ひとりに、向けて

文章を、書いていて、ふと、思った。


ぼくは、なぜ、毎日、文章を書いているんだろう、と。




別に、誰からも、強要されてもいないし、じぶんで、毎日、書くぞ、と気合を入れたわけでもない。


書きたい時に、書いているし、それが、毎日続いているだけ。




けれど、本当に、そうだろうか。


もっと、別に、理由が、あるんじゃないだろうか。




ぼくは、文章を書くことで、頭の中を、整理している。


そして、日々、この瞬間に感じたことを、表現している。


それは、ぼくの、毎日のルーティンに、組み込まれている。


それくらい、文章を書くことが、自然なのだ。




逆に、文章を書かないと、気持ち悪い。




けれど、それだけじゃない。




もっと、ほかにも、理由がある。


それは、読んでくれる方が、いる。


この、ひだまりカフェに、来てくれる方がいる、ということ。




もし、ぼくの文章に、反応が、まったく、なくなっても、誰か、ひとりは、ぼくの文章を、読んでくれている。


そう、ぼくは、信じているのだ。




ぼくの、読者が、ひとりに、なったとしても、ぼくは、文章を書くだろう。


もっと言えば、読まれなくなっても、文章を書く。




文章を書くことは、ぼくの表現の方法のひとつだ。


だから、ぼくは、言葉を尽くす。




ひとりに、向けて、文章を、書くこと。


ぼくの文章を、読んでくれている、あなたへ、向けて、文章を、書いていく。


あなたを、想像しながら、文章を、書いていく。


表現を、していく。




だから、何度も、立ち返るけれど、反応は、気にしない。


反応のために、文章を、書いているわけではない。




ぼくの文章を待っている、ひとりのために、毎日、文章を書こう、と思っている。


いま、この瞬間、決めたこと。




それくらい、シンプルで、いい。


文章を、書く理由なんて、すこしで、いい。




ひとりのために、文章を書く。


日々、感じたこと。


気づいたこと。


絵本づくりのこと。


考えたこと。


やりたいこと。




そう言った、何気ないことを、できる限りの言葉で、つむいでいこう、と思う。


使命感じゃなくて。


義務感じゃなくて。




ただ、楽しくて。


待っていてくれるひとがいて。


待っていなくても。


誰にも、読まれなくても。




ぼくは、文章を書き続けていく。


この文章を書いていて、あらためて、エッセイを書く、わくわく感を、感じている。


毎日、ひとつ。


無理はしないけれど。


ひとつの作品を、つくって、いこう、と思う。




いつも、ひだまりカフェに来てくれて、ありがとうございます。


立ち寄ってくれて、ありがとうございます。




ここまで、あなたの貴重なじかんをつかって読んでくれて、ありがとうございます。


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