第86話:オルジア帝国の切り札! それは暁光帝の秘密だった! えっ、ボクのプライヴァシーは!?

 国家の“切り札”という言葉から連想されるものは何だろうか。

 軍事的な秘密兵器、大国との秘密条約、敵国を混乱させる秘密工作などだろう。

 しかし、ヴェズ朝オルジア帝国の切り札はそのどれでもなかった。

 帝位継承に際して表の戴冠式に隠れて行われる裏の儀式、それは初代皇帝、神君しんくんチシュピシュ1世の手記を新皇帝が自分で書き写す作業だった。

 その写本の内容こそが帝国の切り札。

 そこに描かれていたことの大まかな内容は……



曇天どんてんの雲が破裂して龍の闇が到来。暗闇くらやみの中、女帝様が舞い降りる。

・暁の女帝様:【呼んだ?】(すべての臣民の耳元へ風魔法で紡いだ言葉を届ける)

・チシュピシュ:(風魔法で声を飛ばして)【はっ、陛下のご尊顔そんがんはいたてまつり、不肖ふしょう、この宰相さいしょうチシュピシュ・ヴェズ、恐悦至極きょうえつしごくに存じまする。陛下をお呼びしたおろものはお御足みあしの下で果ててございます】(五体投地で顔を地面に埋めながら)

・暁の女帝様:【あ、そぉ…】(困惑顔)

・暁の女帝様:【次に呼ぶ時はもう少し離れて待っていてね】

・チシュピシュ:【ははっ! なんとお優しい…すべて御心みこころのままに成すことを、アプタル朝オルジア帝国が宰相であるこのわたくしめがお約束いたします】

・暁の女帝様:【うん。じゃっ!】(六翼に力を込める)

・ドーン!!(六翼が大気を切り裂く轟音)

・チシュピシュ:【おぶぅっ! おっ、お待ちくだ…ここで飛ばれては……】

・暁の女帝様:【あっ、うん…】(自分の鱗を投げる)

・チシュピシュ:「おっ、おぉぅっ!」(一枚の龍鱗が地面に突き刺さり、風を防ぐ)

・暁の女帝様:【気をつけてねー】

・ドドーン!!(女帝様が飛び立つ轟音)

・チシュピシュ:「うんげれべっつぉおれぇぇーっ!!」(五体投地のまま石にかじりついて絶叫)

・本日、只今、ここにアプタル朝オルジア帝国、滅亡\(^o^)/



 ……という、何ともまらない話だった。

 「何ですか、これは? いや、これこそがオルゼポリスの喜劇の真実…なのか。何ということだ!」

 あまりの衝撃に宰相がよろめく。

 「女帝様がいかめしい文語体ぶんごたいで喋っていない!」

 愕然がくぜんとして立ち尽くしている。

 数多あまたの歴史書にのぼる暁光帝はしばしば厳格な古文で語る様子を描写されていた。もちろん、彼女が実際に喋っているところを見た歴史家はいないが、理不尽そのものである超存在に対してそういう印象を持つのは無理からぬことであろう。

 「うむ。ちんも最初に読んだ時はずいぶんたまげたものぞよ」

 皇帝も同じ印象をいだいたのだ。

 「どうして暁の女帝様はかように砕けた喋り方をなされるのであろうか? これでは威厳というものが全く感じられないではないか」

 「人間の王ではありません。“権威”が不要だからでしょう。全てを自分で行われますし、配下の全てよりも強大でいらっしゃるのですからね」

 「むむむ…女帝様には悩みがあらせられないということか?」

 「あらせられるのかもしれませんが、陛下とは違うのでしょう。俗世とは関わらぬよう暮らしているのかもしれませんし」

 「むぅ…それでも女帝様の治世ちせいは回る…か。うらやましい限りであるな……」

 「ええ。それが暁光帝でありますから……」

 語り合う2人の為政者、俗世の管理人はため息をく。

 けれども、緊急事態である。ため息を吐いて終わりにするわけにはいかない。

 「むむむ…神君は声を張り上げて喋ったわけじゃないし、エーテル颶風ぐふうが帝都を吹き飛ばしたわけでもない! あの破壊は女帝様が只、飛び立たれただけであったのか……」

 写本には実際にあった当時の出来事がしるされていた。

 自分を“稀代きだい詐欺師さぎし”と称した通り、初代皇帝はオルゼポリスの喜劇についても嘘をいていたのだ。

 「神君、ションベンらしてませんでしたね……」

 写本を読んで気になったくだりを指摘する。

 「うむ。ちんも2番目に気になったところであるぞ」

 1番目はもちろん暁光帝の口調である。

 それでも大の大人、それも帝国の宰相をつとめた男が失禁していないことを確認できて嬉しかった。

 だが、失禁しなかった理由は単純に出す尿が尽きていたからだろうとも思っていた。

 暁光帝に出会って目をそむけ、逃げ出す者はまともなのだ。いや、何も出来ずに硬直して立ち尽くしている間に踏みつぶされる者が大半。えて向かう者はガタガタ震えて、失禁し、うずくまる。それですら幸福な方であり、多くは嘔吐して発狂、そのまま廃人と化して果てるのだ。

 「ふぅむ…被害者の数も20万人ではなく、『推定10万人か、それ未満』って書いてありますな」

 「当時の帝都は疫病禍に襲われて人口が激減していたのだ。しかも、暁光帝のマラソンで46回も踏みつけられていたからの。大勢の臣民が逃げ出していたであろうぞ」

 「なるほど、犠牲者を多めに見積もって喧伝けんでんしたのですな」

 「全ては彼女の権威をさんがため。暁の女帝様は皇帝が小便を漏らさずにいられないほどに恐ろしく、20万人をあやめるほどに強力である…と神君は広めたかったのであろう」

 「自分がどれだけ恥をかいても…ですか」

 やはり、名君。

 “稀代きだい詐欺師さぎし”を自称するチシュピシュ1世は自分が汚れようとも大望たいもうを果たすべくつとめたのだ。

 「とりあえず、である。写本のおかげで朕は暁の女帝様について世界で一番よく理解していると考えて欲しいのである」

 皇帝は重々しく告げる。

 「な…なるほど…そ、そうか! 帝国の切り札は初代皇帝の手記! そこに記された情報だったのですね! それはまさか!?」

 宰相がどよめく。

 写本の価値にようやく思いが至ったのだ。

 その真なる意味を想像すると身が震える。

 「明らかなことは暁の女帝様が瓦礫街がれきがいリュッダへ遊びにいらしたということである。ず、この事実を前提に対策を考えよ」

 皇帝は明言し、命じる。

 そして、論拠を示す。

 「女帝様はこの世の真の支配者であらせられる。だから、彼女に命令できる者は存在せぬ。あの御方おかたは誰にもへりくだらず、何者も恐れず、只、自由に空を飛ばれる」

 帝都の空を横切る暁光帝を何度も見ている。

 彼女が自国の上を飛ぶ時、為政者は1人の例外なく、『降りてきませんように』と祈りながら天空を見つめるのだ。

 雲上を飛ぶ、その悠然ゆうぜんたる姿を見つめながら皇帝はうらやましいと思った。

 超大国の独裁者であっても様々な者らの声には耳を傾けねばならない。経済を牛耳ぎゅうじる大商人、たみをまとめる大貴族、神殿や教会の司祭長、そういった連中から陳情ちんじょうを受ける。占星術師の話も無視できない。

 オルジア皇帝であっても1つの決断を下すのにさえ大変な労力がかかるのだ。

 だから、全てをたった1頭で決める暁光帝にあこがれる。

 非常に自由で、非常に暇そうだ。

 「確かに孤高の八龍オクトソラスが何かするとしたら“遊び”ですからね。暁の女帝様が瓦礫街リュッダにいらしたのも“遊び”なのでしょう」

 あまりにも異常な事態であるが、ようやく納得した宰相である。

 暁光帝は本当に遊びに来たらしい。

 しかし、それは予測不能な彼女が更にわからなくなったということだ。

 気まぐれに街を踏み潰すか、かくれんぼで街を全壊させるか、くしゃみで街を消し飛ばすか。

 超巨大ドラゴンに関わってしまった以上、瓦礫街リュッダは風前ふうぜんともしびである。

 いつ消えてなくなってもおかしくない。

 「ふむ…世界は暁の女帝様について何も知らんのだ。初代皇帝である神君チシュピシュが稀代きだい詐欺師さぎしだったからな」

 自分の先祖をこき下ろすか。

 いな

 “詐欺師”ではない。

 “稀代の詐欺師”だ。

 それは敬称。

 彼がオルゼポリスの喜劇について編纂へんさんさせた正史からもそれがわかる。

 ヴェズ朝オルジア帝国が発行した歴史書『新・龍の観るオルジア』の中で暁光帝は……



曇天どんてんの雲が破裂して龍の闇が到来。暗闇くらやみの中、女帝様が舞い降りる。

・暁の女帝様(憤慨ふんがい):【アプタル8世は暗愚のみかどなり。故にアプタル朝、滅ぶべし】

・チシュピシュ(土下座で):【ははー! おっしゃるとおりでございます!】

・暁の女帝様(激高げっこう):【呼んでおいて歓待かんたいせず。かような狼藉ろうぜきを働きし帝都オルゼポリス、断じて許すまじ。がエーテル颶風ぐふうにて全てを灰燼かいじんさしめん】

・チシュピシュ(失禁しながら):【お慈悲を! 哀れな人間めにお慈悲をー!】(おしっこジョバー!)

・暁の女帝様(上機嫌):【しかれども、宰相チシュピシュのかしこきこと、余は感じ入りたり。汝こそが人の世をおさむべし】

・チシュピシュ(土下座したまま):【ははー! して! 伏してうけたまわりましてございまする!!】

・暁の女帝様(憤怒ふんぬ):【では、愚かな人間どもは覚悟せよ! エーテル颶風ぐふう!】(ドバビューン!!)

・チシュピシュ:「うんげれべっつぉおれぇぇーっ!!」(五体投地のまま石にかじりついて絶叫)

・帝都がたいらにならされて、臣民は皆殺しにされ、帝国軍も全滅した。

・皇子や皇女も死にえてアプタル帝室は断絶。

・ここにめでたくアプタル朝オルジア帝国、滅亡\(^o^)/



 ……このように語ったとされている。

 現実に起きたこと、事実はこの正史にかすりもしない。

 アプタル8世にも、帝都オルゼポリスにも、自分が語りかけたチシュピシュ1世の使命にさえ、暁光帝は一言も言及しなかった。

 自分を呼び出した皇帝にも、呼んでおいて歓迎しない都市にも、怒っていない。

 どうでもよかったのだ。

 驚くべきことに。

 みかどにも、国にも、たみにも、彼女は全く関心がなかったのである。 

 では、何故、彼女の目に止まることさえなかった帝都の臣民らは滅ぼされたのか。

 この疑問に応えるべく皇帝はしっかり相手の目を見据みすえ。

 「この写本の中から読み取れる帝国の切り札、それはな…」

 語る。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ!


 強烈な圧迫感を与えつつ。

 「暁の女帝様には挨拶しない者が見えないのだ!」

 驚くべき真実を告げる。

 「しかも、風の魔法で言葉を編まない限り、決して彼女には伝わらないのである!」

 皇帝の告げた内容は宰相に強烈な衝撃を与える。


 ドーン!


 「何と!? では…では……」

 その脳裏に様々な想いが巡る。

 オルゼポリスの喜劇が起きた当時、大勢の臣民が犠牲になったのは返事をしなかったからだったのだ。

 そんな理由であれほどの惨劇に至ったのかという想いがつのる。

 しかし、それも違うのだろう。

 暁光帝は挨拶を返さなかった人々が初めから目に入っていなかったのだ。

 一応、全員に声を掛けたものの、返事をしたのはチシュピシュ1人だけだった。だから、他の人々は『何だ、気のせいか』で片付けられてしまったのだろう。

 また、正史では『神君チシュピシュが大声を張り上げて女帝に訴えたので話を聞いてもらえた』とあるが、よく考えてみれば大勢が悲鳴を上げて逃げ惑う喧騒けんそうの中で1人が声を張り上げたくらいで聞いてもらえるわけがない。

 「普通に四足よつあしでお歩き遊ばされたとて女帝様の御髪おぐしは雲をかれる。文字通りの意味で、な。ましてや、後ろ足で立ち上がり遊ばされれば、雲よりはるか上へ至られるのだぞ」

 あきらめきった顔で語る皇帝。

 その言葉が意味するところは明らかだ。

 「誰がどれだけ叫んだとて声を雲の上まで届かせることは不可能であるぞよ」

 現実を語る。

 「ハッ!」

 わかりやすい表現を聞いて想像し、宰相は気づく。

 結局、そういうことなのだ。

 暁光帝はあまりにも巨大で人間に気づくことはない。

 「お主は庭の薔薇に付いたアブラムシがテントウムシに食われて上げる悲鳴が聞こえるか? そういうことである」

 いやはや何ともと言いたげに皇帝は首を振る。

 「む…むぅ……」

 あまりのことに宰相はうなることしか出来ない。

 人間はあまりに小さすぎてどんなに泣き叫んでも暁光帝に気づいてもらえない。

 チシュピシュ1世は風の精霊魔法で言葉を伝えた最初のアブラムシなのだ。

 当時、人々が悲鳴を上げて逃げ惑う、この世の地獄にも。

 風魔法の拡声術が使える者は他にもいただろう。

 暁光帝を見て震え上がっていても声を掛けられるほどには正気を保っていられた者は他にもいただろう。

 けれども、両方できて、なおかつ、彼女に事情を説明できるくらい冷静だった者はチシュピシュ1世をおいて他にはいなかったのだ。

 故に、その業績がとてつもなく偉大であることは間違いない。

 「これが帝国の切り札である。我々だけが暁の女帝様に語りかける手段を持っておるのだ」

 皇帝は視線を鋭くする。

 暁光帝に対応する最高の手段、それは“話し合い”である。

 ヴェズ朝オルジア帝国だけがそれを実現できる。

 他国を置いてさきんじる圧倒的アドバンテージだ。

 「しかし、なるほど…これで合点がてんがいきましたぞ。先帝様と兄上様方は……」

 宰相はしきりとうなずく。

 先帝は女性だったのだ。本来、これは大変に異常なことだ。オルジア帝国は何よりも力をたっぶ粗野な男性社会であり、女性はずいぶんかろんじられる。だから、オルジア皇帝が女帝であることは珍しい。

 また、今の皇帝には優秀な兄らがいた。そう、複数いたのだ。けれども、先帝は人格も識見しきけんも体格も優れた兄らを退しりぞけた。

 何故、女性が軽んじられる男性社会で女性が帝位にけたのか。

 何故、優れた兄らが退けられて凡庸ぼんような弟が帝位に就けたのか。

 その理由は明らかだ。

 「うむ。母上は…先帝様は風魔法をよく使えた。そして兄上らは使えなかったのである」

 皇帝は力強くうなずく。

 「先帝様に『次の皇帝はお前だ』と告げられて以来、兄上らの恨み言、誹謗ひぼう中傷は酷いものだったが…この写本のおかげで一気に自信を取り戻せたのである」

 自分は風の精霊魔法に適正がある。

 拡声の術も得意だ。

 だから、帝位に就けた。

 思えば、魔法適性の審査とともに先帝のおぼえめでたく待遇が良くなったものだ。

 「オルジア皇帝はいざという時、自分の言葉で暁の女帝様に語り掛けねばならぬ」

 通訳など使えない。

 はるか雲の上にある暁光帝の耳に風魔法でつむいだ言葉を届けなければならないのだ。

 それが出来ない者にオルジア皇帝はつとまらない。

 暁の女帝とどう付き合うか、それは帝国にとって最大の課題であり、それが上手く出来る者だけが帝位に就けるのである。

 この事実の前では『たくましい』とか、『優秀である』とか、『女性である』とか、そんなことは部屋のすみに溜まったほこりほどの意味もない。

 それほどまでに“暁光帝”という超存在が持つ意味は絶大なのだ。

 「朕は凡愚ぼんぐであるが、いざという時、女帝様とお話しさせていただけるのだ。それこそが最も重要なことなのである」

 胸を張る。

 血統と能力で自分は帝位に就いた。

 これは正統な帝位継承であり、何者にも文句を言わせない。

 「凡愚に足りぬものは宰相のお主がおぎなってくれるからな。朕は満足である」

 ニヤリ笑って宰相の肩を叩く。

 「はい。わたくしにお任せください」

 宰相も応える。

 2人はなかなか良いコンビである。

 「うむ…では、話を続けるぞよ」

 照れ隠しの笑いで誤魔化ごまかすと、皇帝は気持ちを切り替えて重々しく話し出す。

 「切り札はこれだけではない。さらにもう1つ……」


 ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!


 異様な雰囲気をかもし出す。

 「まだ何かあるのですか!?」

 その様子に宰相は気圧けおされる。

 「それは……」

 「それは?」

 ゴクリと喉を鳴らす。

 「暁の女帝様は優しくて思いやりのあるしとやかな貴婦人レディであらせられるのだ!」

 皇帝はオルジア帝国の最高機密を告げる。


 ズッドーン!!


 「何ですとーッ!?」

 腰が砕けてうずくまってしまう。これほどの衝撃を味わったことはない。

 一瞬、自分の気が狂ったのかと案じたが、写本の内容から考えてそれは十分に肯定こうていできる情報だった。

 暁光帝の語り口は優しくて思いやりがあり、どことなくしとやかだ。

 飛び立つときにも哀れなチシュピシュ1世が吹き飛ばないように自分のうろこはな心配こころくばりをみせた。

 砕けた口調だが、貴婦人であることがうかがえる。

 これは何を意味するのか。

 宰相は頭の切れる男だ。

 「およそ信じがたい話ですが、女帝様は…人語を解する敵対的でないドラゴン…であらせられるのですね」

 重大な情報を口にする。

 この情報はオルジア帝国に強烈なアドバンテージを与える。

 こちらに交渉の手段があって、向こうが交渉に応じる用意があるということなのだ。

 話し合いとなれば政治家の独壇場どくだんじょうだ。

 宰相は外交に自信があり、異文化との交渉はお手の物である。

 海千うみせん山千やませんの政治家の手にかかれば、世間知らずの貴婦人ドラゴンなどたやすく丸め込めるだろう。

 「上手うまくすれば…暁の女帝様をあやつってゲロマリス魔界や神聖ブジュミンド王国、いや、フキャーエ竜帝国すら征服することが可能……」

 無敵の兵器が得られる。

 こちらには神殺しの怪物がついているのだ。

 断言しよう。

 どんな戦争も絶対に負けることがなくなるのである。

 何なら世界を相手に一国で戦っても圧勝できるに違いない。

 いな、戦争に及ぶまでもない。暁光帝の威光をもってすれば居並ぶ大国の群れをことごとく圧倒できるだろう。

 夢が広がりまくる。

 「いやいや、暴走してはいかん。もっともわかりやすい破滅の形だぞ。下手へたに関われば亡国まっしぐらである」

 ブルブル震えて皇帝は首を振る。

 暁光帝をおのれの野心に利用したやからはことごとく非業ひごうの最後をげている。歴史的に見てもそこには一切の例外がない。

 「オルゼポリスの喜劇は言うに及ばず、デティヨン海の悲劇、大峡谷だいきょうこくのマラソン、大いなる海水浴…帝国を破滅に追いやった女帝様の偉業なぞ数え切れんわ……」

 そびえ立つ暁光帝の鱗の先、見えない天辺てっぺんをを見上げてため息をく。

 “大峡谷のマラソン”は帝都に近い大峡谷の底を暁光帝が3日3晩、駆けずり回った事件である。

 “大いなる海水浴”は碧中海へきちゅうかいで突如、暁光帝が水浴びを始めて沿岸地域が壊滅した事件である。

 いずれも偉業に驚いた有力者どもが『凶兆きょうちょうだ』『皇帝は彼女に見放されたのだ』と騒いで内乱に発展し、皇帝がたれて国が滅びた。

 仕方がない。

 暁光帝が地上に降りてしまったのだから。

 皇帝は思う。

 歴史的にしばしば滅亡するオルジア帝国だが、滅亡した原因の半分くらいは暁の女帝様にあるのではないか、と。

 それでもオルゼポリスの喜劇は様々なものをオルジア帝国にもたらしたことは間違いない。

 「今、朕は恵まれておるのだ。神君の時代に比べて国力は増し、軍馬も兵士も十分。海軍も育っておる。瓦礫街リュッダごとき、いかようにも叩きつぶせるほどの力を得た」

 戦争をずに国家を繁栄させたチシュピシュ1世は偉大な名君だったが、そのため、周辺諸国とは融和ゆうわ的な政策を取らざるを得なかった。

 とりわけ、フキャーエ竜帝国にはだいぶおもねる形になってしまった。それは援助を受けながらふんぞり返るような真似はできなかったのだろう。

 だが、国力が増した今ならかなり無理が効く。

 軍事力を背景にして恫喝どうかつする外交も国家政策の選択肢に入れられる。

 「だから、朕は瓦礫街リュッダにも圧力を加えてきたのだが……」

 陸海の両面から軍事的な圧力を掛けて、オルジア帝国に有利な外交を展開しようと始めた矢先やさきだったのだ。

 「“暁光帝、降りる”…彼女が地上にお降り遊ばされてしまいましたからね…これは千載一遇せんざいいちぐう好機チャンスかと存じますが?」

 宰相も悩んだ。

 こちらには2枚の切り札がある。

 これらのカードを切れば暁の女帝様であっても利用できる。

 「危険すぎるぞよ!」

 皇帝は宰相の心を読んだかのように叫んだ。

 「オルゼポリスの喜劇を思い出すが良い! 彼女は帝都を破壊なさったのではない! 只、単に飛び立たれただけなのだぞ!」

 彼女は神殺しの怪物。

 敵意も、悪意も、害意も、何もなくても国が滅びる規模の大災害をもたらす超巨大ドラゴンなのだ。

 下手に関わればヴェズ朝も滅亡するだろう。跡形あとかたもなく消し去られたアプタル朝のように。

 「けれども、う〜む…遊びにいらしたのであれば、我々が優先するべきは“邪魔をしない”ことですな」

 提案する。

 消極的な方針であるが、有効な手段かもしれない。

 もっとも、皇帝は浮かぬ顔だ。

 「ふぅむ…しかし、そもそも人間が束になったところで女帝様の邪魔などできるものだろうか?」

 根本的な問題を提示する。

 庭の薔薇に付いたアブラムシが何万匹かかろうとも貴婦人の歩みは止められない。

 実際、百万の大軍で行く手をふさいでみても暁の女帝様には何の意味もなかったではないか。またたく間につぶされて皆殺しにされただけである。その上、気づいてももらえなかった。

 「いいえ。逆に考えるのです。我々が目立たず、おとなしく控えていて、代わりに他国が女帝様の遊びを邪魔をすれば……」

 宰相はニヤリと笑い、口元を歪ませる。

 それが何であるかは構わない。

 常識的に考えれば人間が彼女の邪魔をできるわけがない。

 だが、常識で測れないのが暁光帝だ。

 「単純に可能性の問題かと。我々は関わらないようにして遊びの邪魔する可能性を排除する。他国には残す。それだけで……」

 最後まで言わない。

 自分が手を汚さなくとも、他国が関わればそこは超巨大ドラゴンに何かされて滅びるだろう。

 少なくとも自国にるいが及ぶのを避けられる。

 「なるほど。それはよいぞ、よいぞ」

 味方が無事で敵が消える、一石いっせき二鳥にちょうである。

 皇帝は諸手もろてを上げて宰相の意見を歓迎する。

 「よし、瓦礫街リュッダへの作戦行動はすべて中止ぞ」

 すぐさま決定した。

 この件に関しては口うるさい有力者どもに相談する必要はない。

 法律にも明文化されている。暁光帝については悠長に相談している暇がない。即断即決が求められるので皇帝の専権せんけん事項なのだ。

 いずれ、帝国の有力者達にも『暁光帝、降りる』の一報は伝わるだろう。しかし、彼らが皇帝の決定に口を挟むことない。為政者として関わらねばならぬとわかっていても暁の女帝様には関わりたくないからだ。

 「万が一にも、女帝様から『返せ』とは言われとうないからな」

 紫の金属光沢に輝いてそびえる、暁光帝のうろこをしみじみと見上げる。

 やはり天辺てっぺんが見えない。

 わずかに傾いた太陽が何百年も変わらない“壁”をきらめかせている。ろくに手入れもされていないのに打ち出されたばかりの新品の剣のようだ。

 何十年、何百年、何千年、長い時を経て世界は様々に変化した。

 その間にオルジア帝国は何度、滅びたことだろう。

 万物は流転るてんする。

 しかし、暁光帝の鱗は下賜かしされたときから変わらず、その表面には毛ほどのくもりもない。

 彼女だけが永遠にして不変なのだ。

 なんともはや。

 「朕はうらやんでいるのか、それとも……」

 天窓の太陽が鱗の表面に映って、反射光がまぶしい。

 「……」

 宰相は主君の疑問に何も答えられなかった。



****************************



 その日、『暁光帝、降りる』の一報が伝えられた碧中海の沿岸諸国は戦慄した。



 ずはヒト族の列強。

 瓦礫街リュッダをようするペッリャ王国は幼い国王が治めており、政情が不安定であるため、全てをリュッダ領主“英雄”ジャクソン・ビアズリー伯爵に任せることに決定した。

 もともと、暁の女帝に敏感なヴェズ朝オルジア帝国は何の声明も出すことなく、全ての軍事行動を停止。オルジア艦隊もリュッダ近海から撤退した。

 碧中海の南沿岸、ダヴァノハウ大陸で盛んに商業をいとなんでいるポイニクス連合は民主的な指導体制が裏目に出て混乱。国家としてどう対応するべきか、決めかねて、喧々けんけん諤々がくがく、議論が紛糾ふんきゅうした。夕刻には『静観すべし』で意見の一致が見られたが、冒険したがる商人も少なからず。商業大国らしい問題を残した。



 続いて、ヒト族を主体としない文明国について。

 妖精人エルフ族の妖精郷エルファムや小人ドワーフ族のドワーフ地下王国など、碧中海から距離のある他の文明国は騒いだものの、おおやけには静観する姿勢を見せた。そして、一般の人々については一切、公表せず、活動の自由を認めた。そのせいで商人や冒険者らの活動は今まで通りだった。

 これは1つでも多く情報が欲しかったからであって混乱を恐れたわけではない。

 ダヴァノハウ大陸はポイニクス連合のさらに南に位置する死の砂漠、エーリュシオンは暁光帝と同じ孤高の八龍オクトソラスの1頭、青龍カエルレアを信奉する国家だ。闇妖精人ダークエルフ族はしばしば青龍とともに雨季の雷雲をもたらしてくれると判明した暁の女帝について態度を決めかねていたため、大変な問題になってしまった。2頭が敵対しているのか、友好しているのか、わからなかったからである。

 半魚人マーフォーク族のピッシュムスクワマエ連合はリュッダ領海を支配している。海上を瓦礫街リュッダのヒト族が、海中をマーフォーク族が担当する形であり、2国は協力関係にある。彼らにも緊急通報が入り、強い衝撃を与えた。暁光帝は海中にだって何の障害もなく侵入してくるからである。しかし、一報は『火山島へ降りた』と明示していたので騒ぎはすぐに沈静化した。国家として事態の公表は避け、エルフらと同じく、人々の活動には干渉しない方針である。

 蟻甲人ミュルミドーン族のフォルミカ大帝国はこの緊急事態にもおののかず、冷静に対応した。女王アリらを分散させ、地下深くへ保護したのだ。また、休眠状態のさなぎを起こす準備もとどこおりなく行われた。

 蜥蜴人リザードマン族のフキャーエ竜帝国は一報を聞いて竜帝カザラダニヴァインズが寝込んだため、大混乱におちいった。



 次に非文明国であるが。

 侏儒ゴブリン族の南ゴブリン王国も静観の姿勢を示した。わざわざやぶをつついて蛇を出すこともないという判断である。

 偉大なるプガギューの国、豚人オーク族の大集団は一報におびえて統一見解を出せなかった。もっとも、オーク海賊は3日前からリュッダ海域から一斉に退いていた。

 犬人コボルト族が住むドワーフの傀儡かいらい国家、そして、童人ホビット巨人パタゴンの共生国家にも情報は伝えられたが、いつもどおり彼らは右往うおう左往さおうするばかりで何も決定できなかった。

 また、他の有力な集団や都市国家、盗賊団のたぐいには一報が伝えられなかったため、組織的な対応は見られなかった。



 『暁光帝、降りる』の一報は非常にデリケートな世界情勢に冷水ひやみずを浴びせ、列強も非文明国もおおむね活動が沈静化したのである。

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