第64話 修学旅行
僕と嫁さんが乗った馬車は、商業都市『ベナレス』を出た。
そこからは、次第に木々が少なくなり、やがて荒野になった。
西の王国『ラージャグリハ』の国境が近いのだ。
さて、ここで一度、この世界の地理状況について、おさらいしておきたい。
まず僕たちがこの世界に召喚され、最初にいたのは、大陸の中心に位置する聖峰『グリドラクータ』だ。そして、聖峰を囲むようにして、周辺に4つの大国が存在している。
北に、雪国の帝国『イマーラヤ』
東に、複数の島による鎖国国家『チーナ・スターナ』
南に、緑豊かな共和制国家『シュラーヴァスティー』
西に、砂漠とオアシスの王国『ラージャグリハ』
ただし、聖峰の周辺はマナ濃度が非常に高く、強力なモンスターが多く生息しており、『環聖峰中立地帯』として、どの国家も手出しできない状況となっている。
僕たちは、聖峰の南西に位置する『ガヤ村』でお世話になり、そこから西北西にある、独立した商業都市『ベナレス』に移動した。
『ベナレス』は、大国『ラージャグリハ』の国境付近でもあり、『環聖峰中立地帯』に隣接した土地でもあった。
そして今、さらに西にある『ラージャグリハ』の王都『マガダ』へと向かっているのである。
ちなみに馬車の乗り心地はどうだったか、と聞かれれば、それは最悪だったと答えよう。
揺れる。
相当に揺れるのだ。
道は、アスファルトで整備されているわけでもない砂利道であり、車輪は、もちろんゴムタイヤなどではなく、木の車輪だ。何かあるたびにゴツンゴツンと振動が来る。サスペンションなんてものも存在するはずはないので、衝撃を吸収するものは何一つ無かった。
唯一、とてもフカフカなシートに座っているために、そこで振動が和らげられたのだが、その軽減効果も完全ではない。よって、常にガクガクと体が揺れることになった。
「これは……ちょっとアレだね……」
僕が辟易していると、嫁さんはニコやかに言った。
「馬車なんだから当たり前だよ。車なんて、地球に戻れたらいつでも乗れるんだから、いいじゃない」
「百合ちゃんはポジティブだね」
「せっかくなんだから、楽しまなくちゃ」
初日の夕方には、国境の町に着いた。
ここからが『ラージャグリハ』となる。
町の入り口が関所となっているが、手続きは全て騎士団の方でやってくれた。
ところで、関所で待たされている少しの間、嫁さんは馬車から降りて、妙に辺りをキョロキョロしていた。
「どうした?百合ちゃん?」
「……なんとなくだけど視線を感じたんだ。一瞬のことだから気のせいかもしれないけど、敵意のある視線だった」
「人?それとも魔族?」
「たぶん魔族」
「僕たちを狙っているのかな?」
「ううん。ちょっと注意を向けられただけ」
「てことは、魔族がこの国境の町を狙っていて、道行く馬車が、たまたま視界に入った、ってとこかな」
「たぶん、それだ」
そこに手続きを済ませたコリウス部隊長が声を掛けてきた。
「お二人ともお待たせしました。それでは、参りましょう」
「コリウスさん、ちょっとお話が……」
僕は嫁さんから得た情報をコリウス部隊長に伝えた。
「なるほど。了解しました。町に駐在している騎士にも伝えておきましょう。勇者様からの忠告とあれば、みな、気を引き締めることでしょうが、現状では、まだ勇者様の存在を公言できないことが悔やまれます」
「あはは。お気になさらず……」
僕たちは関所を通過した。
そして、そのまま一団は町の中心部にある立派な建物に向かった。
「本日はこちらで一泊します。どうぞ」
コリウス部隊長に案内され、中に入ると、荘厳な装飾で彩られた宿であった。
「うっわ。うっわぁーー!なにこれぇーー」
嫁さんが驚嘆している。
「これって貴族が泊まる宿じゃないかな……」
僕が恐縮していると、コリウス部隊長は部屋を案内してくれた。
そこは最上階の角部屋と、もう一つの隣室だった。
最高級の部屋が取られたようだが、なぜかここでも2部屋、用意された。
「お二人には、こちらの部屋にそれぞれ、ご宿泊していただきます。また、念のために私たち騎士が交代で護衛に当たらせていただきます」
「え、別々の部屋なんですか?しかも護衛なんて……」
「護衛は部屋の前で待機するだけですので、ご安心ください」
「それはそうでしょうけど、僕たち夫婦なんで、同じ部屋がいいんですが」
「部屋につきましては、勇者様に仲間がいらっしゃる場合、必ず男女別の部屋にするようにという厳命が下っておりますので」
修学旅行か。そして、あんたは引率の先生か。
と、言いたい。
言いたいが、タダでこんな豪華な宿に宿泊させてもらえるのだから文句も言えない。
「厳命…ですか……なんか、不思議な命令ですね……」
「私にも理由はわかりませんが、そういう、お達しでありまして、これについては例外は認めるな、とのことでした」
「そうですか……わかりました」
「それでは、夕食の手配をして参りますので、お部屋でおくつろぎください」
渋々であるが、僕が承諾した後、コリウス部隊長はこの場を去った。
すると、嫁さんがチョイチョイと僕の服を引っ張り、小声で囁いてきた。
「ちょっと、蓮くん。どうしてここで引き下がっちゃうの?」
「え、だって、例外は認めないって言うし、百合ちゃんもカドは立てない方がいい、って言ってたから」
「ここは頑張るとこだよぉ!これじゃ、一緒に寝られないじゃないっ!せっかく蓮くんの風邪が完治したところだったのにっ」
「えぇぇ。もうOKしちゃった手前、今さら言えないよ」
「うぅぅぅぅぅぅ、蓮くんのバカッ!!」
最後の「バカ」だけが大きく周囲にまで響き渡った。護衛として残っていた騎士をはじめ、貴族らしき他の宿泊客までこちらを振り返った。
「あ……あははは。すみません。なんでもないんです……」
周囲に謝罪した後、僕は嫁さんをジロリと睨みつけた。
「……ごめん」
嫁さんは、しょんぼり謝った。
気持ちはわかるけど、ここは大人の対応でいこうよ。
と、思う。
部屋は角部屋とその隣室なので、静かに過ごせるであろう角部屋を嫁さんに与えようと思った。
「百合ちゃんが奥の部屋を使えばいいよ」
「え、うん。ありがと……」
と、言いかけたところで、嫁さんは明るい声で言い直した。
「あっ……やっぱり蓮くんが奥の部屋にしなよ。私はこっちの方がいい」
「そう?わかったよ」
部屋に入ると、そこは広々とした部屋だった。どう考えても一人で泊まる広さではない。ここに嫁さんと二人で泊まってもいいではないか。なんという贅沢なのだろうか。
その後、連れて行かれた夕食も貴族御用達というような豪華なレストランであった。こんな旅路が5日間も続くのか、と思うと、僕は恐縮してしまうのだが、嫁さんは遠慮なしにモリモリと食事を楽しんでいた。
部屋に戻り、僕は最近、熱心に取り組んでいる宝珠の研究の続きを行った。
そして、疲れて眠った。
嫁さんは今頃、一人で何をしているのだろう。どうせ、やることがないからすぐに寝てしまっただろうな。
と、考えていると、窓からコツンと音がした。
何かが風で当たったのか、と思い、気にせずにいると、すぐにまたコツンコツンと2度、音がした。
僕は慌てて起きた。これは、窓の向こうに誰かがいるのだ。心当たりは一人しかいない。
カーテンを開けると、そこには風に髪をなびかせた嫁さんがいた。すぐに窓の鍵を開け、彼女を部屋の中に入れる。
「……来ちゃった」
彼女か。
いや、嫁さんだから彼女以上なのだが。
そもそも窓の外には小さなベランダがあるのだが、隣の部屋とは遠く離れていて繋がっていない(当たり前のことだが)。
「ていうか、どうやって、来たんだよ」
「ジャンプしたに決まってるでしょ」
「あぁ……うん」
「ヤバい。どうしよ。隣の男子の部屋に忍び込むとか、ちょっと憧れるヤツだよ、これ」
いや、マジで修学旅行か。
「部屋の内装はどっちも一緒だねぇーー」
本当に別の部屋に遊びに来たヤツがよくやるパターンを嫁さんは再現して見せた。
僕は、呆れながら言った。
「まさかと思うけど、一緒にトランプしよう、とか言わないよね?」
「それもいいねっ」
「おいおい……」
「あ、でも、この世界のカードって、私たち知らないね」
「そういえば、そうだな……」
僕が今さらながらにこの世界のカードについて考えを巡らしていると、嫁さんは僕のベッドにダイビングした。
「蓮くんのベッドぉっ!私がいただいた!」
「コラッ!静かにしなさい!バレちゃうよ!」
ここまでの会話はもちろん小声で行われている。それにしても嫁さんはテンション上がりすぎだ。彼女は僕が寝るはずだった布団を自分の体に巻きつけてゴロゴロしている。
「なんか、ヤバいね……イケないことしてるみたいでドキドキする……」
「いや、ほんとに見つかったら、それこそ恥ずかしいよ。もう戻りなさい」
「えぇぇぇ……でも……」
「でも、じゃない」
「ちょっとくらい、こっちに来てよぉ。もう、今の私なら力ずくで蓮くんを押し倒せるんだからねっ」
「え?」
嫁さんの、らしからぬ言葉に一瞬戸惑ったが、次の瞬間には、僕は彼女に手を引っ張られ、空中にフワッと浮かび上がり、ベッドにダイブさせられていた。
「ちょっ!」
ドシンッ
「ほら」
勢いよくベッドの上に仰向けに転がされ、どういうわけか、気がつけば嫁さんにマウントを取られていた。
「マジか……」
完全に襲われる側になってしまった。
いったい、どこの世界に嫁さんに無理やり押し倒される旦那がいるだろうか。
いや、なかにはいるかもしれないが、ここまで見事にやられてしまうのは、僕くらいのものだろう。
「ぐへへへ……」
嫁さんが不気味に笑った。
いや、それもうヒロインがしていい笑い方じゃないよ?
「しょうがないなぁ……」
僕は半ば観念した。
こうなってみると、悪い気がしなくなってきたのだ。今夜のところは、嫁さんの気が済むまで付き合ってあげるのが一番かもしれない。
「蓮くん……蓮……くん……」
まだ服は脱いでいないが、頬を上気させた嫁さんが体を重ねてきた。
と、そこでドアがノックされた。
「レン様!先程、何か大きな音がされましたが、大丈夫でしょうか!?」
ドア越しに護衛の騎士が大声で呼んできた。
僕と嫁さんは同時にビクンと大きく震え、僕は起き上がり、嫁さんはベッドの布団に隠れた。
「だ、大丈夫ですよ!ちょっとベッドから落ちてしまっただけです!」
「そ……そうですか。大事なお体ですので、どうか、お気をつけください」
鍵は掛けているので、さすがに騎士が部屋に入ってくることはなかった。
騎士の声がしなくなってから、しばらくの間、僕たちは無言のままでいた。
そして、お互いに目が合うと、嫁さんがクスクスと笑いだした。
「なんか……夫婦なのにおかしいよね」
「これ、もう完全に修学旅行じゃないか……」
「こういうのも楽しい思い出になりそう。普通の旅行じゃ、絶対に味わえないね」
「満足した?」
「うん。もう戻るね。さっきの音で気づかれちゃうんじゃ、蓮くんにいろいろされても声を出せないもん」
「いや……ほんとにそうだよ……僕だって他人に聞かせたくない」
嫁さんを窓まで送り届けると、僕は、なんとなく彼女のおでこにキスをした。
「……口にしてくれないの?」
「今日はこれで我慢しなさい。これ以上は、僕も抑制がきかなくなりそうだから」
「なぁーーんだ。蓮くんも我慢してたんだ」
「当たり前だよ」
「わかった。おやすみね」
「ああ、おやすみ」
そうして、穏やかでフカフカの贅沢な夜を、僕と嫁さんはお互いに一人で過ごしたのだった。
翌朝。
異世界生活17日目。
嫁さんと顔を合わせると、上機嫌で話しかけてきた。
「おはよ。夕べはお楽しみでしたね」
「……それは自分で言うセリフじゃないし、夕べは何もやっていない」
「まぁね」
豪勢な朝食をいただき、宿を出ると再び馬車が出迎えてくれる。本当に至れり尽くせりな旅行だ。
「百合ちゃん、昨日言ってた、魔族の気配はしない?」
「うん。今のところは大丈夫だね」
「なら、僕たちが今できることはないね。このまま行こう」
僕たちを連れた騎士団御一行様は、旅路を急いだ。
そして、王都『マガダ』まで、このような旅が5日間も続くのだった。
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