第5話 弾けてしまった感情
華やかでエキゾチックな令嬢……それが初めてベラへ抱いたヴィヴィアンの印象だった。
身に纏う真紅のドレスは上質なもので、到底平民が身に纏えるものでないものは遠目からでもわかった。
それなのにベラは供の一人も付けず公爵家の門番達と堂々と大声で言い争っているのである。
普通ならばシンディーが制止するまでもなくヴィヴィアンは貴族夫人の模範的な行動として、先ず何事もなかった様に屋敷内へと戻り、そうしてダレン若しくはウィルクス夫人によって必要であると判断された場合のみ報告を受ける筈だった。
だがあの時のヴィヴィアンは何かへ導かれる様に、そう確かにそっと密やかに囁かれた気がしたのだ。
『彼の愛人と名乗る女が来ましたよ』
最初は空耳なのかとも思ったけれども……。
『懐妊しているようです』
まさか――――と周囲を見回してもシンディー以外ヴィヴィアンの傍にはいない。
そしてその囁きはシンディーの耳にへ何も届かなかったらしい。
だからヴィヴィアンは空耳だと思ったのに……。
『貴女は真実を見極めなければいけないでしょう』
真実を……。
『そう、全ての真実をです。星は今再び回り始めました。貴女は全てを知る権利があるのです』
星?
権利って何を……?
それ以降ヴィヴィアンにとって優しくも心地の良い、それは何の抵抗もなく耳から心へするりと入り込んでくる風音の様な不思議な表現し難い空耳の様な囁きは終わった。
緩やかな風が無風状態となった時には既にヴィヴィアンはベラの目の前へとその姿を現していたのだ。
まるで言葉通り風に導かれたかの様に……。
まさかそんな筈はあり得ない。
風に導かれるなんて可笑しな表現を思いついたものだと、この時のヴィヴィアンは余り深くは考えなかった――――と言うよりもである。
姿を見咎めた以上どの様な形であれヴィヴィアンはリーヴァイの正妻としてベラと対峙する必要があったからだ。
そうして聞きたくもない胸の悪くなる様な話を散々聞かされ、その結果気分が悪くなると共に意識まで失うとは……。
「わかっていた筈なのに、十分理解していた筈なのにやはりまだまだ心構えが出来てはいなかったのですね」
夫であるリーヴァイとはやはり相容れない関係なのだと、身体の関係があろうとなかろうとその行為がどの様に激しく求められようともである。
決められた運命の前では何も関係がないのだと、ヴィヴィアンは今更ながらに思い知らされる。
「――――ったらです!! 閨で甘く囁かないでっ。欲望だけを吐き出されれば……よい、のです。私は最初から何も、ええ何もです。ただただ平穏な人生だけを夢見ていた……なのにどうしてっ、何故心はこんなにも悲鳴を上げているのでしょうか。リーヴィ、貴方の、身体の温もりがなくてこんなにも寂しいと感じてしまう私は何処か、私の心と身体は可笑しいのでしょうか。ふ、ぅ、お、可笑しいですね。何故、どうして涙が……っくぅぅ」
ヴィヴィアンが倒れた事によりベラとの対談は中止となり、ベラは仕方ないとばかりに以外にもあっさりと屋敷を後にしたとウィルクス夫人より報告があった。
そうして夕食は私室にて軽めの食事をそれも食欲も湧かずほんの少し申し訳なさげに摘まむ程度で、それ以上はまた昼に感じた気持ち悪さがぶり返せばまたも気分が悪くなった故にその夜は早々に休んでいたのである。
そうして暗闇の中夫婦の広過ぎる寝台でただ一人。
家出終了後は毎晩リーヴァイによる熱くも苦痛に近い快感の波に晒されながらも何度となく彼の腕の中で達しながらもそれは何とも甘く、何処までも甘美な行為に最初は何とか逃れようと必死だった筈なのに、今では一人寝の方が寂しいと思うヴィヴィアンは、何時しか上掛けを頭の上まですっぽりと被りそっと声を殺し
泣く
ただ少しばかり夫への可愛い文句を誰に聞かせるまでもなく、そうシンディー達に聞かれればきっと余計な心配をさせてしまうだろうと思ったからこそ、ヴィヴィアンは子供の様に上掛けを被ってそっと独り言ちるだけの筈だったのだ。
なのに何時しか感情は、そして心に溜まっていた不満は思っていたよりも多く、一言口を開けば後から後から止まる事なく不安と不満は言葉や涙となって漏れ出てしまう。
皆に気づかれる――――と一瞬ヴィヴィアンの理性が察知するも、外れてしまった
そうして彼女の心の鎧が全て解かれた瞬間――――密やかにそして静かにとろりとろりと一滴ずつ無垢な心へ入り込んだ漆黒の闇の
『ふふふ、もう直ぐだ。もう直ぐそなたは我が元へ帰ってくるのだ我の唯一……』
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