右を向くと、そこには女性がいた。
それも美しい、女性。
セミロングの黒髪に、細い筆で丁寧に描かれたような鼻と口。端正に切りそろえられた前髪の一片には、紫のメッシュが入っている。白シャツの上にジャケットを羽織り、下には黒いスラックス。
そして僕の顔を覗き込むどこか不安げな瞳に、僕は覚えがあった。
「ゆりかさん……?」
「伊与田くん」彼女は目を細めて言う。「意識が朦朧としていたとはいえ、いきなり知人の女性を下の名前で呼ぶのはいただけないわね」
「ご、ごめんなさい」
慌てて謝罪する。彼女に焦りを悟られないよう、そのまま冷静に質問する。「神取さん。ここ、何処かわかりますか?」
ゆりかさんはかぶりを振る。
「私もさっき起きたばかりなの。辺りを見回したらあなたの姿を見かけて、それで声をかけたのよ」
満足のいく答えではなかったが、十分な結果を得た。ミスをごまかすために投げた問いだ、それがうやむやにさえなれば回答(へんじ)はなんでもいい。端から解答(こたえ)なんて期待してない。
とりあえず苦い表情を繕う僕に対して、彼女は
「逆に聞くけど」
「あなたはどう思う?」
と、明確に答えを求めてきた。
「僕は……」
言葉に詰まった。アイデアが無いとか、心当たりが一切ないからではない。むしろ候補はいくつも頭をよぎった。ただそれでもすぐさま返事をできなかったのは、ここの返事によって、今後(・・)の(・)命運(・・)が(・)変わって(・・・・)きそうな気がしたからだ。
下手なことは言えない。もし軽率なことを口にすれば、それが現実としてやってくる気がする。僕はそう逡巡して
「い、異世界とか」
と答えた。
しまった、結局迂闊なことを口走っている。最悪なのは、ゆりかさんの期待に対してもそぐわない解答をしてしまったことだ。せめてどちら(・・・)か(・)だけ(・・)でも達成するべきだった。使われてない軍事施設だとか、ゆりかさんが無意識に僕を求めるあまり見てしまった一夜の夢だとか……。
いや、後者はもっと最悪だな。さっき細めた目が線になりかねない。こんな事を考えながらゆりかさんの顔を窺うと、彼女は何か真剣に考えこんでいるようだった。
「……伊与田くん、それはある(・・)わ」
意外な発言だった。
「え?」
「あなた、ここに来る前のことを覚えている?」
「いや、それが曖昧で……」
正直に答える。僕はここに来る前後の記憶がはっきりしていない。
「そう。私は覚えているわ。確か深夜だったはず、依頼に関しての調査とその整理を終えて、床に着く直前だった」
寝る直前だったのか。ならさっきの僕の説は案外合っているかもしれないな。
「だとすると、絶対におかしい」
「え、何がですか?」
「あのね……あなたも私の助手だと言うのなら、少しは頭を働かせなさい。さっきまでの話と、今の私の状況で矛盾しているところがあるでしょ?」
矛盾? ゆりかさんはいつも通りだ。特注の手袋を含めて、服装も普段と何ら変わらない……。
あれ? 普段(・・)の(・)服装(・・)?
「ようやくわかったみたいね。そう、ここに来る前私は寝る直前だった。なのに今着ているのは普段私がしている格好そのもの。これはどう考えてもおかしい。私が記憶喪失でない限り、私は着替え(・・・)を(・)せず(・・)に(・)服装(・・)が変わって(・・・・)いる(・・)ことになる」
確かにそれはそうだ。僕は寝間着に着替えずに寝てしまうことが多いから、自分の格好に疑問を持たなかった。
しかし言われてみれば僕の衣服も、皺が少ないように思える。彼女のように寝た時点でここに来ていたのなら、服はもっとヨレヨレになっているはずだ。
ここまで考えて、僕はようやくゆりかさんの言いたいことが分かった。
「神取さん、つまりここは……」
彼女は僕の発言を受け取るかのように息を吸い、それが彼女の中では確信であるかのように言った。
「そう、現実ではない可能性がある」
2
ゆりかさんとの会話の後、僕らは部屋にドアを発見した。会話に夢中になって気付かなかったのだろうか。それとも最初からここにはなかったのか。
扉を開けると中には先ほどまでいた部屋と風変りしない風景が広がっていた。白い壁に、白い天井。先ほどの部屋と特に異なる様子はない。
違う点があったとすれば、中に人影があったことだ。
「……まだ人がいたんだ」
そう口にするのは小柄な女の子……だろうか。パーカーを被っており、顔を覗き見ることはできない。声は低めだが、虚勢を張っているように感じた。
「そういえばそっちの壁(・)は調べてなかったねぇ」
暢気な声を発したのはゆるふわという言葉の似合う雰囲気の女性だ。うん、可愛い。しかし壁とは妙な言い回しだ。普通ならば扉ではなかろうか。
「こんな気味悪ぃとこでなんか調べたところで藪蛇だろーが、こんな風にてめぇさんから出てきてくれんのを待ったほうが安牌だぜ」
少し口調が粗々しい男性。髪を白く染めており、唇にピアスをしている。その風貌は浮世離れしていて、日本のどこを探したら彼みたいな人が生息しているのだろうかと思った。
「でもこれで最後だよな? 扉が出てない壁はもう無いし……。つかこれからどうすりゃいいんだ?」
ん。なんとなく掴めてきたぞ。どうやら誰かが外に出ることによって扉が出現するようだ。ますます非現実じみてきて気味が悪い。ともかくこの男性については特に語るところは無いな。見た感じチャラそうだが、ポケットに入れた手を頑なに外に出さない姿勢は評価したい。
「んーと」ゆるふわ系の女性が提案する。
「とりあえずもう一度自己紹介をしませんか?」
こちらとしてもありがたいので乗っかることにする。
「僕からもお願いします。まだ来たばかりで状況が飲み込めてないので、よければその辺も教えていただけると助かります。どうやら皆さん調べ物をしていたみたいなので」
僕ができる限りの真摯な姿勢を見せてお願いする。第一印象は大事だ。たとえそのメッキがすぐ剥がれるとしてもね。
「状況って言っても俺らもよく分かってねーよ。気が付いたらここにいて、扉を開けたらこの広間に出たんだよ。だから大体あんたたちと一緒だな。」
チャラ男くんが答えてくれる。案外いい人なのかもしれない。
「龍山さん、お名前を」ゆるふわさんが促す。
「ああ、そうだった。俺は龍山 孝幸、二十三歳。実家の肉屋の手伝いをしてる」
龍山さん(年上だったのか)がそう答え、右のパーカー少女に視線を向ける。
パーカー少女はふぅと軽く息を吐くと、そっけなく言った。
「あたしは織野 実里。経緯は大体そこの男と同じ。気が付いたらここにいて、それだけ。……歳は言う必要ある?」
ううむ、協調性に難があるな。しかし彼女も推定だが被害者だ。無視してないだけマシと考えよう。
「次、あんたでしょ」
実里ちゃんが白髪の少年に呼びかける。少年と言ったのは学生服を着ているからだ。しかしそれも大幅に改造が施されており、原形は大凡とどめてない。
「俺はゴウ。目が覚めたらコイツと一緒の部屋にいた。そっからはちょっとばかし調べ物に付き合わされたが……、まあその辺はコイツに聞いてくれ」
コイツとはゆるふわさんのことだろう。しかし意外だな。彼のような見た目の男性が女性の言うことを素直に聞いたのか。案外尻に轢かれるタイプか?
そして最後にゆるふわさんの番だ。この可憐な見た目からいったいどんなプロフィールが明らかになるのか、実に興味深い。」
「私は梁井 香那実です。歳は二十二歳で、探偵をやっております」
だが、公開されたのは予想だにしない単語だった。
「探偵……?」
僕より先にゆりかさんが疑問を口にする。流石のゆりかさんと言えど、同業者を前に少し動揺したのだろうか。その一言は明らかに口から漏れ出ていたものだった。
「はい、そうなんです。実家が代々探偵一家でして……。本来は隠すべきことなんですけど、こんな状況ですから」
香那実さんが困ったように笑う。彼女が言う「こんな状況」とは間違いなくこの「異常な状況」だろう。
見知らぬ男女が、見知らぬ空間に居合わせている。
彼女はこの状況において「探偵」という役職を提示することが有効だと思ったのだ。
それは信頼を得るためか、発言力を得るためか。あるいはその両方か。少なくとも食えない人物であるのは確かのようだ。
人は見かけによらないな、と思いながら一応の問いを言う。
「起きてからは何を調べていたんですか?」
梁井さんは顎に人差し指を当て右上を向く。かわいらしいしぐさだが、梁井さんがすると余計にかわいい」。
「何というか何でも、ですね。部屋の壁の材質とか天井の高さ、辺の長さも含めて、何でも」
「何か分かりましたか?」
天井の高さや辺の長さなど調べて何がわかるのだろうか。実は幾何学的に意味が隠されていたりするのだろうか。
「うーん……とりあえず一つ」
彼女は顎に当てていた指を顔の前に出す。そして、自信ありげに答えた。
「ここが紛れもない現実であることです」
後ろでゆりかさんの目が開くのが気配で分かった。先ほどの彼女の意見に真っ向から対立する結論を前に黙っていられなかったのだろう。あるいは同じ探偵という立場からくる対抗心かもしれない。
「どうしてそう思うの?」
ゆりかさんは落ち着いた声で言った。
そう言われた梁井さんは顔をドヤらせて、自信満々に
「私は夢を見たことが無いからです」
と言った。
予想外の答えに思わず目を丸くする。彼女の後ろで三人が一斉にため息を吐くのが分かった。彼女はそんな僕らにかまわず持論を並べていく。
「私は夢を見ない体質なんです。生まれて一度も見たことありません。そして、夢でないのなら現実です。私たちが意識できるのは夢か現実のみなので。どんなにありえないことが起きていても私がこうして起きている時点で現実なんですよ」
……話にならないといった風にゆりかさんは肩をすくめる。しかし当の梁井さんは胸を張っており、とても否定できる雰囲気ではなかった。
しかし僕は違った。梁井さんの言う通りここが現実なら、それは極めて(・・・)最悪(・・)なの(・・)では(・・)ない(・・)だろう(・・・)か(・)と思った。ゆりかさんと梁井さんの主張は、けして矛盾するものではない。非現実的なことが起きているのは確かであり、その舞台(・・)が(・)現実(・・)だというだけのことだ。
僕は逃げ道を塞がれたような気持ちになった。
「では、お二方の自己紹介をお願いします」
梁井さんが僕らに微笑みかける。いけない、ありもしないプロフィールを修飾してしまいそうになる。
僕が身長と学歴をどこまで詐称しようか悩んでいると、先にゆりかさんが答えた。
「私は神取 ゆりか」
皆が彼女を見る。正しくは、その続きを待っている。しかし彼女はそれ以上何も発することは無かった。
「え、それだけ?」
実里ちゃんが高い声でおもわずツッコむ。本人もつい口から出てしまったようで、恥ずかしそうにフードのジッパーを口まで上げた。
「名前以外になにか必要? 私としてはむしろ個人情報をペラペラ語るほうが不思議だわ」
彼女はそんなツッコみに対しても動じることは無かった。しかしどこか棘のある言い回しである。やはり梁井さんに対抗心を燃やしているのだろうか。
ゆりかさんが僕を見る。あ、まだ何を言うか考えてないぞ。
「僕は伊与田 明です。ええと、歳は二十一歳で大学生です」
つい嘘を吐いてしまった。個人情報をペラペラ喋ってしまったが、嘘ならいいだろう。
「神取さんと伊与田さんですね。ところで、二人はお知合いですか?」
「そう見える?」
ゆりかさんが苦笑しながら答える。……そう見えないですかね、僕たちは。
「なんとなくそう思っただけです。お気に障ったのなら謝ります」
梁井さんがフォローする。僕のことを全く鑑みてくれていないが。
僕がただアハハと愛想笑いしかできずにいると、突如部屋にけたたましいベルの音が鳴った。
「な、何!?」
ベルはジリリリリとやかましくなり続け、十秒ほど経ったところで急に止んだ。
「何だっつうんだよ……」
ゴウと名乗る少年が悪態をつく。全く同意なので、僕も苦い顔をしておいた。
すると今度は、先ほどのベルとは打って変わって落ち着いた声が聞こえてきた。
「ようこそお集まりいただきました。只今よりゲームの説明を開始しますので、モニターにご注目ください」
皆が一様に顔をぎょっとさせる。それは声が聞こえてきたことに関してではなく、モニターが突如空間に出現したことにだ。
モニターは僕らを気にせずといったまま、映像を映す。ゆったりとした笛のBGMとともに、これまたゆったりとした声がする。その声はどこか人間的でなく、不安を煽るような、鼓膜が爪で撫でられるような感覚がした。
「むかしむかし、あるところに一つの集落がありました……」
音声が言葉を紡ぐ。それは酷く不愉快であるのに、聞き流すことができない。
「その集落は、ひどく凶作に苦しんでおりました」
「わけもわからずに枯れはてていく作物に、人々は困り果てていました」
凶作か。冷夏や日照不足など原因は様々だが、そう(・・)いう(・・)こと(・・)ではないのだろう。
「しかしある年をさかいに、作物がすくすくと実るようになりました」
「とつぜん訪れた豊作に、人々は沸き立ちました」
「人々はこれを『禮凱(れいがい)』と称し、豊穣を祝い祭を開きました」
たしか禮は感謝を表し、凱は喜びを意味する漢字のはずだ。そう考えると『禮凱』とはまさに例外的(・・・)な出来事に相応しい名と言えるかもしれない。
「祭は毎年開かれました。そしていつしか『禮凱』は、祭の名前ではなく信仰(・・)の(・)対象(・・)の(・)名(・)へと変わっていきました」
「祭」とはそもそも「祀り(まつり)」、感謝や祈りを捧げる行為だ。
祝いの行事が祈願の儀式に転ずることは、何ら不思議ではないだろうな。
「時は流れ、凶作を経験したものは集落からいなくなりました」
「しかし、人びとが凶作の苦しみを忘れるにつれ、『禮凱さま』も信仰を失っていったのです」
「異変が起きたのはそれからでした」
BGMが不穏な転調を遂げる。
「その集落ではひとがひとり、死んでいきました」
「正確にはよるにひとり、ひとが死体となって発見されるのです」
「人々はたたりやどくだとさわぎましたが、それはすぐにおさまりました」
「なぜなら、殺されたひとびとはみなむごたらしいすがたではっけんされたからです」
「あるものはからだをひらたくつぶされ、あるものはぜんしんをなますぎりにされ、あるものはにくのやまとなりはてていました」
「人々はひととは思えぬ、しかしひと以外にあり得ない所業におびえ、家にたてこもるようになりました」
「しかし、それでも日に日にひとはしんでいきます」
「どんなにとじまりをしてもひとをころすそれを、人々はかつて信奉した神の名に習い『霊害(れいがい)』と呼びました」
霊による殺害、略して霊害か。
「ある日、集落でころしあいがおこりました」
「人々が互いに互いを『霊害』の元凶だとののしりあい、うたがいをふかめていきました」
「しかし、その正体が明らかになることはありませんでした。」
「なぜなら、『霊害』は自分がそうだという認識がなかったのです」
「『霊害』は夜に覚醒します。しかし、昼の間にはすべて忘れているのです」
「集落はやがてほろびました」
「最後に残った人物は、ようやく自分が『霊害』だと自覚します」
「そしてかれは身を投げました。しかしそれでも『霊害』の話は途絶えませんでした」
「なぜなら、本当の『霊害』はすでに集落をあとにしていたのです」
「今では『霊害』は『レイガイ』と呼ばれ、毎夜ごとにひとをころしています」
「『レイガイ』が己の罪を自覚することはありません。あるとすれば、誰かがかれのつみを説得できたときでしょう……」
ぷつりとモニターの映像が途切れる。音が消え失せ、静寂が部屋を包む。僕にはあまりに邪推すべき部分が多すぎて、何から口にすべきか分からなくなった。
「なんだったんだ……?」
龍山さんが純粋な疑問を口にしてくれる。
「むかし話……ですよね?」
梁井さんが確認をとる。僕は知らない話だったが、「むかしむかし」から始まるケータイ小説などは聞いたことがないので、たぶんと頷いておいた。
「問題はそこじゃねーだろ」
ゴウがチッと舌を打つ。同時に心底うんざりとした表情を浮かべる。
「重要なのはなんでこんな話を今聞かされなきゃなんねーのか、だろうが」
僕らは再び静まり返る。まるでその先を言ってはいけないかのように、自らの思考を喉元で押し止める。
長い沈黙は続いた。誰もが口を開けずにいる。自分だけがこの剣呑な考えを有しているのかもしれないという楽観的思考はとうに消え失せていたが、それでもそれを最初に口にするのはためらわれた。
「おそらく」
均衡を破ったのはゆりかさんだった。
「これと同じことを私たちがさせられるから」
その言葉は、重く、とても重く僕たちに響いた。
3
「で、でも」
実里ちゃんが反論する。ゆりかさんは視線だけを彼女に向ける。
「まだそうと決まったわけじゃ……」
「ええ。だから『おそらく』、と言ったわ。でも現状一番可能性が高いのは確かよ。与えられた情報がこれしかない以上、私達はそれに則って行動するしかない」
少し理解を見せ、きっぱりと跳ねのける。ゆりかさんのいつものやり口だ。しかしゆりかさんだって別に嫌がらせをしたいわけではない。このような場において唯の気休めが何の意味も持たないことを彼女は人一倍理解しているのだ。
だがこの空気をどうしたものだろうか。僕としては先ほどの悪趣味極まる童話の解釈を皆と共有したかったのだが、とても言い出せる雰囲気ではない。
悪戯に時間だけが過ぎる。そんな中僕がようやくパーカー女児から嫌われる決心を済ませたところで
「あの~」
「情報、新しく出てるみたいですよ」
梁井さんが場に変化をもたらした。
実里ちゃんが伏せた目を上げるが
「でも」
「ご期待には添えないかもです」
彼女はそう前置きした。
「これですね」
梁井さんが差し出したのはタブレット端末で、そこにはいくつか箇条書きされた文が並んでいた。
「レイガイゲーム」における令
・今回の「レイガイゲーム」の参加者、もといプレイヤーは5人である
・ヘルプとして探偵を1人用意している。これは「探偵」という役職を与えられたという意味ではないため注意されたし
・レイガイは参加者から無作為に1人選ばれる。これは探偵も例外ではない
・レイガイは1晩に1回人を殺さなければならない。殺人を行わなかったレイガイは処刑され、新しいレイガイが選ばれる。
・参加者は死体の発見後、犯行を行った例外を推理し投票を行う。
・最多票を獲得した参加者は処刑される。
・レイガイとなったプレイヤーは自分以外のプレイヤーが投票で最多票を集めれば勝利。その際レイガイ以外の参加者は全て処刑され、例外はゲームから解放される。
・例外ではないプレイヤーは殺人を犯したレイガイを投票で処刑できれば勝利。その際、その時点での志望者と投票されたレイガイ以外の全てのプレイヤーがゲームから解放される。
・午前12時から午後8時までを「晩」とする。参加者は午前12時までに自分の名前が書かれた個室に入り、扉を施錠しなければならない。そうしない場合は即座に処刑される。これは例外も該当する。
・「晩」の個室室の外に出られるのはレイガイだけである。レイガイはロックされた飛田を自由に開閉できる。
・レイガイによる殺害以外の暴力行為を禁じる。
そして乱雑に書かれた赤い文字
ヒント:今回の「レイガイ」は「一人多い」
「なんだよこれ……」
「どうやらルール説明のようですね」
実際に「ルール説明」と明言されているわけではないが、「レイガイゲーム」という記載と、それにおける「令」……。規則を表す漢字が当てられていることからもこれがそのような役割を持っていることは推察できた。
「ゲームって……マジで殺し合いさせられんのかよ!」
龍山さんが怒りを露にする。いや、これは困惑か。
「はっ」
「お前、これがコロシアイ(・・・・・)のルールに見えんのか?」
ゴウが嘲笑するように言う。薄々と思っちゃいたが、彼は存外鋭いな。
「あ? どういうことだよ」
龍山さんがあからさまに機嫌を損ねる。
ここでゴウが煽ったら話が進まないので僕が答えた。
「はい、僕らがさせられるのは……もっと一方的なゲームだ」
解説に用いるべき最適な例を思い浮かべる。万人に合点がいくような説明を為すのは助手として必須のスキルだ、問題は無い。
「皆さん、『人狼ゲーム』って知ってますか?」
「名前ぐらいは知ってるけどよ……。それがこのゲームとなんか関係があんのか?」
「直接はないでしょうが、設定とルールが大幅に似通っています」
ここで僕は『人狼ゲーム』の簡単な解説を行う。話すのはあくまで人間と人に扮した狼が闘うことと、ルールだけに留めておいた。
「ただ、こちらのほうが人間側(・・・)が(・)圧倒的(・・・)に(・)不利(・・)だ」
龍山さんが眉をひそめる。聞いていて愉快な話ではないので無理もない。
「『人狼ゲーム』には、人間側が狼を特定しやすいように能力を持ったプレイヤーが存在します」
参加者の正体を暴く「占い師」、死人の声を聴く「霊媒師」、「狩人」などの簡単な説明を挟む。
「ですが、この『レイガイゲーム』とやらにはそれがない。ただ一つ用意されているのは『探偵』という存在だけで、これも『レイガイ』になる可能性があるときた」
このゲームの陰湿な点はここだ。「人狼ゲーム」で役職が持つ最も重要な意味は「その人物がクロではないこと」である。役職を公開することは、人間の味方だと訴えるようなもの。
だが、「レイガイゲーム」では違う。
役職の公開は、大した意味を持ちえない。
「しかも、運良く探偵が『レイガイ』に選ばれなかったとしても……」
ここから先は口にしづらい。だから言葉にはせず、ある人物に視線を向ける。
彼女は、そんな僕の意図を汲んでくれたようだ。
「私には犯人を特定することは難しいでしょうね」
梁井さんが平然とした顔で言い切る。あまりの正直さに周囲から物言いが入る。
「なぜと言われても、私以外でも無理だと思いますよ?」
しかし彼女は、これまたハッキリと返答した。
「だろーな。ルールによりゃあ犯行時間になりうる『晩』は犯人以外外出できねえから、目撃証言はまずねえ。だからアリバイも意味がねえ。凶器が何になるのかは知らんが、ここでは指紋も調べられねえし、ルミノールや、硝煙だって無理だろーよ」
ゴウから梁井さんへの助太刀。彼の場合考えを正直に述べているだけかもしれないが、それにしても彼の口からルミノールや硝煙といった言葉を聞くとは思わなかった。
「じゃあどうすんだよ……」
龍山さんがうなだれるが、それも仕方のないことだ。正直僕だってどうすべきか分からないのだ。
そうして時計の針の音だけが僕らの間に響く。何か策を講じようとして、その「やらなきゃ」という意識だけに思考の容量を奪われてしまう。
―――こういう時、僕を正気に戻してくれるのはいつも彼女だ。
「自白、しかないでしょうね」
冷たい一言。それには有無を言わせず絶対に正しいと説き伏せるような鋭さがあった。
「自白って……」
「人を殺したやつが、わざわざ名乗り出るの?」
実里ちゃんが呟く。指摘というよりは疑問のようだった。それとも懸念と言うべきか。
下を向く実里ちゃんだったが、龍山さんは反対にぱっと顔を挙げた。
「そうだ! 今『レイガイ』に名乗り出て貰えばいいんじゃねーか? そいつには悪いけど、そいつはまだ人を殺してねえし、誰かを殺して死ぬよりかはよっぽど―――」
「残念だけど」
「それは無理ですね」
彼の指摘は無情に二人の探偵によって撃ち落される。
「ルールを良く見て。『殺人(・・)を(・)犯した(・・・)レイガイ(・・・・)を投票で処刑できれば勝利』とあるでしょう。これを見る限り、手を汚してないレイガイを処刑したところでなんの意味もない」
「それに、先程のむかし話では『レイガイ』には自覚がなく、夜に覚醒すると言ってました。もしかしてここにいる人のなかで、自分が『レイガイ』だと認識している方はいらっしゃらないのではないですか?」
皆が顔を見合わせるが、もちろん手を挙げる人物はいない。
「じゃあマジで殺すしかねえのか……」
「残念ながら。それで私も自白していただくのが一番だと思うのですが……」梁井さんが困ったように笑う。
「たぶん、その方も自分(・・)が(・)人(・)を(・)殺した(・・・)って(・・)自覚(・・)が(・)ない(・・)んですよねぇ」
「どういうこと?」
実里ちゃんがピクっと反応する。フードに付いた猫耳が揺れて本物のようだ。
「さっきと同じですよ。むかし話であったように、『レイガイ』は自分がそうだという自覚がない。これをそのまま受け取ると、朝起きたときには自分がしたことをすっかり忘れてしまうんじゃないかと思います」
「じゃあ」
フード少女の顔が絶望に変わり、また焦燥、苛立ちへと変化する。
「じゃあどうやって犯人見つけるのよ!」
「うーん、どうしますかねぇ」
「どうしますかねって……!」
今にも実里ちゃんが飛び掛かりそうな勢いだったので、僕が仲裁する。
「まあまあ。落ち着いてください織野さん。犯人を特定する方法を探すのも大事ですが、折角ヒントが与えられているんです。それをまずは考えてみませんか?」
「…ヒントって、この『今回の「レイガイ」は「一人多い」』ってやつ?」
「はい、今しがたこれについて考えてみました」
「ちょっと待てよ。これって『レイガイ』が二人ってことか⁉」
龍山さんが意表を突かれたかのように顔を変える。
……今気づいたのか。
「まだわかりませんが、その可能性はありますね。ですが他の捉え方もできると思います」急拵えの論を展開する。
「まず、龍山さんがおっしゃった『レイガイ』が二人いるパターンです。これは単純で『レイガイ』、つまり犯人が『一人多い』」
「次は単純に『レイガイゲーム』の参加者(・・・)が(・)一人(・・)多い(・・)パターン。『人狼ゲーム』が度々『人狼』と称されるように、『レイガイゲーム』は『レイガイ』と呼ぶことができる。そうした場合『今回のゲームでは人数が一人多い』と捉えることができるはずです」
「まあ、ここには六人いるしな……」
「そしてこ(・)の(・)ゲーム(・・・)に(・)おける(・・・)人数(・・)が(・)全て(・・)一人(・・)多い(・・)パターン。これは『一人多い』がさも意味ありげに鉤括弧で囲ってあることからの邪推ですが…個人的にはこれが一番可能性が高いように思える」
「どういうことだ?」
「ルールに書いてある人数が一人ずつ増えるんです。まず参加者が六人になり、探偵が二人、レイガイも二人になるってことです」
「おいまて、それじゃあ『レイガイ』に殺される人も増えんじゃねえのか? 二人の『レイガイ』に二人殺されんなら……二日で終りじゃねえか!」
「いいえ、それは心配しないでいいと思います。ルールでは『一晩に一回』とあるので、人数ではありません」
「そうか……。じゃあ、その三つか? お前はどれだと思う?」
自分で考えろよ、と言いたいが一席ぶってしまった後だ。全て言い切るか。
「ううん…もう一つあるんですよね。パターン」
ここで僕は最も自信のある推理を述べた。
「これは説明が難しいですが……。『レイガイ』が『一人多い』状態にある。というべきパターンですかね」
「あ? 最初のと何が違うんだよ」
「思うんですけど、これってわざわざ『ヒント』って書かれてあるんですよ。であれば、『レイガイ』を特定する要素であってもおかしくないですよね。まあ肝心な何を意味するかまでは判ってないんですが……」
これはいわゆるメタ読みである。ミステリでは禁忌であり、伝家の宝刀。使用タイミングを間違えると取り返しがつかないが、この状況はまさしく例外だ。そんな僕の渾身の切り札は……
「なんだよそれ。考えすぎじゃねーの」
そんな一言で一蹴された。この状況で考えすぎも何も無いと思うが……。
ともかく、今回僕が挙げた考え方は以下の通りだ。
① 『レイガイ』が『一人多く』存在する。
② 『レイガイゲーム』の参加者(・・・)が『一人多い』。
③ 『ゲーム』における全て(・・)の(・)人数(・・)が『一人多い』。
④ 『レイガイ』が『一人多い状態』にある。
これらの内、適用されているのはどれだろうか。
僕が思案に暮れていると、苛立ちを含んだ声が聞こえた。
「ねえ」
「結局『レイガイ』を見つける方法が決まってないけど?」
僕の演説がお気に召さなかった人物はもう一人いたようだ。まずいな、完全に忘れていた。
「ええとそれは」
「ヒントがどうの言って、結局何も判っちゃいないじゃない! このままじゃ運で投票を決めることになるわ。そんなんじゃ私は、少なくとも私は死ぬなんて納得できない!」
織野さんは我を忘れているようだった。完全に僕のせいだが、面倒くさい。そうやって無駄にヘイトを稼ぐことが何の意味を持つっていうのだろう。
けして表情に出さないように、どう言い訳するか脳を動かす。
思いつく全ての回答から棘を抜いている間に、ゆりかさんが代弁してくれた。
「織野さん」
「言いたいことは分かるけど、それを他人にぶつけるのはお門違いよ。なにか文句があるのなら、自分もなにか提案してみてはどうかしら」
「出来たらとっくにしてる!」
ゆりかさんは抜くばかりか棘を植え込んでいった。その辺は彼女が不得手とする部分だから、これは僕の失態だな。上司の失敗は部下が引き取るに限る。
「まあまあ、ふたりともその辺で」
しかし、負債を被ってくれたのは梁井さんだった。
「ここは探偵である私に預けてはくれませんか?」
「預けるって…。さっき自分で犯人の特定は不可能って言ったばかりじゃない」
「難しいとは言いましたが、不可能とは言ってません。確かにアリバイも凶器も意味をもちそうにはないですけど……、ないならないで、むしろやりようはあると思います」
「どうすんのよ?」
「それはここでは申し上げられません」
……ハッタリか。説明が助手の必須スキルだとすれば、探偵のそれはハッタリだ。
「……あんたが殺されたら?」
「もうひとりの探偵さんが解決してくださいますよ」
ふと、こちらに視線を向けたような気がする。もちろん気付かないふりをする。
「織野さん、それでよろしいですか?」
「……よくないけど、それでいいよ。そのかわり」
「何が何でも犯人を見つけてね」
「もちろんです」
梁井さんが胸を張る。その自信は虚勢だろうか、それとも何か手掛かりを掴んでいるのだろうか。
「どなたかわかりませんが、もう一人の探偵さんもお願いします」
「いたら、の話だけどな」
「すぐ茶々を入れる」
ゴウに対して頬を膨らませる梁井さん……。ふいに違和感を覚えたが、その正体は分からなかった。
「今からは何をする? 時間、あまり残ってないけど」
「僕は、この空間の調査をすべきだと思います」
「まだ隠されたヒントや、手掛かりがあるかもしれない。それにここの構造や位置関係を把握しておくことは推理する上で大事なことだと思う」。
目立ちすぎないように無難な提案をする。
「あんたってヒント大好きね……」
実里ちゃんはやれやれと言った感じだ。この調子ならば機嫌は直ったと判断しても良いだろうか。
「誰だって好きでしょう?」
だから、不敵に笑みを返しておいた。
それから僕らは手掛かりを求め空間内の探索を行った。最初に僕らが目覚めた部屋はふさがっていたため、(というか扉が消失していた)、探索場所は僕ら個人に充てられた個室に限られた。個人の部屋に差異が無かったことからも、調査は速やかに終了すると思われた……のだが。
「なあ」
「『レイガイ』っておまえなんじゃねーの」
そう簡単に進行するほど、『レイガイゲーム』は甘くない。
4
「あ?」
「『あ?』じゃねえよ。お前だってさっき見ただろ? お前の名前が書かれた部屋だけここにはねーってことを」
龍山さんがゴウに詰め寄る。そう、彼の言う通りゴウ(・・)の(・)個室(・・)は(・)存在(・・)しなかった(・・・・・)。
「だったらなんだ? 部屋がねえだけで俺を『レイガイ』扱いすんのか?」
「ああそうだよ! 俺だってしたかねーけどな!」
「じゃあ黙ってろよ」
「なんだと……!?」
一触即発、と言わんばかりに睨みあう二人。そんな彼らを実里ちゃんがなだめる。
「ちょっと! 二人とも落ち着いてよ! ゴウはどうしてそんな挑発するような言い方しかしないの? 龍山も、疑うのならちゃんと説明しなさいよ!」
「……いいぜ」
すぅと息を吸う龍山さん。どうやら今回は無根拠というわけではなさそうだ。
「さっき伊与田が『レイガイ』は『一人多い』状態にあるって言ったよな? さっき俺は適当に流しはしたが、ずっと考えてたんだ。ゴウがその『一人(・・)多い(・・)』奴(・)なん(・・)じゃ(・・)ない(・・)か(・)って。
ルールには参加者が五人と書いちゃいるが、実際ここには六人いる。じゃあその『一人多い』やつが『レイガイ』だと俺は思った。そんで見るからに怪しいのはゴウ、お前だった。
見た目もそうだが一人だけ本名すら明かさなかったからな。でもそれをどう確かめようかと思ったら、お前の個室だけが無いときた。だったらあとは単純だ。一人だけ部屋が用意されてないお前が、どうして『一人多い』やつじゃないって言えるんだ?」
「……」
ゴウは答えない。
「……なんだよ、言い訳でも考えてるのか?」
「……いや」
「どこからツッコんだもんかなあ、って思ってたんだよ」
「あ?」
「『あ?』じゃねえよ……てか? いやなに、お前の疑い自体は真っ当だよ。こんな見た目のやつがいたら怪しいと思うのは当然だ。部屋がなけりゃなおさらな」
「でもな」ゴウは息を吸う。
「俺の部屋がなかったって事実は、俺が『レイガイ』だということとはイコールになんねえんだよ」
「……なんでだよ」
「何でもくそも、部屋がねえ人間が『晩』を迎えたらどうなる?」
「そりゃ……」
そこで彼があ、と口を開ける。
「死ぬ、即座(・・)に(・)処刑(・・)される(・・・)。例えそいつが『レイガイ』だとしてもな」
ゴウは笑みを崩さない。
「部屋がねえ俺はどうあがいても『晩』には死ぬんだよ。だから『レイガイ』じゃねえ。もしかしたら今は『レイガイ』かもしんねえが、どうせ『晩』を過ぎりゃ誰かに移る」
だから、と彼は龍山さんの方を向き直した。
「分かったか龍山。お前の心配は杞憂ってこった」
返事は無い。龍山さんは俯いたままだ。
龍山さんが異を唱え、誰かに論破され終わる。この短時間 で幾度も繰り返された光景であり、おそらくこれからも見るであろう図。彼には悪いがやっと終わる……。
と思ったのもつかの間。
「……分かりませんよ」
「梁井さん?」
異を唱えたのは意外な人物だった。その声は、どこか震えている。
「どうして貴方は、自分がもうすぐ死ぬって分かっててそんなに同然としてられるんですか⁉」
梁井さんが声を張り上げる。ゴウが驚きのあまり一瞬目を見開くが、すぐにいつもの表情に戻った。若干目元が寂しげなのは、僕の見間違いだろうか。
「……どうして、か」
「どうもこうも、俺は最初からイレギュラーだからかねえ」
「……っ!」
梁井さんは泣きそうな顔になり、自室へと駆けていった。
「梁井さん⁉」
「何を……⁉」
「おまえ……」
彼女はおもむろにドアをあけ放つと、自らの指を噛み切り流れ出た血で大きく「ゴウ」、と書いた。
「今から全ての個室の内側に『ゴウ』と書きます。そうすれば全て(・・)の(・)個室(・・)から(・・)見て(・・)、ここはゴウさんの個室となるはずです」
確かにルールには「自分の名前が書かれた個室」とあった。
しかし……。
「そんな屁理屈が通んのか……?」
「だからってやってみないと分からないでしょう⁉」
かつてない凄みに思わず仰け反る龍山さん。梁井さんは一息吐くと、冷静に話した。
「私は探偵です。今から確実に死ぬ人間を見捨てることは出来ません」
そう言うと彼女は実里ちゃんの方を向く。
「織野さん、あなたの個室のドアを少々汚しますが、いいですね」
「……いいよ。別にここに敷金払ってないし」
そんな問題か? と思ったが、彼女なりの照れ隠しだろう。
「神取さん」
「構わないわ。……………………、梁井さん」
「はい?」
「……さっきの理念は尊敬に値するわ。でも」
ゆりかさんは何かを言いかけたが
「なんでもない。忘れて」
結局その続きを口にすることは無かった。
「…分かりました。伊与田さんと龍山さん」
「僕もいいですよ、というか僕が書きましょうか?」
「大丈夫ですよ。お気持ちだけで十分です。あれ? 龍山さんは?」
「……書いてきたぜ」
「龍山さん」
彼は自分で書いたみたいだ。ドアには大きく「ゴウ」と記されていた。
「ゴウを疑っちまった詫びだ、これで貸しはなしってことでいいか?」彼はゴウを真っ直ぐと見つめる。
「……俺が『レイガイ』だったら苦しまないよう殺してやるよ」
「まず殺すんじゃねーよ」
龍山さんとゴウがフッと笑う。
「よかったですね、梁井さん」
「はい。本当に」
心底安心したように呟く梁井さん。しかし、彼女は何故あれほどまでに取り乱していたのだろうか。探偵の矜持といえばそれまでなのだが、僕は彼女に訝しげな視線を向けることを止められなかった。
5
「……そろそろ時間だね」
時計の針は十一時五十五分を指している。
「では、先ほど話した通りに」
「ああ、『レイガイ』になったやつは絶対に手掛かりか自白の証拠を残すように、だな?」
「ちゃんと守れよチビッ子」
「…あたしは守るよ。あんたこそ広場でバカみたいな顔して死なないでよね」
各々が今際の言葉を口にする。饒舌な者はおらず、皆一言か二言囁くように口を動かすのみだった。
「神取さん、おやすみなさい」
僕は最愛の上司に就寝の挨拶を告げる。
「……ええ。おやすみ」
「それでは皆さん、明日会いましょう」
梁井さんの言葉を合図に、扉を閉めた。
時刻はおそらく午前十二時、自分が『レイガイ』だという自覚は、ない。その事実に安堵しベッドに横たわる。そのまま思考を巡らす。殺される可能性については無視し、『レイガイ』の正体についてのみ集中する。
僕はヒントを見て以降、ずっとある仮説を頭に思い浮かべていた。
それは、「梁井(・・) 香那(・・)実(・)こそ(・・)が(・)今回(・・)の(・)『レイガイ(・・・・)』で(・)は(・)ない(・・)か(・)」というものだ。
根拠はもちろん、ある。
まず『レイガイ』は『一人多い』という言葉。
僕は先刻『レイガイ』が『一人多い状態にある』と言ったが、もしかするとこれは物理的(・・・)意味(・・)に(・)限らない(・・・・)のではないだ ろうか?
例えば精神的に一人多いケースだが、これは存在する。
ひとつ例を挙げるならば、多重(・・)人格(・・)。
内面に違う自己を抱える人間は、『一人多い』と評しても差し支えないのではないだろうか。
勿論、彼女が多重人格者であるとする理由もある。
しかしそれを語る前に、明らかにしなければならない存在がいる。
それは、ゴウだ。素性正体が不明な謎の少年。
彼自身自らをイレギュラーと称していたが、実際彼は何者なのか。
僕は、彼(・)こそ(・・)が(・)梁井(・・) 香那(・・)実(・)の(・)もう(・・)一つ(・・)の(・)人格(・・)ではないかと推理する。
まず、彼は梁井さんと同じ空間で目覚めている。僕もゆりかさんと同じ部屋で起きた以上大した説得力はないが、龍山さんと実里ちゃんは一人だった。
次に、彼は見かけ以上に冴えているところがある。
ルールを一目見てゲームのアンバランスさに気づき、部屋が用意されていない件で龍山さんに糾弾された時も冷静に反論して見せた。
これは彼が探偵である梁井 香那実と頭脳を共有していると考えれば説明が付く。
そして、梁井 香那実が見せたあの狼狽。それまで温厚だった彼女が急変した理由だが、それはもう一人の自分が処刑されると分かってしまったからではないか。
全て裏付けのない主観からくる推論だが、これは一見正しいように思えた「このゲームにおける人数が全て一人多い」に説明を付けることができる。
参加者が多いのは「多重人格者が混ざっていたから」、探偵が二人いるのは「単なる偶然」なのだろう。梁井さんが嘘を吐いている可能性だってある。
『レイガイ』が二人というのは個人的には最初から無いと思っていた。そうなってはあまりに一方的で、ゲームがつまらないからだ。
ここまで考えて、明日のことを想像する。彼女が『レイガイ』だとして、殺されるのは誰になるのか。
彼女が利己的な人物ならば、死ぬのは間違いなくゆりかさんだろう。彼女は口数こそ少なかったが、すべての発言が的を射ていた。『レイガイ』から見て彼女はさぞ驚異に見えたはずだ。だが、梁井さんは自白に賛成していた。ならばゆりかさんを特別狙って殺害することはないと思う。
―――どうせゆりかさんを殺すくらいなら、僕を殺してく
れないだろうか。
そんなことを考えた直後、僕の意識は宙に攫われるように唐突に失われていった―――。
6
目を覚ます。起床時特有の倦怠感や、意識の混濁はない。
寝ていたというよりも、精気を奪われていたような感覚。
身体の主導権を取り戻した僕は、真っ先に部屋の扉を開けた。
ドアを開けて僕は、真っ先にゆりかさんの部屋に向かうつもりだった。彼女の生死を確認するためだ。生きているのなら喜び、そうでないのなら彼女が遺した手掛かりを誰よりも早く回収する必要が僕にはある。
しかし、その(・・)必要(・・)は(・)なく(・・)なった(・・・)。
まず、彼女は広場にいたから。昨日までと変わらぬ表情を、その顔に携えていた。
そしてもう一つは、そこに白髪(・・)の(・)少年(・・)の(・)変わり果てた(・・・・・・)姿(・)が、ゴウの死体があったからだ。
「ゆりかさん」まずは聞くべきことを聞く。
「……推定死亡時刻は、五時間前といったところね」
「……了解です。梁井さんを呼んできます」
返事はない。こういう場合、彼女は既に死体の検証を始めている。邪魔してはいけないと思い、もう一人の探偵であり、僕が最も疑う人物の元へと急ぐ。
彼女は今、何を想っているのだろうか。
文字通り自分の半身を失い、自棄になっているのだろうか。
それとも自らを手にかけたことで心神喪失に陥っているのか。
はたまた冷静に事実を受け止めているか。
どうであれ、僕は彼女を責めることはない。彼女もれっきとした被害者であり、同胞を失くした犠牲者なのだ。
ドアをノックするが、返事はない。
自尽などしないでおいてくれよと思いドアノブをひねったが、そこに梁井さんの姿はなかった。
「( )―( )―( )―( )―( )―( )―( )」( )
代わりにそこにあったのは、かつて(・・・)梁井(・・) 香那(・・)実(・)だった(・・・)ものであった。
言葉を失う。ベッドに横たわったそれは明らかに、他殺体(・・・)だ。
おそらくは、絞殺による死。彼女の首元にははっきりと手形が残っている。
そっと亡骸に触れる。全身が僅かに硬直している。
それだけを確認して、広場へと戻った。
「伊与田……」
広場には龍山さんと実里ちゃんがいた。二人はゴウの死体を前に、神妙な面持ちをして立っていた。
「梁井は? 起こしに行ったんでしょ?」
実里ちゃんに尋ねられる。……ここからは誤魔化す意味も、必要もない。
「死んでたよ。殺されてた」
だからはっきりと事実を告げた。
三人が一様に目を見開く。二人が部屋へと走り、広場には僕とゆりかさんが残された。
「…彼女が死んだのは六、七時間前のようです」
「……そう」
「僕は、推理を間違えたのでしょうか」
ゆりかさんが僕を見る。
「僕は、梁井さんが『レイガイ』だと思いました。『一人多い』が意味するのは、多重人格のことだって。それでゴウは梁井さんのもう一人の人格だって、そう思ったんです。でも、実際はそうじゃなかった。やっぱりあのヒントは、ゲーム全体の参加者のことを指していたんだ。『レイガイ』は、二人いたんだ」
こんなはずじゃなかったと、僕は後悔を口にする。
「……伊与田君」
「推理が間違っていたからとして、それが何? それによって誰か不利益を被った? いつも言っているけど、既に起きたことを嘆く暇があったら自分に出来ることをしなさい」
ゆりかさんはそう言って再びゴウの死体を調べる。
……強いな、僕の上司は。確かにそうだ、僕が今できることは無力を嘆くことじゃなく、この人の役に立つことだ。
まずは人を集めよう。事実の確認と、自白の有無を問うために。
僕は梁井さんの部屋にいた二人を呼び戻した。そして話を始める。
「皆さんご存じかと思いますが、昨夜ゴウさんと梁井さんが殺されました」
動揺を見せないように気を付ける。
「これに関して、自白のある方は挙手をお願いします」
手を挙げるものはいなかった。かまわず僕は進行を続ける。
「……そうですか。では今から投票までに調査する時間を設けようと思います。『レイガイ』のお二方は、それまでに言い訳を考えるなり自白の覚悟を決めるなりしておいてください」
思わず嫌味な口調になる。それも仕方のないことだ、今回の『レイガイ』は敢えて黙っているのだ。
「ちょっと待ってよ」
「レイガイは一人じゃないの? 思ったんだけど、ゴウはルール(・・・)違反(・・)で死んだかもよ?」
そうか、その説明がまだだったな。
「ゴウさんの死体には絞殺の痕があります。これは他殺された証拠です」
「処刑が絞殺じゃないとは限らないでしょ。それにゴウの死体を見て、レイガイが絞殺で人を殺せばいいって思ったかもしれない」
意外にくらいついてくるな。正直この話はしたくなかったが、しょうがない。
「ゴウさんの死亡推定時刻は、五時間前です。彼が個室のルール違反で死んだのならば、即座に処刑されるはずだ。八時間は経過していないとおかしい」
「何であんたにそんなことがわかんの」
当然の反応。だから僕も用意した回答をする。
「それは僕が、探偵だからですよ」
「はぁ?」
「言い忘れていましたが、僕は探偵です。だから死体を見ただけで大体の死亡推定時刻は分かります」
「本当でしょうね?」
「本当ですよ。ね、神取くん」
僕はゆりかさんを見る。
「彼女は僕の助手です、最初に同じ部屋で目覚めたのも、ここに来るまで一緒に行動していたからでしょう」
「マジかよ」
彼女を見つめる目に力を入れる。お願いしますゆりかさん、乗ってください……!
「ええ。その通りよ。伊与田さんは上司にあたるわ」
彼女はため息を軽く吐く。よし、あとで謝ろう。
「だから信じてください、織野さん。ゴウさんは確実に殺されています」
「そうまで言うなら信じるけど……。じゃあ犯人を二人当てる必要が出てくるのね、でもそれってかなり厄介じゃない」
「そうでもないですよ」あっけらかんと返す。探偵には余裕が必要なのだ。
「ルールを見てください。『殺人(・・)を(・)犯した(・・・)レイガイ(・・・・)を投票で処刑できれば勝利』なので必ずしも『レイガイ』全員を特定しなければならないわけではない」
これは危険な賭けだが、ゴウの件を考えれば通るはずだ。
「……じゃあ私たちが当てるのは一人でいいってことね。それなら何とかなる気がしてきた」
余裕を見せた甲斐もあって、彼女はすぐに納得してくれた。
「じゃあ今から調査タイムだな。時間はどれくらい取る?」
「別に何時間でもいいですが……ひとまず一時間にします。これ以上は、余計な思考に囚われる可能性が高い」
実際は一時間もいらないだろう。ただ、焦ることに意味があるとも思えなかった。
「じゃあ一時間後、ここに戻ってくればいいんだな?」
はいと頷く。その瞬間、頭に聞き覚えのある不快な声が響いた。
―――そのひつようはありません。
僕らは突然の出来事に怯む。
「なんだ今の……⁉」
「もしかして、主催者⁉」
主催者。このくそったれなゲームを開催し、僕たちを嘲笑ってるであろう存在。
そいつのことを考えるだけで感情が昂る。でも今は……。
「かもしれませんが……、考えるだけ無駄です。『レイガイ』を当てて、それからにしましょう」
そんな場合ではない。僕らは解散し、龍山さんと実里ちゃんは梁井さんの部屋に向かった。
必然的に、僕とゆりかさんだけが部屋に残る。
「神取さん、さっきはすみません。僕の助手などと嘘をついてしまって」
「構わないわ……」
良かった。怒っていなかった。
ゆりかさんがこんなことで腹を立てる人だとは元々思っていないが、それでも内心何を考えているか表情から読み取りづらいから困る。
「それよりも、あなたは『レイガイ』じゃないの?」
だから、いきなりこんなことを言われても驚かない。
「違いますよ、少なくとも枕元にそのようなメモは見当たらなかった」
「それだけ? 他に証拠はないの?」
「強いて言えば僕は十二時を回った時点で『レイガイ』だという意識はありませんでした。もし僕が『レイガイ』だとしたら、その時点で記憶がないはずです」
想定していたやり取り。予定通りの返答をする。
「それは根拠にならない」
「なぜです?」
「時計の針は、五分(・・)進められて(・・・・・)いた(・・)」
しかし、これは予想外だった。
「これが何を意味すると思う?」
「……分かりません」
「なら考えなさい。その時間は十分にあるでしょう?」
そう言うとゆりかさんは梁井さんの部屋へと行ってしまった。
唖然とする。時計の針が、進んでいた? いったい誰が、何のために?
早速その意味を、それがもたらす答えを考える。
僕が十二時だと思った時間は、実際は十一時五十五分だった。
なぜ五分? 針はいつ進められた?
いや、問題はそこではない。
僕は自分が『レイガイ』ではない根拠として、十二時の時点で記憶があることを挙げた。
しかしそれが勘違いならば、僕(・)が(・)『レイガイ(・・・・)』で(・)ある(・・)可能性(・・・)は(・)全く(・・)持って(・・・)消えて(・・・)いない(・・・)。
自分が梁井さんかゴウを殺し、その事実を隠蔽しようとしている。そう考えただけで寒気がした。
記憶がないことが、こんなにも厄介だとは。
自分の至らなさに思わず歯嚙みする。
今まで僕は他人を説き伏せるために調査を行ってきた。
しかし、自らの無実を証明するために捜査をするのは初めてだ。
―――気合を入れなければ。
7
一時間後。僕らは広場とは違う空間にいた。
それは公演台が四方に置かれただけの殺風景な場所。
今からここで命がけの議論が開かれるとはとても思えない簡素な出来だった。
皆がそれぞれの席に立つ。
手元には全員の顔が書かれたボタン。投票で使えということだろうが、ゴウの顔はない。そのことに今更思うことはなかった。
「最後に聞くが、自白するやつはいねーか」
龍山さんによる最終確認。……挙手は見られない。
「……いないみたいだね。じゃあ探偵の人、お願い」
実里ちゃんから直々に指名を受ける。本当の探偵みたいだな、と思う。
「はい。今回の事件ですが―――」
「犯人はもう分かっているわ」
だが、それは早々に打ち切られた。
「え?」
「ま、マジかよ? だ、誰だそいつ⁉」
驚嘆、懐疑、期待の混じった表情をする二人。
しかし僕は知っている。
少なくとも、彼が望む真実は返ってこない。
「―――犯人はあなたよ」
毅然とした態度で言い渡される、予想だにしない答え。
疑問を刃で返された彼の周りは時間が止まったようだった。
「――――――え?」
揺らいだ針が再び動く。
「は⁉ 何でだよ⁉」
「当然の疑問ね。今からそれを説明するから、静かにしておいて」
否応なしに言葉を発する。それ自体は普段通りだが、何か言葉に棘が多い気がする。
「その前にいい? 本当に、もう一人の犯人に関しては今回放っておくの?」
静かにしてと言ったでしょ? と言わんばかりに鬱陶しげな眼差しを実里ちゃんに向けるゆりかさん。
「その件だけど、そもそも今回(・・)の(・)犯行(・・)は(・)全て(・・)一人(・・)で(・)行われて(・・・・)いる(・・)から、その必要はないの」
「そうなの? 二人も殺されているのに?」
「今回の事件、殺されたのは二人のように思えるけど、実際(・・)に(・)殺された(・・・・)のは一人よ」
「どういうことだよ? じゃあゴウはやっぱり処刑されたってのか?」
「いいえ、彼は確かに殺されたわ。そして彼を殺したのは、梁井さんを殺害した人と同一人物」
「おい、言ってることが無茶苦茶だぞ。一人しか殺されてないのに犯人は二人殺したって? 大体何で『レイガイ』が二人も殺す必要があんだよ」
「それは、梁井さんとゴウが二人で一人だからよ」
「……はぁ?」
「この件に関しては、僕から説明します」
何故だかゆりかさんは明らかに煩わしさを感じている。僕は彼女の代わりに梁井さんとゴウが多重人格による同一人物だという説明をした。
「おそらくこれに気づいた犯人は梁井さんを殺した後で、自分が『一人殺す』という条件を満たしたか疑問になったのでしょう。多重人格者は、その人格をすべて(・・・)殺して(・・・)初めて(・・・)殺害(・・)した(・・)と言えるのではないかと。二人の推定死亡時刻にズレがあるのはこれが原因です」
僕は推理を間違えていた。『レイガイ』は、二人殺さざるを得なかったのだ。
「信じていいの? そんな突拍子もない話……」
「別に信じなくても大丈夫です。どうせ吊る『レイガイ』は一人でもいい」
ゆりかさんに後を任せる。
「……話を続けるわね。今回の『レイガイ』を特定するに至った証拠だけど、それは被害者(・・・)の(・)首(・)に(・)付着(・・)して(・・)いた(・・)血痕(・・)よ」
「血痕? そんなの付いてたっけ……」
「かなり小さく付いていたから、気付かなくても仕方ないでしょうね」
「で、その血痕だけどこれは被害者が抵抗したことによって付いたものではない」
「それは吉川線がないから、ですね」
つい口を挟んでしまう。助手の職業病だ。
「吉川線? というかあんた何で部下に対して敬語なのよ」
この子は逐一疑問を解消せずにはいられないタイプか。
探偵冥利には尽きるだろうが、作家泣かせだな。
「敬語のことは気にしないでください。それで吉川線とは被害者が絞殺される際に抵抗してできる傷跡のことです。これが死体に見られないということは、被害者は絞殺されている間ずっと意識がなかったということになる」
解説終わり。ターンを彼女に返す。
「つまりこの血は加害者によるものとしか考えられない。だから犯人は、自ずと手を怪我している人物に限られるわ」
―――この空間で手を怪我した人物。それはケジメをつけるために、借りを返すために自らの指を噛みちぎった人。
「ずっといるでしょう? 怪我した手をずっと隠し続けて(・・・・・)いる(・・)人が……」
視線が龍山さんに集中する。彼は会った時からずっと、ポケットに手を入れ続けていた。
疑いをかけられた彼は、信じられないといった様子だった。
「嘘だ……そんなわけがねぇ……」
当然だろうな。二人を殺害し、あまつさえその凶行を無意識とはいえ隠蔽しようとしたのだ。
その事実がもたらす罪悪感や絶望は相当なものだろう。
「嘘かどうかは、あなたが決めることじゃない」
しかしかの探偵にとって、そんな情状酌量など一考にも値しない。
「これで十分? 反論があるなら聞くわ」
「…………」
龍山さんは、何も口にしなかった。
「ないみたいね。投票に移りましょうか」
僕は手元にある龍山さんの顔が書かれたボタンを押す。
実里ちゃんは躊躇いながら、龍山さんも心ここにあらずといった様子でボタンを押し込んだ。
全員が投票を終えたからか、天井からモニターが降りてくる。そこには「投票結果」とあった。
素っ頓狂なドラムロールが流れる。
神経を逆なでする音。今更腹は立たない。
この音が止めば、二日に渡る僕らの結末が表示される。
それは数秒だったか、それ以上だっただろうか。
いくらともとれる時間の後、それは表示された。
龍山 孝幸 3票
神取 ゆりか 1票
それを見たとき、僕は。
―――疲れた。最初にそう思った。事実ここまで疲弊したのは久々だった。
あれほど気になっていた主催者も、今はどうでもいい。それより早くうちに帰って紅茶を飲みたい。
神取さんはどれがいいですか?
そう聞こうとして振り向いた先にいた彼女は、モニターを凝視していた。
その顔には、信じられない(・・・・・・)という表情が浮かんでいた。
「ゆりかさん? どうしました?」
「……伊与田、くん」
見間違いだろうか。彼女は今にも泣きそうな顔をしている。
「ごめんなさい」
―――そして、謝られた。
困惑する。何に対しての謝罪だろうか。
このゲームに巻き込んだことならお門違いだ。
僕が神取さんを巻き込んだ可能性だってある。
むしろ一緒に生き延びることができて感謝さえしている。
「何を謝ることがあるんですか? 僕はあなたが生きていればそれでいいんですよ」
キザでしたかね、と言いながら頭を掻く。
彼女はそれでも、悲痛な顔を変えなかった。
「そんなわけ……ないでしょう。彼(・)も生きていないと……意味がないわ」
彼? もしかして龍山さんのことを言っているのだろうか。
「僕にはそんな大事にしているようには思えませんでしたけど……」
「大事だったわよ。ずっと。これからだって一緒にいるつもりだった」
衝撃的発言に面食らう。
「そんなにご執心だったんですね。妬けちゃうな」
もしかしてゆりかさんは内心彼に好意を抱いていたのだろうか。そんなそぶり、見せてなかった気がするけど。
そんな風に思う一方で、ゆりかさんは困ったような顔をした。
「妬けちゃうって、自分(・・)の(・)こと(・・)でしょう?」
―――ここで、違和感を覚えた。
僕は何か致命的な過ちを、盛大な勘違いを、取り返しのつかないミスをしてしまったのではないかと思った。
再び、輪郭が身体から離れる感覚が僕を襲う。
「……何を、言っているんですか?」
「何って? 彼(・)こそさっきから話が噛み合わないわ」
息が、荒くなる。
……ああ、猛烈に嫌な予感がする。
助手としての性(さが)か、走馬灯のように思考が脳を駆け巡るのが分かる。
―――手を最初から隠している人物。
やめ……ろ。
―――『レイガイ』は『一人多い』。
駄目、だ。
―――『一人多い』は物理的意味に限らない。
それ以上は———。
―――「僕(あなた)」が「彼(かれ)」、ならば「私(一人称)」は「あなた(二人称)」。
考えるな。
そして僕は、一つの結論にたどり着いた。
全てを覆す、冒涜的な答え。
ああ、伊与田 明。その質問をしてはいけない。
それをすれば、全てがきえてなくなるぞ。
「……ゆりかさん、さっきから誰の話をしてるんです?」
ゆりかさんは少しだけ笑って、言った。
「……彼(・)って最後までデリカシーがないのね。伊与田(・・・)くん(・・)の(・)ことに(・・・)決まってる(・・・・・)じゃない」
―――それからのことは、覚えていない。
なにかひづめ(・・・)の(・)よう(・・)な(・)もの(・・)でつぶされて、なにかをかんがえるひまなんてなかったから。
零
千葉県葦原市和生町に居を構える、素朴だが確かな気品を感じさせる建物。表に「神取探偵事務所」と掲げられたそこは、冷静沈着な探偵と悠々閑々な助手によって運営されていた。
しかし、それも過去の話。
助手であるはずの伊与田 明は失踪し、現在は探偵である神取 ゆりかのみが在籍している。
そんな事務所に、現在二つの人影があった。
一つは、所長である神取 ゆりかのもの。
そしてもう一つの影。その人物の前には、本来振舞われるはずの紅茶のカップはない。
それは助手亡き今、紅茶を提供するはずの人物がいない為ではない。
単に神取自身が、その人物を客人として認識していないからであった。
「……今話したのが、この前起こった全てよ」
感情と、生気が欠落した声。それはその物語がいかに彼女
にとって苦々しい体験だったかを物語っている。
「ありがとう。大変興味深かったです」
対峙する女性は、まるで知人の土産話を聞いたかのように穏やかな声色で返答した。
「……ふざけているの?」
「ふざけてなどいませんよ、ただ、あなたの彼に対する理解の深さに驚いただけ。わざわざ彼(・)の(・)視点(・・)で(・)語って(・・・)くれるなんてね……」
「やっぱりふざけているわね。これについて話す時、私が私の視点に立てないことをあなたが一番知っているはずでしょう?」
目の前の人物はフッと笑う。
「そういえばそうでした。私ったらすっかり失念していたわ。今それを解いてあげるから、もう一度あなたの目線から話してくださらない?」
対面する女性からの、受容し難いリクエスト。
「嫌、とは言わせないわよ?」
壱
最初に思ったことは、またか。という倦怠感と、今度こそは。という期待だった。
私は、常に死に場所を探している。
私は由緒正しき探偵一族の末裔であり、その次期当主である。
そんな私に義務付けられた使命は「人を殺すこと」。
―――事件に遭遇できない探偵は、患者のいない医者のようなものだ。
父からそう言われたのを、未だに思い出す。
私は、そういう意味ではまさしく探偵だった。
ひとたび外に出れば、行先で人が死んだ。
私はそのたびに謎を解き、犯人を明らかにした。
最初はただの偶然だと思った。まさか自分に責任があるなどと、露ほども考えなかった。人が死ぬことと自分の存在に、何の因果もないと思っていた。
しかしある日、それは誤りだと気付いた。
私は賭け事の対象とされていた。探偵一家に生まれた少女と、家族を人質に取られた犯人の勝負。私はその闘いの探偵役として選ばれたに過ぎなかった。
私が得意げに解明していた謎は、賭博を運営する組織によって用意されたもので、私が冷酷に裁いてきた犯人は被害者と呼ぶべき存在だった。
その組織は一族により解体されたが、私の心に大きな爪痕を残した。
今でも事件に遭遇するたびにかつて断じてきた犯人の顔を、その憎悪に染まった目を思い出す。
何度も探偵を辞めようと思ったが、一族の当主としての責任感からか、あるいはその血のせいか、探偵ではない自分を思い描くことが私には不可能になっていた。
それからも心と感情を殺し続け、探偵を続けていたときのこと。
私は、伊与田君に出会った。
彼は最初、ただの愚鈍な少年だった。
危機感がなく、勘が悪く、すぐ感情に支配される。
しかし彼の存在は、私にある「願い」を授けてくれた。
―――彼に看取られたい。
私は、幸せになるには業を背負いすぎた。
だから私の命は、誰かの手によって終わるべきだ。
殺される相手が彼であってほしいわけではない。ただ、私の亡骸を前に彼に泣いてほしいのだ。
極めて悪趣味で身勝手な願いだと、自分でも思う。
それでもこの願望だけは諦めずにはいられなかった。
弍
だから目が覚めた時、今まで巻き込まれた事件とは違う「何か」を感じ取った時、私は期待せずにはいられなかった。
―――今度こそ、死ねるかもしれない。
伊与田君を見つけて、私はひどく安堵し喜んだ。
私の望みを叶えるには彼の存在は必要不可欠だからだ。
彼はいつも通り緊張感に欠けていたが、それがむしろ有難かった。
『ゲーム』のルールを聞いたとき、私の心臓の鼓動が早まるのが分かった。このゲームは、非常に死に易くできている。
まず参加者が少ないのがいい。被害者になる確率も、加害者になる可能性も高いからだ。
それにこの『レイガイ』が『一人多い』という記述。
これがもし私の望むままの意味であれば、死ぬチャンスは二倍に膨れ上がる。
私はこのゲーム中ずっと、そんなことばかり考えていた。
探偵という役職を公開できなかったのは失態だと思った。私が先に宣言していれば、発言する機会が増え『レイガイ』の目に留まる可能性も上がったからだ。
自白を提案したのも、自分が『レイガイ』になった際に投票先に選ばれるためである。そのときは人を殺す必要が出てくるが、ルールを破って死んだとしても彼には悲しんでもらえないと思い、受け入れることにした。
梁井さんが彼女なりの探偵の矜持を語った時は胸が苦しくなった。
対して私は、今まで確実(・・)に(・)人を葬ってきた。私は私が人を殺すと知っていながらも、探偵としての活動を続けてきた。だから彼女の理念は、そんな私に対する当てつけのように聞こえた。
『レイガイ』としての私が彼女を殺害対象に選んだことには、そのことが影響したのかもしれない。
『レイガイ』として過ごした時間のことは記憶にない。
気が付いたら朝になっており、ベッドに備えられたメモにメッセージが残されていた。
『おはよう。昨晩はよく眠れたかしら。
いつ記憶がなくなるか分からないから、率直に事実だけを伝えるわね。
アナタは昨夜「レイガイ」となり、染井香那実とゴウを殺害した。
二人も手にかけてしまったのには理由がある。
まずあなたは最初に染井さんの部屋に向かったわ。
その時すでにゴウの姿は広場になかったけど、あなたは彼が処刑されたのだと思った。
勘違いと気づいたのは染井さんの部屋を開けたとき。
ゴウは染井さんの部屋で意識を失っていたわ。
そこであなたは彼が「染井さんと同一人物であること」に気付いたの。
彼が12時にドアを閉めたけど、実際の時刻はその数分前だった。
皆がドアを閉めたのを確認したのち、ゴウは急いで染井さんの部屋に駆け込んだのだと思う。
最初は染井さんだけを殺すつもりだったわ。
事実染井さんとゴウの死亡時刻には、数時間のタイムラグがある。
ゴウを殺そうと考えたのは、彼を殺さないと染井香那実を殺害したことにはならないと思ったから。
「願い」の為にもルール違反による処刑は絶対に受けたくなかった。
実際彼を殺した後、「役目を果たした」という実感があったわ。
見ればわかると思うけど、殺害方法は二人とも絞殺。
素手で殺したから、首には血の跡が付着しているはずよ。
自白までの手順だけど、
①吉川線がないことを指摘
②結婚が加害者のものと説明
③あなたの素手の毛がを見せる
の3つを踏まえれば皆に納得してもらえると思う。
そもそも自白したうえでの推理だから、あまり気負わないようにね。
反論があるとすれば伊与田君でしょうけど、彼ならちゃんと説明すれば理解してくれる。
分かっていると思うけど、失敗は許されない。
絶対に抜かりの無いようにね。
ねえ、ここは死に場所としては殺風景さけど、
シチュエーションとしては悪くないと思わない?
神取 ゆりか
「願い」や「死に場所」といった記述から、自分が残したものだということはすぐに分かった。
だからこそ。
もしこのメモに、一切の誤りがないのだとすれば。
私は既にこの手で二つの殺人を犯している。その事実はこのゲーム中も、私の死後も消えてなくなることはない。
それが、私にどのような影響をもたらすのかを考えるが…
「―――特に問題はないわね」
参
ゴウの死体は、広場に置かれていた。
手紙にそのような記述はなかったが、これは私が意図的に行ったことなのだろうか。昨夜の自分のツメの甘さに腹を立てる。
ひとまず検死を行う。首には手形がはっきりと付いている。
手足が軽く硬直していることから、死亡時刻は四、五時間前だと判った。
「ゆりかさん」私の後ろには伊与田君が立っていた。
「……推定死亡時刻は、五時間前といったところね」
いつもの癖。死体の状態を報告するが、果たして意味はあるのだろうか。
少しして、伊与田君が梁井さんの部屋で彼女の死体を発見した。彼は苦虫を嚙み潰したような顔をするが、当然だろう。
「……彼女が死んだのは六、七時間前のようです」
「……そう」既知の事実。私にとっては裏付けでもある。
「僕は、推理を間違えたのでしょうか」
推理という単語に反応する。彼は梁井 香那実が『レイガイ』だと考えていたようだ。
「……伊与田君」
―――犯人は私よ。そう口にしたかったが、こらえた。
代わりに彼に適当な激励を投げ、この場を離れるよう促す。
それより先程の彼の発言……。
『レイガイ』が二人いる。ルール違反で処刑された人物がいない以上、そんな筈はない。
でも、頭の隅ぐらいには入れておくべきだろうか。
肆
伊与田君が全員を広場に集める。自白を促されたが、もう一人の『レイガイ』の件もある。まだ黙っておくのが賢明だと考えた。
途中で私が伊与田君の部下だと説明されたが、正直どうでもいいので肯定しておいた。
「―――必ずしも『レイガイ』全員を特定しなければならないわけではない」
二人犯人がいても、当てるのは一人でかまわない。
この考えは、私にとって有り難かった。
しかし、確かめておくべきことはある。
「伊与田 明がもう一人の『レイガイ』で私を庇っている」
この可能性だけは排除しなければならない。
「あなたは『レイガイ』じゃないの?」
彼に尋ねる。これは回答(こたえ)よりも、納得(りかい)を得るための質問。
「違いますよ、少なくとも枕元にそのようなメモは見当たらなかった」
平然と答える彼だが、まだ判別はつかない。
「それだけ? 他に証拠はないの?」
「強いて言えば僕は十二時を回った時点で『レイガイ』だという意識はありませんでした。もし僕が『レイガイ』だとしたら、その時点で記憶がないはずです」
これはどちらだ? 彼があまりに動じてないので、本当に自覚がないのか分からない。
「それは根拠にならない」
だから揺さぶりをかける。
「なぜです?」
「時計の針は、五分進められていた」
これは、予想外といった様子だった。
「これが何を意味すると思う?」
「……分かりません」
「なら考えなさい。その時間は十分にあるでしょう?」
その場を離れる。
これで確信した、彼は犯人ではない。
伍
一時間後、広場とは別の円形裁判所とでもいうべき場所に私たちはいた。
ここで、全てが終わる。そう思うといつになく緊張した。
(今思えば、私はこの時精神状態が明らかにおかしかった。自分だけが知っている情報を早く喋りたくて空回る子どものようだった。いえ、まさにその通りだった。)
「自白するやつはいねーか」
催促、いや所望される自白。
焦らなくとも今に教えてあげるのに。
「……いないみたいだね。じゃあ探偵の人、お願い」
織野さんから指名を受け、伊与田君が話し始める。
「はい。今回の事件ですが―――」
「犯人はもう分かっているわ」
ついにこの瞬間が訪れた。
「え?」
「ま、マジかよ?だ、誰だそいつ!?」
驚嘆、懐疑、期待の混じった表情をする三人。しかし私は知っている。少なくとも、彼(・)が望む真実は返ってこない。「―――犯人はあなた(私)よ」
毅然とした態度で言い渡す。
疑問を自刃で返された彼の周りは時間が止まったようだった。
「――――――え?」
揺らいだ針が再び動く。
「は!? 何でだよ!?」
突然の自白に戸惑う龍山さん。
「何で」とは「何で今更」、「何でお前が」かしら?
「当然の疑問ね。今からそれを説明するから、静かにしておいて」
早くそれらを説明したくて、言葉に棘が混ざる。
「その前にいい? 本当に、もう一人の犯人に関しては今回放っておくの?」
静かにしてと言ったでしょ?
それもまとめて話してあげるのに。
私は簡単に説明したが、理解してくれない。
支援の声を挙げたのは、意外にも伊与田君だった。
「この件に関しては、僕から説明します」
彼は私が自白したことにあまり動じていないみたいだった。
もしかして、私の「願い」に気づいている?
本当に彼は素晴らしい助手だと、改めて思った。
「……話を続けるわね。今回の『レイガイ』を特定するに至った証拠だけど、それは被害者の首に付着していた血痕よ」
「血痕? そんなの付いてたっけ……」
「かなり小さく付いていたから、気付かなくても仕方ないでしょうね」
「で、その血痕だけどこれは被害者が抵抗したことによって付いたものではない」
「それは吉川線がないから、ですね」
彼から合いの手が入るたび、口がにやけてしまう。
「―――つまりこの血は加害者によるものとしか考えられない。だから犯人は、自ずと手を怪我している人物に限られるわ」
―――この空間で手を怪我している人物。
それはかつて己の罪に絶望し、自ら手を火にかけた者。
つまり、私。
「ずっといるでしょう? 怪我した手をずっと隠し続けて(・・・・・)いる(・・)人が……」
そう、私はずっと手袋を身に着けている。
まさかこの怪我が役に立つ日が来るなんて。
「嘘だ……そんなわけがねぇ……」
何故か信じようとしない龍山さん。私が犯人だということが、そんなにも受け入れ難いのかしら?
「嘘かどうかは、あなたが決めることじゃない」
龍山さんは、何も口にしなかった。
「投票に移りましょうか」
ああ、ああ。死(救い)が近づいている。
私は手元にある私の顔が書かれたボタンを押す。
全員が投票を終えたからか、天井からモニターが降りてくる。そこには「投票結果」とあった。
素っ頓狂なドラムロールが流れる。
私を祝福する音。今更涙は流れない。
この音が止めば、二十一年に渡る私の結末が表示される。
それは数秒だったか、それ以上だっただろうか。
いくらともとれる時間の後、それは表示された。
龍山 孝幸 3票
神取 ゆりか 1票
それを見たとき、私は。
―――ありえない。最初にそう思った。
何故、私が投票されていない?
何故、龍山さんに3票も入っている?
まさか―――。
「ゆりかさん? どうしました?」
「……伊与田、くん」
彼はやはり、私を庇ったのか。
「ごめんなさい」
謝ってもどうにもならない。しかし、謝るしかなかった。
彼はきょとんとしていた。
「何を謝ることがあるんですか? 僕はあなたが生きていればそれでいいんですよ」
キザでしたかね、と言いながら彼は頭を掻く。
顔が引きつる。
「そんなわけ……ないでしょう。彼(あなた)も生きていないと……意味がないわ」
私だけが生き残るなんて、最悪だ。
「僕にはそんな大事にしているようには思えませんでしたけど……」
「大事だったわよ。ずっと。これからだって一緒にいるつもりだった」
そしていつか、あなたに看取られたかった。
「そんなにご執心だったんですね。妬けちゃうな」
「妬けちゃうって、自分(・・)の(・)こと(・・)でしょう?」
何か彼の様子が変だと思った。
まるで、違う誰かについて話しているみたいだ。
「……何を、言っているんですか?」
「何って? 彼(あなた)こそさっきから話が噛み合わないわ」
「……ゆりかさん、さっきから誰の話をしてるんです?」
もしかして、自分のことを言われてると自覚がない?
……どこまでも、朴念仁なんだから。
「……彼(あなた)って最後までデリカシーがないのね。伊与田(・・・)くん(・・)の(・)ことに(・・・)決まってる(・・・・・)じゃない」
私がそう言うと、彼は血相を変えて織野さんの元へと走っていく。
そのまま織野さんを庇うように彼女に覆いかぶさると、二人してなにか黒い蹄のようなものに押しつぶされた。
陸
「……これで満足?」
先程よりも一層表情に覇気がない。
もう一人の女性は、反対に顔を輝かせていた。
「ええ、ええ。大変素晴らしかったです」
「……」わざとやっているのか、この女は。
「何が目的なの?」
声を荒げることはしない。あくまで冷静に尋ねる。
「何とは、私がこんなゲームを開催する理由についてですか?」
「違う。わざわざ私の元へとやってきてこんな話をさせる理由よ。ゲームの方に関しては、あなたの正体含めてある程度察しが付いている」
これはハッタリではない。私がそう付け加えると彼女は顔を歪ませるように微笑んだ。
「へえ? それはお聞かせ願いたいですね。もしも的中していたのなら、今日私が足を運んだ理由についてお話してあげますよ」
「……二言はないわね」
「ええ、ええ。それよりも早く」
彼女は待ちきれないといった様子だ。
―――望むところだ。
「まず、あなたは人間じゃない。これは肯定してもらえる?」
何を今更、と彼女は頷く。
しかし、これは必須事項だ。
「……あなたの正体に関する手掛かりは、ゲームで十分開示されていた。まず、最初に流された昔話。これの冒頭よ」
記憶を手繰り寄せる。あの陰鬱な映像を脳内で再生する。
「雰囲気を出すためといえばそれまでだけど、あの部分は明らかにゲームと関係がなかった。だから私は、あれが実際に過去で起こったことだと考えた」
「豊穣を祈り、それを『禮凱』と崇め祭を催した人々、あなたは彼らを、自分の信徒と勘違いした」
正しくは彼らの方が間違って呼び寄せたのかもしれないが、どちらにせよ結果は変わらない。
「あなたはその地に降り立ち恩恵を施した。しかしその一方で、信仰は失われていった。凶作が非日常になったことで、畏れがなくなったのね」皮肉な話だ、とは言わなかった。
「あなたはそんな彼らに不満を抱いた。だから、彼らに殺し合いをさせたの」
「私の動機は、怒りではありませんよ」
訂正が入る。しかし、想定内だ。
「分かってる。供物不足でしょ?」
感情で人間を殺すような存在じゃないことは承知している。
「あなたは大いなる存在だから、召喚には相応の代償がいる。
最初は捧げもので満足……譲歩していたのでしょうけど、それもいつか信仰と共に無くなってしまった。だから、手っ取り早く村の住人全てを生贄にした」
それも村人同士による殺し合いという方法で。
「それでも足ることのなかったあなたは……今に至るまで儀式を継続した。『ゲーム』と名前を変えたのは、儀式の体裁を現在でも保つため」
ここまで話し、相手の様子を伺う。相変わらず気味の悪い笑顔だったが、満足というほどのものではなかった。
「お見事です。ふふ、ほんとに探偵なのね。でも私が聞きたいのは、私の真名のほう。そちらについてはどうお考えで?」
催促されるまでもない。最後の詰めを始める。
「……あなたの正体を確信したのは、最後。黒い蹄を見たときよ。豊穣の神で、あんな身体を持つ存在なんて限られている」
そう、あなたは―――。答えを言おうとして、
「待って」遮られる。
「あなたの言いたいことは分かったわ、でも」
それだけじゃ認められない、か。
「豊穣を祝う祭なんて世界でいくらでも行われている。どうして私が、たまたまその集落に降臨する理由があったのかしら?」
彼女の顔が急に真剣になる。
……これは彼女なりの最後の試験というわけだ。
間違えればおそらく、そこで終わり。
気合を入れなおすために、深呼吸をしてから答えた。
「……あなたは、『れいがい』という言葉に反応した」
ピクリと眉が動く。
「それは、その言葉があなたに『羚外(れいがい)』、『外(・)なる(・・)羊(・)の(・)神(・)』という単語を連想させたから」
態度から確かな手ごたえを感じる。お互いの口角が上がる。
―――ここまで言えばわかるでしょう?
彼が横にいたならば、そう促しただろう。
でも彼は死んだ。だから私がそのまま答えを口にする。
「あなたの正体はシュブ(・・・)=(・)ニグラス(・・・・)。豊穣を司る、黒山羊」
漆
「あは」
真名を告げられた彼女は、とつじょ嗤いだした。
「あは、あは。アハハ! アハハハハハハハハ!!」
「……何が可笑しいの?」
「何が可笑しいかですって? うふ、うふふ。全てが可笑しくてたまらない。私が、私がシュブ=ニグラスですって?」
「そう言ったわ」
間違ってなどいないはずだ。
「ふふふふふ。そんな不可解な顔をしないで。大正解(・・・)よ」
「じゃあなぜ笑っているの」
「なぜって、まさか本当にその名を口にするとは思わなかったから。貴方、本当にそう(・・)だったらどうするの?」
相手の発言の意味が分からず、黙る。
「普通の人間なら、そうだと思っていても畏れ多くて口にできないわ。それを貴方はあんなにあっさりと」
彼女が私を見つめなおす。
「私、貴方を気に入ったわ」
「そんなことはどうでもいい。早くあなたの目的を聞かせて」
気味が悪い。話を本題に戻す。
「ふふ、そういえばそうだったわね。随分と時間がかかったけど、本題に入りましょうか」
彼女はやっと笑うことを止めた。
「私はあなた(・・・)の(・)願い(・・)を叶えに来たの」
「……悪いけど、私はもう死ぬつもりなんてない」
少なくとも、彼がいなければ。
「それはさっき貴方の話を聞いて分かったわ」
「だ(・)から(・・)、彼(・・)を(・)返して(・・・)あげる(・・・)」
捌
「……何ですって?」
「私ね、この前のゲームで召喚に必要な命は全部頂いたの。いえ、一つ余分に貰っちゃった」
申し訳なさそうに言う彼女。
「だから、返してあげる」
「騙されないわ」
即答、きっぱりと跳ねのける。
「完璧な死者の蘇生はいかにあなた達のような存在でも難しいと聞いている。私は集落の人間とは違う。領域外の存在からの施しなんて受けない」
神からの誘いなんて必ず悪意がある。
「私がいつ彼を生き返らせる(・・・・・・)だなんて言った?」
「……彼は確かに死んだ。私がこの目で見た」
「私はね、自分の子として彼(・)を(・)取り込んだ(・・・・・)の。だから貴方が望むなら、彼をこの地に再び産み落としてあげる」
『千匹の仔を孕みし森の黒山羊』なんて呼ばれたりもしてるんだから、と彼女は得意げに口にする。
信用できない。
……だけど、もし、彼女の言うことが本当ならば。
彼と、再び会うことができる。
それは願ってもないことで、幸運以外の何物でもなくて。
でも。
「……彼と会って、私はなんて説明すればいいの?」
「そんなの知らないわ。というか彼は全部(・・)知って(・・・)いる(・・)」
私が尋ねる前に、彼女は言った。
「だって、さっき聞いたからね」
「私はシュブ=ニグラスの分体(・・)、子ども(・・・)よ。まさか本物のシュブ=ニグラスだと思っていた? もしそうだとしたら、貴方とっくに発狂(・・)して(・・)死んで(・・・)いた(・・)わ」
彼女に笑われる。
仇に気を使われていたことは、この際どうでもよかった。
「あなたが彼になるとして、何か問題はないの?」
後遺症、副作用、あるいは記憶障害などを懸念する。
「その点は安心して。私は今彼に憑依しているだけで、もう少しすれば身体も精神も伊与田 明に戻るから」
憎むべき相手であるのに、感謝の念を抱いてしまう。
「ここまでするなんて、貴方特別よ? だからまた死にたいだなんて口にしたら、今度はまとめて私の子供にしてあげる」
……全てを知っている彼を前に、「死にたい」だなんて言えるわけがない。そう答えると、彼女は満足そうに頷いた。
「そう、よかったわ」
楽しかった、そう言うと目の前の女性(シュブ=ニグラス)は、そこに身体を残して消えていった。
そして、その場には伊与田 明が残る。
操作主を失い倒れる、彼の身体を慌てて抱きかかえる。
腕で彼の存在を確かめる。温かく、生命があることを実感する。
彼は、直ぐに意識を取り戻した。
眠そうだ。意識がハッキリしていない。その様子に、たまらなく愛おしさを覚える。
「ゆりかさん……?」
彼が、私の名前を呼ぶ。
「伊与田くん」
泣きそうになるのを必死にこらえる。
「意識が朦朧としていたとはいえ、いきなり知人の女性を下の名前で呼ぶのはいただけないわね―――」
レイガイ @KBunBun
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