空に、感情。

椎葉伊作

【1】

 僕が産まれた日には、雨が降っていたという。

 僕自身は覚えていない。赤ん坊の頃の、ましてや産まれた日の記憶なんて無いに決まってる。これは、母から聞かされた話だ。

 その話を聞かされたのは、確か小学生の頃だった。

 ”僕が産まれた日”というテーマで作文を書けという宿題を与えられて、母に仕方なく尋ねたのだ。「僕が産まれた日ってどうだったの?」と。

 母はアルコール臭い息を吐き散らしながら、こう言った。

「お前が産まれた日はね、雨が降ってたよ」

 それだけ言うと、母はまた酒を煽りだし、ほどなく染みだらけの畳に突っ伏して寝てしまった。

 僕は作文にたった一行、”僕が産まれた日には、雨が降っていました”とだけ書いて、提出した。次の日、帰ってきた作文には、”もっと頑張りましょう”のスタンプが押されていた。

 僕はその日、ジャングルジムの上に登って考えた。

 ”もっと頑張りましょう”。

 これ以上、どう頑張れっていうんだろう。

「死ねよバーカ」

 飛んできた石が、持っていた作文を破いた。

「お前、作文になんて書いたんだよ、疫病神」

 クラスのみんなが僕に石を投げだした。意外と当たらないものだったが、幾つかは僕の身体に命中した。一発だけ額にクリーンヒットして、ぬるりとした血が頬を伝った。

 痛くて頭を抱えていると、急にザアアと雨が降ってきた。

「うわあ、雨だっ」

「逃げろっ」

 結構強い雨で、みんなは散り散りにどこかへ行ってしまった。僕は頭が痛くて、動けずにいた。その間も、ずっと雨は止まなかった。

 しばらく待っていると、痛みが引いてきた。雨が洗い流してくれたのか、額を触っても、もう血は出ていなかった。

 全身ずぶ濡れだったが、なぜだかそれが妙に心地よくて、僕は空を見上げた。相変わらず、雨は降り続いていた。

 空が、一緒に悲しんでくれているのかな。

 そう感じた時、ふと思い立った。

 空に、感情はあるのだろうか。

 もし、あったとしたら、嬉しい時は晴れて、悲しい時は雨が降って、嬉しくも悲しくもない時は曇りになるのだろうか。怒っている時は雷が鳴って、雪が降った時は・・・、変な気分の時だろうか。

 あれ、でも、そうだとすると、僕が産まれた日は、空は悲しんでいたのかな?

「ねえ、どうなの?」

 空に向かって聞いてみた。

 空は答えなかった。ずっと雨を降らせていた。晴れる気配など、微塵もなかった。

 やっぱり、僕なんかが産まれたから、悲しかったんだな。

 僕は雨でぐしゃぐしゃになった作文を放り投げて、帰りたくもない家に帰った。

 それから十年後、僕は街で一番高いビルの上に登っていた。飛び降り自殺をする為に。

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