第30話
一度月が沈んでまた上がってきても、気持ちが晴れることは無かった。
モヤモヤして、考え込んで、思考がループしていく。そして、どんどん気持ちだけが沈んでいく負の連鎖。
今日は、何もしたくない。
歩きたくないし、動きたくない。ベッドから一歩でも外に出たいと思わない。
戦うなんて、言語道断だ。この状態で迷宮に行っても死ぬだけだ。
……もしかしたら、いつもの待ち合わせ場所に薬屋が待っているかもしれない。休むってことだけ言ってここに戻ってこよう。
歩きながら考える。
本当に薬屋は待ってくれているのだろうか。
もしかして、昨日のやり取りで愛想を尽かしてもう二度と会えなかったりはしないだろうか。
嫌だ。でも、仕方ないのかもしれない。だって、人に迷惑をかけてはいけないのだ。
もしかしたら今まで無理して一緒にいてくれたんじゃないだろうか。申し訳ないな。
なんで生きてるんだろう。薬屋にもこんなに迷惑かけてるのに。
よくよく考えたら、こんな小さくて不安定な戦闘力の女の子なんて迷惑に決まっているじゃないか。
ああ、だめだ。やっぱり薬屋に近づいてはいけないんだ。
来た道を引き返そうとして――腕を掴まれた。
「シルヴァっ!」
「薬屋……いや、ごめんなさい馴れ馴れしい、よね」
「お前、どうしたんだ?昨日から、なんか変だぞ?」
「ごめん、なさい。迷惑かけたくないから、近づかない」
「いや、別にそういうこと言ってる訳じゃなくて」
「でも、迷惑になっちゃう……」
「何言ってんだよ。俺がお前のこと、迷惑だなんて言ったことあったか?」
「それは……ないけど」
無いけれど、きっと思っていただろう。ロートさんは優しいから、口に出さないで笑ってくれていたのだ。
自分が近くにいるにはもったいないほどいい人だ。
やっぱり、俺は一緒にいる資格は、ない。
「……ちょっと、着いてこい」
「……っ!え?」
「いいから」
ロートさんは、俺の腕を引っ張りどこかへ連れていこうとした。
どこだろうか。街の中央側に向かって進んでいる。
口調が厳しい。怒ってるのだろうか。いや、怒っているのだろう。
やっぱり、迷惑だから、何かをされるのだろうか。暴力されるのか、性的なことをされるのか、どっちも嫌だけど、仕方ないのかもしれない。
自分のせいだ。
自分が迷惑をかけたからこんなふうになってるんだ。
頭の中がぐちゃぐちゃする。ドロドロで黒い、汚い何かが、頭の中を少しづつ、侵食していく。
ロートさんは、ギルドの中に入った。
怖い。ギルドの中で何をされるのだろうか。分からない。でも、怖い。
階段をあがって、二階を超えて入ったことの無い――そもそも存在を知らなかった三階に入った。
そこは、街中が見渡せる小さなスペースだった。
向かいになる形でベンチが設置されている。
「ここ、は?」
「ここは、冒険者専用の休憩室だ」
「きゅう、けいしつ?」
「そ、休憩室。だから体の力、抜けよ。別に取って食ったりはしないから」
「……ほんと?」
「ああ、本当だ。信用出来ないか?」
信用は、できる。この世界に来てからロートさんがいなければ俺は恐らくここまで楽しくやっていくことは出来なかっただろう。
しかし。
「でも、迷惑かけてる」
「迷惑、ねぇ?」
「うん……」
今だってわざわざこんな場所に連れてきてもらって、緊張しなくていい、なんて優しい言葉をかけてくれた。
俺が悪いのに。
「ごめんなさい……」
「……お前があの時、何があったかわかんないんだけどさ?俺にはすっごい今のお前が苦しそうに見えるんだよ」
「でも、自分が悪い……」
「俺には何が悪いのか全くわかんないし、なんでそうなってんのかもわかんないし、わかんないことだらけだよ。でも、一つだけ言えることがある」
「……?」
なんだろうか。
きっとロートさんは優しいから、励ましてくれるのだろう。
優しいな。申し訳ないな。また迷惑をかけてしまう。
「確かに、お前は色んな人に迷惑をかけて生きてる」
やっぱりそうなのだ。俺は迷惑なのだ。俺なんていない方がいい――
「でも、俺も色んな人に迷惑をかけて生きている」
「え?」
迷惑なんてかけてないじゃないか。優しくて俺みたいな身元不明な人ですらお金を貸してくれるようなお人好しなのに。
「ここの下の階にいる人全員が他の人に迷惑をかけてるだろうしここから見える街の人もみんなそうだ。俺たちは、お互いに迷惑をかけあって生きてるんだよ」
「でも、迷惑かけたら、怒鳴られる……車に跳ねられかけて――殺されかける」
「それで悪いのはお前じゃない。それをやった相手だ」
「でも、自分も悪い」
俺が悪いんだ。それで、全部上手くいく。
笑顔で謝れば、怒鳴られれば、丸く収まる。
自分が悪者であれば、だから俺は、悪者なんだ。
「みんな悪いんだよ。みんながみんな迷惑をかけあってるし、お互いが良くないところがある。それが人間の集団だよ」
意味が、分からない。みんな迷惑?でも、俺はみんなのことを迷惑だなんて思ったことは無い。
「お前は優しいから、迷惑なんてかけられてないって思うかもしれない。でもな、実際にはかかっているだろうし、心は疲れる」
じゃあ、あの姉はなんだと言うのだろう。俺は、姉に悪いと言われて、実際に殺されかけられたのに。
「でもな、迷惑に敏感な奴もいるんだよ。そういう奴は大抵めんどくさくて煙たがられる。そういう奴に近づくお前みたいな優しいやつが食い物にされて、心を壊される」
ドクンとその言葉が胸に突き刺さったかのような衝撃を感じた。
そんな、そんなはずは、でも、だって……
「冒険者ってのは良くも悪くもストレスが多い。お前みたいなパターンもあるし、色んなことで心が病む。だから景色のいい休憩スペースなんてのがギルドの中にあるんだよ」
気がついたら、俺は泣いていた。
何故かは分からない。でも、暖かいような、くすぐったいようなそんなものを感じた。
なんだろうか。
「だからな?迷惑かけてもいいんだよ。むしろ多少かけるくらいの方が元気でいいじゃねぇか!」
いいのか?本当に?
あんなに怒られたのに、でも、それでも彼には迷惑をかけてもいいのか?
「ほんとに、いいの?」
「いいんだよ。今までのままで、お前のままがいいんだ。何が出来ないとか、いたら良くないだとか、そんなことないから!今まで通り、バカ話しながら戦って、たまに死にかけて、でも、生きて帰ってくるんだ。そんなのお前としかできないだろ?」
涙が、止まらない。
いいのか?本当に?
俺は、このままでいいのか?
「出来ないことがあるなら出来ないままでいい。……もちろん、ずっとそのままってのは良くないけどな?でも、急に変えろなんて言わない。ゆっくりでも、進んでいけばいいんだよ」
顔はボロボロだ。もう人様に見せられないような状態だろう。
呼吸も上手くできない。過呼吸になりそうだ。
「ひっ、う、ううう、ぅぅぅぅぅぅぅ……」
思わず、薬屋の胸で泣いてしまった。
薬屋は泣き止むまでずっと背中をさすってくれていた。
胸の中は、謎の暖かさとくすぐったさでいっぱいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます