日常以上

@KBunBun

日常以上

「あきは?」

「今、家出たとこ」

「間に合うの?」

 二人の男女――幹哉と芽衣がタブレット端末に顔を寄せて、赤い点を追っている。

「先生は?」

 これでは始業に間に合わない、そんな思いを抱きつつも、芽衣は扉から外の様子を窺う美香に問いかけた。

「まだ、何の音もしない」

 このクラスの担任は廊下を歩くときの足音がとにかくうるさくて有名だった。その音を一度聞けば、騒がしかった教室も静まり返る。足音が聞こえないことから教師が未だ職員会議を行なっていると判断し、芽衣は一安心した。

「うわぁ!」

 それも束の間、幹哉の声で掻き消される。

「なに!?」

「こいつ! 道じゃないぞ、そこ。家だ。屋根の上を走ってショートカットしてやがる‼」

「嘘でしょ!?」

 彼らが見る赤い点――晃良は確かにマップ上では、家となっているところを走っていた。それも凄まじいスピードで。

「このスピードなら五分もかからないかも」

 幹哉が驚きながら、呟いた。

 しかし、安心できるわけではない。芽衣は時計を見た。時刻は八時二十分そろそろ職員会議は終わっていても良い時間だ。

「先生は?」

 再度問いかける。

「まだ……待って、階段登ってきてる」

 まずい。もし追いついたとして、先生と鉢合わせしてしまう。階段をダッシュで登っているところを見られたら、十中八九アウトだろう。

 ピコンと通知音が鳴った。

 こんな時に、そう思いつつもスマホに表示されたメッセージをチラリと覗き見る。

 そして、何を思ったのか芽衣は、教室後方にある窓を開け放った。

「何してんの?」

 芽衣の突然の奇行に、幹哉が当然の疑問を挟んだ。

「あきが開けといてくれって」

そう言って、幹哉にスマホに表示されたメッセージを見せた。

「は? なんで窓?」

「さぁ? けど、あきが言うんだから、きっと意味があるんだよ」

「……惚気かよ」

 信頼を寄せて言う芽衣に苦虫を噛み潰したような表情で幹哉が嘯いた。

「なっ、違うから! 私は――」

 芽衣が抗議しようとしたとき、

「やばっ! もうこの階まで来てるよ!」

 緊張が走った。

 先ほどまで扉で待機していた美香も自分の席に戻る。

「どうやって入ってくるつもりなの?」

「ははは、窓から入ってきたりしてな」

「まさか」

 芽衣の疑問に幹哉が冗談めかして答えたが、笑いは起きず、返って二人の間に神妙な空気が流れた。

 まさか、いや、やりかねない。

そんなことを考えていると、美香がさも当然のことのように言った。

「本人に聞いてみたら?」

「え?」

「あれ? もしかして言ってなかったっけ? これ発信器だけじゃなくて通話もできるんだよ」

「まじで?」

「美香ちゃんすごい!」

「まぁね」

 口調こそ軽いものの、ふふん、と胸を張りドヤ顔を決めていた。

 幹哉は自然と吸い寄せられる視線を必死に抑えつつ、気を紛らわすためにタブレット端末のほうに視線をやった。

「お? こいつマジで!?」

 その点が位置するところを見て、驚愕に声を上げた。それに釣られて、二人もタブレット端末を覗き、

「え、ほんとに!?」

「わーお、さっすが晃良くん」

 各々が思い思いの声を上げて、そっちを見る。そっちとは、つまり、晃良が入ってくる場所、芽衣が開け放った窓。

 そして、体を丸めた人影が突っ込んできた。 

 その人物は、少し転がり受け身を取り、勢いを殺して、両手を水平に広げて、

「セーフ」

 一言、そう告げた。

「アウトだ。バカ者」

「え?」


 ホームルームの終わり際に、

「言い忘れていたが、晃良は放課後、職員室に来い」

 そう言い残して、クソ担任は去っていった。

 おのれ! 時間自体はピッタシだったろうに。何でお前のクラスだけ、お前が来た時間が遅刻の基準なんだ? 大体、本来なら大幅に遅刻するところを、ギリギリもの凄く急いで来たのだから、むしろ俺の学業に対する意欲を褒めても良いだろう。

「おつかれさん」

「やー、あとちょっとだったね」

 そう声をかけてきたのは、幹哉と美香、そして

「早く起きてたら、こんなことにはならなかったのに」

 幼馴染みの芽衣だ。

ぐっ、正論だ。だがしかし、俺とて黙って論破されるわけにはいかない。

「違うんだ。昨日は夜更までマフラーを編んでいてだな」

 何を言っているんだ、俺は? どこのバカがこんなの信じる? 

「そうなんだ。じゃあ、しょうがないね」

「いたよ、バカが……あ」

やべっ、と慌てて口を覆うが、遅かった。

「バカって、やっぱり嘘だったんだ。そうやって何でもかんでも煙に巻こうとするの、良くないよ」

 だいたい、と止まる様子なく芽衣が話し続ける。

 参ったな、こういう時は止まらないんだ。そっと幹也に助けを求める視線を送った。

 うんと頷く幹哉を見て安心した。やはり持つべきものは友である。

「いやあ、それにしても家の屋根を走るなんてすごい芸当だな!」

 あっバカ。そっちも地雷だ。

「そうだよ! 一体落ちたらどうするつもりだったの?」

 火に油を注ぎやがって。やはりくそだな、こいつ。

「まぁ、まぁ、芽衣もそのぐらいで。何もなかったんだしさ」

 ん、と芽衣が止まった。さすが美香。略してさすミカ。この隙を逃す俺ではない。

「そうだな。何もなかったし、どうせ放課後には罰を受ける」

「そうだ、そうだ」

 幹哉が後に続く。幹哉、おまえ……。

「美香ちゃんがそう言うなら」

 そう言って芽衣が引き下がる。

「で・も、あきはちゃんと反省してよ」

 分かったよ、と返事をすると芽衣はうんうんと頷いて見せた。どうやら納得してくれたらしい。

 さて、これでやっと俺も質問ができる。

「お前たち、何故俺が屋根走ったって知っている?」

 笑顔で問いかける俺に、二人は知らぬ存ぜぬという態度だったが、もう一人はギクっとわかりやすい反応を示した。芽衣だ。

 その反応から、俺が窓から来たことを鑑みての逆算で言っているわけではないことが分かった。

 何か隠しているな。

「スマホのGPS」

 思いついた単語を口にして、芽衣の反応を見る。二人が妨害しないのは、それはすなわち、やましいことがあると告げるものだと分かっているからだろう。

 しかし、芽衣の反応はよろしくない。位置情報を把握するのだから、てっきりスマホのGPS機能を使ったものだと思ったのだが、違うのか。

 ちらりと幹哉と美香を覗き見る。ニヤニヤと意地の悪い顔をしている。こいつら、趣味の悪い。

 もう一度考え直すか。まず、誰かから聞いたという線はどうだ? ないな。幹哉はまるで見ていたような口調だった。ならば、実際に見ていたのか? いや、俺が入った時は窓を見ていたが、それは俺が窓を開けろと芽衣にメッセージを送ったからだろう。そもそも、このクラスから見えるのは、せいぜい一番手前にある家の屋根までだ。走っていたのを知るはずがない。ならば――。

 そうして思考に没頭していると、

「はーい! 時間切れー!」

 という元気な声がかけられた。三人はイェーイとハイタッチを交わして、俺を出し抜いたこと喜びを分かち合う。

 ちっ、まあいい。ここは大人しく引くとしよう。

「それで、正解は?」

 俺が聞くと、美香は、えーとねぇ、と言って俺のカバンをあさりだした。

「おい、何をやって――」

「ジャッジャッーン! 正解は私お手製発信機でしたー! そして何と、何とこれには通話機能もあるのです! 自信作だよ! しかし、いやー惜しかったねー。GPSはいい線いってたよ」

 人差し指と親指で発信機をつまみつつ、いい笑顔で美香が言った。

 開いた口が塞がらない。

「さすがの晃良君も全く思いつかなかったと見える」

「わ、私は止めたからね」

 幹哉、芽衣と続く。

「…………」

は? 待て。は?

「そういう顔が見たかったんだよー」

「さっすが美香さん、よっ、日本一の発明家!」

 勝手に盛り上げる二人を尻目に、俺は自分を必死に落ち着かせていた。

 ありえないだろ。友達に発信機つけるなんて。頭がおかしいのか? こいつら、一度、痛い目に遭わせてやろうか。

 いや、落ち着け、深呼吸だ。スゥーハァー。よし。

「とりあえず没収だ。あと予備もあるだろ。それもだ」

「えー、なぜそれを!? そんな殺生な!」

 やはり予備も持っていたか。カマをかけただけだったが、正解だったな。

「当たり前だろう。異論反論抗議弁明その一切は棄却します」

 言い切って回収する。

 こんな小さいのに通話機能もあるのか。ふむ、後で内部構造を確かめるか。なんてことを考えつつ、文句の嵐を聞き流す。

「そろそろ授業の時間だな。三人とも席に着いたらどうだ?」

「鬼、外道」

「悪魔、妖怪」

「ふははは、何も聞こえないな」

 気分が良い。やはり正義は気持ちがいいなー!

「あはは、あきは悪役が似合うなー」


 放課後になったが気が重い。平生であれば、この束縛から解放されたことに息をつくのに、今は憂鬱な溜息しか出てこない。

「どうしたんだ? そんなため息ついて」

「これから職員室だ」

「あっそうか。それは憂鬱だな。頑張れよ」

 幹哉……。

「私たちはショッピングに行くから」

「あきはちゃんと反省してきなさいよ」

「じゃあなー」

 幹哉! 

 そう言って彼女たちの背が遠のいていく。

 まあ、幹哉おそらく大量の荷物を持たされるだけだろうし、羨ましくもないが。

 ハァ、ひときわ大きく息を吐いて職員室に向けて歩き出す。

 ノックをするために扉を叩こうとした時、ガララと音を立てて扉が開く。

 女学生が出てきたのを、慌てて身を後ろに引いて避けた。

「すまない」

 彼女は俺を一瞥すると、生徒玄関の方へ行ってしまった。


 説教を終えて、外を見ればすでに日が傾き始め、部活をしている者たちは片づけをし始めている。そんななか、動かない人影を見つけた。

 浜崎さら。さっきも会ったが、まだ帰ってなかったのか。確か二組の子だったか。聞いた話じゃ重度の中二病ともことだ。人の噂なんて気にはしないが、確かに不思議な雰囲気の女の子だと思う。

 いつまでも見ているのは、不躾だろう。

大人しく帰路につくことにする。

そんな中、考えるのは、アイツからの説教のことだ。

 長かった。すごく長かった。

 仕方がないと思う気持ちもある。これで通算二百回目の遅刻ということになるのだから。いや、担任がアイツなのが悪いな。

 何はともあれ、今後は少し気を付けるか。しようと思わなければ、遅刻なんてしない。

 要するに、単なる暇つぶしだ。刺激を求めてやっているだけ。

 天は二物を与えずと言うが、俺には二物以上に与えられた。頭脳明晰、スポーツ万能、眉目秀麗。自画自賛ではなく、そんな言葉が俺には当てはまる。

 だから、大抵のことはできてしまう。

 ただ過ごすのでは、つまらない。圧倒的に刺激が足りない。新鮮な体験がしたい。できないことを苦痛に感じたい。壁を乗り越えたときの何物にも代えがたい達成感が欲しい。

ある意味で今の生活は楽しい。しつこく叱りつけてくる教師に、予想外なことをしでかしてくる友達がいる。

 しかしそれでも、これもそのうち普通になってしまうんじゃないのか。

 かぶりを振ってそんな思考を振り払う。考えても仕方がない。怒られた後だからか、少しナーバスになっているのかもしれない。

 自分を冷静に俯瞰して見ている自分がいる。

 ああ、鬱陶しい。

「走るか」

 意味もなく、ただ走った。

それでも――。

どんなに速く走っても、影を振り払うことはできなかった。


 やらかした。そう気づいたのは、すでに時計の針が十時を回った後だった。明日提出の課題を学校に忘れてきてしまった。明日の朝にやれないこともないが、夜の学校、その響きに魅力を感じる自分がいる。

「行くか」

 何となく制服に身を包みなおし、そして靴を履く。そっと玄関の戸を開けた。誰にも気づかれていないことを確かめながら、今度は静かに玄関と閉じる。

 ちなみ、この行動に意味はない。まだ十時だし、この時間に外を出歩くことを家族にガミガミ言われるわけではないのだから。そういう雰囲気だったというだけだ。

 普段通っている道も、時間が変われば違って見える。ちなみにだが、今通っているのは普通の道だ。俺とて、普段から屋根の上をパルクールしながら、通っているわけではないのである。

 そう電灯に集まる蛾なんて、昼間であればお目にかかれない。別に見たくもなかったが、ふと、イカロスの翼を思い出した。太陽に焦がれたイカロスが、太陽に近づきすぎたがために、その翼を焼かれて死んでしまう。この蛾たちも、光を求めて電灯に集まり、近づきすぎれば、光に焼かれて死んでしまうのだ。くだらない死に方だ。

 さてと、学校に着いたわけだが、当然のように校門は締まっている。それは良い。門を越えれば済むだけだ。

問題は次。生徒玄関を開けねばならない。これには多少の手間がかかるが、

「よしっと」

 ガチャリとカギが回る音がした。

 どこが問題なのか疑問に思うかもしれないが、実際開けるのは問題ない。が、最後の閉め忘れには注意されたし。のちのち、めんどうくさいことになる。

「ん? 何か音がしたような」

 気のせいか? 古びたこの扉の音ではないな。ならば何の音だ? 気にはなるが、まあいい。先に課題だ。職員室にカギを取りに行こう。 


「あった」

 案外すんなり終わってしまった。夜の学校探検もこれにて終わり。大したことなかったな。そう失望の念を抱いていると、ふと思い出したことがあった。

いや、奇妙な音があったか。

ここに来るまでには一切しなかったから忘れるところだった。こっちでは音がしないということは、部室棟の方か?

 うちの学校はコの字型をしており、俺たちが普段授業を受ける方を、……何と呼ぶのかは知らないが、理科実験室や美術室などがある方は、放課後は文化部の部室となるため部室棟と呼ばれている。

 渡り廊下に近づくにつれて、緊張が高まってきた。

 何があるのかの期待。何もないかもしれない不安。それらがない交ぜになって、手に汗を握らせる。

 少なくともこの階には何もなしか。

 落胆を抱きつつも、下の階に降りようとした時、

 ――ガタンッ‼

 と何かが壁に激突したような大きな音がした。

 何かいる。

 階段を勢いよく駆け下りて、音の方向に向かう。

 来た来た来た来た! 

鼓動が高鳴り、身体が熱い。

ここまでの興奮を俺は知らない。

尋常ならざる期待があった。

そして、ようやく、音がしたであろう教室――美術室の近くにまでやって来た。

ここまで来て先ほどの音の正体が分かった。そこにあるはずのものがなかった。美術室の扉が破壊されてしまっていた。

明らかに人間業ではない。

一歩、また一歩と近づいてゆく。

そして――目にしたものは、黒い影だった。


 余りの衝撃に、身体が石になったかのように自由を失った。そのまま呆然と影を見ていると、それが振り返った。

 嫌悪。不快感。苛立ち。吐き気。

それを見た途端、あらゆる負の感情が濁流のように押し寄せてきて、俺の中の常識、道徳、倫理を塗りつぶしてゆく。

「逃げて」

そんな声が聞こえた気がした。それに反応したわけではない。ただ、あまりの気分の悪さにうずくまってしまい、結果としてそれが命拾いさせた。

 一閃。黒い影の斬撃が俺の頭上を切り裂いた。

壁は抉られ、生々しい傷ができていた。

 逃げる。思考よりも先に身体が動いていた。それに抱いた気持ち悪さは、すべて死の恐怖によって塗り替えられ、ただ生き延びることだけを考える。

 全力で駆ける。

 わき目を振らず、人目を気にせず、一心不乱に廊下を駆け抜けた。

「ハアハアハア…………良かった」

 肩で息をしながら校舎へと振り返り、安堵した。

 ここまで逃げれば大丈夫だ。確信はなかったがそう思った。このまま何も見なかったことにして、家へ帰ろう。

 明日、目が覚めたときには、いつも通りの日常が俺を待っている。

 そうして、日常に帰るべく一歩踏み出そうとした時、ふと疑問を抱いた。

 今、俺は何を言った? 何を思った?

 『良かった』? 『いつも通りの日常』? 

 何でもできると豪語する俺が、日常を下らないと言い切った俺が、異常を前にして、逃げるのか?

 イカロスはくだらない死に方だった。だけど自分の夢に死んでいった。それを笑う気にはなれない。

 俺は口先だけのカスになるのか?

 俺は、このまま挑むことなく逃げるのか?

 それは、死んでいるのと何ら変わりないのではないか? 

 確かに、正攻法では勝てないだろう。アレはきっと魑魅魍魎の類だ。俺が今までに見知ったどんな生き物とも異なるものだ。

 しかし――。

ならば、策を練れば良い。

殺す方法を見つけ出せば良い。

 覚悟しろよ、お前が誰にケンカを売ったのか思い知らせてやる。



 夕方になると唐突に、空気が変わった。

「来る」

 異常の気配を察知して浜崎さらは、呟いた

 彼女はソレが何なのか知らない。

 ただソレは、彼女のすべてを奪っていった。

 その日は何の変哲もない一日だった。

 『行ってきます』と言って二つ下の妹とともに学校に行き、そして日が暮れたころに『また明日』と言って友達と別れ家に帰ってきた。今日の夜ご飯はなんだろう、そんなことを考えながら戸を開けて、『ただいま』と言った。

 しかし、いつもなら、『お帰り』という声が必ず返ってくるのに、声は返ってこなかった。

 ありえないことだ。よく分からない研究を続ける父は別として、母はどんなに忙しくても、さらが帰ってくると必ず『お帰り』と言ってくれた。そんな母のことがさらは大好きだったのである。

 だから彼女がおかしいと思って、リビングに入ると、そこには――。

 破壊された家具、色の変わったフローリング。

そして――倒れ伏す母と血まみれの妹がいた。

「あ……あ……ああ」

 呻き声にも似た音が彼女の口から零れ落ちた。

 余りの光景を前にして、彼女は動けなくなった。

「……お……姉……ちゃん」

 妹の声でわずかに正気に戻った。母親が庇ったのだろう、妹は無傷とは言わないものの無事だったのだ。もっとも、全身に母の返り血を浴びた、幼い精神が無事であるかは別としての話だが。

 私がしっかりしなくちゃ、震える身体を必死に抑えつけて妹の手を引いた。

 逃げないと。助けを求めないと。

 でも、誰に?

 お父さんは?

 わからない。わからない。

 だれがだれにどうしてどうやってなんのためになんでだれをどうしようたすけてどこにいるのだれがいるのどうしてなんで――。

 ぐるぐるぐるぐると思考が回り続ける。

 ズザッ、という音がした。

 ぎょっとして振り向くがもう遅い。

 無慈悲にも無残にも無情にも、影が妹の背を――。

 そこで、さらの意識は途切れている。


 さらが意識を取り戻した時、病院におり、父とよく分からない黒いスーツを着た大人たちに囲まれていた。

 父は周りの大人たちに怒鳴り散らし、それを周りの大人たちは、何を馬鹿なことを言っているんだという態度で聞いていた。侮蔑や蔑みの感情を隠そうともしない声だった。

 さらは、その声を聞き流す。

 何も考えたくなかった。

 考えることが苦痛だった。

 母を見捨てて逃げたこと、母が殺されたのを目の当たりにしたこと、妹を守れなかったこと、そして自身の無力、それら一切が幼い心に、無色の空洞を作り出していた。

 やがて話は終わり、父に手を引かれて連れていかれた。

 新しい家だった。

 それでも日常は返ってこない。

 ふとした時の違和感が、何かが足りない空白が、周囲の穏やかな日常が、すべてを忘れ去ってしまいそうな残酷な時間の流れが。

 取り返そうとするほどさらを苦しめた。

 それでいいと思った。

一命こそとりとめたものの妹は目覚めない。

「さらはわるくない。さらが無事でよかった」

 父はそう言った。

 ならば誰が悪いのか?

 そこには自分しかいなかったのに、自分しか守れなかったのに、何もできなかった自分しか、自分が悪いのに。

罰してほしい。

 罰してほしい罰してほしいバッシテほしいバッシテばっして罰して――。

 ――誰か。

 ある日のことだ。

 彼女の家に、宅配便が届いた。

 宛名は、さらだった。

 頼んだ覚えのない届きものに疑問を抱きながらも、封を開ける。

「……?」

 包帯のように紙がまかれている棒状のモノ。

 それは――槍だった。

 握った途端、思い出したのは怒り。

 次に、痛み、憎しみ、恨み、殺意。

 時間の流れの中で、抑え込んでいた思いが、腸が煮えくり返り怒髪衝天のマグマのような激情が、全身を駆け巡り、やがて一つの方向性を得た。

 誰も私に罰を下さないのなら、私が罰を下そう。

 憎い影に贖いを求めよう。

 槍を手に、夜の街へ躍り出た。


ただこの激情に任せて槍を振るった。

初めのうちは苦戦することもあった。それでも、影を屠り続けることが自分の贖罪なんだと、彼女は槍を振るい続けた。

槍を振るった回数が二千を到達する頃には、苦戦することはなくなっていた。

そんな彼女をもってしても、今日の相手は格が違っていた。

「くっ……!」

 パワーが違った。

 一撃の重さが、それまで屠ってきた影とは比較にならなかった。槍で攻撃を受けるたびに、骨が軋みをあげて筋肉の繊維が割かれる。まともに受けていては、こちらが破壊されてしまう。

 たまらず一旦退こうとするも、影はそれを許さなかった。

 黒くでかい図体から影が伸びる。影の一撃を受け流しても、すかさず二撃目がさらを襲う。

(二本目……ッ!?)

 持ち前の反射神経によって危機一髪で回避する。

 退こうにも退けないのであれば、

(進むしかない)

 あと何本、あの伸びる影があるのかは分からないが、影に向かって攻め入る。

 一本目を回避し、二本目を受け流す。すると案の定、三本目の影が伸びてくる。

 予期していた一撃だ。

 棒高跳びの要領で槍の穂先で床を蹴り、飛び上がる。

「死ね」

 空中で回転を加え、勢いの増した一撃が影を打ち付け、

 ――ガキン

 と音を立てて弾かれた。

「……は?」

 ありえない現実を前にして間抜けな声が口から漏れ、次に背中から全身に響く衝撃が襲ってきた。

 無様に叩き付けられ、まるでボールのように床を跳ねながら転がっていく。

 床に倒れ伏すさらの脳内は疑問で埋め尽くされていた。

いったいなぜ? 渾身の一撃だったはずだ。影の体を抉り穿つはずだったのに。それを弾いたなんて。今までにそんなことはあり得なかったのに。

(硬すぎる)

ただそれだけの事実が、彼女を絶望へと追いやった。

どうやって勝てばいいのか。どうすれば勝てるのか。考えて考えて、一つの言葉が彼女の脳裏をよぎった。

(勝てない)

 勝てない、勝てない、勝てない。その言葉はゆっくりと咀嚼され、全身を蝕んでいく。

 思い出される、あの頃の無力感。

自惚れていた。何も変わってなかった。

私は、弱いままだ。

違う。嫌だ。そんなはずはない。私は変わった。強くなった。そうでないと、今までの日々はなんだったのか。自分が何のために、何の価値があって生きているのか分からなくなる。

「――――ッ!!」

 彼女は声にならない声を、あるいは悲鳴だったかもしれない声をあげながら影に突貫した。

 そして、

 無慈悲に振るわれた一撃によって、扉に激突する。それでも勢いが収まるところはなく、いくつもの机を巻き込みながらやっと止まった。

 影がゆっくりと近づいてくる。

 未だ肉体は動く。逃げようと思えば逃げ切ることはできるかもしれない。それでも抵抗する気はなかった。

 すでに心が負けていた。

(これでやっと、楽になれる。

お母さんのところに行けるんだ)

 なら、何も悪いことはないんじゃないかと思えた。

 その時――足音がした。

思わずそちらの方を見ると、人がいた。

さらは、余りに想定外なことに思わず、人影を注視してしまった。

それがまずかった。

 ゆっくりと異形は振り返る。

(まて……まだわたしが……まって!)

 さらの胸中の葛藤を影が考慮するわけがなく、一本の影が振り抜かれた。

「逃げて」

 気づけばそう叫んでいた。

 その声に従ったのかは分からない。それでも壁を平然と抉り取る一撃を回避することに成功した。

 そして、そのまま逃げていく。

 それを見て、さらはほっと息を吐いた。

(良かった。あの人が逃げて良かった)

 しかし、そんな思いを裏切るように、影は彼女から離れていく。

「どういうつもりだ!? 私と戦え!」

 叫ばずにはいられなかった。

しかしながら、叫んでも意味がなく、影はさらの前から遠ざかっていく。あの時と同じだ。無様にも、自分だけが生き残る。

 ふざけるな。

 身体に活を入れて、影を追おうと一歩踏み出し、視界が揺れた。彼女が思っているよりも体は酷使されていたらしい。そして、さらの意識は暗転した。


 彼女が目を開けると、そこには天井があった。

(私はここで何を? 確か……いっ)

 普段のように、起き上がろうとして、痛みが全身を走った。ぼんやりとしていた意識が強制的に引き上げられ、脳裏に気を失う前の光景がまざまざと浮かび上がった。

「あの男の子は!? ――ッ!」

 慌てて起き上がろうとしたのを全身が悲鳴を上げて止める。

 それでも、あの男の子が無事か確認しなくてはならない。それだけは、絶対に。もしなにかあったら……。

全身が傷ついて、心が折れてしまっていても、倒れる前に見た人影の安否こそが、何よりも彼女にとって優先事項だった。

歩けないのなら這ってでも。

そう思い、ベッドから降りようとした時――

「何やら騒がしいと思ったが、目覚めていたか」

 男の声だった。

そして、ベッドから降りようとしている彼女を眇めると、苦々しげにつぶやいた。

「一応、応急処置は済ませたが、まだ動くな。そんなことでどうにかなる傷ではなかった」

そしてまた、今度は先ほどよりなお苦虫を噛み潰したように悔し気に続けて言う。

「それでもお前にはやってもらわないといけないことがある」

 それは彼女にとって、余りに予期しない事態であり、男の話すことが頭の中で反芻した。

彼が私を手当てした? なるほど自身の姿を見れば包帯がまかれてある。そういえば、ここは保健室だ。私がさっきいた教室ではない。なら彼が私をここまで運んでくれたんだろう。いや、なぜここに人が? 見たことあるような。いや、状況を考えれば一人しかいない。

そこまで考え、無事でよかったと思った。が、次いでそれ以上の感情が押し寄せてきた。

「さっきの! どうして戻ってきたの!?」

 思い出した。私が倒れる前に見た人だ。せっかく、逃げれたのに。どうして、わざわざ、私なんか見捨てればよかったのに。

「勘違いしないでほしいんだが、お前を拾ったのは次いでだ」

 次いで? いったい何の?

 そんな私の視線を察したのだろう、彼は答える。

「決まっているだろう」

 そう言って窓の外を指さした。視線で追うとそこには

「アレを殺すためだ」

 黒い大きな異形の姿があった。



「なんだ、さっきからその視線は?」

 後ろをついてくる浜崎さらの視線が訝しげに俺を見てくる。そんなにおかしいことを言ったつもりはないのだが。

「お前だって、アレを殺そうとしていたんだろう」

 振り返って、そう問うと、彼女は、いくらか視線をさまよわせた後に、ぽつりとつぶやいた。

「私は……諦めたから。無理だってわかっちゃった。今まで私のしてきたことは全部無駄で、アレには勝てないんだって、わかったから」

「今まであれを殺すためだけに生きてきたのにね。どうしようかな、これから。何のために……」

 どこか遠くを眺める彼女に、俺がかけるべき言葉なんてない。彼女の痛みの傷も、その苦しみも俺にはわからない。

 だから、ただ一つだけ言おう。

「何の目的もなく、生きる意味がないというのなら、俺のために生きろ」

 彼女が俺を見る。目をそらすことはしない。

「少なくとも、アレを殺すためにはお前が必要だ。だから、今だけは、俺のために生きろ」

 手を差し出す。

「なにそれ、自分のために私を利用しようって言うの?」

「そうだ」

「私が手を貸すだけでアレが殺せるの?」

「そうだ」

「傷心の女の子にもっとかけるべき言葉は?」

「ないな、俺のために使われろ」

「最悪」

 そう言って彼女は、俺の手を取った。そして、泣き出しそうな顔で

「ほんとに殺せるの?」

「もちろんだ。策はある」


「あれの居場所は分かってるの?」

 俺がお前が寝ている間に何もしてなかったと思うなよ。聞いて驚け。

「ああ、それなら大丈夫だ。アレには発信機を取り付けておいた」

「発信機? 何で持ってるかは今は良いとして、どうやって?」

「まず、アレの生態だが、表面の感覚はものすごく鈍いか、もしくはない」

「どういうこと?」

 まあ、普通気づかない。

「戦ったなら分かってると思うが、アレはすさまじい防御力を持っているが、それゆえに欠点なんだ。硬すぎる表面の構造のせいでアレは触られても気づかない。石を投げたりして確認したから間違いない」

「それで、発信機を取り付けることができたわけね。でも、それだけじゃ――」

「もちろん、音を拾う力があれば気づかれる可能性もあるし、気配を察知される可能性もあるということだろう?」

 こくりと彼女は頷く。

「アレには視覚以外の人間の五感はない」

 俺が探った結果だ。仮にあるとしても、ほぼないと変わらない程度のものだ。問題ない。

「ふーん」

「まず、おかしいと思ったのが、俺がアレと会う前、俺は階段を駆け下りて廊下を走っていた。しかし、その時にアレが俺に気づいた様子はなかった。アレが俺に気づいたのは、俺を見る人間を見たからだ」

「それって……」

「もちろん、この時はあくまで推論だったのだがな。のちの検証で明らかになった」

 言い終わると、彼女はあからさまに落ち込んだ様子だった。どこか気に障るところでもあったのか? 

「なんだ?」

「べつに、そのごめん」

「何がだ?」

「……私のせいで」

 ああ、そういうことか。

「気にするな。あれは、重要な手掛かりになった。むしろあれがなければ、アレを倒すための策もできなかった。……だから気にするな」

「ありがと」

彼女が嘯いた。

 なんだか妙な空気になったのを、彼女がわざとらしい咳払いでかき消した。

「んんっ、それで今どこに向かってるの?」

「家庭科室」

「は?」

「家庭科室だ」

 その顔が今の状況に不釣り合いでなんだか面白くて、今度はドヤ顔で言った。


「さあ、始めようか」

『うまくいくの?』

 発信機についた通話機能で話している。。

「うまくいくようにするんだよ」

 アレを外部から殺す手段はない、というのが俺の出した結論だった。表面は堅い外皮に覆われており、気づかれずに攻撃できたとしても、この防御を突破できないことにはどうしようもない。ならば、内部から殺せば良いだけだ。

 異形で、異常なバケモノよ、正体を現す時間だ。


 アレの目は優れているが、それは一定空間に限る。ちょうどあの時の距離、およそ半径十メートルがアレの間合いだ。あそこから離れれば、奴は俺を見失い探し始めた。目についたものに意識が向くところはから、知能もないだろう。話を戻そう。余りにも広い視界だが、視界が人間と同じ仕組みであるのならば付け入るスキはある。

 何はともあれ、まずは、アレを外へ引きずり出すところからだ。

 半径十メートルの距離を保ちつつ、外へ誘導する。この作戦においての一番の要だ。鞭のような攻撃を避けながら、後退する、俺ならできる。よし。

 アレの前に立つ。

 巨大だ。影だ。闇だ。異形だ。バケモノだ。

 あらゆる負の感情が呼び起こされる。

 それを無理やり抑えつけ、しっかりと見据える。

 正面から飛んでくる影を、ギリギリで回避する。

 危ない。闇に紛れると全く気づけない。クソが。知能なんてないくせに、ブレーカー壊しやがって。懐中電灯の電気じゃ足りない。

 横縦斜め突き。縦横無尽に影が振るわれる。最小限の動きで避けなければ追撃にやられてしまう。掠った箇所を気にすれば、それが命取りになるだろう。

「くっ……」

 迷うな。気を緩めるな。予測しろ。一秒の遅れは致命的だ。

ジリジリ、ジリジリと外へと近づいていく。

『もう少しで目標地点よ。気を緩めないで』

 返事をする余裕なんてない。

 あと少しで、目標地点――体育館に着く。

 体育館はおあつらえ向きの場所だ。空間はそこそこ広いが限られているし、風の影響を受けにくい。校舎の外で、ここまで優れている場所はないと思う。

「がっ――!」

 一発重いのを食らってしまう。が、気にしていては、本末転倒な結果になってしまう。油断するな。そう自分に言い聞かす。

『もう少し!』

 避ける、避ける、受ける。疲れがたまってきたせいで、あからさまに受ける回数が増えている。それでも何とか致命傷は避けて、もう少しで……っ!

「しまっ……!」

 疲労に耐えられずに、足がもつれて転んでしまう。

 影が見える。影が四本。俺を殺すために向かってくる。こんなところで、死ねない。

一本目、無理に体をひねり躱す。

二本目、右腕を身代わりに何とか防ぐ。

三本目、急所は避けるも叩きつけられた影の衝撃が全身を伝わった。

四本目、避けることはかなわない。

目を閉じることはしなかった。イカロスと同じ運命をたどることが少しだけ悔しかった。

しかし、絶死の四本目から自分の体が遠ざかっていくのを見た。

「助かった」

「アレを倒すのにアンタが必要なだけだから」

「そうか」

 体育館は光で満ちていた。

 マッチや蝋燭がいたるところに立ち並んでいる。

四本目をはずしたアレを見る。

 巨大だ。影だ。闇だ。異形だ。バケモノだ。十本の角と七つの頭がある。黒かった体はなく、全身が燃えるような赤だった。

 バケモノはその姿を現した。

 正体の曝したバケモノに、もう恐れは抱かない。

 

 この作戦に二人必要なのは単純に、ここまで連れてくるのに、一人が犠牲になるから。あとは、さらに任せていても大丈夫だと思う。サラは武器も持ってるし、強い、小細工も用意した。正体の割れた怪物に相手はできないだろう。さっきまでボロボロだったのになんか超元気だし。



「今度は負けない」

 さらの宣言に、バケモノは卑しく笑う。

 角が伸び、さらに襲い掛かる。

 それを愛槍で受け流し、前に出る。

 本来であればそれは自殺行為であるが、彼女にとっては違った。それが彼女の必殺の間合い。超至近距離での戦いこそ、彼女が最も得意とするものだ。

 彼女の進撃を阻もうと角が縦横無尽に襲い掛かる。一つは受け流し、一つは躱し、一つは弾く。

 憎しみに支配されず、思うままに槍を扱うことで、やり本来が持つ能力と彼女本来の戦闘スキルが前面に出ている。

 それでも、ガキンと、それの外皮は槍を通さない。

 そんなことは分かっていた。

 狙いは、卑しく笑う口の中。

 流れるように至近距離で、口内に槍を突き立てた。

 バケモノが咆哮らしきものを上げて苦しみ、十本の角すべてがさらを射殺さんと襲い掛かる。

 たまらず、後方に下がり、体勢を立て直す。

「ざまぁ」

 ニヤリと笑った。そして、

「もう気は済んだし、いいかな」

 己の間合いすべてに縦横無尽に角を暴れさせているバケモノめがけて、袋を投げつけた。

 袋には小麦と書いてあったが、バケモノにそれが読めるわけもない。読めていたとしても、狂った獣には理解できないだろうが。

 小麦粉の袋が引き裂かれて中身が飛び出る。

「ばいばい」

 角と角がぶつかり火花が起こった。

 刹那、爆発が起こった。


 家庭科室へ向かう時の話。

「粉塵爆発って知ってる?」

「知らない」

 晃良の質問に、少しの逡巡を見せた後にさらは答えた。

「ざっくり言えば、粉塵が浮いてるときに、そこで火花が散ると爆発が起こるってものだ。厳密には条件がいくらかあるが」

 だから家庭科室に、小麦粉でも取りに行くのかとサラは納得した。しかし、

「でもそれで殺せるの?」

 そんなものでアレを殺すことはできるのか、それが一番重要なことだ。

「爆発では死なない」

「じゃあ」

 意味がない。そう続けようとして遮られる。

「ただ、熱で死ぬ」

「どういうこと?」

「アレの外皮は堅い。爆破でも貫通できるかは分からない。だけど熱は違う。消防服はおよそ千度の熱まで耐えることができるらしいが、中の人間には無理だ。それと同じで、熱が伝わって、内部が破壊される」

「えぐいわね」

 素直な感想を口にしたが、正直ざまあないと思った。

「俺に楯突いたんだから当たり前だ」

 フハハハハハと悪どい高笑いをする晃良を見て、さらは本当の悪魔はこいつだと思ったのだった。



 学校の体育館一つを犠牲に勝利を収めたのだった。めでたし、めでたし。

「すごい騒ぎね」

「やりすぎたな」

 集まる救急車に野次馬どもが溢れかえっていた。

「腕のいい藪医者を知っているわ。紹介してあげる」

 これからどうしようか悩んでいると、唐突にさらがそんなことを言い出した。

 なんだ、腕のいい藪医者って。とはいえ、ありがたい。こんなの普通の病院で見てもらったら、いろいろ厄介だ。

「なに? 文句あるの?」

「ない。助かる。できるならもう一つ頼まれてほしい」

「いいわ。私はアンタのものだから、いくらでも聞いてあげる」

 根に持ってるのかこいつ。

「もうあれは倒したんだし、それは良いだろ」

「ああいうの、世の中に結構いるのよ」

「まじかよ、いや、アイツを殺したんだしいいだろ」

「さあ? 死体確認してないから分からないわ」

「なら行こう」

「警察に見つかったらどうすんの?」

「ちっ」

 こいつ、この俺に正論を言いやがって。

「肩貸すからさっさと病院行きましょ」

「…………解せない」

 あーあ、学校どうなるんだろう、なんて現実逃避をしながら病院に向かう俺であった。



 ある日のこと。

「晃良くん、そろそろ私の発信機ちゃん返してくれない?」

 あ、バケモノに付けてた方は、確実に爆破されちゃってるよな。どうしようか。

「なんか爆発した」

 俺はどうやら、言い訳を考えるのが苦手らしい。

「またまたー」

「一つは持ってるんだがな。もう一つは、なんか爆発したんだ。本当に済まない」

「なら、しょーがないかー」

 え、意外だ。そんな淡泊な反応なんて。

「いいのか? 俺にできることなら何でもするが?」

「いいって、いいって。また作ればいいだけだし。次はもっとすごいのにすればいいんですよ」

「いや、しかし」

 何か企んでるのか怖くなって、引き下がるが、

「もともと、晃良くんにサプライズをあげたかったていう私たちの気づかいだし」

 帰ってきたのは予想だにしない答えだった。

「え?」

「予想外な日々はどうかな?」

 俺の普段の悩みなんて、みんなにはお見通しだったってことか。

「はは、最高だよ」

 笑える。

 異形との遭遇よりも、何よりも、一番の予想外だ。

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