第7話:暁光帝、ラスボスの心得を知らず。…って、いや、そーたこつ、わがんねーし!

 「そ…そう…ですか。ブタよりも小さい……あ、こちらこそよろしく…お願いします」

 デルフィーナも圧倒された、いろいろな意味で。

 銃を見て、銃の構造を理解していて、今、目の前に銃を構えた人間がいて、なぜ、恐れないのか。

 ゴブリンどもに高価なワンピースを破かれて、なぜ、上機嫌なのか。

 およそ見たこともない、わけのわからない回転の挨拶は何なのか。

 魔力で髪の毛を操ってスカートの布地を持ち上げているはずのに、なぜ、魔力の波動をまったく感じないのか。

 さっぱりわからない。

 しかし、本能的に理解した。

 今、ここがルビコン川のきわだと。

 渡れば栄達、退いても安泰あんたい

 そう理解したものの、デルフィーナは野心家だ。勝負を降りない。

 「ブタよりも小さい、旅人のアスタさんはいろいろなものを見てきたんでしょうね」

 “ブタより大きいヒト族の子供”がいたら見てみたいものだと思いながらも、ルビコン川を渡る方を選んだのである。

 言葉を連ねて目の目の前の異常な少女について探る。

 相手が気に入っているらしい、珍妙な修飾語を追加して尋ねる方針で。

 「ええ。ボクよりも多く物事を見てきた者はあんまりいないでしょうね」

 紫のロングヘアーに力を込め、巻きつかせてボロボロのスカートの裾を更に持ち上げる。

 それまで以上にふんぞり返りながら。

 思いっきり油断している。

 デルフィーナは勝負に勝ったらしい。

 目の前の少女は何とも上機嫌に見える。

 「ああ、素晴らしい。それでは…」

 その様子に目を見張りながら、ゴブリン達をし示し。

 「こ奴らは私が指導している気違きちがいどもでして。ええ、三角法も使えない、未開の土人なんですが…どうにも悩ましいのですよ」

 困ったような顔をしてみせる。

 「こ奴らは私の思っている人種ではないようなのです。経験豊かな貴女であれば人種を同定できるのではないかと…さて、どう見えましょうか?」

 や汗をらしつつ、へりくだって尋ねる。

 さて、少女は何と答えるか。

 注目していると。

 「三角測量は…ね。まぁ、人間は種類が多くて困りますよ。でも、ご安心下さい。ボクは経験豊富なのでわかります」

 周囲の掘っ立て小屋から顔を覗かせる醜い灰色の侏儒しゅじゅ達を指差しながら。

 「彼らはドワーフです」

 言い切った。

 自信満々で。

 「グゲッ? 何ヲ言ッテイル?」

 「俺達ガ“ドワーフ”ダト?」

 ゴブリン達もざわめくが。

 「慧眼けいがん、恐れ入ります。なるほど、ドワーフでしたか。今までずっと勘違いしてしまっていたらしい。どうりで、私の指導が上手うまく行かないわけです」

 奇妙奇天烈きみょうきてれつな回答だと思ったが、デルフィーナはおくびにも出さない。

 いかにも感じ入ったような振りを見せて童女を持ち上げる。

 「ええ、ええ。定命じょうみょうの者は複雑です。不老のエルフさんでもわからないことはあるでしょう。何でも聞いて下さい」

 童女はこの上なく上機嫌だ。

 持ち上げられていい気分になり、いつにも増して口が軽くなっている。

 「エ…エルフ? あ、ああ…」

 デルフィーナは更に動転しながらも内面の感情を押し隠し、上機嫌であるアスタに何を聞こうか、考える。

 今が好機チャンスだ。

 これを逃す手はない。

 そう判断した。

 「アスタさんは魔法にもおくわしいんで?」

 敬語は武器だ。

 へりくだることで相手の油断を誘うことができる。

 麗人は心の中の葛藤かっとうを押し隠して言葉を選んでいた。

 残念なことに言葉の初心者である童女にそんな駆け引きがわかろうはずもなく。

 「そりゃあ、もう☆ 何せ魔法を創ったのはこのボクですからね」

 頼られたことが嬉しくて仕方ない。これまた自信満々、上機嫌で答える。

 「では、私の魔法を見てもらえませんか? どうも問題があるようなのですよ」

 デルフィーナは銃を腰のホルスターにしまい、両手を広げる。

 「おや、人間の魔法を見せてくれるんですか。それはまたとないチャンス…ぜひとも拝見したいものですね」

 童女は興味津々しんしんと言った様子でうなずく。

 ワクワクする。

 このデルフィーナはエルフである。それは尖った耳からして明らかだ。

 エルフは定命の者ではなく不老の人種である。長身で見目麗みめうるわしい者が多く、魔法が得意でありながら平和をたっとぶ、理知的で上品な人種だ。

 このデルフィーナ、見た目から年齢はわからないものの、この落ち着きようである。おそらく、そうとう高レベルの魔法を修めてきたことだろう。

 幻獣モンスターと違う、人間の魔法、とくと見せてもらうとしよう。

 親友の緑龍テアルへ土産話みやげばなしにできるに違いない。

 カーテシーを続けたまま、しかも更にふんぞり返っているので紫のロングヘアーがスカートを持ち上げすぎて、絶対に見せてはいけない股間こかん、禁断の部分が剥き出しになってしまっている。

 「そ…それでは……」

 子供のそれとは言え、非常識な代物しろものを見せつけられてほおを染めるデルフィーナだったが、ここでひるんでは女がすたると気合いを入れた。

 両腕を前方に突き出す。

 「Σ△〒□∫○…」

 魔力を込めつつ、複雑な呪文を唱え始める。

 特級以上の魔導師だけが使える圧縮呪文コンデンスクライだ。

 同時に空中に魔法陣をふたつ浮かび上がらせる。地面に描くのではなく、何もない空中に魔気力線まきりきせんで魔法陣を描く技もまた高度な技術だ。

 「∀a∈R∀b∈R(0<a⇒∃n∈N(b<na))…」

 魔法の反動を受け止める魔幹まかんを宣言し、大地にがっちり固定させる。

 「∬▽∀○∃〜」

 圧縮呪文が複雑な魔法の術式を構成してゆく。

 それが身体の両側に固定させた浮遊魔法陣サークルフロートを実現させて、強烈な魔気力線を放ち、まぶしく輝き始めた。

 コウモリのような漆黒の翼を大きく広げ、脚を踏ん張る。

 大地に設定した魔幹は透明で目には見えないが、魔気感知できる童女とデルフィーナには明らかで。

 ほとばしる魔気力線が魔幹に絡みついてガンガン魔力を蓄えてゆく。

 「ああ、これは凄い!」

 童女はますます興奮して見つめている。

 デフフィーナの翼が広がり、数千gdrゲーデルもの魔力を発生させる魔法陣が振動を始めた。

 魔気力線が麗人の銀髪を跳ね上げる。

 魔力を制御する両腕がしびれるほどの感覚を味わいながら、指を醜く歪ませ、何かを握りつぶそうとする仕草を見せた。

 そして。

 「最大級ゲルグンド暗黒ダルク球体バル爆轟波ガジュヴァーン!!」

 宣言した魔法を走らせる。


 ズババーン!


 空間の形而上学けいじじょうがく的構造を歪ませるほどの凄まじい魔力の奔流ほんりゅうが魔幹から放たれた。

 魔幹はデルフィーナの前方、突き出した手から十分離れた場所にあり、そこから空間に魔力が結実し、おぞましい闇の球体となって童女に襲いかかる。

 「ゲゲ!」

 「イヒィッ!」

 ゴブリン達は轟音に鼓膜を痛めつけられて逃げ惑った。

 一切の光を逃さない、暗黒の球体が大気をみ込んで突進する。それは凝集した魔力が悪意と狂気をはらんで実存した、おぞましい何かだった。

 しかも大きい。

 貴族の家屋敷をも飲み込むほどに膨らみ、泡立ちながら突き進み。

 そして。

 生ける悪夢と化して童女アスタを呑み込んだ。

 その余波も凄まじく、直に暗黒球に触れた地面は一瞬でむしばまれ、グズグズと臭い立つ不快な泥に変わる。

 溶けた泥が泡立って、灰色の瘴気しょうきを吐き出す。

 有毒ガスだ。

 「ギャヒィー!」

 「逃ゲロ! ダメダ、逃ゲロ!」

 「グギャッ、グギャッ! 巻キエヲ食ラウゾッ! 逃ゲルンダッ!!」

 ゴブリン達が口々に悲鳴を上げて、転がるように逃げてゆく。

 童女の後ろにあった岩はまたたく間にただれ崩れて腐臭を放つ液体に変わっていた。

 「どうだ!?」

 取りつくろうことをやめたデルフィーナが破壊の結果を確認しようと目を開く。

 だが、そこにはわずかに期待したような光景すらなかった。

 童女は無傷で。

 そして全裸だった。

 「はぁっ!?」

 思わず、頓狂とんきょうな叫びが口をいて出てしまう。

 童女アスタはこちらを見ていた。感激した面持ちで。

 「面白い☆」

 初めて見た人間の魔法に感動している。

 そのせいで思わず紫のロングヘアーから力を抜いてしまったいた。

 もはや、つかむべきスカートは布地の残骸すら残っていないが。

 「…」

 デルフィーナは立ち尽くしていた。

 今しがた撃ち出した暗黒魔法はあらゆる物質を蝕む。熱でもない、電気でもない、力学的な衝突でもない、おぞましい何かだった。それは物質であれば、固体、液体、気体の別なく変質させ、有害な悪夢と化させしむる。

 しかも、その結果、発生する瘴気が生きとし生けるものをすべて殺すのだ。

 …殺すはずなのだ。

 …そのはずなのだ。

 しかし、童女は毒ガスの中、喜色満面きしょくまんめんで立っている。

 全裸で。

 その柔肌には火傷やけどどころか、日焼けあとのひとつすらない。

 足元の地面は暗黒球の破壊力で泡立つ有害物質に変化して溶けており、童女は太ももまで浸かってしまっているが。

 やはり気にする様子すらもなく。

 「やはり、人間は魔法が使えるんですね。面白い。今まで色々言われては来たけれど…こうしてこの目で観るのは初めてです☆」

 童女は興奮している。

 下半身を煮えたぎる毒沼にひたらせながら。

 「え…えーっと……」

 デルフィーナは見開いた目を閉じられない。

 アスタの姿が揺らいで見える。

 蝕まれた空気が瘴気と化して童女を包んで、チンダル現象を起こしているからだ。

 だが、猛毒の瘴気の中で童女はふつうに喋っている。

 あり得ないことだ。

 泥人形ゴーレム不死の怪物アンデッドモンスターでもなければ即死しているはずなのだ。

 「テアルに教えたら驚くね! うん、声帯と舌で声を作り、声で呪文を構成する…そして魔法陣に魔力を込めて魔幹を…いや、しかし、力率りきりつが低い。流し込んだ魔力と実存させた魔法に位相のズレが……」

 童女は致死性の瘴気の中で今の魔法について考え込んでいる。

 考える時の癖なのか、額に手を当てて歩き回っている。沈んでいた足を泥の粘液から力ずくで引き抜いて。

 おかげで身体を泥に囚われる事態からはまぬがれた。

 そうしている内におぞましい暗黒魔法が効力を失い、毒ガスが薄れて大気が晴れてきた。

 同時に液状化した大地が固まってゆく。

 一度溶けた泥が固体に戻るのだ。

 みるみるうちに足元の地面が岩石になった。

 「込めた魔気の流れと魔圧の波形にズレが生じていますね。構築した魔術式があらくて不整合が起きているかと…うん、うん、これでアドバイスになりましょうか?」

 アスタは嬉しそうにうなずいた。

 「えっ…あ…ア、ハイ…アリガトウゴザイマス」

 打ちのめされたデルフィーナは何とか気力を振りしぼってうなずく。

 魔導師であるから童女の言葉は理解できるものの、それが知識となって頭に入って来ない。ショックのあまり、何か、意味不明の語句の羅列のようにしか聞こえないのだ。

 「ところで、この魔法はどういう目的で使うものなんで?」

 童女は大地を腐食し、致死性の瘴気を生じさせしめた今の暗黒魔法について動作原理は理解できる。だが、使用目的がわからない。

 「えっ! あ…ああ…それは……」

 デルフィーナはあわてた。

 攻撃魔法であること、あわよくばアスタを殺そうと考えたこと、こちらの意図を悟られてはならない。

 断じて、ならない。

 とっさに思いついた答えは。

 「あ…荒れ地を整地しつつ…その…害虫を駆除する魔法ですぉ……」

 屈辱にさいなまれつつもでっち上げた使途だった。

 長く研鑽けんさんを積み、ようやく修得した、絶対の自信を抱いていた暗黒魔法を殺虫剤わりと言わねばならない。

 その屈辱は耐え難い。

 それでも口をすべらせるような真似はつつしむ。

 やまいは口よりり、わざわいは口よりず、といましめたのだ。

 プライドは傷つけられたが、重要な情報を手に入れられた。

 「なるほど、人間は工夫してるんですね☆」

 童女は腕組みして礼をしようと紫のロングヘアーに力を込める。

 スカートを摘まんでアストライアー式カーテシーを決めようと思ったのだが、肝心のスカートがない。

 いや、スカートはおろか、白いワンピースは布切れさえ残さず、蝕まれ尽くして消滅してしまったからである。

 「おや、裸ン坊はだかんぼうですね♪」

 これまた嬉しそうに笑う。

 「ほら☆」

 先ほどと同じように喜色満面で自分の全裸をさらす。

 「え…ええ……」

 デルフィーナは困惑しながらも作り笑いを浮かべて、童女を賞賛するような風を装う。

 この童女アスタの行動がわからない。

 裸の何が嬉しいのか。

 童女が来ていたワンピースは間違いなく高価なものだった。高級な布地の柔らかな様子、光り具合から考えてもそうとう良い生地を丁寧に仕上げた逸品いっぴんのはず。

 なぜ、切りきざまれた上に今度は蝕まれ尽くして消滅させられたと言うのに喜んでいるのか。

 何より、裸はまずい。

 全裸で町中を歩けるものか。

 未開のゴブリン族でも嫌がるし、野蛮なオーク族でも何もまとわない全裸を忌避きひする。たとえ、それが子供であっても、だ。

 「……」

 だが、それを童女に忠告すべきか、ためらう。

 相手の常識と自分の常識が明らかに違う時、それを互いに知らしめることは侮辱と受け取られかねない。未開の土人と付き合ってきたデルフィーナはそれをことほかよく理解していた。

 それでトラブルに見舞われたことも少なくない。

 そういう時は力ずくで黙らせてきた。

 だが、目の前の相手に力ずくという手段は間違いなく悪手あくしゅだと悟る。

 「色々ありがとうございます。ブタよりも小さい、旅人のアスタさんはこれからどちらへ?」

 やぶをつついて蛇を出すような真似は避けよう。裸については黙っていることにしたデルフィーナであった。

 「はっはっはっ、ボクはブタよりも小さいんで♪ そりゃぁ、もう、手近な人間の国に一直線ですよー」

 裸であることをまったく恥じていない。気にもしていない。それどころか“ブタよりも小さい”ことのほうがはるかに重要である。アスタの関心はまだ見ぬ人間の国に移っていた。

 「ああ、それでしたら…向こう、そうですね、馬車で3日ほど行ったところに“瓦礫街がれきがいリュッダ”という街があります」

 デルフィーナは北西を指し示す。

 嘘ではない。

 怪しい童女がここに留まることの方ががたい脅威だ。手近な街へ厄介払やっかいばらいできればありがたい。

 「それはステキな情報ですね。では、さっそく」

 童女はデルフィーナに向くと再び、両手を広げてその場でくるり回る、謎の挨拶を見せた。

 「ええ、お達者たっしゃで」

 この回転、どこの国の挨拶なのかとこれまた訝しむデルフィーナだったが、疑念を隠して爆乳の上で逆三角形の印を結ぶ。

 次の瞬間。


 ドガン!!


 耳をつんざく轟音とともにアスタが消えた。

 「はぁっ!?」

 デルフィーナは口を開けたまま閉じられない。

 まばたきする一瞬の内に童女が消え失せていたのだ。

 「な…何が起きた……」

 童女が向いていた方向には瓦礫街リュッダがある。だが、どうやって向かったのか。馬車で3日かかると教えてやったのに馬車を探すまでもなく。

 いや、何より全裸だ。

 いくら子供と言えども裸で街に入れるのか。

 あまりに常識外の出来事が続いている。

 「瓦礫街…だいじょうぶ…なのか?」

 つぶやいた。

 その口はまだしばらく閉じられそうもない。

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