第103話 邂逅

ガヤ村からの帰り道、寝ている子ども達を乗せ、快適にドライブをしていた。


静まり返った車内で嫁さんと会話をしていると、まるで元の世界に戻ったのではないかと錯覚してしまう。ところが、街道の半ばを過ぎたあたりで、目が覚めたカンナが言った。


「レーーン、おしっこ~~」


子連れのドライブにおける、最もあるあるのハプニングである。どうしてトイレに行っておかなかったの!と親に叱られる場面だ。嫁さんが、おかしそうに笑った。


「あるあるのヤツ来たね……」


「まぁ、想定内だよ……空き地を見つけて停めよう」


開けた場所を見つけ、そこに駐車する。子ども達は、全員そのタイミングで目を覚まし、茂みに行ってトイレを済ませた。


ひと休みした子ども達は、元気を取り戻してしまい、再びはしゃぎはじめた。まだ日没までには時間があるので、しばらくそのまま遊ばせておくことにした。


穏やかな風が吹いていた。周囲のモンスターの気配には、嫁さんが常に気を配っているので、安心した気持ちになる。運転手の僕は、少し休憩したい気持ちになり、草むらに寝そべってみた。すると、嫁さんがそばに来て言った。


「せっかく何もないとこに来たから、ちょっと練習していいかな?」


「え?」


「あのホーソーンさんがやってたヤツ、便利だよね。”飛ぶ斬撃”ってカッコいいと思うんだけど、マナを飛ばしたのは意外だった。ああいうのって、”真空の刃”みたいのを飛ばすんだと思ってた」


嫁さんは、ホーソーンが使っていた『飛影斬』をマネようとしているらしい。そこで、”真空の刃”の話が出たので、僕は豆知識を披露した。


「”真空の刃”っていうのは、現実には存在しない、架空の物理現象だよ」


「え!そうなの!?」


「昔は、そういうのがあると信じられていたらしい。”かまいたち現象”とも言われたりして。だけど、実際に真空状態には、物体を切り裂く力なんて存在しないんだよ」


「えぇぇぇぇ……そうだったんだぁ……なんかショック……」


「だから、マナを剣撃に乗せて飛ばす、というスキルは、かなり難しそうだけど、この世界の現象としては、理に適っていると思う」


「そっか……まぁ、どっちでもいいや。私にも、アレならできそうだと思っただけだから」


「見よう見まねで、やる気か……」


「って言っても、私には『次元斬』があるから、剣でやる必要はなくて、剣でできるんだから、拳でもできるんじゃないかって思うんだ」


「……へ?」


僕が質問を返す間もなく、嫁さんは右手の拳を上空に向かって勢いよく突き出した。


ゴォウゥゥン!!!


なんと、拳から衝撃波のようなものが発生し、轟音を立てて飛んでいくのが見えた。


「はい!?」


思わず僕は起き上がった。


「うん。こんな感じか。威力も確認しておかないとね」


さらに嫁さんは、今度は少し離れた位置にある森に向かい、拳をストレートに放った。


ギュゥゥゥン!!!


鋭い衝撃波が直線状に飛び、100メートル程離れた位置にある木を貫いた。


威力もさることながら命中精度も半端ない。しかもそれだけでなく、衝撃波はさらに奥にある木々にまでヒットし、えぐられた木が次々と倒れていった。


僕の開発した『銃』の威力など、比較対象にすらならない。時間と工夫を一生懸命、費やして完成した僕の努力の結晶は、嫁さんの一瞬の思いつきにあっさり敗北したのだ。その圧倒的な能力の差に、僕は心から呆れ果てた。


「おいおいおい……」


「ありゃぁ……マナを直接、飛ばすのって調節難しいねぇ」


「他人のスキルを見よう見まねで再現して、しかもいきなりアレンジ技を使っちゃうのかよ……」


「うーーん……でもベイくんが使った、魔法を打ち消しちゃうヤツは、原理がよくわからなくてマネできないけどね」


「百合ちゃんの場合、魔法を倍返しできるんだから、必要ないと思うけど」


「ふふふっ、確かにそうだね」


新しい力の使い道を会得した嫁さんは、満足そうに僕の横に座った。


「こんないい天気だと、お昼寝したくなっちゃうねぇ」


そう言いながら、ベタベタくっついてくる。

なんとなく、僕もいい気分になってきた。


「ガヤ村に行ってきたせいか、僕も安心した気持ちが蘇ってきたよ……」


僕がそう返すと、嫁さんは黙って肩を寄せる。

よそ風が草の匂いを運び、子ども達のはしゃぎ声を乗せてきた。


「なぁーーんかさぁ……こうしてのんびりしながら子ども達の声を聞いてると……幸せな気分になっちゃうなぁ……」


妙に艶めかしい声で囁く嫁さんに、僕は少しドキドキした。


「ねぇ、蓮くん、このまま私たちが帰れなかったら……あの子たちと一緒に幸せに暮らしていくのもアリかな……なんて……思ったり……しない?」


「え…………」


何と答えていいかわからない。しかし、確かに今、僕は幸せを感じている。万が一、元の世界に戻る手段が無かった場合、そういうのもアリだとは思う。僕は一言だけ返した。


「そう……かもね……」


「そしたらさ、こっちの世界で……蓮くんとの…………新しい家族が欲しいなぁ……」


甘えた声の嫁さんに僕の心は舞い上がりそうになる。

二人は互いに見つめ合った。


「百合ちゃん……」


「蓮くん……」


目を瞑ってキス待機する嫁さん。

しかし、僕は心の平静を保つため、このやり取りを笑いに持っていった。


「いや、この流れはアレだよね。後ろから部長がやって来て、他県への転勤辞令が下りるパターンだ」


「えーーっ!また、てーーんきーーん!?」


日本中を転勤する、あの超有名な夫婦のモノマネだった。

ノってくれた嫁さんは、そのまま気絶したフリをする。


アホらしさに苦笑する僕だったが、この瞬間、嫁さんは急に慌てて起き上がった。


「……あっ!あれ!?どこ行ったの!?」


「え……?」


「足りない!子どもの気配が足りないよ!プラムとタロとメイプルがいない!!」


「なんだって!!」


すぐに立ち上がって、子ども達を探した。

付近にいたのは、スタンプ、ササ、ダリア、カンナだ。

確かに3人足りない。


「え、あいつら?……あれ?そういえば、どこに行ったんだ?」


スタンプに聞いてもわからないようだ。

どうやら、個々に遊んでいるうちにバラけてしまったらしい。


「ごめん!油断してた!モンスターの接近ばっかり気に掛けて、あの子たちの方がいなくなっちゃうってこと、考えてなかったよ!」


「すぐに探そう!!」


嫁さんだけではない。僕自身も油断していた。字の読み書きもできない子ども達だが、少年少女の生活力には逞しいものがあった。ゆえに身を守る術もしっかり身につけている気がしていた。


しかし、それはベナレスという街の中の話であり、彼らは街の外には一歩も出たことがなかったのだ。したがって、モンスターの脅威を実体験で知ることもなく、まして、環聖峰中立地帯という危険地域の恐ろしさを認識することもなかった。


かつてこの地域で、世界最強の嫁さんがはぐれただけで、僕は動揺した。今度は、か弱い子どもがいなくなったのだ。動悸は激しくなり、脂汗が出はじめた。


「百合ちゃん!気配は追える!?」


「待って!今やってる!!」


嫁さんの顔つきも必死である。


「まだ掴めない!もう!どこまで行ったの!!こうなったら、気持ち悪いけど、やるしかない!!!」


子どもの気配を特定できない嫁さんは、さらに探知の精度を上げた。


しかし、それをやると周囲の虫や小動物の気配まで捉えてしまう、と以前に説明してくれた。気持ち悪いから二度とやりたくないらしい。それでもやるのだ。


「うっ!!!っひぃぃぃぃっっっっ!!!!」


気色悪がって跳び上がり、僕にギュッと抱きつく嫁さん。


「だ、大丈夫!?」


「う、うん!でも、見つけた!!プラムとタロがあっち!メイプルがあっちの方!」


嫁さんは、それぞれ別の方角を指差した。

どちらも森の中である。

僕は愕然とした。


「え!一緒じゃないのか!!」


「蓮くん……!」


必死の目で嫁さんは僕を見た。

それは、片方を頼む、という目だ。


お互いの身の安全が第一。

それが僕たち夫婦の約束のはずだが、今はそうも言っていられない。

そうした彼女の思いが一瞬で僕にも伝わった。


「わかった!遠い方に百合ちゃんが行ってくれ。僕は近い方を追う!」


「うん!じゃあ、私はあっちのプラムとタロの方に行く!蓮くんは、向こうのメイプル!」


「了解だ!」


嫁さんは瞬時に駆け抜けて行った。

僕は、メイプルのいる方角に向かおうとしたが、その前にスタンプたちを呼び寄せた。


「スタンプ、ササ、ダリア、カンナ、みんなクルマに乗って待っててくれ!ここは、危険なモンスターがいる場所なんだ!」


比較的年長であるスタンプたちは、すぐに理解してクルマに乗った。僕は、さらに自動車周辺に空気の壁を作って子ども達を守り、自分自身に【身に纏う追い風ドレッシング・ウィンド】を掛けて高速で走った。


初めての行為となるが、僕は単独で森の中に入った。


だが、以前の僕とは違う。今は、騎士団の部隊長を退けるほどの戦闘方法を開発している。さらには、嫁さんほどではないが、レーダー探知のように周辺の生命反応を検索することも可能なのだ。


空気の壁を前方に作りながら走れば、森の中を高速移動しても怪我をせずに済む。

僕は、全力疾走した。


すると、さらに前方1キロほどの距離に人間の生命反応を捉えることができた。

おそらくメイプルだ。

少しだけ安堵するとともに反省もした。

幼い子どもが、これほど離れてしまうまで、僕たちはのんびりしていたのか、と。


だが、近づいてみると、さらに別の生命反応も現れた。

モンスターである。


僕の前方、人間の反応とは違う角度から、僕の進行を妨げるように近づいてくる。偶然なのか、あるいは、僕とメイプルどちらかの気配を捉えて、獲物として近づいてきたのか。いずれにしても、メイプルの安全を思えば、このまま直進して、こちらから勝負を挑む以外にない。


その決意のもと、近づいてみて、わかった。

モンスターの反応は、3体だった。

これはレーダーの精度が悪いのではなく、走りながらでも確認しやすいよう、レーダー映像の解像度を上げておくべきだったのだ。


そして、さらに驚いたことには、人間の反応も3つだった。


なんと、メイプルは他の人間と一緒にいることになる。

こんな森の中で。

まさか、誰かに連れ去られたというのだろうか。


焦る気持ちが募るが、ともかく今はこれから遭遇するはずのモンスターに対処するのが先だ。宝珠システムによるレーダー検索がさらにモンスターの種類を特定した。


推定レベル22の『サイレント・グリズリー』が2体。さらに推定レベル30の『マッスル・ラビット』1体。こいつは森のヌシになるようなモンスターだ。


僕の視界に真っ先に飛び込んだのは、レーダーで確認していたとおりマッスル・ラビットである。


僕自身は初めて遭遇するが、本当にムキムキの体をしており、兎の顔をした別の生き物、という印象だ。ベテランハンターが複数人集まり、連携して倒すような相手である。


その動きも俊敏だ。

しかし、部隊長ホーソーンと比べれば、捉えられない動きではなかった。


僕は、落ち着いて照準を合わせ、銃を発射した。


ガァン!ガァァン!!


2発の銃声が鳴り響く。

胴体に命中した。


しかし、それらの弾丸は、厚い毛皮と筋肉に遮断され、致命傷には至らなかった。一瞬、怯んだ兎モンスターだが、再び加速してこちらに迫ってきた。


「レベル30でこれかよ!だったら、ホーソーン相手にも手加減する必要なかったんじゃないか!?」


つい独り言の愚痴が漏れた。

相手との距離は、既に5メートルほどである。


知能の低そうな顔をしたマッスル・ラビットは、跳躍して上空から襲い掛かった。図鑑で調べておいたとおりの習性である。そして、空中に浮かび上がってくれれば、かえって、こちらとしては狙いやすい。


「まぁ、いいや。だったら、本気の弾丸をお見舞いするまでだ」


マッスル・ラビットの頭部に向け、さらにもう1発の弾丸を発射した。

これには、さらに魔法を付与した。

対モンスター用に考えておいた、追撃魔法である。


モンスターに着弾した弾丸は、その瞬間に再度、後方で爆発を起こし、再発射される。つまり、ゼロ距離射撃されるのと同じ効果を発揮する。


そうして貫通力を増した弾丸は、さらに前方でも爆発を起こす、それはモンスターの肉体を内側から破壊するのだ。


狭い場所では扱いづらかった爆撃魔法を、銃弾と組み合わせることで、小規模でありながら殺傷能力の高い兵器へと改良したのだ。その効果のほどは――


ドッパァァンッ!!!


眼前に迫っていた兎モンスターは、その頭部が見事に吹っ飛び、絶命した。


我ながら、あまりのグロ展開にドン引きする威力である。もちろん、それでも嫁さんが投げる石ころにも及ばないのであるが。そして、着弾した衝撃によって、胴体だけとなったマッスル・ラビットは、空中で仰向けになった。


僕はすぐさま、後方から来るはずの2体の熊モンスターに気持ちを切り替える。

だが、ここでおかしな事実に気がついた。

すでにサイレント・グリズリーの生命反応が消えているのだ。


僕が兎1体を仕留める間に、熊2体が倒されたことになる。まさか、嫁さんが追いついてくれたのだろうか。だとしたら、なぜ、前方の兎ではなく、後ろのモンスターから倒してくれたのだろう。


と、刹那の間に考えが交錯する。

それは、マッスル・ラビットの胴体が、地面に落ちるまでの一瞬のことだ。


そして、頭部のない兎モンスターのムキムキの巨体が倒れた瞬間、その向こう側から素早く動く影が見えた。


「えっ!」


という声が同時に聞こえた。

聞き覚えのある声だ。


その影は、空中から勢いよくこちらに向かっている。木から木へ、幹を跳び蹴りしながら、高速接近してきたようだ。それが、勢いを止めることなく、僕に飛んできた。


瞬時のうちに起こった、これら出来事に僕は全く反応できなかった。理解できたのは、3つあった人間の反応が1つ消え、すぐ近くまで来ていたことだ。その影が、正面から僕に体当たりした。


「むぐっ!!」


弾丸を発射するために圧縮空気の壁を解除していたのが裏目に出た。人間一人が飛び込んでくる衝撃は、なかなかのものだ。幸いにも、背後は、草が生い茂っているだけだったので、それがクッションとなり、大怪我には至らなかった。


そして、僕の顔に覆いかぶさったものは、思いのほか、柔らかかった。僕はこの感触を知っている。女性の胸だ。しかも、ウチの嫁さんに負けず劣らずの大きさの。


「す!すまん!大丈夫だったか!レン!!」


美しく長い赤髪を風になびかせ、僕の上に乗っかったまま、こちらの顔と頭を気遣うのは、よく知った人物だった。


この人物は、僕を助けようとマッスル・ラビットを背後から斬るつもりだったのだが、僕が先に撃ち殺してしまったため、勢いを落とせずに僕にダイビングしてきたのだ。


モデルのような美人でありながら、レベル40超えの剣の達人。


あの”女剣侠”ローズだった。

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