第19話 熱戦と氷の槍
「これで厄介な結界はなくなったわ。そろそろ、次の魔術を見せたほうが良いんじゃなくて?」
わたしの結界を突破したカロルさんは、両手を腰に当てると、満足げに鼻を鳴らした。第一印象は、落ち着いた大人の女性みたいな感じだったのだけれど、こうやって見ると残念な大人の女性としての印象が強くなる。
それほどまでに魔術が好きなのだろうと思うと、微笑ましくもあり、うらやましくもある。
なんて失礼なことを考えている暇があるのかと言われたら、大いにあると返せる。
シエルも考えなしに逃げていたわけではなくて、アレホ戦で使っていた魔法陣のところまで逃げていたのだ。少し書き直せば十分に使いまわせるし、アレホの時には手加減のためにいろいろ詰め込んだ文字を、より戦闘向きに変えることもできる。
カロルさんもそのことに気が付いたのか、顔を引き締めて魔術の猛攻を再開した。
シエルはそれに合わせて魔法陣に魔力を送り込み、魔術を発動させる。風の弾丸で敵の魔術を自動的に迎撃する魔術。
先ほどまで結界で受けていた氷の矢を、すべて撃ち落とす方向にシフトしたわけだ。守るだけでは勝てないので、シエルは両手を前に伸ばして、カロルさんに狙いを定めた。
「
呪文とともに、炎の弾丸がカロルさんに飛んでいく。先ほどの氷の矢よろしく、無数の弾が連なっているため、1つ迎撃したところで後続に焼き払われるだろう。
驚いたのか目を見開いたカロルさんは、楽しそうに笑うと、ぼそぼそと口を動かした。すると、カロルさんの前に透明な氷の壁が現れる。光を反射するそれは、簡単に溶ける事はなくすべての炎の弾を受け止めた。
それを見たシエルが優雅に両手を動かして、カロルさんの足元に土の棘を隆起させるが、カロルさんは凍らせてそれを防ぐ。
まるで映画のワンシーンのようなド派手な魔術戦に、当事者であるにもかかわらずワクワクしてしまうのは仕方がないことではないだろうか。
そしてわたしはこれに混ざることができないということで、落ち込んでも許されると思う。
さて戦況だけれど、シエルの表情が曇るくらいには分が悪い。
魔法陣と詠唱と舞姫による攻撃と、3つを同時にこなすには、シエルの制御が甘いというのが1つ。単純に、1撃1撃の威力が足りないのが1つ。
わたしが歌姫の力を使えば簡単に覆るだろうけれど、水を差したくないというのと、シエルがどこまでできるのか限界を知りたいので、まだ手は出さない。
おそらくだけれど、魔術の持続力はシエルのほうが上で、出力はカロルさんのほうが上といったところだろう。
シエルの勝ち筋としては、このまま均衡を保ち続けてること。そうすれば、いずれカロルさんの魔力のほうが先になくなる。
ただし出力が下のシエルのほうが均衡を維持するためには、より繊細な魔術のコントロールを求められる。ただでさえ制御に甘さがみられるうえに、魔力には余裕があっても、集中力・精神力が持つとは限らない。
と思っていたら、カロルさんの魔力が大きく膨れ上がった。なんだか正気を失った、とまではいかないけれど、遊びに夢中になって周りが見えなくなっている子供のように見える。
なるほど、今まではシエルに合わせていてくれただけなのか。それが楽しくなって、加減を忘れ始めてきたと。集中しているせいか、シエルはそれに気が付いていない。
さすがに撃ち負けそうなので、歌ってサポートをする。
今はシエルに落ち着いてほしいので、あえてゆったりとした曲を選んで歌う。それでカロルさんの状況に気が付いたのか、シエルが真剣な顔をして頷いた。
歌姫の力だけれど、基本的に歌と効果に大きな違いはない。とは言え、例えば明るい曲を聴くと元気になる、といった普通の歌でも感じられるような効果は増幅しているので、ゆったりとした歌を歌えば落ち着いてくれるし、子守唄を歌えばたぶん眠くなる。まだ職業に関しては、シエルもわたしも研究段階なのだ。
カロルさんから飛んできたのは、先ほどまでの矢がかわいく思えるほど、鋭く太い氷の槍。
意匠にも凝っているらしく、棒に穂ほを付けただけの簡素なデザインではなくて、先端が捻じれてとがっているような独特な形をしている。
それがざっと10本はあり、1本1本がシエルの身長よりも長い。
カロルさんは、巨大な魔物とでも戦っているのだろうか。どう考えても、人相手にはオーバースペックだと思うけれど。
果たして、それにカロルさんが気が付いたのは、魔術を発動させた後らしい。
槍がこちらに向かって飛び始めた後で「しまった」と声は聞こえないけれど、表情でそれを知ることができた。
なんかもう目を背けて現実逃避をしたいところなのだけれど、シエルは飛んでくる氷の槍をまっすぐに見つめて、魔法陣に流す魔力に集中する。
魔法陣の迎撃範囲に1本目が入った瞬間、シエルの顔が少しゆがんだ。
それから一呼吸おいて、1本目の槍が破壊される。風の力で粉々になった氷の槍は、キラキラと輝いているけれど、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
シエルが顔をしかめたのも、破壊までに時間がかかるほど氷の槍が硬く強力であるからだろう。
2本目、3本目と少しずつ、破壊される位置がわたし達に近づいてきている。
7本目、8本目になると、わたし達の体まで残り数センチといった具合だろう。そして9本目を破壊し終えたとき、10本目がもう目の前に来ていた。
破壊は間に合いそうになく、出来る事はせいぜい急所を避けるように動くくらい。
少し横に動いた直後に氷の槍が脇腹に当たり、勢いに負けてシエルがしりもちをつくように倒れる。
しかし槍がシエルの皮膚を突き破ることはなく、脇腹にくっついたような形で止まっていた。よく見れば、当たったところから氷漬けになっていくらしく、パキパキと少しずつ氷におおわれていく。
氷漬け範囲が少し広がったところで、いつも張っている結界と一緒に砕けて消えてしまった。
結界はすぐに張りなおす。維持するだけならそんなにコストはかからないのだけれど、張りなおすとなると魔力の消費が少し多い。
こんな時のために張ってある結界ではあるけれど、こうやって破壊されたのはいつぶりだろうか。
まだ慣れていなかったころ、それこそシエルが5歳になるまでは何度か破壊されて、魔力切れになっていたけれど、ここ5年は本の部屋に閉じ込められて、危険がなかったので久しぶりだ。
それにしても、対人戦2人目がこれか。B級ハンターが強いのか、それともカロルさんがB級の中でも特別強いのか。
『シエル、大丈夫ですか?』
『ええ大丈夫よ。エインなら、ちゃんと守ってくれるって信じていたもの』
シエルは自信満々に返すけれど、信頼されすぎても困ることが今露呈した。
10本の槍のすべてから守らなければならなかったら、すべてを防げていたのかは怪しい。
それだけ魔力は消費するし、槍と結界が相殺された後、次の槍が来る前に結界を張りなおせたのかはわからない。
わたしの結界も、まだまだ上を目指さないといけないということだ。
反省はここまでにして、今は大事な模擬戦中。探知で探っていたとはいえ、あまり別のことを考えておくのは良くないだろう。
それとも魔術の猛攻もなくなっているので、模擬戦は終わりということだろうか。氷の槍よりも威力の高い魔術を使われると、シエルを守り切れる自信がなくなるので、ぜひ終わってほしい。
探知でカロルさんが近づいてくるのがわかるのだけれど、どうやら魔術を使う様子もなく、終わったということでよさそうだ。
『終わったみたいですから、代わってもらっていいですか?』
『ええ、すぐ代わるのよ。でも、これは勝てたのかしら?
なんだか、劣勢のまま終わってしまったわ』
『劣勢でも相手の魔力切れを狙えば勝てたと思いますから、負けにはならないと思いますよ』
むしろここまでして負けだと言われたら、超長期戦をするのも辞さない。
さて、カロルさんだけれど、なぜかとてもオロオロしながらこちらにやってきた。いや、なぜかということもないか。
心配そうにこちらを見ている割には、走って近づいてくるということはない。
そういえば、今まで倒れたままに座っていたことを思い出して立ち上がると、カロルさんが露骨に安心したような表情を見せた。
「生きてるわね? 大丈夫よね?」
「生きてますよ。本命の結界が壊れたのは、さすがに驚きましたが」
「結界っていうのはあれよね。
心配していたのが一転。結界の話を出したら、早口になり、迫ってくる。
グラシオ・レンツォって魔術にそんな固有名詞的なものあったんだな、なんて益体もないことを考えている暇もない。
興味に染まった目に迫られ、じりじりと後ろに下がっていき、壁に追い詰められそうになったところで「カロルぅ?」と冷たい声が聞こえてきた。見るとセリアさんが鬼の形相で立っていた。
「げ……」
「げ、じゃない。あまり遅いから来てみたら、なんでカロルがシエルメールさんを殺そうとしてるの?」
「べ、別に殺そうとしたわけじゃ……」
「氷の槍使っておいて、そんな言い訳が通じると思う?」
「いえ……ありません」
うなだれたカロルさんを見て、セリアさんが大きなため息をついて首を振る。
やっぱり、カロルさんはやりすぎていたらしい。確かに人に向ける威力の魔術じゃなかったし、一歩間違えば死んでいただろう。
シエルだったからたまたま死ななかっただけで、ついやっちゃいましたで済まされる問題ではない。と、同時に実力主義の世界だから、死んだら死んだほうが悪いみたいなところはあるのかなと思っていたけれど、そういうわけではないかもしれない。
やはりこういうところ、常識がわからないと判断が難しい。
とりあえず今回の勝負の結果と、事前の約束がどうなるのかをはっきりさせておきたいなと思っていたら、とても恐縮しているセリアさんに、カロルさんとともに、別室に連れていかれた。
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