第267話 火の精霊神殿

政変が起こり、全ての権限を剥奪されたヒペリカム。


彼は、力なくうな垂れながら、皇帝の自室を退出しようとした。ところが、ふと目に入った黒岩椿を見て、最後に彼は憤激した様子を見せた。


「ツバキ殿!!!なぜ、あなたは……っ!!!今頃になって!!」


いきなり食ってかかるように近づいてきた元宰相に、引きこもり勇者は申し訳なさそうに告げた。


「ヒペリカム……おれも目が覚めたんだ。きみを放っておいてはいけないって」


彼らの言動を見て、黄河南天と赤城松矢は不思議そうにそれを見物した。


「ん?どないしたんや?」


「椿のヤツ、元宰相さんと昔から知り合いだったのか?」


さらに皇帝もカラコルム卿も見守る中、ヒペリカムは黒岩椿に積年の思いをぶつけていた。


「あなたが何もしてくれないから!……だから私はこうして!一人で全てを背負って来たのではないですか!それを今になって……!」


「ごめん……ヒペリカム……ずっと引きこもってて……ごめん……」


ヒペリカムは、黒岩椿が引きこもる以前の旅の仲間である。若かりし頃、のちにホーリーの両親となる2人を含め、4人で2年以上、旅を共にした旧知の間柄であった。


だからこそ、約20年に渡って引きこもり続けてきた黒岩椿に最も幻滅したのは彼であり、”勇者とは名ばかりのものだ”という考えに至ってしまったのである。人の期待を裏切るということは、時に罪深いものだ。


悲しそうな顔で黒岩椿がヒペリカムの肩に手を乗せた。知らず知らずのうちにヒペリカムは泣いていた。


とはいえ、スタートラインが如何なるものであったとしても、最終的に自己の保身に執着して政治を動かしてきたヒペリカムの罪は重い。僕はそこに同情しない。


彼はこれ以降、歴史の表舞台に顔を出すことはなくなり、実家の領地の屋敷に一生涯、蟄居することになる。


彼の死後、晩年の日記から、宰相時代の後悔と反省が書き連ねられているのが発見され、政治を担う者にとっての反面教師として、名を遺すことになるのだった。



また、『聖浄騎士団』については、この後、全員が帝室裁判にかけられることになる。彼らの中には、ドラコ村での労働を機に、心を入れ替え、一からやり直すことを希望する者も現れた。


しかしながら、各地の証言から罪状が明らかになるにつれ、その残虐性が明るみに出ることになり、数ヶ月後、騎士団長スターチスを含め、大部分の騎士が斬首の刑になるのだ。




――さて、後日談はここまでとしよう。


これらの政変を宮殿の外で見守っていた僕は、大和柳太郎からの報告で、思惑どおりに運んだことを知り、満足して仲間たちに笑顔を向けた。


「これにて一件落着かな。……まさか、大国の政治にここまで関わることになるとは思ってもいなかったけど」


「お疲れ様、蓮くん。みんなもお疲れ様」


嫁さんがねぎらいの言葉を掛けると、仲間たちは嬉しそうに頷いた。


そして僕は、この旅路で最も活躍してくれた”身代わり王女”にゆっくり歩み寄った。


「さて、シャクヤ、今回、一番苦労を掛けたのは君だ。本当に……大変なことを引き受けてくれて、すまなかった。ありがとう」


これに彼女は頬を紅潮させ、恐縮した。


「い!いえ!……結局、魔王召喚の秘密には近づけず、肝心なところはお役に立てませんでしたので……なんとも申し訳なく……」


「そんなことはないよ。君がいてくれたから、カラコルム卿とのパイプがスムーズに出来上がった。お陰でこれからは、大手を振って宮殿を歩ける。最大の功労者だ。お礼をしたいのだけど……何がいいかな?」


「えっ!お礼……でございますか?」


「うん」


「で、では……もし……よろしければ…………」


こちらとしては素直に感謝しているのだが、妙に照れた様子になってモジモジしはじめたシャクヤを見て、僕はハッとして言い直した。


「あ、いや、僕ができる範囲でね」


そこに彼女は真剣な眼差しでこちらにグイッと顔を近づけてきた。


「頭を撫でて……いただけますでしょうか?」


「……え?……それだけ?」


「はい!それがよいのです!」


「じゃ、じゃあ……」


少し不思議な感じだったが、僕はシャクヤの頭に手を伸ばし、優しく撫でてあげた。思えば、彼女にこういうことをしたのは初めてかもしれない。


「よく頑張ったね」


「ありがとうございます!」


彼女は、今まで見たこともないようなニヤけた笑顔でデレデレしていた。これだけのことで、そこまで喜んでくれるのかと思うと、逆にこっちが照れてしまう。


「シャクヤちゃんってば……困った子だけど、かわいいなぁもう……」


嫁さんも困惑気味に見ていたが、シャクヤの欲の無さと、あどけない反応に魅了されている様子だった。


また、僕にはもう一人、ねぎらうべき者がいる。

小さなフクロウの姿に変身している彼に僕は声を掛けた。


「それと、ストリクス」


「はっ!ご尊父!」


「お前の忠誠心は期待以上だ。よくぞシャクヤとラクティを、そしてみんなを守り抜いてくれた。心から礼を言う」


「なんという誉れ!!身に余る光栄に存じます!!!」


このフクロウ男は、今回の戦いで一人も人間を殺さず、仲間たちを守り、連携して勇者の撃破にも貢献してくれた。以前の残忍さを思えば、よくぞここまで心を入れ替え、僕の命令を忠実に遂行してくれたものだ。


僕は密かに彼に感嘆していた。




この後、宮殿は何かと慌ただしくなった。新宰相の就任に伴い、カラコルム卿が各方面から来た貴族と面会したり、直ちに開始した政務改革のために帝都中を奔走したりと激務をこなすようになったのだ。


僕たちは、宮殿に国賓として招かれ、来賓用の寝室に寝泊まりさせてもらうこととなった。


夜になると、こっそり女帝アイリスが遊びに来た。王女たちや牡丹が彼女の遊び相手になり、毎晩、楽しそうにしていた。


勇者たちもよく遊びに来るので、とても賑やかな日々を過ごした。



そうして数日が過ぎ、ようやく時間を見つけてくれたカラコルム卿に呼び出された。


帝都における僕の最大の目的は、宮殿1階奥にある『火の精霊神殿』の訪問である。全てが無事に済んだら、案内してもらうことをカラコルム卿と約束していたのだ。


これに女帝アイリスも同席することになった。

彼女は自慢げに語った。


「この国の皇帝は、神殿の神官長から任命されるのじゃ!ゆえに、精霊神殿を見るならば、朕が直々に案内してくれようぞ!」


「そうなんだ。よろしくな。アイリス」


「ありがとね。アイリスちゃん」


「レンとユリカのためじゃ!くるしゅうない!」


僕たち夫婦は、いつの間にか帝国の為政者とタメ口で話す間柄になっていた。


こうして、皇帝と宰相に伴われ、精霊神殿に向かった。今回の参加者は、僕たち夫婦の他、牡丹とラクティフローラとシャクヤである。牡丹は置いてこようと思ったが、アイリスもいるので、ついて来ることになった。


精霊神殿の入口は、そこだけが全くの別物で、まるで神話の時代を想起させるような造りになっていた。この宮殿は、もともと神殿が建造されていたところに増築して建てられたのだそうだ。なかなか強引な建築である。


「シロガネ代表様ぁ、本日はぁ、ようこそお越しくださいましたぁ」


入口で出迎えてくれたのは女神官ホーリーである。


彼女は、帝国の勇者たちを次々と召喚した老神官ヒイラギの孫娘であり、つまりは、バラモンの一族である。


「私たちは、遠い親戚なのかもしれませんわね」


ラクティフローラが笑顔でホーリーに言うと、彼女も微笑み返した。


「はぁい。それなのにぃ、オスマンサス様がぁ、シャクヤさんを魔族だと言われた時はぁ、どうしようかと悩みましたわぁ」


「まぁ、そのようなお疑いを掛けられていたのでございますね」


シャクヤもその情報にはビックリしていた。



僕たちは、最初に『火』の精霊が祀られている祭壇に向かった。王都マガダにあった『水の精霊神殿』と同じく、関係者しか入れない奥の一室に設けられていた。


そして、やはり『火』の精霊も、見る人間によって、姿が変わる仕様だった。


「わぁ!綺麗な人!!『水』の時は優しい女神様って感じだったけど、『火』は戦う女神様って感じかなぁ!」


「へ、へぇーー」


相変わらずウチの嫁さんは、前回と同じようなリアクションを取っている。一方、僕もまた、以前と似たようなものだった。


「蓮くんはどうなの?」


「いや……うん。めっちゃ睨まれてる」


「え、『水』の時と一緒じゃん……」


「だって『火』だよ。火って言ったら戦争と災難の象徴でしょ」


そうなのだ。祭壇の上に浮かんだ、真っ赤に燃え盛る不動明王みたいな存在が、先程からずっと僕を睨みつけてくるのだ。嫁さんからは呆れられてしまった。


「えぇーー、お料理作ったり、部屋を暖めたり、夜の明かりにしたり、生活に欠かせないものだよーー」


「まぁ……それもそうなんだけど……ところで、牡丹はどう見える?」


尋ねられた牡丹は、不思議そうに回答した。


「うーーん?おひさまみたいのが、まっかにもえてるよ?」


「へぇーー、子どもだと、まだ擬人化して見えないのかな……」


僕が興味深く分析していると、女帝アイリスも元気に答えた。


「朕は、亡き父上に見えておるぞ!肖像画にあるのとそっくりで、カッコよくて強そうなのじゃ!朕も、かくありたいと願うておる!」


「そうか」


「ただ……前と比べて、何か厳しい顔にも見えるのじゃ。朕のことを怒っておるのかのう?」


と、言いながらションボリした彼女を見て、僕は逆に感心し、優しくフォローした。


「きっとそれは、アイリスが現実に目を向けるようになったからじゃないかな。国を動かすことにプレッシャーを感じるようになったんだ。大きな前進だと僕は思うよ」


「そ、そうなのか?」


「精霊が厳しい目で見てくる限り、アイリスはいい皇帝になれると思う」


僕の素直な意見に彼女は目を輝かせた。そして、後ろにいたカラコルム卿に嬉しそうに同意を求める。


「聞いたか、パーシモン!レンがお墨付きをくれたぞ!」


「レン殿のご炯眼なら、間違いないでしょうな」


過分な評価であるが、新宰相もニコニコしていた。

ただし、嫁さんからはイタズラっぽい笑みでツッコまれてしまった。


「蓮くん、今の、自分をフォローしてるでしょ?」


「だって、めちゃくちゃ睨んでくるんだよ……」


彼女に言い訳しながらも、ふと気づくと、肩をすり寄せてきた嫁さんのお陰で、火の精霊が優しそうな女神に変わっていた。今回も顔が嫁さんそのものだ。


「ははは……またコレか……」


嫁さんの体に少し触れただけで、僕はそれほど安心感を得てしまう男なのだろうか。そう思うと、嬉しいような、情けないような、複雑な気持ちになった。



さて、祭壇の見学が終わると、いよいよ本題の『勇者召喚の儀』である。この地で次々と勇者が召喚され、最終的には『破滅の魔神王』討伐のための勇者召喚により、嫁さんが呼び出されたはずなのだ。


神殿の奥の別室に、やはり関係者以外立ち入り禁止の部屋があり、そこにホーリーが先導してくれた。


「こちらがぁ、『勇者召喚の儀』の術式を構築しているぅ、特別室でございますぅ。今年の6月ぅ、お婆様が実行したのですがぁ、失敗に終わってしまいましてぇ、その原因を究明するためにぃ、今も当時の術式を研究されてぇ、おられるのですぅ」


「てことは、その時の術式がそのまま保存されているのかな?」


「はぁい」


「それはありがたい!願ったり叶ったりだ!」


室内にいた研究員の神官たちは、僕たち一行を不審に思いつつも、皇帝と宰相が連れて来た客人であることから、驚きながら場所を開けてくれた。


その術式をすぐに『宝珠システム』に記録した。


こちらも実に複雑で難解な複合魔方陣であったが、『水の精霊神殿』で得たものと非常によく似ている。2つの術式を共に分析していけば、解明できるものも多くなろう。


満足した僕は、この術式が失敗だったと誤認しているホーリーに真実を告げてあげることにした。


「ホーリーには、僕たちの推理を教えておくよ。君のお婆さんが実行した『勇者召喚の儀』は失敗ではなかった。他の地でも行われた『勇者召喚の儀』と連携し、それが予想外の効果を生み出し、その結果、ここにいる百合ちゃんが『聖峰グリドラクータ』に召喚されたんだ。あと、ついでに僕もね」


「えっ……!!!」


これにホーリーは仰天した。

そして、合点がいったように目を丸くした。


「そ……それでぇ、ユリカ様はぁ、レベル150なのですか?」


感激した様子で、彼女は嫁さんの手を取った。

嫁さんも微笑んで返した。


「うん。どうも、そういうことみたい」


「うっ、うぅ……ヒイラギお婆様が知ったら、どれほど喜んだことかぁ……」


肩の荷が下りたのか、ホーリーは目に涙を浮かべながら語り出した。


「我が祖母はぁ、”『破滅の魔神王』だけは必ず倒さねばならぬ”と言ってぇ、長年研究を続けておりましたぁ。その途中に次々と舞い込む魔王の噂にもぉ、頭を悩ませながらぁ、”『破滅の魔神王』を討伐するために勇者様は多ければ多いほどよい”と主張しましてぇ、今の勇者様方を召喚されたのでございますぅ」


「そうだったのか……」


「ですが、老いには勝てずぅ、次第に身体の方がぁ、悲鳴を上げるようになりましてぇ、今年の日食の日もぉ、病を押してぇ、召喚術式を実行したのですぅ。その後、一月も掛からずに亡くなりましたぁ」


次第に涙を流しはじめたホーリーを嫁さんが優しく抱擁した。


「そうなのね……ホーリーちゃん、私がこうして、ここにいるから、あなたのお婆様が成功したのは間違いないのよ。胸を張っていいわ」


「はぁい。ありがとうございますぅーー」


二人の姿を僕たちは感慨深く見守った。ラクティフローラとシャクヤは共感するものがあるようで、涙ぐんでいた。


この後、神殿には多くの貴重な研究書物があったので、ついでにそれも『宝珠システム』にスキャンさせてもらった。


こうして、『火の精霊神殿』における僕たちの用件は完了した。




新宰相と別れる際、丁重に礼を述べると共に、最後に気がかりだったことを僕は尋ねた。


「ところで、今さらですが宰相閣下、村にあった、破壊された地下神殿のことですけど……」


「ええ。何でしょうか?」


「未遂に終わったとはいえ、魔王を召喚するのは、いささかやりすぎだったと思うのですが」


苦言とも言えるこの質問を聞いて、カラコルム卿は目を丸くし、しばし呆然とした。そして、急に気さくに笑い出した。


「ハハハハハ!ご冗談を。我々は、あの地で、新しい勇者様を召喚しようと考えていたのです。とりあえずの討伐対象として、『重圧の魔王』をターゲットにした勇者様を」


「「…………え?」」


これには、僕だけでなく、ラクティフローラとシャクヤも唖然とした。カラコルム卿は、なおも笑いながら語った。


「いや、確かにディモルフォセカ殿の協力は受けました。しかし、自らの手で魔王を召喚するなど!そのような恐ろしきこと、するはずがないではありませんか!それでは、本気で国を亡ぼしてしまいます!」


「で、ですよねぇーー。あははははは!」


とりあえず僕は話を合わせるため、冗談ということにして、共に哄笑した。


女帝と新宰相に別れを告げ、僕たちのみになった後、僕は愕然として声を上げた。


「……あれぇーーー?」


「ちょっと蓮くん!どういうこと?」


「待って……本当に混乱してきた。……どこだ?どこから僕は間違えていた?」


嫁さんは呆れ果てて僕にツッコんでくるのだが、僕も何が何やら全くわからない。カラコルム卿が『魔王教団』と結託し、帝国の勇者を倒すために魔王を召喚しようとしている、と考えていたのだが、その推理が完全に外れていたのだ。


ここでシャクヤがハッとして、慌てて謝罪した。


「申し訳ございません!わたくし、カラコルム卿とお話ししまして、てっきり魔王を召喚するものと思い込んでおりました!思えば、あの方は、”魔王”とはハッキリおっしゃいませんでしたわ!」


そう。彼女とカラコルム卿が初めて対面した時、あまり事を荒立てないように、彼女は魔王召喚のことをやんわりと追及した。カラコルム卿は、勇者召喚だと思って相槌を打った。その曖昧なやり取りが、この勘違いを招く結果となったのだ。


とはいえ、そもそも『魔王教団』が魔王を召喚するものだと推測し、先入観を持ったままシャクヤに潜入捜査してもらったのは僕だ。彼女を責めるわけにもいかない。


「いや……無理をさせたのは僕なんだし、シャクヤは悪くないよ。まぁ、ふりだしに戻っただけのことさ」


若干、苦笑気味だったかもしれないが、僕は彼女をフォローした。


だが、大きな手掛かりだと思っていたことが全くの肩透かしだったため、やはり落胆は大きかった。


だとしたら、この世界に魔王を召喚しているのは、いったい誰なのだろうか。


また一から考え直さなければならない。



僕たちは、宿泊している客室に戻った。


嫁さんたち女性陣は僕たち一家の部屋に集まり、勝手にお茶会を始め、談笑しはじめた。その横で、僕は帝国に来た当初の目的を思い返しながら、考えをまとめた。



そもそもの最初の間違いは、『魔王教団』が悪の組織だという勝手なレッテルを貼っていたことだ。この国で出会った信徒たちは、むしろ圧政に苦しむ人々に寄り添う弱者救済の精神を持った人々であった。


思えば、地球上においても、キリスト教は初め、ローマ帝国に迫害され、悪しき宗教とされていた。それがついに逆転し、欧州全土に広まる国教へと変わっていったのだ。


いくらなんでも魔王を信奉する宗教が、将来そこまで発展するとは思えないが、人を所属する団体で評価してしまうことが、如何に愚かであるのかを僕は今回、痛感することになった。


こうした思い込みを打破できていなかった僕は、『魔王教団』だから魔王を召喚するに違いない、という安易な想像をしてしまったのである。



さらにこの国で知った桜澤撫子の正体により、新たに判明した事実がある。


彼女が10年以上、追い求める『破滅の魔神王』。さらにドラゴンの存在。また、ドラゴンがカラコルム卿の屋敷を襲った際、破壊されたのが構築中だった地下神殿と祭壇だったこと。


それらを合わせてみると、問題がより複雑化したと言える。僕は頭を抱え、途方に暮れてしまった。


だが、ここでふと桜澤撫子が言っていたことが脳裏をよぎった。


「誰の手で、魔王がこの世界に召喚されているのか。その答えは、すっごくシンプルなんだ」


その言葉を僕は反芻した。


「シンプル……シンプル……」


僕は今までの出来事を振り返りながら整理してみた。思えば、この国で多くの勇者と魔王に出会うことができたが、そのたびに、ある違和感を抱いていたのだ。そこに思いを馳せた時、一つの仮説が僕の中に浮かんだ。


「……ん?待てよ?」


それは、実にシンプルな答えだった。短絡的とも言える結論だった。だが、一瞬、全てのつじつまが合う気がして、光明が差した感覚になった。



ところが、ここで僕の思考は、嫁さんの素っ頓狂な声によって遮られることになった。


「ねぇ、蓮くん!!何これ!!!」


「え……?」


自分の世界に没入していた僕が現実に戻ると、嫁さんの周りに女性陣が集まり、彼女の携帯端末宝珠を見つめていた。ラクティフローラが目を丸くして僕に報告する。


「お姉様の”スマホ”にナデシコさんから妙なファイルが送られてきたのです!」


「え、ファイル?」


「これ、音声データだよ!」


嫁さんはそう言って、恐る恐る音声ファイルを再生した。

すると、桜澤撫子と僕の声が聞こえてきた。


『ダ……ダメよ。白金くん。あなたには奥さんがいるでしょ?』


『だから何だよ』『今はどうでもいい』


僕は度肝を抜かれた。

確かに僕の声だが、編集されたものだ。


おそらく彼女と山小屋で話していた時の会話が録音されていて、それをバラバラにして都合よく繋げているのだろう。僕はドン引きして叫んだ。


「待ってくれ!これは――」


「しっ!」


だが、嫁さんに怖い顔で制止された。彼女としては内容が気になるようだ。音声データの会話は、何やら怪しい男女の密会のように進んでいる。


『百合華ちゃん、怒るわよ?』


『あんな』『バカな女』『これ以上、一緒に暮らせるか!離婚だ!!!』


『え、別れちゃうの?そんなことして大丈夫?』


『君』『と力を合わせれば』『百合ちゃん』『なんか敵じゃない!』


『でも、娘さんだっているのに、こんなこと……』


『撫子っ!』『君のことが好きだっ』


『ほんと!?私もよ!嬉しい!』


『僕たち』『は二人で一人なんだ!』


『そんなこと言ってくれたの……白金くんが初めて』


『大好きだよ!!!』


『んっ!!!んんんっーーーー!!!!』


桜澤撫子の方は迫真の演技であるため、最後はまるで僕が押し倒してキスしたように聞こえた。


さらにどう入れたのかは知らないが、ご丁寧にチュパッチュパッという、ヌメるような水っぽい音と、ギシッギシッというベッドが軋む音が続いた。


これでは、二人が寝床の上でディープキスしながらイチャイチャしているようにしか思えない。



バン!!!



なんと、ここでテーブルを叩きながら涙目で立ち上がったのは、ラクティフローラであった。


「ひどすぎますわ!お兄様っ!!!これでは、お姉様が可哀想です!!!」


さらにシャクヤは、真っ赤にした顔を両手で覆い、恥ずかしがりながら、非難の声を上げた。


「うぅ……わたくしという者がありながら、二人目を選んでしまわれるなんて!」


「ちょっ、ちょっと待て!二人とも落ち着いて!これは録音した音声を切り貼りした、でっちあげだ!あとシャクヤは悲しむトコが変!」


音声MADなど知るはずもない二人に僕は必死に釈明し、落ち着かせようとした。さらに、たまたま部屋に来ていたベイローレルは、僕を見下すようにニヤリと笑う。


「レンさん……最低ですね」


「君にだけは言われたくないがな!このプレイボーイが!」


そして、最も気がかりなウチの嫁さんに僕は声を掛けた。


「百合ちゃん!わかってるよね!?これ合成だからね!!」


「え……もちろんわかってるよ?」


と、平静を装って真顔で答える嫁さん。

ダメだ。目が笑ってない。


「わかってるけど……なんだろ……どうしようもない怒りが込み上げちゃって……この気持ち、どうすればいいの?」


「待って……全くの事実無根だ。あの日は何も無かった。前に言ったとおりなんだよ」


「ねぇ……いったいどんな会話をあの女としたら、あんなセリフが作れちゃうのかなぁ?”バカな女”とか”離婚”とか言ってたよ?」


「いや!だから詳細はあとでじっくり話すって言ったじゃないか!いろいろあったんだよ!」


「い・ろ・い・ろ?」


「怖い怖い怖い!!!百合ちゃん、目が怖い!!」


全身から真っ黒いオーラを解き放ち、死んだような目で迫ってくる嫁さんに僕はただただ恐怖した。


迂闊だった。


あの日の出来事は、あとでしっかり教えることにしていたのだが、激闘を終えた安心感にその後の多忙さが加わり、ゆっくり話す機会を見失っていたのだ。こうなる前に、もっと早く語っておくべきだった。


それにしても桜澤撫子!あのメンヘラ女め!陰湿なサイコパスか!次に会ったら絶対に許さないからな!


と思いながらも、目の前の嫁さんと周囲の美少女たちの怒りを鎮め、説得して落ち着かせるために僕はとてつもない心労を味わうことなった。


なにげにあの日の出来事を事細かく説明する段に至っては、嫁さん以外にも聞かせることになってしまい、非常に恥ずかしかった。



ようやく皆が納得してくれた後、僕は先程まで重大な仮説に辿り着いていたのを思い出したのだが、悲しむべきことに、その内容を完全に忘れてしまっていた。


「……あれ?さっき、僕、何考えてたっけ?」


「私に聞かないでよ」


「だよね……」


嫁さんに尋ねても、まだ不機嫌な彼女に冷たくあしらわれた。疲れ果てた僕は、考えるのをやめた。

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