第211話 帝国へ
拉致されたシャクヤが誘拐犯に自ら同行してから、既に13日が経過していた。彼女の旅路は、どのようなものであったか。
当初、砂漠の王国であるラージャグリハを北上する彼らは、『デザート・ドルフィン』というモンスターを使ってソリ馬車を走らせる手段を用い、高速で砂漠を通り過ぎて行った。
初めこそ快適な乗り物だと感じたシャクヤであったが、まもなく、その感想は間違いであったことを知る。
砂漠を走るため、ほんのわずかな隙間からも砂塵が次々と入り込み、座席の下が砂だらけになるのだ。
また、広大な砂漠には緩やかな丘がいくつも出来上がり、それなりに起伏があった。これを高速で飛び越えると、必然的にソリ馬車が浮く瞬間がある。何度も何度も激しくバウンドしながらソリは進んで行った。
さながら遊園地のアトラクションのような乗り心地であり、優雅な旅とは程遠い道のりであった。
「なるほど……確かに速いですが、王国貴族の間で流行らなかった理由がわかりましたわ……」
旅慣れたシャクヤといえども、これにはさすがに閉口し、苦笑した。そして、肩に乗っているストリクスは、予想外な人間の文化に触れることができ、羽ばたきながら楽しんでいたという。
――さて、ここで彼らが向かっている帝国と王国との地理関係について解説しておきたい。
まず、これまで何度かご紹介してきたことであるが、白金夫妻が召喚されたこの大陸の中心には、雲よりも高い聖峰『グリドラクータ』がそびえており、その周辺はマナ濃度が非常に高く、モンスターが群生しているため、『環聖峰中立地帯』と呼称されている。
次に、それを囲むように4つの大国が存在している。
北に、雪国の帝国『イマーラヤ』
東に、複数の島による鎖国国家『チーナ・スターナ』
南に、緑豊かな共和制国家『シュラーヴァスティー』
西に、砂漠とオアシスの王国『ラージャグリハ』
そして、これらの大国が東西南北に突き出すような形状をしているため、大陸を全体的に俯瞰すると、大きな手裏剣のように見えた。
また、それぞれの大国の領土も広い。面積は日本の10倍以上であり、インドより少し大きいくらいと想像していただきたい。
これまで主に物語の中心となってきたのがラージャグリハ王国であり、その王都マガダは、国外の商業都市ベナレスから馬車で5日の距離であった。これは、およそ600キロメートルの距離だ。
国土面積の割にかなり近い距離にあるわけだが、これは、砂漠の王国が交易を中心に栄えてきたことに起因する。南にある緑豊かな共和制国家『シュラーヴァスティー』や周辺の小国家と盛んに交易するためには、国境と海に比較的近い南東部に王都を建設する必要があったのだ。
ゆえに王都よりも西と北には、広大な砂漠と荒野の国土が広がっている。
王都マガダを出て帝国へ向かうために北上する場合、国境までの道のりは、北海道から沖縄までと同じような距離となる。砂漠を迂回するように続く荒野の街道を馬車で進むと、20日を優に超える計算なのだ。
『デザート・ドルフィン』に高速で引っ張られ、砂漠を通過することで荒野の街道をショートカットしたシャクヤたちは、その行程を大幅に短縮することに成功し、8日で国外に出た。
さらにそこからは数日を掛け、王国と帝国の間に存在する、いくつかの小国家を通り過ぎて、帝国領に入らなければならない。
陸に上がった彼らは馬車を購入して乗り換え、さらに進んでいった。ちなみにシャクヤは当初、ラクティフローラに変装していたためドレスを着ていたが、目立ちすぎるので、途中の町で平民の服をあてがわれ、着替えていた。
まれに宿泊したり、入浴の機会をもらえたりしたが、基本的に夜通しで移動する彼らの逃走劇は、なかなかにハードであった。
――こうしてシャクヤが大変な旅路を歩んでいる中、僕たちは帝国に向けて王都を出発することになった。
時は、この世界における10月4日である。
出発間際、王女の屋敷に第一王子クインスが訪れた。彼も弟と同じく、これから『アカデミー』に戻るとのことで、手短な挨拶である。庭先でラクティフローラと話をした彼は、僕にも呼び掛けた。
「レン殿、『プラチナ商会』の盛況ぶりはさすがですね。破竹の勢いとは、まさにこのこと。そこで、今の調子のまま、いかがでしょうか。シュラーヴァスティーの首都『コーサラ』でも支店を開設してみては。『アカデミー』はその郊外にありますので、私からも様々に口添えできますよ」
「まぁ!それは妙案ですこと!」
第一王子の提案に妹の王女が目を輝かせた。しかし、僕は彼の自信に満ちた顔を見ながら、しばらく返事を待たせる。そして、慎重に考えた上で結論を述べた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。クインス殿下。とても興味深いお話であり、有益なお申し出なのですが、いかんせん、王都での商売もまだ完全に軌道に乗っておりません。ここしばらくは、他の国への展開を視野に入れる余裕がないのです」
「そうですか……それは残念」
「殿下にそこまでおっしゃっていただいたことは、大変に光栄でございます。このご恩は忘れは致しません」
「いえ、レン殿、私たちは既に友人ではないですか。これからも、よろしくお願いしますよ。『アカデミー』にも遊びに来てくれると嬉しい。あなたとは是非とも語り合いたい」
「恐縮です。ありがとうございます」
「ユリカさん、あなたも是非、『アカデミー』に」
「はぁい。王子様」
ウチの嫁さんにまで愛想を振りまき、王子は爽やかに馬車に乗って帰って行った。彼を見送った後、嫁さんとラクティフローラが不思議そうに僕に尋ねた。
「蓮くんってば、欲がないねぇーー。今の話、結構、おいしい話だったんじゃないの?」
「そうですわ、お兄様。クインス兄様の助けがあれば、シュラーヴァスティーでの開業がスムーズに運びましたものを」
これに僕は、若干、苦笑を交えながら答えた。
「確かにクインスの力を借りれば、事は簡単に進むだろう。だけど、ちょっと危ない気がしたんだ。彼は、僕に恩を売ろうとしている。貸しを作ろうとしている。もしも見知らぬ土地での商売を彼に一任して進めてしまえば、彼抜きでは成り立たない体制を築かれてしまうかもしれない。いずれはその支店を乗っ取られる可能性だってありうると考えたんだ」
嫁さんと王女は、僕の言葉を聞いて呆れながらも感心した。
「……蓮くんが疑り深いのは知ってたけど、そこまでとは思わなかったなぁーー。でも、今のはちょっと納得した」
「複雑な思いですが、クインス兄様のこと、よく観察されておられますのね。さすがはお兄様ですわ……」
「ごめんね。ラクティには申し訳ないけど、『プラチナ商会』が大きくなりすぎたからこそ、甘い汁を吸おうとする連中も多くなってくる。慎重には慎重を期そうと思うんだ」
「そうですわね。王家も同じです。お気持ちはとてもよくわかりますわ」
さて、その『プラチナ商会』であるが、僕が王都に滞在している間、『マガダ支店』の店舗運営体制は着々と整えられていた。実は王子に語ったこととは違い、既に僕ナシでも順調に商売が進むよう、仕組みは出来上がっていたのである。
まず、行列が出来るほどの顧客の多さに対応するため、宝珠を展示するブースと購入するブースを分けることにした。
高級品である魔法宝珠は、購入を目的とする顧客だけに絞ると意外と数を減らし、残るは物珍しさから見学に来た人々ばかりだったのだ。ゆえに購入客を第一に考えた場合、この体制が最も効率的であることに気づいた。また、予約注文も受け付けることで、より効果的な供給が可能になる。
宝珠の供給は、流通体制を整えることで盤石になった。これには、騎士団第六部隊の前部隊長であったホーソーンの弟君、ポトスさんの助力を得て、順当に築くことができた。彼の領地は、国境の町の近郊だったのだ。ポトスさんの紹介により、ベナレスから王都マガダまでの流通を生業とする商会と提携することができた。
宝珠を運搬する荷車は、文字どおり宝を運ぶようなものであり、盗賊に狙われる危険性が非常に高い。しかし、僕が委託した流通商会には確かな実績があり、ハンターの護衛による安全性には定評があった。
そして、さらに我が商会の『エンブレム』を掲げることで、誰も近寄らない無敵の荷馬車集団となった。王室御用達であり、ハンターギルド御用達である『プラチナ商会』に手を出す愚か者は、もはや存在しなかった。
こうして、堅固な体制を構築できた『マガダ支店』は、従業員も増員し、ブラックでない労働環境を作り上げることに成功した。
ここまで来れば、僕がいなくともキリモリできるであろう。軌道に乗っている、と十分に言える状況だ。
その上での王都出発なのである。
僕たち一行は、開店前の『マガダ支店』店舗に向かい、馬車を降りた。ここで、僕が保管しておいた鉄製自動車2号機に乗り換える。
ウチの嫁さん、牡丹、ラクティフローラ、カエノフィディア、ルプス、ガッルス、そして王女の愛猫アイビーを乗せ、僕はクルマを走らせた。
久しぶりのドライブ旅行なので、牡丹はとても楽しそうにキャッキャとはしゃいでいた。
途中でベイローレルを拾うため、彼の屋敷に立ち寄る。ここもまた名家であるため、大きな庭があり、そこに停めた。ベイローレルは僕の自動車を見るのが初めてあり、物珍しそうに眺めた。
「こ……これが例の、魔法で走る”鉄の馬車”ですか……」
「馬もいないけどな」
「それにしても、まさか、”聖騎士”と”聖王女”、それに”聖賢者”までが集うとは、なかなか壮観ですね」
「そこに世界最強の勇者が同乗してるんだ。ここまで最強すぎるパーティーは他に無いだろうな」
「確かに」
そう言いながら、僕たちは嫁さんに視線を向けて互いに笑った。当の嫁さんは呑気な顔で泰然自若としている。
ちなみにベイローレルは私服である。極秘任務のため、鎧も制服も着用せずに同行するのだ。また、クルマに乗せるため、鎧は勘弁してほしいと事前に伝えてもいる。クルマは助手席が空いており、そこに彼は座った。
「すごい……本当に馬も無しで走ってる」
「街中は徐行するけど、王都を出たら速いぞ」
「ところで、なんでしょうか……レンさんの隣に座っているのが、妙な気分なんですけど……」
「それは言うな。僕も変な気持ちだ。何が悲しくて君を助手席に乗せなきゃいかんのか……」
これだけ女性がいるというのに、なぜか僕の隣にベイローレルが乗ることになってしまったが、こうなった原因は全て嫁さんだ。
彼女がラクティフローラの隣に座りたいと言い出し、王女もそれを喜び、その結果、嫁さんを差し置いて僕の隣に堂々と座る女性が一人もいなかったのだ。おそらくローズかシャクヤがいてくれれば、こうはならなかったに違いない。
「ねぇねぇ、ラクティちゃん、見て。ベイくんと蓮くんが並んで座ってる構図、なかなかいいと思わない?」
「そ、そう言われると……なんだか絵になっておりますわね」
後ろの席では、嫁さんが王女に怪しいことを吹き込んでいる。ラクティフローラは新しい発見したようにソワソワしていた。
やめなさい。嫁さんよ。一国の王女に何を教えているんだ。君の腐った趣味に彼女を巻き込むんじゃないよ。
悲しい気持ちとやるせない気持ちで王都を出ると、僕は直ちにスピードを上げた。街道を颯爽と駆け抜ける自動車は、時速100キロを超えた。
「なっ!なんですか!このスピードは!!」
この速度を初めて体験する王国の勇者は、度肝を抜かれて叫んだ。いつも余裕の表情のイケメンが慌てふためく姿を見るのはとても楽しい。僕はさらにそのまま荒野の街道を外れて、砂漠の中に突入した。
「えっ!何やってるんですか!?この馬車は、砂漠の中を走れるんですか!?」
「まぁ、見てろって。このクルマなら、2日もあれば王国を出られるぞ」
そうなのだ。時速100キロを超えて砂漠を爆走できる魔法の自動車を使えば、広大な王国でも2日走るだけで北の国境に辿り着けるのである。
一応、帝国に向かうまでのルートとしては2通りが存在する。一つは、北北東に向かって国土を進行し、途中の小国家を通り過ぎて帝国に入るルート。もう一つは、一度、東に向かい、環聖峰中立地帯を経由して帝国領に入るルートだ。
総移動距離は似たり寄ったりだが、後者は森を抜ける必要があり、自動車での高速走行には適さない。何よりモンスターが群生していて危険だ。ゆえに僕の考えは一択だった。オフロードカーでいっきに帝国まで駆け抜けるだけである。
僕は、クルマを運転しながら、今回の旅を振り返った。思えば、当初の予定とは、ずいぶんと大きくズレてしまったものだ。
僕たち一家の最大の目的は、親子そろって安全に地球に帰還することである。
そのためには、『勇者召喚の儀』と『魔王召喚の儀』の真実を解明し、正しい帰り方を導き出す必要がある。
そして、それに向けた第一の目標として、”大賢者”との面会を望んでいたのだ。
彼が発見した『勇者召喚の儀』の秘密。それを禁術とするよう国王に進言したほどの重大な何かを教えてもらうためだ。
だからこそ、国王ソルガムの信用を得るべく、『プラチナ商会』の『マガダ支店』を開設し、成功させた。お陰で精霊神殿や王立図書館も訪問でき、様々に貴重な情報を獲得することができた。そして、全ての解析を終えるには程遠いが、『勇者召喚の儀』の魔方陣の構造を記録し、今も分析中である。
ところが、”大賢者”は既に亡命していた。協力者は『魔王教団』である可能性が濃厚である。しかも、面会を許可された際、国王は僕に彼の間違いを正すよう命じたのだ。
僕は、一抹の不安を抱きつつ、今、”大賢者”を追って帝国へと向かっているのである。また、時を同じくして、王女と間違えられて拉致されたシャクヤの救出も兼ねている。
「まったく……まさか、こんな国際的な面倒事に巻き込まれることになるとは、思ってなかったよ」
つい僕が愚痴をこぼすと、ベイローレルが言った。
「ですが、この時期で良かったと思いますよ。もう少し遅かったら、北の帝国は雪で覆われて、まともな移動ができなくなりますから」
「そうか。本格的な冬になる前に早期解決しないとだな」
「ええ。急ぎましょう」
僕はアクセルをさらに踏んだ。そして、スピードを上げながら、もう一つの問題を思い出した。
帝国と共和国、2つの国から勇者が現れ、それぞれに『勇者召喚の儀』が行われている事実を知れたことは大変に大きな収穫だ。これにより、僕たち夫婦が同時に召喚された謎についても光が見えたのだ。
他国の精霊神殿で、『破滅の魔神王』を討伐するための『勇者召喚の儀』が実行され、それが『連携魔法』となったという仮説だ。このイレギュラーにより、僕たちは召喚術式とは全く異なる土地に出現し、二人同時になり、しかも僕の能力は全て嫁さんに奪われてしまった。
この仮説が正しいことを証明するためにも、北の帝国の帝都にある『火の精霊神殿』、南の共和制国家の首都郊外『アカデミー』にある『地の精霊神殿』を訪問したい。
今回、奇しくも最初の目的地が帝都になっている。これは幸いだ。
しかし、様々な勢力に遭遇した中で、どうしても解決できなかった問題がある。それが『幻影の魔王』の存在だ。
いったいなぜ、この魔王は王都で魔族を誕生させたのか。その目的も正体も全く不明のまま、既に王都からいなくなっているという結論に終わった。非常に歯がゆい思いだ。
だが、僕の中には、ある不思議な予感があった。『魔王教団』を追う限り、必ずこの『幻影の魔王』問題に再び直面することになるだろうという予感だ。
そして、嫁さんの討伐対象である『破滅の魔神王』。
これまでの情報を総括すると、いつかは接触する必要があると思われる。僕たち一家が地球に帰るためには、避けては通れない道である気がした。
様々な疑念に頭を悩ませつつ、僕は何も無い砂漠をクルマで走り抜けた。
しかし、この時の僕はまだ知らなかった。これらの謎の多くは、帝国に行くことで解けるのだということを――
そして、『破滅の魔神王』には、既に出会っているのだということを――
――さて、一方でシャクヤは、この頃、既に帝国の領内に入っていた。
国境を越えて驚いたのは、一面、雪で覆われていることであった。暦は10月初旬。季節は秋と言える時期にである。いくら雪国と言っても、早すぎると思われた。
「もう……これほどまでに積もっているのですね。わたくし……初めて拝見しましたわ」
「ここ数年、異常気象で、ずっと寒いのです」
解説した誘拐犯のリーダー格は、そこで待っていた仲間とシャクヤを引き合わせた。
雪原でも走れる新しい乗り物を準備し、待機していたのは、漆黒のローブに身を包み、フードで顔を隠した男性だった。彼は、シャクヤに防寒着を渡しながら言った。
「お待ち申し上げておりました。ラクティフローラ王女。これよりは我ら『レジスタンス』がご案内致します」
彼の名乗った団体名は理解できなかったが、相手の気配を感知したシャクヤは、それに驚愕した。
(こ、この方は……魔族でございますわ!!)
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