4品目 食後のコーヒー

「美柑、私達は叔父さんが出していた重要なヒントに気づいていなかったの」

「ヒント? それって?」


 常連さんにとって昔から愛されているオムライス。それがルーティンの逸品となった。

 これが真実だと言っても可笑しい点は見当たらない。しかし、そこには何か喉の痞えのような、引っ掛かる部分があったのだ。


「美柑、叔父さんはね、『あの常連の男性客は、土曜に限らず今あおいちゃんが言った曜日、月、水、金も午後二時から午後五時の間にこのお店へ来てくれている』って私達へ言ったの。此処に違和感を感じない?」

「う~ん……特に……あれ? あおいちゃんの言った曜日には来てくれて……あ。じゃあ他の曜日は・・・・・このお店へ来ていない?」


「そう。私の出勤日は月、水、金、土。でも、お店は火曜以外開いている。じゃあ日曜、木曜はこのお店へ来ていないって事」

「でもでも、たまたま日曜は家族サービスしているかもだし。木曜は日替わりメニューの安いお店があるのかもしれないよ?」


 その可能性は否定出来ない。しかし、こだわりを持っているプロほど、それは考えにくいのだ。

 

「いや、それじゃあルーティンにならないし、少なくとも今、あのお客様は左手の薬指に何もつけていないわ」


 恐らくあのお客さんは今、独り身なんだろう。少なくとも今は。


「まぁ、結婚した当時より太って指輪が入り切れなくなったって線もあるさね」


 それまでお店の掃除をしていた叔母さんが小声で私と美柑へ笑いかけた。叔母さんのしっかりお肉がついた指には、残念ながら指輪が入らないらしい。


「まぁまぁ、その線は置いておいて。来店した曜日に理由があるのならば、彼がオムライスを食べる理由は、ルーティンだけじゃなかったという事になる」

「え? それって……あのおっさん、あおいのストーカーだったって事?」


 流石に美柑も気づいたらしい。でも、あの人はストーカーではない。バイトが終わった私を待ち伏せして、家を突き止めるなんて事をしている様子もないし、私が居る日にお店へ来て、オムライスを食べて、珈琲を嗜み、本を読んで、パソコンで執筆をして……これがあの人の日常なんだろう。


「ストーカーではないわ美柑。叔父さん、質問してもいいですか?」

「どうぞ」


「あの人、いつからこのお店に?」

「お店へ頻繁に来るようになったのはここ数年の話さね。でも開店当初からこのお店を知っている常連さん・・・・だよ」

「そうですか……」


 ゆっくりと息を吐く私。喉の痞えが取れた気がした。


「ねぇ、あおい。全然わかんないさね! どういう事なん?」

「うん……じゃあ話すね」


 私は深呼吸して、ゆっくり話始める。


 叔父さんは私の母親の弟にあたる。母はお姉ちゃん。私の母は、叔父さんとこの喫茶店を一緒に開いた人物だった。オムライスのレシピは母の考案。当時、私の父親に何度も何度も味見してもらい、細かい味を調整した結果の看板メニューだったんだそう。幼い私は、このお店のオムライスと一緒に育った。ケチャップの乗った卵に包まれたチキンライス。母のオムライスは夢の宝石箱だった。幼い記憶ながら、その時の味が美味しかったという記憶は今でも覚えている。


 私が幼稚園にあがった頃、両親は離婚した。当時、日本はバブル崩壊真っ只中で、父の会社が倒産したらしい。離婚した理由は、母と私に借金を背負わせないため。当時、父と離婚した母は、私を連れて夜逃げするかのように、他県へと引っ越したのだ。このとき、母も私も母方の姓である、小茉莉こまつり姓へと変わったのだ。


 中学にあがる頃、離婚した理由はなんとなく聞いていたし、父親とは連絡も取っていないとも聞いていたので、私は父の事を行方不明だと思っていた。母は父の事を、『あの人は不器用だから』といつも言っていた。



「N崎の大学に入学するって聞いた時、このお店を通じてなら、あおいちゃんの成長した姿を見届ける事が出来るんじゃないかね? ……って、時々このお店へ尋ねて来ていた彼へ提案したんだよ。あくまで事実は伏せた状態で、お客さんとして此処へ訪れるという条件で、彼は此処へ通うようになったんさ」

 

 食後のコーヒーはもう冷めてしまったんじゃあなかろうか? あの人は、作業に集中している様子を見せて、パソコンで執筆するフリを・・・していただけなのかもしれない。冷めたコーヒーを飲み干して、あの人はパソコンをゆっくりと鞄へと仕舞うところだった。


「ちなみに店名の〝よし茶ん〟は、あおいちゃんのお母さんが、お父さんの名前から取った名前だったりするさね」

「……そういう事だったんですね……」


 美柑も納得した様子で男性客が立ち上がり、レジへ向かう様子を見ていた。叔母さんがレジへと移動し、男性客は会計を済ませていく。入口の扉を開ける直前、私はカウンターから飛び出す。


「ありがとうございました! またのご来店、お待ちしております!」


 心を籠めてお辞儀をする私。お客さん……いや、私のお父さん・・・・は、私に背を向けたまま右手をあげた。店の扉が開き、ドアベルがカランコロンと鳴る。


「……また来るよ」


 確かに父はそう言った。

 またこのお店のオムライスを食べに、彼は此処へと来るのだろう。

 父にとって、このお店のオムライスは私と母とを繋ぐ絆のようなものなんだろう。


「よかったんかい? もっと話さんで」

「大丈夫です。また来てくれると思うので」


 私は叔母さんへそう告げた。


「今年あおいちゃんも成人式だろう。大人になる前に、謎が解けるようにしてあげようと思って、彼には事前に了承を取って置いたんさ」


 そう言って種明かしをする叔父さん。美柑はカウンターで瞳から雫を零していた。


「マスター、コーヒー追加注文で! あおいの分も! よかったねぇ~あおい」

「ちょっと、なんで美柑が泣くのよ!」


 この日、マスターがハンドドリップで淹れてくれたオリジナルブレンドのコーヒーは、大人になる私を出迎えるかのように、ちょっぴり苦く、人生の旨味を体現したかのようなコクのある味だった。


「あーー、これで私に彼氏が出来ないという謎が解けたなら、全てが一件落着なのになぁ~~」

「んーー……美柑。その謎なら、解けるんじゃいかな?」


 唸る彼女へ目に見えていない事実を教えてあげようと、私は彼女へ提唱する。


「どういう事さね?」

「あなたは現実を見ようとしていないだけ。周りを見渡してご覧なさい。いつも見ている景色。見逃していた事実に気づく筈だから」


 美柑は店内を見渡す。私の父が帰った店内のお客さんは、あの男子大学生のみ。美柑が大学生の姿を捉えた時、冷めた珈琲を口に含んでいた彼は思わず噴き出しそうになっていた。


「ねぇ、いつも美柑が遊びに来る日に限ってご来店下さっている学生さん。何か言ったらどうなの?」


 私が彼に近づき、優しく笑いかけると、意を決したように立ち上がる彼。


「みっちゃん……ひさし……ぶり……」

「え? えぇ~~もしかして、ユウ君!? ひっさしぶりやんね~~! 小学生以来・・・・・? いつこっちに戻って来たん?」


 手を取り合う美柑に対し、顔を真っ赤にしている男子大学生。ストーカーかと思っていた彼の正体は、小学校まで美柑と幼馴染だった男の子らしい。


 目に映る光景、何気ない日常。いつも注目していない場所に目を向けた時、そこには新たな真実が潜んでいるのかもしれない。

 


「あとは、私の胸に実った果実がいつ成長するか……この謎が解けたなら、全てが解決……」

「ん? あおい、何か言った?」

「……何でもない!」


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