分かれ道

 不味い状況だ。噛まれてから圧倒的に不利になった。徐々に毒が効いてきており、体の感覚は鈍っている。狼の攻撃をいなすのがやっとで、じりじりと後退せざるを得なかった。

 振り返る。目線の先には真っ暗な崖。荒い息では跳躍して崖の反対側に行くことも、狼の群れを飛び越えることもできない。

 視界はぼやけ、意識も朦朧とする。だが最期の最期まで戦うのがエルフというもの。短刀を持つ手に力をこめる。しかし短刀は落下していく。限界だった脚は地面に向かった。顔を上げることもままならない。

 前方の空気が揺れた。狼が足に力を入れたのだろう。狼が一気に飛び出す音が聞こえ、すぐに痛みが、

「うぐっ!」

 ――襲ってこなかった。

 無理やり顔を上げると、目に入ったのはエゼルを守るように前に立つアダン。左右に伸ばされた腕や脚に、狼が噛みついている。

「アダンッ……なんで……」

「ソロンにずっと仕えるくらいなら、大好きな、エゼルを守って、死にたい、から……」

 アダンは振り向いて、綺麗な笑顔を見せる。息は絶え絶えで、その頬には既に脂汗が滲んでいる。

 他の狼は困惑して、その場に留まっていた。

「ごめんね。あなたたちを巻き込んで……」

 アダンは唯一無事だった右手を懐に入れた。そして震える腕で小瓶を取り出す。

「あなたたちも……ただの被害者なのに……」

「小賢しい」

 言葉とは裏腹に、ソロンの声は悦に満ちている。

 アダンは歯で栓を抜くと中身を自分に振りかける。すると狼の狂猛さが失せ、アダンに噛みつくのをやめた。その場に座ってアダンを見つめている。

「一緒にいこう……」

 アダンは前を向いたまま後ろに歩き始める。狼もまるで信徒のようにぞろぞろついていく。

「アダン、やめろっ……」

 そしてそのまま、背中から飛び下りた。

「エゼル……ありがとう……」

「アダン!!」

 幸せそうに微笑むアダンに手を伸ばす。しかし弱った体では到底届くはずもない。なす術もなくアダンは崖下に落下していく。

 狼たちもアダンを追って、次々と飛び出していった。

「アダンッ……」

 アダンは闇に溶けてしまった。届かなかった手が、崖下に向かって力なく揺れる。

「やはりガラクタに感情は不要だったな」

 もといた場所から一歩も動かないソロンの興味深そうな呟きが耳に届く。まるでアダンはただの実験材料だったかのようだ。

「なんで……おまえは……」

 足を踏ん張って立ち上がる。今までにないほど、否、人生で初めて、心がざわついた。ざわめきは熱いうねりとなって体中を激しく回る。

「そんな顔をしていられるっ……」

「言っている意味が分からんな。役に立たない駒が消えた。ただそれだけのことだろう?」

 ソロンが小馬鹿にしたように笑む。無意識のうちにぎりっと歯を鳴らしていた。

 自分以外の生き物を好き勝手に操るソロンが憎い。そしてそんなソロンに踊らされてアダンを信じてやれなかった自分に激しい後悔が募る。

「許さない……」

 短刀を握りなおして、ソロンを睨んだ。

「くっ」

 が、ぐわんと揺れる視界。傾く体はあっという間に地面に到達した。もう四肢に力が入らない。

「この先の草原で待つ。そこで再び相見えようぞ」

 ソロンの言葉と同時に視界が閉じた。


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