第213話 田舎の珍事
僕とベイローレルとカエノフィディアは、既に店内に入っていた。
そして、嫁さんと牡丹とラクティフローラが領主の息子らしき人物に絡まれているのを最初から目撃していた。
嫁さんがいる限り何の問題も起こらないだろうと高を括っていたのだが、想像以上に領主の息子は意地の悪い性格をしていた。
彼は常連客であり、この土地の権力者の子息であるため、酒場の店主は何も言うことができない。
いくら異世界だからといって、ここまでわかりやすい金持ちボンボンの悪役に旅の初日から遭遇するとは思いも寄らなかった。
「やれやれ……どうするかな……」
なるべく事を荒立てたくないので、どう対処すべきかを僕は熟考した。しかし、その間にも事態は進んでいる。
「お姉さんたち、さっさとおれの誘いに乗らないから、こんなことになるんだぜぇ?これ以上、おっかねぇ思いをしたくなきゃあ、おとなしくおれの席で酒を飲もうじゃないの。なぁ?」
ニヤニヤ笑いながら、領主の息子が王女に顔を近づけている。
一方、斧や剣を持った男たちに囲まれているラクティフローラは、どんな心境だろうか。なんと彼女は今まで見たこともないような恐ろしい形相をしていた。おそらく、このような仕打ちを受けたことが今までないのだろう。無礼にも程があると思っているのだろう。
もはやブチギレ寸前である。もしも王国トップクラスの魔導師がこの場で怒りを爆発させたら、どんな大惨事になるか計り知れない。
それをすぐに察知した嫁さんが、王女に優しく声を掛けた。
「ラクティちゃん、ラクティちゃん、落ち着いて。ここで本気を出したら店ごと壊しちゃうわよ」
「ハッ……そ、そうですわね、お姉様。申し訳ありません。あやうく死人を出してしまうところでした」
「とりあえず、私が穏便に済ませてみるから、ね?」
「はい。お願い致します」
ペコリと頭を下げるラクティフローラ。
嫁さんは、財布の袋を取り出して、領主の息子に笑顔を向けた。
「ふふふ。ごめんなさいね。服と料理は弁償させてもらうから、今日はお引き取り願えるかし……ら?」
ところが、想定外の理由で、その言葉を途中で止めることになる。彼女たちを包囲していた男たちが、一斉に押し潰されるように突っ伏したのだ。
ズッウウゥゥゥン!!!!
「「ぐっあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」
なんと苛立った牡丹が【
「ぼ、牡丹!!何やってるの!!!」
「ごはん。じゃまする。きらい!」
「待って!牡丹!わかったから!すぐにご飯食べさせてあげるから!やめてあげて!やめないとご飯を運んでもらえないでしょ!?」
「あ……」
納得した牡丹が超重力を解除した。何が何だか、わからない領主の息子は、一人でポカンと口を開けている。
その様子を見て僕もホッとした。大惨事が免れたところで、僕は隣にいる王国の勇者にそっと告げた。
「ベイローレル、ここは君が一番、平和に終わらせられるんじゃないか?これ以上、騒ぎになるのはマズいだろう」
「……ですね。仕方ありません。ちょっと行ってきます」
少々ウンザリした顔をしていたベイローレルであったが、彼は颯爽と歩み出て、領主の息子の背後からその肩をポンと叩いた。不思議に思った領主の息子が振り返ると、彼は微笑を浮かべたままその胸ぐらを掴む。
「キミ、ボクの顔に見覚えはないか?」
「…………はぁ?」
当初はベイローレルの顔を睨み返した領主の息子であったが、数秒もすると、目を丸くし、冷や汗をかいた。
「……せ……せせせせ聖騎士どの…………あ、いや、今では勇者の……ベ、ベイローレル殿ではありませんか!」
地方領主の息子と言えども、王都に出かけた際に何らかのパーティーに出席し、ベイローレルの顔を見かけていたのだ。彼が自分の名前を知っていることを確認したベイローレルは、ニコッと微笑んだ後、冷たい声でこう言った。
「ちょっとこちらにいらっしゃい」
そのまま領主の息子を酒場の外に連れて行く。牡丹の超重力から解放されてヨロヨロと起き上がった男たちは、それを茫然と眺めた。
そして、1分ほど経つと、領主の息子は顔面蒼白で慌てふためき、急ぎ足で嫁さんたちのもとに戻ってきた。
「さ……ささささ先程はとんだごごごごご無礼を…………」
ガクガクと震えながら、ラクティフローラに向かって跪き、しどろもどろな言葉で謝罪する。
ベイローレルが彼に王女のことを話して聞かせたのだ。極秘の任務のため、身分を隠していることも。
まさか自分が王国の最高権力者の息女を、しかも今では”聖王女”と慕われている第一王女を相手にしていたとは、知る由もなかったわけだ。今になって事の重大さに恐れおののいているのである。
その様子を見たラクティフローラは、着席したまま重い口調で彼に告げた。
「そう思うのなら、まずはこの失礼極まりない殿方たちを引き下がらせたら、どうですか」
「は、はい!そのとおりです!!お前たち!ここはいいから下がってろ!」
男たちは納得いかないような顔をしていたが、仕方なく引き下がり、自分たちのテーブルに戻った。そして、領主の息子は怯えながら、頭を地に付ける勢いで懇願した。
「ど、どどどどうかこの件は、我が父上と国王陛下には、ご、ご内密に……」
これにラクティフローラは深いため息をついた後、蔑むように言った。
「呆れたお人だこと……これは自分が悪いのであり、父上には何の責任もありません、くらい言えないのかしら……」
「は、はははは、はい!!そのとおりでございます!悪いのは全てわたしでございます!!どうか!どうかお許しを!!」
「あなたは先程、何とおっしゃいましたかね……確か……どう落とし前をつけるのか、とか何とか……」
「おおおお、お落とし前はもちろん、わたしの方でつけさせていただきます!て、店主!こちらのお客様に最高の酒と最高の料理を運んでくれ!!お代は全部、おれが持つから!」
「わたくしの連れは、あちらにもいるのですよ」
「はぁい!それも大丈夫でございますぅぅ!!皆様の支払いは、全部わたしが出させていただきますぅぅぅ!」
もはや涙目で王女の言葉を全て受け入れる領主の息子。憐れと言うべきか、情けないと言うべきか、見ていてこっちが悲しくなってくる。最後にラクティフローラは毅然とした声で彼に告げた。
「次期領主であるならば、今日よりは勉学に励みなさい。あなたはこの地の人々を正しく治めなければならないのですよ。次に会う時、腑抜けた様子を見せたら、タダじゃおきませんわ」
「は……はひぃ!!!」
ほとんど土下座に近い体勢で平謝りする領主の息子であった。
これに苦笑しつつも楽しそうに嫁さんが呟く。
「リアル黄門様だね」
そうして、この地方では最高のご馳走とされている料理と酒が運ばれ、嫁さんとラクティフローラと牡丹は、それを笑顔で食べた。宮殿以外の場所で食事を取ったことがほとんどない王女は、庶民の味に驚いたり感心したりして、それなりに楽しんでいた。
僕はベイローレルとカエノフィディアと共に同じテーブルに座り、嫁さんたちと同じ料理を食べた。また、外にいるペットにも料理を出してほしいと店主に告げ、大金を見せると喜んで対応してくれた。そうして、ルプスとガッルスとアイビーにも満足する食事を与えられた。
あとで聞いたところによると、この地方の領主は、現在は王都マガダに滞在している。元来、わがまま放題の息子であったが、父親が留守中の間は、なおいっそう拍車がかかって我が物顔をしていたそうだ。
これを機に、この放蕩息子は心を入れ替え、賢明に勉強と剣術に励むようになっていった――かどうかは、よく知らない。人間、そう簡単に性根は変わらない気もするし、僕にはどうでもよいことだ。
ただ一つ、この日の出来事で情けない姿を披露した彼は、仲間たちからの信用を失い、心を入れ替えざるを得ない状況に陥ったことは確かである。
さて、ところで性根が変わらないと言えば、この男もそうであった。
僕と一緒に食事をしていたベイローレルは、地方領主の息子の取り巻きだった女性たちから声を掛けられた。その途端、彼は気さくな笑顔で立ち上がり、喜んで彼女たちに付いて行って、そちらのテーブルで飲み食いをはじめた。
残された僕とカエノフィディアが二人きりで食事することになる。彼女はクスクスと笑っていた。
「ベイローレル様は、自由でございますね」
「……本当だね」
僕も苦笑するのみだった。
そして、奥のテーブルで大勢の女性に囲まれ、豪遊しているベイローレルをチラリと見るラクティフローラは、まるでゴミを見るような目になっており、嫌悪感を丸出しにしてボソッと呟くのであった。
「不潔っ……!」
その後、ベイローレルを除く全員で公衆浴場に行き、汗を流し、宿に戻った。部屋に戻っても彼は帰って来ることなく、僕は一人で寝た。
結果として、ベイローレルが帰って来たのは夜明け頃だった。朝帰りである。扉の開く音で目を覚ました僕は、思わずツッコミを入れてしまった。
「……どこ行ってたんだよ、ベイローレル」
「いやぁ、どこでもいいじゃないですか。やっぱりどんな町に来ても、かわいい子が一人はいるもんですよね」
肌をツヤツヤさせながらニコニコしている彼を見ていると、なんだか無性に腹が立った。こっちは自分の嫁さんと何もできないというのに、お前だけ何をやってんだよ、と。イケメンの人生は本当に楽だよな、と。
ふてくされるように二度寝した。
とはいえ、日中に移動したいので、しばらくするとすぐに起きた。
朝食を食べて出発するため、早々と宿を出る。初めて民間の宿で外泊したラクティフローラは、奇妙なテンションで嬉しそうに僕に報告した。
「お兄様!いかがですか?今日は頑張って一人で服を着ましたのよ!」
「ああ……うん。あまり大声で言うことじゃないけどね……」
「下着も全て、自分でやったのですわよ!」
「う、うん。ほんと、大声で言うの、やめようね……」
「ボタンちゃんにも褒められてしまいましたわ!」
「そ、そうかぁ……それは良かったね……」
まったく。何なんだこのパーティーは……。
と、心の中で嘆いた。
さて、朝食も準備も全て済ませ、クルマに乗り込む。
僕たちの眼前には大河が流れているのだが、対岸が見えないほどの大きな河に橋などあるわけがない。助手席のベイローレルが乾いた表情で僕に問う。
「……で、昨日の続きですけど、河はどう渡るんですか?」
「まぁ、見てろって」
僕は鉄製自動車2号に搭載した秘密の機能を発動した。
シャフトが変形し、4つのタイヤがクルマの下部に折り畳まれる。脚の無くなったクルマは、魔法による圧縮空気のクッションで支えるようにした。傍目には自動車が浮いたように見える。
あとは簡単だ。風の魔法で後方にジェット噴射すれば、勢いで自然と走り出す。
魔法による”ホバークラフト”だ。
そのまま大河に突入する。水上では下方にもジェット噴射し、水中への落下を阻止すればよい。自動車は水飛沫を上げながら河を高速で横断した。
「うっはぁぁっ!!!何これ何これ!!超やばっ!!超カッコいいぃぃぃっっ!!!!」
「すごい!!すっごーーい!!!」
水陸両面に渡って難なく疾走するクルマに嫁さんは大興奮である。牡丹と一緒に大はしゃぎだ。
ラクティフローラもカエノフィディアも、そしてルプスもガッルスも唖然として顔が凍っている。ベイローレルは、やはり男子のサガなのか、無言で目を輝かせていた。
無事に大河を渡り切り、そのまましばらく走行するとクルマを元の形態に戻した。嫁さんが残念そうな顔をする。
「……あれ?もう終わり?」
「マナの燃費が悪いから、基本は四輪駆動で進むよ」
そうして再び砂漠を突っ切る快適な旅を続けた。初日の晩から珍事に見舞われたが、僕は思い返して微笑んだ。
「ちょっとトラブルはあったけど、王国が安泰だってこともよくわかったよ。王家の威光が地方にまでしっかりと行き届いているし、人々も安心して暮らしている。特に地方の財政が良好なのがとてもいい」
「まぁ、そう思われますか?」
ラクティフローラが嬉しそうに聞き返すので、僕は調子に乗って自分の歴史観を語った。
「古今東西、国や王朝が亡ぶ理由は千差万別だけど、傾向は似ている。経済が悪化した時なんだ。地方が安定してるってことは、この国も、あと100年以上は持つんじゃないかな」
「いや、蓮くん、何様よ」
苦笑しながら呆れるのはウチの嫁さんだ。
「ありがとうございます。お兄様にそう言っていただけると、わたくしも誇らしいですわ」
笑顔の王女を乗せ、僕たちは快適なクルマ旅を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます